EP.51 本邸到着
キースの言った本邸は、少し離れた場所にあるらしい。
神殿がある地域を過ぎ、それから二つほどの村を過ぎたところで、ようやくキースが面を上げた。
ちなみに彼はそれまで腕を組んでうたた寝をしていた。馬車が揺れる度に頭が左右上下に揺れているのを目の前で見ていてとてもビクビクしてしまったのは紗和だけの秘密である。ちなみに、そんなキースを見て、意味もなくランがはしゃいでいたのを知っているのも紗和とコウだけである。リョクはいつものごとく爆睡していて、兄の奇怪な行動に気づくわけもない。
「ようやく着いたね」
「ここですか?」
馬車が止まって従者の人が扉を開けてくれるまでの間、紗和は膝の上で眠りについた三匹をどうしようかと思案する。
いい具合に昼寝をしてくれた三匹のモンスターの子供を手近にあったバスケットの中に隠した時、ようやく扉が開き、従者が外にでるよう促す声が聞こえた。
キースが先に降りていき、その後伸ばされたエドガーの手につかまって紗和も外に出た。
そして固まった。
馬車から出た紗和を出迎えたのは、横長で四階建ての大きな薄茶色屋敷だった。正面を見たままでは百八十度広がっている人間の視界をもってしても、すべてが入りきらないほど横に長い建物。にも関わらず一定の間隔で大きな窓が連なっているものだから、紗和は自分の経験を振り返って、ここはどこかのオフィスビルかとも思ってしまった。
もしそうなら、きっと裕に千人以上の社員が勤めることができるだろうと思わせる大きさである。
「うっそ、」
とりあえず、開いた口が塞がらなかった。
「驚いてる驚いてる」
聞こえてきたのはコリンの面白がっている声。それにチェスターの控えめな笑い声が重なり、フランとアーヴィンの苦笑している様が空気の振動として止めとばかりに紗和に襲い掛かる。
「まぁ、無理もありませんけどね。お屋敷の広大さは別邸の非ではありませんゆえ」
エドガーの誇らしげな説明は、癪だからあえて無視しておこう。
「そんなに驚く必要もないだろう?ここが今日から君が暮らしてもらう場所だ。………クリスティアナは実質、ここでは数年しか過ごしていない。それも幼い頃だったよ」
隣に並んだキースが、微かに紗和の背を押して、先を進むように促してきた。
とりあえず屋敷の壮大過ぎる外観に気を取られながら歩いていれば、思わず首が仰け反ってしまった。
「本当に、時々私はあなたが私より年上だということに疑問を覚えてしまいますよ」
後ろに倒れそうになった紗和をキースと共に受け止めて、エドガーが嘆かわしげな口調で呟く。
「若さを忘れないって良い事よねぇ」
姿勢を正して歩き出しながら、紗和は皮肉を込めて返事を返す。すると、そんな紗和を見下ろして、エドガーはふっと鼻で笑った。
「幼い、の間違いでは?」
「言うじゃない。私が幼かったら、あなたはもうおじいさんの域よ。あなたに年寄りくさいっていう称号を新しく授与してあげましょうか。ロリコン腹黒年寄り皮肉屋執事が」
「謹んでお断りさせていただきますよ。いまだ、ろりこん、というのがなにを意味するのかわかりかねますが、頭が悪い語呂を詰め合わせているだけではありませんか」
エドガーの強気な言葉に紗和は、見せ付けるように鼻で笑い返す。
「ふふふ、もしクリスティアナちゃんに会えたら、『ロリコン』の意味を教えてあげたいわぁ。………きっと彼女、意味を知った途端エドガーを心のそこから拒絶するから。これはある意味核心に近いわね」
「ですから、ろりこん、とはどういう意味なんですか!?」
最後にクリスティアナの名を出したのがよかったらしい。エドガーの顔色が見るからに変わった。
そんな二人の一連の会話を聞いていた周りの人間は引きつり笑いをしながらあえて何も言わないでいた。だが、彼らの心の奥にある感想は皆同じだろう。
―――どこの、子供のけんかだ、これは。
である。
「今回の勝負、サワ様の勝ちですね!!」
「「「「「「!?」」」」」」
「え、エイダ!?」
突然屋敷の入り口が開いたと思えば、飛び出してきた一人の少女。彼女は賞賛の言葉を叫びながら紗和に抱きつく。
急な人物の突然に驚いたのは誰もが一緒で、アーヴィンやチェスター、コリンに至っては蒼い顔で心臓の辺りを押さえている。
扉の開く音はそれなりに大きく、それにエイダの声を合わさったものだから、驚きも半端なかったことだろう。
「お待ち申し上げておりました!!」
紗和の体をギュウギュウに抱きしめながらエイダははしゃいでいる。
「あは、はははは」
紗和は眠っている三匹が起きないようにバスケットだけは腕を伸ばして体から離して掲げていたが、それでも振動によって不安定に揺れるバスケットを、アーヴィンが黙ってその手から受け取った。
「エイダァぁぁぁぁ!あなたはまた部屋の掃除をほったらかしにして!!」
そのすぐ後に再び扉が勢い良く開き、女性の怒りの声が聞こえてきた。
「「「「「「「!?」」」」」」」
「べ、ベティ……」
その時もまた、チェスターとコリン、そして今度はフランが、胸に手を当てていた。
エイダの首根っこを掴み、紗和から引き離したベティは、エイダを掴む手を離すことなく、けれどその怒りを一時的に腹の中に納めて頭を下げた。神妙な顔をしたエイダも黙ってそれに習う。
「申し訳ありません。……皆様、よくぞお戻りになられました。屋敷の準備はすでに整えてございます。屋敷の者も首を長くしてまっておりますゆえ、どうぞ中へ」
良く出来た使用人と、本当に愉快な侍女を眺めて、キースは笑った。
「ご苦労だった」
「お言葉、勿体無く思います」
そうしてキースが足を進めると、フランとアーヴィンが前に進み出て、彼らのために扉を押し開いた。
「………だから、何の冗談なのって話よ」
再び驚愕に口をあける紗和はぼそりと呟いた。
「驚きすぎたって」
その呟きを聞きとめたコリンがまた笑った。
「いや、でも、なに、この豪華さ」
屋敷に入ってまず目に入るのは大きく広々とした玄関、否、ホール。その先の突き当りには白い棚があり、その上には二つの花受けと真ん中に飾られている大きな肖像画。それでも突き当たりということもあってか、今の紗和の位置からは手のひらサイズにしか見えない。一面の壁が淡い白の大理石で囲まれていて、床には赤の絨毯。
正直、紗和は本気で靴を脱ごうかと思案したほどにふかふかの絨毯だ。
ホールに入って向かって右側にはまた更にホールが続いている。その反対側はなにやら空間が出来ていた。今の紗和が居る位置からは確認できないが、日光が降り注いでいてとてもキラキラしているようにも思う。
ぐるりと屋敷の入り口付近を見渡して、一拍置いた後、
「これを驚かないでいられますか!」
思わず雄叫びを上げていた。
―――日本の平民を舐めんじゃないわよ!!
今までた別邸ですら驚くほどに広かったのに、この邸は広さといいその中に詰め込まれている造形品といいまったく比べ物にならないほどのものであった。
クリスティアナの部屋だといって通された上の階にある部屋に入った時、紗和が本気で気絶しそうになったのは、これまでの彼女の行動を思い返せば想像に難くない、のかもしれない。




