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EP.45  ベリア

 「後残すところ、ベリアだけなんだけれど」

 「彼女が一番厄介ですね」


 紗和の低い小さな囁きに、エドガーが普通の音程ではっきりと答えた。


 側近達五人に知れ渡り、自分の世話をしてくれる侍女二人もモンスターの子供達の存在は認識済みである。

 キースにも話したが、彼はクリスティアナが無事であることにそれはそれはほっとしたらしく、モンスターのことは軽く流していた。一応認知しては貰っているようだが、特にお咎めの言葉はないので、このまま傍に置いておいてもいいのだろうと勝手に解釈しておく。


 そして残されたのが一人。


 周りの人間はベリアにだけは知られるのはまずいと口を揃えていう。

 その理由が今一わからない紗和であったが、三つ子を保護して約一週間。そろそろ隠し通せる限界まできていた。

 彼女は医師であるため、常にお嬢様の身近に居る。今はまだみんなで協力して隠してはいるが、きっと勘の良いベリアだ、自分を取り巻く違和感には確実に気がついているはず。


 「なにがそんなに厄介なの?確かにそういうのには厳しそうだけど、言えばわかってくれそうじゃない?医者だし、命を粗末にはできないでしょ?」


 「その理由でエドガーでも納得しんだから」と紗和は続ける。


 「でも、とは?」


 付け足された言葉を聞いたエドガーの口元が引きつったのを、その場にいた誰もが気がついていた。だが、まるで示し合わせたかのように彼らは綺麗に流してしまう。

 紗和が居ればとりあえずエドガーはそこまで怖くないのだと、ここ最近で学んだ結果である。

 周りの反応に、エドガーはまたしても口元を引きつらせた。


 「ベリアは基本命を粗末にするのは嫌うよ。でもモンスターの場合話は別なわけ」


 ランを抱き上げて空中でブラブラと揺らしていたコリンが顔だけを紗和に向けて言う。


 「その話題だけをとれば、エドガーの方が全然説得させやすいよ。ベリアはだめだ、もう絶対誰の言うことも聞かないで即、捨てて来い、だと思うよ」

 「だからなんでよ」

 「さぁねぇ」


 首を竦めて見せたコリンは、そのまま視線をランに戻し彼と仲良く遊び始めた。

 言いたいことだけ言い終え自分のしたいことを始めた少年の背中を見つめたまま紗和は悩む。


 「でも、どう考えてもこのまま何も言わないでおくっていうのは無理があるでしょ」

 「それはそうなのですが……」


 チェスターでさえ、ベリアに言うことには躊躇している風だ。人の良い彼ならば、一人だけ何も知らずに除け者にするのは悪いと思っても良いだろうに。


 「心臓にも悪いんだって、ベリアが入ってくるたびに三匹隠すのって」


 紗和の気持ちは誰でも共感できるものだった。ゆえにしばしの沈黙が部屋の中に満たす。

 その沈黙を破れたのは扉が控え気味にノックされてからだった。


 「お嬢様、お話がある。お時間はあるだろうか」


 沈黙の代わりに、今度は一種の緊張が部屋の中を駆け抜けた。

 よりによってここで問題の彼女がくるとは。タイミングが良いのか悪いのか判断が難しいところだ。

 視線だけで会話をして、満場一致でベリアを部屋に招き入れることが可決された。


 「う、うん、いいよ!」

 「失礼する」


 律儀に頭を下げて入ってきた彼女は、自分以外の見知った顔が勢ぞろいしていることに一瞬驚いた顔をして、次の瞬間には眉を寄せていた。


 その視線は交互に、コリンの抱いているランと、エイダの腕の中で寝ているリョク、そしてフランの頭の上に乗っかっているコウを行き来している。

 さて、ここからは説得の時間だ。


 「あのね、話を聞いてほしいの」

 「お嬢様、なんのおつもりか」



 けれど、その説得の時間はベリアの無常な一言によって消し去られた。



 「冗談はよしていただきたい。何故ここにモンスターが居る」

 「ベリア」

 「今すぐに元の場所に戻して」

 「ねぇ、話を」

 「話など」


 ベリアは紗和の言葉を吐き捨てるように否定した。まだ、何も言っていないのに。

 いつものベリアらしからぬあまりに冷徹なその瞳と声音に驚くのは、他でもない紗和自身だ。何故、ここまで否定する。どうして耳を傾けることさえしてくれない。


 「ベリア、私はまだ幼いこの子達を捨て置くことなんて出来なかった。彼らの親からも頼むってお願いされた。だからここに連れてきた」


 聞かぬ素振りを見せるベリアに、問答無用で事流れを話して聞かせた。

 しかしベリアの瞳の色は変わらない。


 「幼くても、モンスターに代わりはない」

 「生き物であることにも代わりはないのよ」


 ベリアと紗和の視線の間で火花が散った。その色は、紗和やエドガーの時のように周りの苦笑を誘うものではなく、ただただ暗い光を持つだけ。


 「私は反対だ。モンスターを傍に置くなど」


 ベリア冷たい視線が三匹に向く。

 彼女は否定の一点張りだ。そしてその意味を紗和は次の瞬間理解することになる。

 視線を眠っているリョクの方に向けてベリアは言う。


 「モンスターはアーストリアの守護下。そもそも彼らは堕天使ラクザレスの僕とも言われている。そのような汚らわしいモノと、お嬢様のような神聖な方が共にあるべきではない。神の眷属であるあなたならばそれぐらいお分かりのはずではないのか。お嬢様を汚してもよろしいのか」


 そこで思い出す。彼女が盲目的に神を崇めていることを。

 紗和がダイちゃんに会ったと発言した時は、嘘をつくなと、そんなことがあるわけがないと激昂された。自分が見えなくてどうして紗和がと。

 そしてフランのサイラスに対する適当な発言にも射殺さんばかりの冷たい批判を送っていた。


 彼女は、ここに居る誰よりも神話を信じている。人間のいいように塗り替えられた歴史を。


 ―――何も知らないのに。


 「何言ってるの、人間なんて、もう神様の……」

 「サワ様」


 頭にきた紗和が言い返そうとすると、すぐに誰かの制止の意を含んだ声音が紗和の名を呼んだ。見ればエイダが静かに首を振っている。

 『それ以上言ってはいけません』、そう彼女の瞳は訴えていた。


 ―――あぁ、そうだ。これは、この国の秩序を変えてしまうんだ。


 神が自分達を守っているのだと信じて止まないこの国の人々。本当は違うのに。

 驕りあがった人間達を、神はとっくに見放しているのに。

 モンスターとアニマルだけが神の加護を受けているというのに。


 何も知らないということを知らないベリア。


 神に背く存在であるモンスター。堕天使の僕だと神話の中で伝えられてきた化け物達。

 それだけで、彼女はモンスターを否定した。助けを求める小さな命を否定したのだ。




 紗和はベリアの中に絶望を見た。




 何故皆が、ベリアに知られることを恐れたのか今ならはっきりとわかる。


 どんな運命の悪戯なのだろか。紗和がやってきたこの国の思想は、紗和のそれとは大きすぎるほど異なっていて。


 「お嬢様、モンスターは」

 「黙りなさい」


 ベリアの言葉を遮って、紗和は言った。

 今まで一度も使ったことのない低い声と命令口調で彼女は言った。周りの人間が微かに息を呑んだ気配が伝わってきたけれど、今の紗和には関係がなかった。


 「私は私の信じたことをする。神だの堕天使だの、そんなものには振り回されない。この子達はこれから私が責任を持って世話をします」

 「お嬢様っ」

 「貴女になんといわれようと私は私を変える気はない」


 ベリアを包む空気が醜く歪んだ。


 彼女が今、どんな表情でいるのか気になった。自分を変えるつもりはないと紗和は言った。ベリアと真逆の信念を持っているとしても、変わらない。

 それなのに、そんな自分が彼女自身を真正面から見つめられないのは些か不条理な態度ではないかと紗和は思う。


 意見がぶつかった時、彼女は常にその人物と対等な立場に居たいと思っている。


 紗和はベリアの元に歩み寄った。少しだけ背伸びをして、その顔に張り付く紫の美しい縁取りをされた仮面に手をかける。


 「仮面を外して、きちんと向き合いましょう」


 一瞬の躊躇をその雰囲気で周りに伝えたベリアの戸惑いが、次の瞬間には雰囲気だけには留まらず、表情全体を使って表された。

 その蒼い瞳に温かな色は篭っておらず、まるで氷水のような蒼さ。シルバーブロンドの髪の色も合わさって、彼女から寒々しさだけしか感じないのはきっと紗和自身のせい。女性であるとわかっていても、ハンサムだと思ってしまうのはそのあまりに中性的な顔の骨格とすっと通った鼻、そして女性にしては薄めの唇のせいだろうか。綺麗な男性、もしくはハンサムな女性。それがベリアを表現する言葉だ。


 苛立たしそうに唇を噛み締め紗和を見つめるベリアの瞳の奥を過ぎった哀しみを含んだ影はすぐにその姿を消し、彼女はそれからすばやく身を翻した。


 扉に手をかけた直後、ベリアは一度だけ紗和を振り返った。


 最初に出会ったときと同じ、突き刺さる視線。否、それ以上かもしれない。ベリアはベリアで、同じような絶望を紗和の中に見出してしまったはずだ。

 けれどその中に浮かんでは消える戸惑いの影も、紗和ははっきりと己の瞳に捕らえていた。それはきっと、ベリアも同じことだろう。


 自分たちはお互いに絶望しても、決してそれが『嫌悪感』に代わることはないのだ。

 一度は認め合ってしまった。その認め合った姿が脳裏をうろつく限り、決して、嫌えない。


 「残念だ。………サワ様」


 出て行った彼女の背後で、扉が重い音を立てて閉まった。



 日本で生まれ育った自分とこの国に住むベリアは、根本的な何かが違っているのだと、思い知った。



 嫌いにはなれない。

 けれど、手放しで認め合うことも、もう、出来ない。




 異なる世界で生まれ育った二人の女性の、決別の瞬間だった。

 





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