EP.60 三人キョウダイ
ダグラスが地面に座り込み、肩を落として項垂れはじめた。
それを後ろから見守りながら、紗和は汗が噴き出す錯覚を起こすほどの混乱に陥っていた。
―――ど、どうするの!布なかったら話すどころの話じゃないんだけど!!
自分の特異体質が本当に憎らしい。ついでに、この体質の原因となった天使をも憎らしい。
バーンズ家屋敷は丘の上に作られていて、その屋敷の庭園の隅に位置するここからは、バーンズ家が所有する領地が綺麗に見える。
ここで景色を見ていると自分が如何に小さくて非力な生き物か実感する、というのは先ほどまで景色を眺めていた紗和の感想だ。
―――ええぃ!もうままよ!
いつまでも隠れているわけにもいかず、やり遂げなくてはいけないこともあるため、紗和は腹を括ることにした。勝算は一つ。ダグラスを脳内で別の人物と置き換えるのだ。
胸の痛みを伴うのであろうそれは、今は関係ない。
あくまでも自然に偶然会ったという体で紗和はダグラスに背後から近付いた。
「あら、ダグラス様?」
「!!」
人に声をかけられると思っていなかったであろう先客の肩が面白いぐらいに飛び上った。
「・・・・聖女様」
ダグラスが振り向き、クリスティアナの存在を確認すると驚いたように声を出した。そしてすぐに先日の事件を思い出し、自分が顔を覆っていない事に気づき慌てふためく。
急いで服のポケットを漁れば、幸いにもハンカチが一枚入っていたので、それで顔を隠す。
「こんな処で、いかがした?」
「・・・・・え、あ」
ダグラスの意外な行動に虚をつかれた紗和は反応が遅れた。
「いえ、エイダと逸れてしまって歩いていたらここに辿り着いて・・・・。とてもステキなところですわね。わたくしも、お邪魔してもよろしいかしら?」
「あぁ、もちろんだ」
ダグラスはそういうと一度ハンカチを外し紗和から顔を背ける様に立ち上がったあと、来ていたベストを脱いで地面に広げる。ハンカチでもう一度顔を隠した後、紗和に手を伸ばし、その手を取ると、そのままベストの上に座るように促した。
ちなみにこの時、紗和の心の中は感動と動揺で震えていた。
―――え、な、なにこの子!かわいすぎるんですけど!!!男前すぎるんですけど!!
「・・・とても素敵なところですわ。ダグラス様はよくこちらにおいでになるのですか?」
―――私は女優。女優の町田紗和よ。
心の落ち着けるように自分に言い聞かせた。
「時々。考え事をするときなどは」
言葉少なに彼は答えた。
「考え事、ですか。・・・・ダグラス様、失礼は承知でお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「なんだろうか。俺に答えられることならば」
これから自分は無礼なことをする。思った通り、いや、それ以上にやさしいダグラスにこのようなことをするのは胸が痛くなるが、こうしなければ物事は何も変わらない。
心の中でこれからのことを詫びてから、紗和は言葉を紡いだ。
「立ち入ったことであるとは思うのですが、あなたのお兄様は私の側近ですし、私自身とても気にかかっていた事なのです。ダグラス様はバーンズ家の次期当主だと仰っていましたよね?・・・お兄様方がいらっしゃるのにも関わらず」
ダグラスの眉間に少しずつ皺がよっていく。
「ダグラス様はとても優秀なんですね。そしてそれをよくわかってらっしゃる」
「・・・・何が言いたい」
「別に。ただ事実確認をしたいだけですよ。チェスターとアル様は仲が良さそうなのに、ダグラス様だけ纏ってる空気が違うといいますか」
紗和を見るダグラスの目に、先ほどまでの紳士的な色はない。
「だから思ったの。もしかしたら、自分がお兄さん達より優秀なのを知ってて、だからあの距離感なのかって。・・・・自分は二人とは違うってね」
「聖女様とはいえ、言って良いことと悪いことがあるのではないだろうか」
「ふふふ、図星を突かれた?・・・次期当主の地位を確立して、二人の兄を見下す気持ちを指摘されたのなんて、初めてでしょう?」
「お前に俺の何がわかる!無礼にもほどがあるぞ!」
我慢の出来なくなったダグラスは、思わず声を荒げて立ち上がった。その際にハンカチが顔から離れたが、それに気づかないほど彼は憤っていた。
紗和はハンカチが落ちたその瞬間だけ息を詰めたものの、その後は真っ直ぐダグラスの瞳だけを見上げた。顔の造作は気にしない。集中するのはその強い力を宿した瞳のみ。
「あら、私は最初に失礼な質問をするって警告したもの。それを了承したのはあなたよ?」
見上げ続けるのは疲れるので、彼女も同じように立つ。それでも身長差はあるので見上げることに変わりはないのだが。
「なっ、それはただの屁理屈だ!」
相手は自分よりもよほど下の少女であることを忘れて、ダグラスは言い募る。
今まで誰にも気づかれず、気づかれてもまるで腫物に触るかのように扱われてきた事を、真正面から指摘されて、彼は動揺していた。
そしてそれを紗和はお見通しだ。腕を組んで、毅然した態度をもって少年と向き合う。腕を組んだ際、腕の後ろに隠れる方の手には手鏡が握られている。それは、エイダに向けた一つの合図。
この舞台を完結させるには、あと二人、登場人物が必要だった。
「意地っ張りには屁理屈で対応する。これ基本よ?」
「なっ!」
開いた口が塞がらないというのはこういう事をいうのだろうか。ダグラスはそれ以上は何も言えず、けれど何か言わなければと口を開けたり閉じたりを繰り返す。
「きっと気持ちがいいんでしょうね。お兄様達より優秀だと世間に知らせることが出来て。・・・きっとチェスターもアル様にも、当主になるだけの器はない。あなたもそう思ったからこそ、次期当主の座に収まってるんでしょう?」
「兄上達の悪口をいうな!」
―――かかった。
獲物が仕掛けた罠に引っかかったことを感じ取り、紗和は心の中でニヤリと笑う。
しかし、その表情は挑発的なままだ。
「悪口?本当のことでしょう?」
「俺がどういう思いで次期当主になったかわかっているのか!?・・・俺がしなければ、きっと辛い目に合うのは姉上と兄上だ!俺は二人を母から守りたかったっ・・・」
ダグラスは自分が何を言っているのかわからず、ただ心に溜まっていたものを吐き出すためだけに言葉を続ける。紗和も彼の言いたいことの半分もわからない。けれど彼女がわかる必要はないのだ。必要なのは彼の本音。そしてそれを聞くべき人物たち。
「姉上は女だからと母に存在を否定された。兄上はお優しすぎるから、当主なんて出来るはずがない。俺は、お二人にはそのままの二人で居てほしかった。好きなことをして生きててほしいのだ!母の俺に対する態度と二人に対する態度があきらかに変わっていくのを見て、俺がどんな気持ちで居たと思う!?」
ダグラスの言葉を聞きながら、紗和は心が温かくなっていくのを感じていた。やはり彼女の感じていた通り、彼は本当にやさしい人だ。自分を犠牲にしてでも、姉弟の幸せを願うほどに。
彼は今、気持ちの昂るあまり涙を流していた。
―――ん・・・?姉・・・?
なにやら聞いてはいけない単語を聞いてしまった気もする。しかし今はそれを指摘する場面ではない。
「申し訳なくて・・・。俺が生まれてきてしまったばかりに二人にはどれだけ辛い目に合ってきたか・・・!」
その時二人の背後の茂みが揺れて、人影が姿を現す。
「ダグラス・・・?」
「お前、今までそんなことを思っていたのか?」
「!?」
ダグラスの涙が一気に止まる。
振り返った先に居たのは、この世界で一番大事で、大切にしてきた二人。今は仮面と布で覆われていて表情はわからないが、驚いていることだけはわかる。
「あね・・・兄上達?」
「ダグラス。私達はずっと、お前に嫌われてると思っていた。存在が邪魔になっていると・・・」
ダグラスの驚いた声に気づかないまま、アルフレッドが瞠目させ呟くように言った。
「だからこそ、あなたから離れる様に・・・。母上も、そう言っていらっしゃたから」
チェスターの声は震えている。
その言葉達にダグラスは再び涙を流す。そして勢いよく被り振った。
ここまで気持ちを露わにしてしまっては、もう後戻りなのできるはずもない。
「どうして俺が二人を嫌わなければいけないのですかっ!いつだって二人が俺を見守ってきてくれたのを知っているのにっ!俺はただ、二人には幸せになってもらいたくて・・っ」
チェスターとアルフレッドは、堪らず一番下の弟に駆け寄り、涙を流す彼を抱きしめた。
「紗和様」
「エイダ、完璧ね」
二人が出てきた茂みから、次に顔を出したのはエイダだった。彼女に向かって、親指を立てた紗和はにっこりと笑う。
「なるほど。こういう事でしたか」
そして呆れ顔のエドガー。
「本当に、いつもいつも、予想のできない事をさいますね」
感心した声を発したアーヴィンが続いた。
振り返ったままの紗和は、二人を見て笑みを深める。
エイダ、エドガーそしてアーヴィンは歩きを進めて紗和の隣に並んだ。彼らの動きに合わせて視線を前方に戻した紗和は、そこに泣き笑いの表情で佇む三人の兄弟の姿を認めた。
その内二人が着けていた仮面と布は、今や彼らの足元にある。
「サワ様」
アーヴィンが心配そうに声をかけてくるが、それに黙って首を振り心配ないことを伝える。
「これで任務完了」
満足げな紗和の声に、エドガーもアーヴィンも頷く。その綺麗で優しげな三つの笑顔に、二人共心が温かくなるのを感じていた。
そのまま喋らなくなった紗和を不信に思うことなく、二人は三人を見守る。
しかし、ふとした拍子に紗和の方へ目をやって、そこで二人は息を詰めた。
そこには、優しく見守る姉のような表情をした紗和が居たのだ。今まで見たことがない表情にエドガーもアーヴィンも驚き、そしてそれと同時に、一筋の涙の雫が少女の頬を伝って消えたのを認めて、そのあまりにも儚げな様子に目を奪われた。
先ほどから何も言わないエイダをまた、悲しそうな顔で紗和を見つめていた。彼女は拳を強く握り、唇を噛み締め、まるで何かに耐える様にも見えた。
そんな周りの様子に気づくはずもなく、紗和は笑顔で目の前を光景を見守る続ける
―――貴羅と凛が喧嘩するたびに、私が仲裁に入ってたっけ。あの子たち、結婚して家を出ても、ほんとにくだらないことで喧嘩してたわよね。喧嘩するほどなんとやらっていうか。・・・どうか私が居なくなっても、いつまでも仲の良い二人でいてくれます様に。
胸が痛かった。
ダグラスの意地っ張りな様子がすぐ下の弟、貴羅によく似ていたから、放っておけなかったのだ。自分が悪いことをして妹の凛を怒らせたのに、自分から謝ることが出来なくて、泣きそうな顔で姉の自分に助けを求める。それは、大人になっても変わらなかった。
『お姉ちゃーん!!またお兄ちゃんがわたしのチョコレート食べたぁぁ』
『いいじゃねぇかチョコレートくらい!』
『前にも同じことしたでしょ!しかもそのチョコレートが一日数量だっていったのに!!それだって一時間以上並んで買ったんだから!』
『二人共・・・たまにはましな理由で喧嘩してよ。てか、私を挟んで喧嘩しない!』
『こら!お兄ちゃん逃げるな!』
『お前小さいことでうるせぇんだよ!』
『もうお兄ちゃん何て知らない!絶交だからね!』
『・・・・・・・・姉貴』
『そんな顔で助けを求めるなら最初っからしないの。まったく、学習しないわね』
『うぅぅ』
『ほら、何してんの。買いに行くんでしょ』
『う、うん』
『ほらよ』
『へ?・・・あ、これ、あのチョコ』
『これで絶交は取り消しだかんな』
『・・・・しょうがないなー。もう』
『もう、ほんとに、あんた達は』
『お姉ちゃんが居てくれてよかったー。じゃないとわたし達、きっと仲直りできないよ』
『えー、何言ってんの。二人共良い大人でしょうが』
『だって、お兄ちゃんが唯一いう事聞くの、お姉ちゃんと詩織さんだけだもん』
『お前調子に乗るなよ!』
『いーっだ!本当の事言って何が悪い!このシスコン!』
『おめぇも大概シスコンだろうが!』
紗和の頬を涙が滑り落ちるが、過去に思いを馳せた彼女はそれに気づかない。
チェスター、アル、そしてダグラスの三人が、在りし日の自分達三兄弟と重なった。
―――もう二度と、あそこには戻れないなら、せめて、そう願うだけでも。
どうして紗和が涙を流したのかわかるはずもない側近二人は、かける言葉も見当たらず、ただただ彼女を見つめるしかなかった。




