EP.40 モンスターの定義
フランは護衛達に連れられて屋敷に戻っていった。
立ち去る際、血に染まっていない方の手で紗和の頭を撫でてくれた彼は、泣きたくなる位にやさしくて。
余計に紗和の罪悪感はその大きさを増した。
「サワ様」
アーヴィンに声をかけられて紗和は我に返った。
傍にいたであろうエドガーは、どう声をかけていいかわからず立ち尽くしたままだったらしい。視線を向けると、戸惑った様子の彼を見つけた。
「フランは死んだわけではありません。……それに、ここもまだ確実に安全になったわけではないですから、一度屋敷に戻りましょう」
アーヴィンの優しい声音が聞こえると共に紗和の肩に温かな手が添えられる。
大きな拳が触れると、何故か不思議な安心感が生まれた。その拳から伝わる力強い何かによって、紗和は少しだけ現実に戻ることが出来た。
残った護衛達が、死んだ大蛇の死体をどうしようかと迷っている。
エドガーはどうやら紗和をアーヴィンに預けることにしたらしい。アーヴィンの力を借りて立ち上がった紗和の姿を見届けると、困ったように立ち尽くす護衛達の元へ歩いていく。
しかし彼が目的地に着く前に、大蛇の元にたどり着いた者が居た。
先ほどの黒豹のようなモンスターだ。
新たな化け物の出現に護衛達は慌てた。
しかしそんな彼らを見下ろすように視線を送る彼の瞳はとても静かで、先ほどまで瀕死状態に陥っていたとは思えない。そんな視線が紗和に向けられる。
『……その子供達を』
なにかが脳内に響いてきた。
それは先ほどの戦いの最中に微かに聞こえたものと同じ。
低い重みのある声は、しかし疲れたようにも聞こえる。
紗和にはそれが誰のものかすぐにわかった。彼女はしっかりと目の前の大きなモンスターを見た。
『ワタシの子供達を、お願いいたします。どうか、天と地の守護下にあるあなたの傍で、安らかに』
声は聞こえる、けれどその対応の仕方がわからない。
だから彼女は頷いた。
小さく、けれどしっかりと頷き、そして両手で腕の中の三匹を―――黒豹のような化け物の子供達を、抱きしめた。
その姿を肯定ととったのだろう。
黒豹は死んだ大蛇の首を銜えると、上に向かって大きく飛躍し、次には背中の羽を広げて、そのまま空の彼方へ忽然と姿を消してしまった。
「サワ様、彼は……?」
アーヴィンの戸惑った声が隣から聞こえた。
何があったかは分かっていないようだけれど、モンスターが紗和の方をしっかり見ていたことには気づいていたらしい。だから、紗和に尋ねたのだろう。
少し前に居るエドガーも、不可解な顔をして彼女を見ている。
どちらの男性も、彼女の返答を待っていた。
「……あのモンスター、この子達の親だったみたい。私に、子供達のことを頼むって」
―――天と地の加護にあるというのは、どういうことだろう。『クリスティアナ』のことなのか、それとも『紗和』のことなのか。
しかし最優先させなければいけない問題はそこではなかった。
「ねぇ、エドガー、アーヴィン」
二人の側近の顔がすでに自分の方に向いているのは百も承知の上で、紗和は彼らの名前を呼んだ。彼女が次に何を言おうとしているのか、いち早く気がついたのは執事であるエドガーだ。
あからさまに嫌な顔をしてきた。それは問題がややこしいものであることに気がついているから。
けれど紗和は言う。
「この子達を屋敷に連れて帰る。視力が発達してないぐらいに小さな子達をここに置いておくことは、私にはできない」
それは尋ねるような淡い響きすら持っては居なかった。
すでに決定事項だという風に、言葉が紗和の唇から音を持って、二人の側近に伝えられる。
その事に側近達は驚いた様子もなく、ただ困ったような顔をした。
アーヴィンは眉をハの字に曲げ、エドガーは額に手を当ててため息をついた。
「サワ様……」
「無理ですね」
アーヴィンの呼びかけを遮るようにエドガーが言った。
紗和を見つめる彼の瞳はいつも以上に厳しい光を持っている。だけれど、その瞳を怖いと思うほど紗和の精神は弱くはない。
「その無理な理由を教えてよ。こんなに小さな子達を助けるのがいけないっていう理由は?」
「理由を言う以前に彼らは」
「モンスターだから、っていう理由は受け入れない。だからなに?モンスターの子供だからだめ、人間じゃないから助けないの?そんなことする人間はモンスターと同じだよ。凶暴なモンスターが、たまたまそこにいた人間の子供を食べてしまうのと同じ。この子達が野垂れ死んだら、そこで私たちはモンスターと同じことをしたことになるからね」
「……」
エドガーの考えを先回りして否定し、更にその上で自分達に立場を入れ替えて説明する。
助けのいるモノを見捨てれば、そこで誰もがモンスター、化け物と成り下がるだろう。それはどの世界でも同じだと、紗和は思う。
案の定、エドガーは開いた口からはそれ以上は何も言わず、しばらく紗和を見つめた後、額に当てていた手を後頭部に回し、苛立ったように髪をぐしゃぐしゃと掻き毟る。
彼女の言うことは的を射ていて、反論のしようがない。
もしもこれがすでに一人立ちしているような大きなモンスターであればエドガーの否定も筋が通るだろう。それが野生界の掟だと。
けれど今回はそうもいかない。
紗和が守るように抱きしめているのは、目すら開いていない本当に小さな命。己の手のひらにすら納まってしまいそうなその子供に、その掟は当てはまらない。否、当てはめられない。
小さく鳴くその声は、生きたいと伝えているようで、エドガーに言える言葉はなかった。
アーヴィンも同様に難しい顔をしている。彼の視線の先にあるのも、エドガーと同じモノ。
情に厚い彼の瞳が、徐々に紗和と同じような考えを持ち始めていることに、エドガーはしっかりと気がついていた。そしてそれは、彼も同じ。
「……ただし」
もう一度大きくため息をついて、とうとう彼は折れた。
「ベリアには見つからないようにしてください。彼女に見つかると………厄介なことになりますよ」
「え?」
エドガーの言葉の真意を知るのに、そう時間はかからなかった。
そしてそれは、とても悲しい結果と真実を、紗和に齎すことになってしまうのだ。
登場人物の一人、エドガーをオリバーと表記していたのを訂正いたしました。読者の皆様を混乱させてしまい、申し訳ありませんでした。