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EP.30  エドガー



 「ほんっとにあのロリコン執事、どんどん嫌味度が増してるわ」


 比較的簡単な英語で書かれてある薄い本を探しながら、紗和はブツブツと文句を言っていた。あの時真剣な表情で懇願してきたあの言葉は一体なんだったんだと、あれはもしかしなくても白昼に見た幻なのかとさえ思えてくる。


 「よっし、こんなもんか」


 三冊ほど本を持って、フランに教えられた椅子のある窓際に向かう。


 そこに置いてあった長椅子は、ワイン色の大きなもので、クリスティアナの体だったら足を伸ばしてもまだ足りるほどの大きさだった。

 というのも、クリスティアナの体が他の同年代の少女に比べて発育が遅れているためである。ベリアによると、もうそろそろ始まってもおかしくない初潮でさえまだだという。


 ―――でもあれって、十五歳でくる子もいるしね。


 それについてはあまり危険視はしていない。今はたくさん食べて体力と肉をつけるべきなのである。

 今まで思ったことはなかったが、最近は時々、『クリスティアナ』と言葉を交わしてみたいなとありえないことを考えることもあった。

 一回りも年下の少女。母の死を自分のせいにして、己を責め続け、精神的病まで負ってしまった彼女は一体どんな子なんだろうかと。聖女と称えられ、側近達に心の底から愛されている娘とは。


 「いや、彼女戻ってきたら私居なくなっちゃうじゃん」


 絶対にありえない仮定の話だ。


 頭を振って考えを追いやり、本を開く。


 今回選んだのは神話の本ばかり。ダイちゃんという天使が人間視点の神話の中でどんな風に書かれているのか興味があったし、堕天使と言われる天使にも興味があった。

 伊達にあの幼馴染と長い付き合いをしていたわけではない。そういうことに関しての飲み込みは早いのだ。


 ゆっくり時間をかけて本を読む。


 「お嬢様、お水を」


 三冊目に手をかけた時、声をかけられた。顔を上げれば、水差しとカップを持ったエドガーが居た。


 「あ、ありがとう」

 「本に夢中になるのも結構ですけれど、そのせいで貧血を起こさないでくださいね」

 「うん」

 「あぁ、また、こんなに日光を浴びては体に毒です」


 そう言ってエドガーは薄いカーテンを引き、日光を遮った。


 ―――ほんと、心配性なんだからなぁ。


 口うるさい嫁か姑のようだ。


 「それから、これを膝にかけておいてください。書庫は時々寒くなりますからね」


 彼は膝掛けまで出してきた。


 思わず笑いが飛び出た。それを慌てて隠して、紗和は立ち上がった。


 「ちょっと他の本探してくる」


 エドガーの視線を背後に感じながら歩いた紗和は、本棚の影に隠れると堪えきれないように口元に手を当てて肩を震わせた。

 普段はあんなにも黒い意地悪な発言が多いのにも関わらず、あんな風に身の回りの世話をしてくれる。正直可笑しくて仕方がなかった。


 肩を微かに震わせながら、紗和は書庫を回る。

 読んでいた本を元に戻した頃には、笑いも収まっていた。

 ふと見れば、すぐ傍に梯子があるではないか。

 そういえば、とフランの言葉を思い出す。


 ―――上の方にいけばいくほど貴重な本があるって言ってたっけ。


 書庫に来た当初、自分が何を怖がっていたかすっかり忘れてしまった紗和は、興味本位で梯子に手をかけた。別にそこまで運動神経は悪くないので、スイスイ上っていく。


 しかしそこで誤算が生まれた。


 まさか梯子が左右にスライドするとは思わなかったのだ。


 「うわっ」


 少し右に体重が寄っただけで梯子は右へと転がる。慌てて戻そうと左に傾けば、そのまま左へと加速した。紗和自身はとても焦りながら体勢を立て直そうとしているのだが、はたから見れば左右にゴロゴロ転がっているようにしかみえない。


 「お嬢様!」


 案の定、すぐにエドガーの声が聞こえた。

 正直、やってしまった、と思う。確実に後で彼のお小言を食らう事になりそうだ。そして今回ばかりは反論できそうにない。


 「サワ様!」

 「お嬢様!」


 エドガーの声を聞きつけたアーヴィンとフランの声を聞こえる。

 さてどうしようかと、左右に転がっている梯子の上で思案していると、隣にあったもう一つの梯子がなにやら紗和の方に向かってきた。


 みればエドガーが乗っているではないか。片手を自分の方に向けてくるのを見て、そちらに乗り移れと言っているのがわかった。

 高所恐怖症でもなく、バンジージャンプを自ら進んで行うという過去を持っている紗和は、息を使ってタイミングを数えると、躊躇うことなくエドガーに向かって飛んだ。


 躊躇うことがなかったのは、エドガーなら自分を受け止めるだろうという確信があったことと、万が一エドガーが自分を落としても、下にいるフランやアーヴィンがどうにかしてくれるだろうという、人が聞いたら呆れる根拠があったためだ。


 その証拠に、エドガーはきちんと紗和を受け止めた。

 しかしなぜかその直後、紗和を下に放り投げてしまった。


 「アーヴィン、お嬢様を!」


 次の瞬間には、紗和はアーヴィンに受け止められていて、続いて何かが大量に落ちるような大きな音がした。

 みると、目の前には大量の本がある。

 その一部がモゾモゾと動き、仮面の外れたエドガーが顔を出した。


 「ぷっ」


 いつもはきちんとしているエドガーの乱れた髪と頭を抑えるその様子に、紗和は思わず噴出していた。


 「サワ様?」


 アーヴィンは紗和を下ろした後、不思議そうに紗和の名を呼んだ。

 エドガーは仮面を被っていない。にも関わらず彼女はエドガーを直視し、しかもなにやら可笑しそうに笑っている。

 落ちてきた本で打った痛む額を押さえながら呻いているエドガーの前に歩みを進めた紗和は、彼と同じ視線になるようにしゃがんだ。


 「ふ、無様ね」


 そして先ほどのお返しとして、鼻で笑ってやった。


 「な、元はといえば!」

 「うん、心配性もここまでいくとかっこいいと思う。っていうか、もうなんかすごい」

 「は?」

 「エドガーくん、君のいいところはその度の過ぎた心配性だよ。なんかもう凄すぎて面白くなってきっちゃった」


 そう言って紗和はアーヴィンよりも幾らか色気のあるその顔にデコピンをかました。


 「いっ」


 再び痛みで額を押さえた時、エドガーは自分が仮面を被っていないことに気がついた。

はっとなって顔を上げた先に居るのは挙動不審ではない、紗和の姿。


 「他人をそこまで大切にできるのって、難しいことだけど、すごいことだと思う」

 「おじょう……さ」

 「思いやりの心を、忘れちゃダメだよね」

 

 どこか言い聞かせるように呟いた彼女は、笑っていた。 


 「サ……さ……」

 「さて、と。片付けしないと」


 自分の傍に屈み込み、散らばっている本を拾う少女が見せた先ほどの笑顔を、エドガーは見たことがなかった。まるで、駄々をこねる年下の子供を見つめる年上の人の、少し困ったような笑顔。


 常に人より上に居る自分には向けられることのない、こそばゆい気持ちにさせる笑顔だ。


 「サワ、様」

 「ん?」


 仮面越しではなく、きちんと自分を見つめてくる彼女。仮面越しではなく、きちんと彼女を見ることができる自分。


 仮面がなくなったことで、何かが自分の中で区切りがついたように、エドガーは思った。




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