Ep.22 世界の理
初の遠出ピクニック、またの名を湖鑑賞ともいう、は滞りなく進んだ。
食事をする前に、ベリアが湖の水を溜めたボールを紗和の前に置く。仄かに香る薔薇の匂いは、屋敷でも使用している香水の匂いだ。きっとベティがベリアに持たせていたのだろう。
「どうもありがとうございます」
一度お礼を言って水の中に手をつける。
パンが主流のこの時代の食事には、手洗いが欠かせない。最初の頃は体調を配慮してやわらかい消化にやさしいパンを食べていたが、最近はさくっとしたものを食べる。
そしてこの国の慣わしとして、食事の前に祈りというものもある。しかしこの世界に不慣れな紗和は特別に免除されていた。周りの人々が何かを囁きながら祈りをする中、紗和はとりあえず目を瞑って故郷に居る家族の幸せを願う。
これは屋敷で食事をするときも同じ。
それからようやく食事が始まった。
侍女達のはりきった感が前面に押し出されている昼食は素晴らしく、いつも以上に量が多かった。軽く十種類以上はあるのではないだろうか。
パンだけでも五種類はあり、ベーコンチーズなどのサイドディッシュもあり、もちろんタルトなどのデザートも日の光に輝いていた。
けれどそれらすべてを食べ終えるのは、とても簡単なことだった。
今日は特別に皆で揃って食べるのだ。大の男が何人も居れば、食料などすぎになくなってしまうもの。
普段の食事のとき、側近達は絶対に同席しない。それはエイダもベティも同じこと。
最近はキースと共に食事を摂るようになったが、エドガー達はあくまで周りに立つだけで一緒に食事をしようとはしなかった。
これは決まりなのだ。
最初は腑に落ちずに居た紗和も、掟ならば仕方がないと、今では軽く十人以上は座れるであろうテーブルでキースと二人食事をすることにもだいぶ慣れた。
食事が終わればコリンとチェスターと共に湖の周りを回る。
その後ろをフランとエドガーが見守るように続いた。
「………」
湖を見つめ、森を見つめる。
そしてまた湖を見つめ、紗和は目を擦った。
先ほどから何か見える、ような気がする。なにか、ふわふわとしたものが。しかしよく見るとそこにはもうなにもない。
「どうかされましたか?」
チェスターが不思議そうに尋ねてくるが、なんでもないと返して歩みを進める。
「お嬢様は、水と地、どっちが好き?」
「どっちだろうねぇ。基本どっちも好きかな。選べないかも。……コリンくんは?」
「ボクは家系的に地かな」
「家系的?」
水が好きか地面が好きかに、家系など関係あるのだろうか。そういうのは個人の問題ではないのか。 その思いが表情に出ていたのだろう。
地面に転がる石を蹴って歩いていたコリンが笑う。
「そっか、お嬢様、知らないんだったね、この国の因果関係」
「因果関係?」
「エイダから聞いてはいないのですか?」
「ううん」
「じゃあボクが説明するよ。チェスター、補佐よろしくね」
「はい」
コリンがなにやら張り切った様子で地面に木の棒を使って何かを描き出した。
「何をしてるんです?」
後ろを歩いていたエドガーとフランが追いつく。
三人揃いも揃って地面を見つめているので、不思議に思ったのだろう。エドガーが紗和に尋ねてきた。
「なんかね、この国の因果関係?ってのを説明してもらおうとおもって」
「おや、エイダから聞いてないんですか」
「うん」
なぜ皆、ベティではなくエイダの方名前を出すのだろう。そう疑問に思ったが、ベティの性格を考えて疑問を覚えるのは止めた。
「それじゃあ説明します」
コリンの言葉に従って下を見れば、土の上に描かれた四つの丸。それぞれに火、土、水、風、と書かれてある。ここは中世ヨーロッパのパラレルワールド。もちろん英語で書いてあった。
英語には自信のある紗和である。だてに海外進出を目論んでいたわけではない。それに今はクリスティアナの体を使っているので、大体の事は理解できるし、話すこともできる。
ただ、時々古典英語が出てくるのだから困ったものだ。
時々海外で見たシェークスピアの演劇を見ている気分になった。
―――英語なのに、音は似てるのに、なんなのかかまったくわからん。
そういう時はこっそりエイダに助けを求める。
「この世界のすべてには、四つのホリネアの精が宿ってるんだ。火の精、水の精、地の精、風の精」
コリンがそれぞれの丸を指しながら言った。
「……ホリネアって?」
「聖霊のこと」
「幽霊と違うの?」
「幽霊はゴーストですが、ホリネアはもっと自然の原理に近い存在です。どちらかといえば、スピリットと評されることの方が多いですね」
エドガーがもっと詳しく解説してくれた。
「エドガー、それボクが言おうと思ったのに!………もう邪魔しないでよ」
コリンの怒った視線を受けて、エドガーは了承の意を示すために小さく肩を上げた。その格好はどこか、お手上げだといっているようにも見える。
エドガーをもう一度軽くにらみつけた後、コリンは説明を続きを開始する。
「………それで。四つの自然の精をすべて集めたの総称がホリネアで、そこから火の精をフィリー、水の精をウォーイー、地の精をグライト、風の精をウィンザーとまた別々の名前で呼ぶこともできるわけ」
「ほうほう」
地面を見つめて、紗和は頷く。
「でも、聖霊は良いやつばかりでもなくって、悪いのも居る。それがアーストレアっていって、ホリネアとはまったく反対の精霊の事」
四つの丸を一つに囲む大きな丸を書いたコリンは、その隣にもう一つの大きな丸を描く。
そして二つの丸の間に矢印を引いた。
「ホリネアでは四つの精に分かれるけど、アーストレアでは全部をまとめてアーストレアって呼ぶんだ。もしくは闇の聖霊。だってどれも悪さばっかりするからさ、たぶん名前つけんの面倒になったんじゃない、昔の人は」
「こら、コリン」
子供ならではの指摘にフランが注意を促した。
「ホリネアがアーストリアに変わる場合もあるし、アーストリアがホリネアになる時もある。アーストリアは悪い聖霊だけど、ないと困るんだ」
「悪いのに?」
「自然の理には常に対極のものが存在しないといけない。木やものの腐敗を促して土に返すのはアーストリアの役目だし。………でもね、時々悪戯で人を誘惑したり、その人の人格を変えることもあるんだ。それは人を死に至らしめることもある」
「悪いじゃん!すっごい悪い聖霊じゃん!」
「でも絶対に滅びない。だから人にはその人のホリネアが宿ってる。そう信じてるんだ」
コリンの言葉に察しのついた紗和は、「あー」と声を漏らす。
「だから家系の話になるわけか」
「そうそう」
「ワタシは水のホリネアを守りとしています」
チェスターが胸に手をおいて言った。
「オレは火だ」
「私は土ですね」
フランもエドガーもそれぞれのホリネアを持っているらしい。
「へぇぇぇぇ、なんかかっこいい!」
「人はそれぞれに別々のホリネアの祝福を受けるのです。実際家系はあまり関係ありません」
チェスターが笑った。
「確かに、ボクのおじい様は火だし、ボクの父上は風。でも母上とボクは土なんだ」
「でも、どうやってわかるの?」
「生まれた時、その赤ん坊は精霊の祝福を受けます。その精の色によって判別するわけです。私は緑色でしたので、土、と」
「え、じゃあ、火は赤で水は青で、風は……」
「紫って聞いたことあるなぁ」
「でもさぁ、火の精に守られてるって事は、水難になった時どうするの?火じゃ守れないよね?」
「ですから、ホリネアの守護はあくまでもアーストリアに対してのもので、水害は火災などはまぁ、自分で自分の身を守りなさいというわけでよ」
「これまでの説明全部覆す意見だよね、それ」
エドガーの簡潔な意見に紗和は引きつり笑いを浮かべた。
詰まるところ、本当に危険が迫ったときは自分達でどうにかしろよ、と言ってるようなものなのだ。
「実際見たことはあるの?」
「それは、まぁ、それなりに」
「街や人の多い場所には現れませんが、スピリットの出入りの激しい自然界などでは時々見かけます。ホリネアはその中心にそれぞれの色を宿し、その色はあくまでも仄かであることが絶対条件」
「アーストレアは黒の靄の中心に真っ赤な赤が特徴的だ。見れば一目でわかるさ」
これまで聞く役に回っていたフランが言った。
「みんながそれぞれに精霊の加護を受けてるってのはわかった。じゃあ、クリスティアナちゃんは?」
「そこで、聖女がいかに特別な存在か説明できるわけです」
エドガーの瞳が輝いた、ようにみえた。