EP.26 場違い
入浴を終え体も髪もきちんと乾かし、綺麗な服に着替えた紗和は、再び、自分の今の父上――などとは決して思っているはずもなく――であるはずのキースと対面していた。
ちなみに場所は大広間で、紗和の手には何故かタルトの乗った皿が握られている。
タルトは紗和の好物であるということは、皆も周知であるが、なぜ今なのだろう。
―――貰ったから食べるけど。
もぐもぐいわせながらキースを見ていると、前のソファーに座りどこか息を詰めたように黙っていたキースが口を開いた。
「………無事で、よかった」
その声には少しの震えが込められているようで、不可抗力であったにも関わらず紗和は酷く申し訳ない気持ちに駆られた。
キースは昔、自分の妻を亡くしている。これで娘までも居なくなったら、彼はどうなってしまうだろう。
「キース様、私もしばらく外出は避けますから、大丈夫です」
「あぁ、そう言ってもらえると助かる」
それでなくても偉い身分の人間として日々多忙に追われている彼は、屋敷にも長い間居られないのだ。その間に娘に何かあれば、などと、そんな余計心配をかけるわけにはいかない。
それらを配慮した上で、紗和はしばらく屋敷で大人しくしていることを伝えた。それによって、彼の返事の声に安心の色が含まれた。
その後キースは急用のため屋敷を出ることになった。
その際、再び無理だけはするなと懇願されたので、紗和はとりあえず頷いておく。もちろん、無茶をするつもりは毛頭ない。
キースが去り、タルトも食べ終わった紗和はエイダと共に自室に戻ろうと腰を浮かせた。
側近達は先ほど起きた事についての始末書を書かなければいけないらしく、フラン以外の全員が紗和が大広間を出ると同時にその場を去っていく。
エイダと紗和を自室まで送り届けたフランもまた、彼らと合流するために部屋には入らず、もと来た道を戻っていった。
フランが居なくなったことを確認した紗和は、傍に立つエイダを振り返った。
顔には笑みが浮かんでいたが、その瞳には、真剣な色の何かが含まれていたようでもある。
「エイダ、色々聞けないことがあるんだけど」
いつもなら、尋ねるようにして聞くその言葉も、今回は有無を言わさぬ力があった。
紗和の後ろを追いかけて、バルコニーに出たエイダは促されるがままに椅子に腰をかけた。
紅茶を用意しようかとも思ったが、紗和がそれを望んでいないとわかるとすぐに席に戻り、目の前に座る少女を見つめる。
風を感じるために外に顔を向け目を瞑る紗和も今回だけはそうはせず、ただエイダを見ていた。
聞きたいことは山ほどある。
エイダがどれだけ知っているかはわからないが、それでも、今聞けるのは彼女しか居ない。
屋敷から幾程も外に出たことのない紗和にとって、選択肢は限られているのだ。
● ● ● ● ● ●
「……私達が、狼みたいな化け物に襲われたことは知ってるでしょ?えっと、じ、じは?」
「ジハングの事ですね。はい、存じ上げております」
「あれは、なに?狼っぽかったけど、普通の狼じゃない。もっと大きくて、すべてが真っ黒だったんだけど」
―――そう、まるで、映画で見るような、化け物みたいだった。
紗和の脳内に一つ、嫌な予感というものが浮かび上がった。
確かにこの世界には、神というものが存在する。天使というものもいて、そしてホリネアやアーストリアのような聖霊もいるらしい。
これだけでもかなりファンタジーっぽくなってきたと思うのだが。
「ジハングというのは、この国に住むモンスターの一種です」
「やっ、やっぱり!?」
エイダの言葉は、今の紗和にとって、ある意味諸刃の剣よりすばらしい威力を持つものだった。
時々勘の良くなる自分が嫌になる。
天使、神、スピリット、とくればやっぱりこの辺りでモンスターや魔獣のようなものがくるのだろうかと思っていたのだ。こういう方向に考えがいくのは、変なところで幼馴染の影響を受けていた結果である。自身は右から左に聞き流していたと思っていても、脳は高確率で彼女の言葉を覚えていたらしかったのだ。
喜んでいいのか悲しんでいいのか、はたまた悔しいと思うべきなのか。
―――どっちにしろ、私が今いるのは、あの子が夢にみていた場所ってことになるわけでしょ。
「……ちっ、またなんでそんなところに」
「どうされました?」
「うん?ん、いや、私がどれだけ無知だったかってことに打ちのめされて、理不尽な状況に舌打ちしそうになってただけ」
エイダの言葉を笑って誤魔化した。
「ですが、サワ様はこことはまた違った場所からいらしたのでしょう?それでは仕方がありませんよ」
あまり自身の国について追及されることを好まない紗和も、エイダにはポツポツとだが日本の事について話すこともあった。
というよりも、誰かに話さないと、時々変な思いに囚われてしまいそうになるのだ。
たとえば、実は日本という国は紗和の作った幻想で、実際は今居るこの世界こそがすべてなのではないかとか。今の自分が本当の自分の体ではないこともまたその考えに拍車をかける。
それでも、一歩手前でいつも思いとどまる。
自分が誰で、何をして、何を感じて、そして何をしなければいけないのかを最後の最後に思い出すのだ。
それは危うい均等を保っているようであって、実はそうでもない。
紗和という女性は、意外に野生的な人間でもあったのだ。
「エイダちゃん、あのね、この世界には聖霊って呼ばれる生命体が居るってのは聞いたわけ。それって、神様とか天使とか、そのモンスター?とかに関係はあるの?」
「………説明、しませんでした?」
「してないしてない。コリンくんが教えてくれた」
するとエイダが驚いたように口元に手を当てた。漫画でよく見かける古典的な行動だ。
「わたしったら、説明した気になってました」
そう言ってエイダが笑う。
そのかわいさをどこか年寄りが孫を見守る体で眺めそうになった紗和であったが、すぐに自分の用件を思い出して持ち直す。
「大体のことはコリンくんとかエドガーとかに聞いたからいいんだけど。でも、モンスターが居るって話は聞いてない」
どこか不貞腐れたように紗和は言った。知っていたら、きっとここまで衝撃を受けることはなかった。なんでこんなに大切なことを言い忘れるのかと、ここには居ない側近達に心の中で八つ当たりをしておく。
「それでは、モンスターについてお話しましょうか」
再び、『エイダちゃんの日常生活簡単講座、または紗和さんの無知を救おう!の会』(しつこい様だが命名は紗和である)が始まろうとしていた。
「この世界には二つの種類の生き物が居ます。一つは動物、つまりアニマルです。そしてもう一つがモンスターと呼ばれるものです」
「なにがどう違うの?」
紗和にしてみれば、日本に居たワニやトラなどはどこかモンスター染みた生き物だと思っている。下手すれば人間を食べてしまう動物なのだ、彼らは。
するとエイダはどこか思案気に何かを考え、どこか言葉を選ぶように話始めた。
「モンスターとアニマルの違いはその特異な容姿と性質です。モンスターは普段静かに暮らしていますが、時々見境なく人々を襲うこともあるんです。この国に住むモンスターは今人々が把握している限りでは全二十種類。その中で人を襲う確立のあるモンスターは全部で十体。後の十体は無害ですが、まず人の前に姿を現すことがありません。また他の国に行けば他の種類もいるんですよ」
「へぇ」
いやに現実的な存在の仕方である。某携帯できるモンスターのゲームを思い出してしまった。
「それって、魔獣?、みたいな感じ?」
紗和は、幼馴染が呟いていた単語の一つを思い出し尋ねてみる。これで肯定されたらもうぐれてやろう、と思いながら。
「いいえ、そんな魔獣なんて。魔法なんてどこか別の次元のお話ですもの。この国は皆、剣や銃を使ってモンスターと戦います。モンスターもまた、彼らの持つ牙や爪で戦うんですよ」
自分の質問を笑い飛ばしてくれたエイダが異様に輝いて見えた紗和は、少し泣きそうになった。
―――よかった、これで私は場違いじゃなくなる。
「でもさ、アニマルとモンスターっていったら、モンスターの方が圧倒的に強いじゃん。その時って、アニマルすごく不利じゃない?全部食べれないの?」
無知とはとても恐ろしいものである。こんな幼稚な質問を、エドガーなどに聞いてしまえば最後、きっと冷めた目で見下ろされそして一笑されるに違いない。
それだけは絶対に嫌だと、紗和は心の底から思った。彼女からすれば、あのお嬢様一筋の執事に馬鹿にされるのだけは耐えられないのだ。
「いいえ、彼らには野生界の決まりがあります。モンスターもアニマルも、根底は同じです。お互い殺生をするのは食料を狩るときだけ。もしその他で争いが起きるなら、それはモンスター同士、アニマル同士、と決まっているのですよ。もしもその理を犯したモノが居れば、神によって裁かれます」
「つかぬ事をお伺いしますが」
「はい」
紗和は、知ることについて非常に貪欲である。それは彼女も承知の上だ。
「アーストリアって悪い聖霊でしょ?それと、凶暴化したモンスターって何か繋がりがあるの?人間はアーストリアの影響を受けるって聞いたけど」
「………どの当たりまで、お聞きになりました?」
急にエイダの声音が変わった。
いつものお調子者の彼女は息を潜め、今はどこか澄み切った視線を目の前の紗和に向ける彼女。
そんなエイダに少し驚きつつ、久々に感じる緊張の張り詰めた空間に喜びを覚えたのも確かで。紗和は知らず知らずの内に唾を呑んだ。
……USB紛失事件がようやく解決いたしました。(詳しくはブログの方で)
というわけで、久しぶりのアップです。
すごく久しぶりなので、二、三日連続更新をしようと思います。