EP.21 初めての遠出
どういう風の吹き回しか、エドガーやベリアの口添えのおかげで、紗和はこの世界に来て初めて遠出というものを体験することになった。
馬車は二台使い、側近は全員同行ということになった。彼らに加え、三人の体格の良い護衛がつく。
それについて、紗和はなんの疑問も抱かなかった。
クリスティアナはそれなりの地位に居るお嬢様で、聖女の生まれ変わりとしても貴重視されている娘。さらには病から回復したばかりなのである。それなりの護衛も必要になるのだろう。
「晴れたね~」
薄水色の外行き用のドレスに白いブラウス、そして大きな鍔で縁取られた帽子を被っている紗和は、屋敷の前に並ぶ二台の馬車の前で大きく空を仰ぎ見た。
ドレスはエイダに頼んで動きやすいものを選んでもらった。
彼女は今まで一度もフリフリレースのついたのドレスを着たことがない。クリスティアナの洋服ダンスの中には確かにそのようなドレスもある。だが紗和は、そのようなかわいらしい服を着るのだけは己の持ちうるすべてを使って拒絶していた。
たとえ姿は十代前半のかわいらしいものだとしても、所詮中身は二十代後半の女。かわいらしいドレスを着ろということは、彼女に死の宣告をしているようなものなのだ。
―――いや、確かに人によっては年齢関係なくかわいらしい服を着る人もいるだろう。でも、私はちがうのよ。シンプル・イズ・ベスト、なのよ。
フリフリのドレスを強制的に差し出してくるベティの冷たい瞳を思い出しながら、紗和は自分の心を奮い立たせた。
「お嬢様、決して我々から離れないようにお願いしますね」
「おーけーです」
最近はアーヴィンが進んで紗和の護衛に励むようになっていた。
そういう時、決まって彼はなにかを探すような素振りを見せるものだから、紗和はあえて大人の態度で接するようにしていた。二十三歳のアーヴィンはちょうど彼女の妹と同い年になる。気持ちはもう一人の弟に接する姉の気分だ。確かに、彼より幾分か年上の実弟などより、はるかに逞しい体つきに麗しい顔を持つ青年なのだが、それでも時々見せる言動がそれよりも幼くなることもあって。
時と場合によって差がある青年、というのが紗和の分析した結果だった。
「お嬢様、侍女達がはりきって昼食を作ってくださいましたので、楽しみにしておいてくださいね」
チェスターが大きなバスケットを抱えてながら走り寄ってきた。
「チェスターくんも一緒に作ったの?」
「えぇ、少々」
チェスターは趣味が料理なのだと、この間本人に聞いた。良いお嫁さんになる、と言いかけて、彼が男だと思い出した。正直時々忘れてしまう。
「アーヴィン、これ、お願いしますね」
「あ?……あぁ」
笑顔でバスケットを押し付けるチェスターと、それを条件反射的に抱えるアーヴィン。
雰囲気も穏やかで、口調も丁寧なはずなのに、なぜかアーヴィンには強気になるチェスターについても、紗和はこの間知ったばかりだ。
二人に挟まれて歩く紗和の前を、エドガーとベリアが歩く。
黒髪の長髪に銀髪のおかっぱ髪というのは対極で、それゆえか二人の間にも微かに距離感があるように紗和は感じていた。もちろん誰かに尋ねるような真似はしないので、真相は定かではないが。
人で遊ぶことが好きなエドガーが、唯一遠慮している素振りを見せる相手、それがベリアである。 時々何かを伺うようにベリアに接するエドガーと、それを少し疎ましく感じている様子のベリア。側近達の中で唯一、同い年の立場ということも関係があるのだろうか。
だが片や側近達を束ねる執事、そして片や病弱なお嬢様には必要不可欠の医者。それなりに接点は多いようだった。
そしてその更に前を行くのがコリンとフランである。
彼らは傍から見れば親子のようだ。
普段から生意気なコリンを唯一抑えられる人物、それがフランだった。エドガーでさえも、コリンの口達者ぶりには閉口しており、ベリアは我関せずの状態。チェスターが強気なのもアーヴィンだけで、アーヴィンはアーヴィンでコリンにとってどこか兄貴分のような立場に居る。
そこで登場するのは年長のフラン。
少しずつ会話をするようになった紗和は、コリンが少しだけフランに憧れているということを発見した。彼のような男になりたいとコリン自身が口を滑らせたのである。
こういう人間関係を知るのは面白いと改めて感じる紗和であった。
今回、エイダとベティは留守番になった。
馬車は映画でよく目にする二頭の馬が引く木造の黒いもの。一台四人乗りで、前に一人座って馬の手綱をとる。
一台目の馬車に、紗和、ベリア、アーヴィン、チェスターが乗り込み、エドガーが手綱を引く。その後ろを、フランが操縦する馬車が続き、中には、コリンと三名の護衛が乗り込む。
「今日はどこまで行くの?」
「近くの湖までです」
「おぉ~」
紗和は水が好きだった。
よく暇があれば水泳を楽しんだものだ。逆に腐れ縁の幼馴染は海や湖が嫌いで、水泳をする紗和をただ眺めるのが好きだった。特に底の見えない深い場所は本当に苦手だという。何がいるのかわからないからというのが理由らしい。
「サワ様~、楽しんできてくださいねぇ」
「楽しんでくる~~」
エイダがハンカチを手に手を振ってくる。
馬車の窓は開かないので、手を振って返事を返した。
「楽しいお話まってますんで~」
「エイダ!」
そしてお決まりのようにベティに叱られていた。
ゆっくり揺れる馬車の中は、意外にも快適だった。
屋敷を出ればすぐに森の中に入っていく。
窓越しに見えるのは緑ばかりだったが、いつも上から眺めていたものを下から見るのとでは印象が違う。久々に自然の中に入り込めた気分がして、わくわくした。
上から眺めると、木々の間から見える色は地面の暗い色。けれど下から眺めると木漏れ日のキラキラした光が緑の隙間から覗く。
自然はこんなに綺麗なものだったのかと、なんとなく思った。
しかし、乗り心地が快適だったのは綺麗に整頓された道を通っていただけの事で、湖に近づく度に道は険しくなっていった。
気の利くチェスターがクッションを差し出してくれたおかげで少しはマシになったものの、更に揺れが酷くなっていくのだ。クッションも使い物にならないほど尻が痛くなってきた頃、窓越しに見えた大きな川。
天気がいいだけにその川の眺めも絶景だった。
都合のいい話だが、綺麗な景色を見た途端、紗和は尻や腰の痛みも何もかも忘れて窓に縋った。
「すご~い」
日本では到底見ることのできないその川の大きさに感動の声を上げる。数日前の雨で水嵩が増えているらしいということを隣に座るベリアが伝えてきたが、まったく耳に入っていない。
その事は馬車に居る全員が了承済みである。
だからこそ、ただ感動の瞳で川を見つめる紗和を見て苦笑いが零れてしまう。
ただ一人、目を瞑り川とは反対の方向に顔を向けているアーヴィンを除いて。
川の先に、湖はあった。
さすがはあの大きな川に続く湖である。
その光景は壮大だった。
「うわぁぁぁぁ、でっかぁぁぁぁいぃぃぃぃ」
大きさを声で表現してみるが、到底追いつきそうにないと思う。
「お嬢様、あまり水辺に近寄らないように」
思わず湖に駆け寄ろうとした紗和の体を、長い腕が遮った。見ればアーヴィンが立っている。
自分を見下ろす彼の顔が、少し青白く見えるのは気のせいだろうか。
ベリアとチェスター、コリンはちょうど日陰のある場所にマットを広げ昼食を食べる準備をしていた。
「私も手伝うよ~」
湖を楽しむのは腹を満たしてからだ。
そう言って紗和は身を翻した。
「本当に元気なお嬢様、だ」
紗和の背を見送っていたアーヴィンにフランが近寄った。仮面越しのその瞳は紗和に向いている。
「俺より年上なのか、時々疑ってしまう」
紗和が見ていないのをいいことに、アーヴィンは仮面を外した。赤茶のきりっとした瞳がフランを見る。そんな彼を見習ってフランも仮面を取る。
アーヴィンよりもやや垂れ目の緑色の瞳が年下の同僚を見て、そして笑った。
「いんや、お前よりは全然大人だ。あの方はな」
時々見せる姉のような表情のお嬢様を思い出して、アーヴィンは口を噤んだのだった。