EP.54 特訓開始
その後も、毎日、ダンスのレッスンは続いた。
ダンスの相手になるのはほとんどがアーヴィンなのだが、そういう時、彼は決まって何かを探すような瞳でサワを見つめるようになった。
焦れているようで、けれど力強い赤茶の視線が紗和に注がれるのを感じながら、紗和は常にその視線を流すような大人な笑みを見せる。すると、アーヴィンの瞳の中に焦りが見え始めるようになるのだ。
しかも最近はダンスだけに留まらず、お辞儀の仕方から貴族の令嬢としての礼儀作法、さらには話し方まで叩き込まれることになったため、年若い青年の思い悩む心中を深く考える暇がなくなっていった。
礼儀作法はベティとチェスターが主な模範となって紗和を指導する。話し方の師は言わずもがな、エドガーやキースが弁をとった。
さすがにそれが一週間を過ぎると、さすがの紗和もくたくたになっていた。
それぞれの授業を毎日、朝から夜までするとなると精神的にも体力的にも磨り減っていくものだ。特にエドガーの教え方は荒い。
その半分は普段の仕返しも含めているようで、非常にねちっこいものである。
例えば、紗和が舌が回らず苦戦していると、面白い玩具を見つけたような顔つきでにやりと笑ったかと思えば、次には大げさな動作でため息をついて頭を振って言う。
『……あなたであればこれぐらいどうってことないと思ったのですが、やはり無理ですか。一応初級者向けの話し方ではありますが、仕方ありません、超初級者向けを噛み砕いて説明いたしましょう』
するとその言い方にむかついた紗和が笑いながら言い返す。
『そのようなお気遣いは無用ですわ。エドガー様、どうせなら話し方ではなく発音の仕方をもう少しはっきりと教えてくださいません?わたしくも、それなりに自分の悪いところぐらい心得ていますので』
するとエドガーの眉が跳ねる。
『それは私の指導の仕方に誤りがあるということでしょうか?』
『まぁそのようなこと。………エドガー様がそうお思いでしたら否定はしませんが、わたくしはただ、わたくしの方が自分の欠点についてわかっていると進言しただけです』
とういうような意味のわからない会話を毎日三回は繰り広げるのだ。
売り言葉に買い言葉とはよく言ったもの。
その度にキースが止めに入る。
そして彼は毎度同じ台詞を口元を引きつらせながら言う。
『お前達は、一体何についての言い争いをしているんだ?』
それに答えられない二人は、一斉に沈黙した。
● ● ● ● ● ●
「………暇だ」
その時、紗和は屋敷の裏庭にある花壇に腰掛けてぼんやりと空を眺めていた。
遠くでは六時課を知らせる鐘が鳴っている。もうすぐお昼の時間なのだ。見れば太陽が空の真ん中にあった。
見るからに疲れきってしまっている紗和を心配した側近達の配慮で、今日は一日何もしなくていいと、今朝告げられたばかりなのである。
この時ばかりは、エドガーも何も言わずに居てくれた。
というわけで、朝は三匹の体を綺麗にすることに精を出していたがそれも一時間と少しの時間があれば終わってしまう。水の中で三匹の体を洗うのは想像していたよりも簡単だったため、時間がかからなかったのだ。普通動物は水を苦手とするものだと思っていたが、彼らはそうでもないらしい。ランに至ってはエイダが用意した桶のような入れ物の中でまるで温泉に浸かっているようにも見えるほど気持よさそうにしていた。
「ヒマねぇ」
再びひとり言を呟いた。
暇すぎて食欲も湧かない。
この一週間多忙であったため、いざ時間を貰うと何をすればいいのかわからなくなるものだ。
そしてもう一つ、彼女には悩みがあった。
―――チェスターくんの仮面、どうしようかなぁ。
そう、いまだに彼は仮面を付けている。キースも同じなのだが、チェスターとはかなりの時間を共有しているにも関わらず顔を見ることが出来ていない。しかも他の側近達は皆仮面を外しているにも関わらずだ。
紗和の心中には、罪悪感という名の雪がかなり降り積もってきている。
それをチェスター自身がなんともないように振舞うのもかなり堪えた。優しい人なのを知っているから、尚更。
「どうするかなぁ」
「いかがされました?」
「ん?」
声をかけられて、頭上に影が出来る。誰のものかと顔を上げると、今まさに考えていた張本人が立っているではないか。
チェスターはいつものように女物のドレスに身を包み、長い金髪を背中に流している。彼の仮面は金髪に良く栄える水色だ。
「なにやら退屈そうな風情ですが」
「まぁねぇ。なんかいざ時間ができると、何もすることがなくって」
これがもし、日本であったなら、買い物やら部屋の大掃除やらで時間も潰せるだろうに。
そう思って、けれどすぐに頭を振って馬鹿な考えを彼方へ追いやる。今更考えてもしょうがない。
少しの間紗和を見ていたチェスターが、なにやら思案する動作をした。そこで紗和は彼が手に何かを持っていることに気づく。
特に話す話題もなかったため、思い切って尋ねてみることにする。
「チェスターくんこそどうしたの?それ、手紙?」
すると彼も思い出したように白い封筒を持つ手を上げた。
「えぇ、家からの手紙です。先ほど読み終えたばかりなのですが………」
そう言ってチェスターは黙り込んだ。
それから何故か小さく小首をかしげて紗和を見つめる。実際に何を見ているのかは仮面を付けているため分かりかねるが、きっと紗和を見つめているのだろう。
「サワ様、もしよろしければ、私と共にいらっしゃいますか?」
「どこに」
大切な名詞が抜けていることを示す質問を返せば、彼は微かに笑ったようだ。
「私の生まれ育った屋敷にです。ちょうど、顔を見せに来いと、姉……いえ、兄上から手紙を貰ったものですから」
そう言って手紙を軽く振ってみせるチェスターを見上げ、紗和は手を目の前に翳す。
太陽の日差しをうまく遮るように立ってくれているチェスターだが、やはり眩しいものは眩しい。少し目を細めて彼女は言った。
「チェスターくんのお兄様ね………ははは、きっと命がけよね、会うのは」