EP.61 長男の秘密
「サワ様・・・」
兄弟達の本音が分かり合えた喜びを噛み締めていたチェスターは、そこでようやく傍に居る存在達に気づいて視線を背後にやった。
「よかったね、チェスターくん」
優しい笑みを浮かべるのは彼が長年仕えてきた『お嬢様』であるが、その魂が違う事を彼は知っている。だからこそ、彼は兄弟を彼女に紹介したかったのだ。この不思議な魂を有する彼女に触れれば、彼らも何かを感じてくれるのではないかと、そう願って。
そこで彼は自分の顔が外の空気に触れていることに気づき、地面に落ちている仮面を認めた。
「!」
驚いて紗和を確認したが、彼女は動揺することもなくまっすぐに自分を見つめてくれていた。
胸に、先ほどとはまた違う温もりが溢れた。
紗和がこちらに足を踏み出し、チェスターの足も自然とそちらに向かうように動く。
すぐそばにお互いを感じた時、紗和がそっとその手を彼の頬に添える。
「ごめんね。チェスターくんの優しさはちゃんとわかってたつもりだったんだけど、仮面取ってもらうのこんなに遅くなって」
困り顔で笑う紗和を見下ろして、チェスターは泣き顔をそのままに首を振った。
「いいえ、サワ様、私は今まで仮面を被っていた事を苦しいとは思っていませんでした。あなたはいつもまっすぐに私の目を見てくださっていたから」
彼らしい言葉に紗和は苦笑を深めた。
「あなたの優しさは色んな人達を救ってくれるけど、優しすぎるのも、ちょっと問題かもね」
まぁそれが、彼の良いところでもあるのだけれど。
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「はっはっはっ!いやぁ、流石は聖女様だ。本当に感謝しているよ」
少し風が冷たくなってきたのを受けて、一同は屋敷の中に戻った。
バーンズ家の三人が笑顔で建物の中に入ってきたことに対し、紗和はバーンズ家の執事から丁重なお礼をされた。彼女はそれを笑顔で受け止める。
それから一行は皆がくつろげるように、昨夜紗和達が過ごした談話室に向かう。
それぞれの定位置に収まったところで、いつものようにアルが宝塚団員も真っ青な動作と共に紗和に向かって改めて謝礼を述べる。
「すべて、あなたの計画通りだったとは。先ほどはきつい言葉を言ってしまい、申し訳ないことをした。そして、本当に感謝する」
ダグラスもアルに習うように直立すると、深く頭を下げた。
「あー、いいよ、気にしないで。私がしたくて勝手にしたことだし。それに、ダグラスくんもごめんね。しょうがないとはいえ、私の方こそ失礼な事をいっぱい言って」
「いいえ、お相子だ」
「そうね」
ダグラスと紗和は、悪戯が成功した共犯者の子供のように笑い合った。
今、紗和は「紗和」としてこの場にいる。なのに、それを誰も違和感なく受け入れていることに、気づいている者は果たしてこの場に何人いるのか。
「あ、そうそう」
昨日の夜と同じように一人用のソファーに座っていた紗和は、思い出したように声を上げた。
「思ったんだけど、アルってなんか隠してない?」
「っ」
少女の指摘にあからさまに反応したのはダグラスとチェスター、そしてアーヴィン。
アルはにこやかな笑みをそのままに首を傾げ、エドガーはあえて何も反応を示さなかった。
「おや、なぜそのように?」
「だって、ダグラスが姉、とかって言ってたし、この屋敷に初めて入った時も、チェスターがなんかそんなことを言ってたし・・・」
次の瞬間、壁に罅が入る音が部屋に響いた。
見れば、チェスターとダグラスのすぐ隣に何かが刺さっている。
同じ光景を前にも見たのであえて何も言わない。
ちなみに、刺さっているのはチェスターの方は櫛で、ダグラスの方は手鏡のようである。
―――なるほど、『姉』が禁句なのね。
紗和は一段と笑みを深くする。それはさながら甚振る獲物を見つけたかのような狩人のようだったと、後にアーヴィンは語った。
「なるほど。話は読めたわ」
この言葉に、今まで飄々とした態度を保っていたアルが態度を崩した。
「いいじゃない。別に私は本当の事を知ったところで何もしないわよ。というか、それで得するようなことなんて『聖女』の私にはないし」
「聖女殿」
「でも、これで、チェスターくんがなんで女の恰好をするようになったのかもなんとなく察した気がするわ」
先ほどのダグラスの言葉と、彼女の予想を照らし合わせれば自ずと真意は読めるというもの。
彼女の言葉に感嘆の言葉を漏らしたのは周りの人間達だった。
エドガーは詰めていた息をゆっくりと吐きだし、アーヴィンとエイダは瞳を輝かせて紗和を見つめていた。そんな彼らに気づかないまま、紗和は優雅にお茶を飲む。
その様子を静かに見守っていたアルフレッドは、途中で堪え切れなくなったようで、口元を手で覆いながらも笑い声を噛み殺す。
「聖女殿に隠し事は無用か。なるほど、確かに。アルフレッドとは仮名だ。私の本当の名は、アリシア・バーンズ。チェスターとダグラスの実の姉になる」
「「「!」」」
あまりにもあっさりとした告白に驚いたのは周りだ。ちなみに周りとは、エイダを除いた男達全員の事である。
「でしょうねぇ。顔見たらわかった。男の人にしては線が細すぎるし」
カップから口を話して、紗和はけらけらと笑う。それに対して、アルフレッド、いや、アリシアも綺麗に笑った。
オロオロしているのは周りだけだ。
「しかし、私は別に強制されて男装をしているわけではないのだよ。こちらの方が落ち着くのだ、気持ちがね。ドレスを着ている時の方がよほど違和感があるのさ」
これまたさらっと新たな秘密が明かされる。
その告白にこれまたその場に居合わせた男達がぎょっとしたように目を見開いた。
―――なるほど、まぁ、世界は違えど、そういう概念がないわけでもないよねぇ。
特に驚きはしないのが、元の世界で色々な人間を見てきた女性と、妙に謎を抱え込んでいる節のある少女である。
「別に、詳しいことは聞きはしないわ。アルがアルである限り、それで今までやってきたなら、これからもそのままでいいんじゃない」
「男装の令嬢!素敵ではありませんか!!・・・それになにより、アルフレッド様は見ているだけで目の抱擁になりますもの!」
まるっきり意見が違えど、根本的には肯定している女性達の言葉に、アリシアは初めて心からの笑みを零した。
彼―――彼女は、静かに紗和に近づくと、その前に膝をつく。そして恭しく紗和の片手を取ったかと思えば、そのまま流れる様にその手の甲に唇を寄せた。
「アリシア―――いや、アルフレッド・バーンズ。これから先、クリスティアナ様に何かあれば、すぐに駆けつけあなたを守ることをここに誓おう」
そう言って不敵な笑みを浮かべたアルに、今まで余裕綽々で対応していた紗和は思わず顔を赤らめた。まるで自分がお姫様になったかのようで、思わず照れ笑いが零れ、アルの男前っぷりに恥ずかしくなったのだ。
すぐ傍に立っていたエイダはいつもの女子高生のようなテンションで口に手を当て、キャーキャーと小く、けれど妙に甲高いを声を上げる。
そして、その間男性陣が何をしていたかというと。
何もできずただただ黙って見守っていることしか出来なかった。自分達よりも男前すぎる目の前の女性達を前に、彼らは無力だったともいう。
―――初めて女の子の気持ちになったのがまさか女性相手だったなんて、なんてこと。
アルフレッドとダグラスに見送られ、自分の屋敷に帰る途中の馬車の中で、紗和は先ほどの事を思い出しては、まるで初めて告白された少女のように顔を赤らめていた。
そしてそれを見て苦虫を噛んだような顔をしていた青年達三人は、果たしてその胸に何を想ったのか。それは、彼らにしかわからない。