EP.16 漆黒の少女
遠くで鐘の音が聞こえる。
顔に緩やかな日差しが当たる。しかし紗和は、眉を寄せたまま起きようとはしなかった。
「サワさま~?おーい?」
「エイダ!お嬢様になんて口の利き方ですかっ」
耳になじんだ若い女の声と共に体が軽く揺り動かされる。
「ん~」
もう少し寝かせてほしいという意思をこめて寝返りを打ってみたものの、それすらも誰かの手によって拒まれた。
「お嬢様、起きてください」
今度は中性的な声が聞こえてくる。
クリスティアナの主治医であるベリアだ。
「ん~」
先ほどと同じ題詞を呟きながら、紗和はのっそりと起き上がった。しかし上半身を起こすだけでそれ以上は動かず、眉も寄せたままだ。
「まぁ酷い顔」
「エイダ!!」
紗和の顔を見た瞬間、エイダはポツリと本音を漏らした。それはもう一人の侍女であるベティにも聞こえており、すぐさま批判の声が飛ぶ。
エイダはまるで悪戯がばれた子供のように舌をちろりと出した後、紗和がきる予定の服を見繕うためにクローゼットの方へ行ってしまった。
残されたのは、まだ寝ぼけ気味の紗和と、それを見つめるベリアである。
「お嬢様、いかがされた」
「う~ん」
「眉に皺が寄っている。何か悪い夢でも見られたのか?」
「う~ん」
返事に生気が篭っていない。いよいよ不思議に思ったベリアは一度断りの言葉を入れて、紗和の額に手を寄せた。
「……熱は、ない、か」
平熱であることを確認して手を離そうとすれば、紗和は何を思ったのかベリアの手をとってなにやら思案するような表情を見せる。
これにぎょっとしたのはベリアの方だった。
最近はなんとなくだが歩み寄るようにがんばっているものの、こうやって『本来のお嬢様』らしからぬ行動をされるとやはり驚いてしまう。
「前から思ってたんだけど、ベリアってすごく中性的だよねぇ」
「は」
「普通男の人だったら、結構骨ばってたりするじゃない、二十代後半ともなれば。でもベリアにはそれがない。なんとなくさ、昔の私みたいな手だなぁって思って」
「!」
ベリアは思わず紗和の手を払いのけていた。しかしすぐに自分が何をしたのか思い当たり勢いよく頭を下げる。
「も、申し訳ありません!私は、その……」
「あぁいいよ。ごめん、私の方こそ、なんか気に障るようなこと言っちゃったよね。男の人にそんなこと」
いつものようににへらと笑った紗和に何か言葉をかけようと、ベリア口を開く前に、エイダがドレスを持ってきた。
「では今日はこれに」
「はい」
結局何も言えぬまま、ベリアは朝の診断を終えて部屋を後にする。
● ● ● ● ● ●
着替えが終わった後、いつものようにエドガー、フラン、チェスターの三人が紗和を迎えに来た。
ベリアとキースは仕事で不在、コリンとアーヴィンは共に部屋で謹慎中である。
いつもは屋敷の中をただゆっくりと歩くだけなのだが、今回は屋敷の庭周辺を見て回ることを許された。
「おー、エドガーくん太っ腹ぁ!」
紗和の笑顔にエドガーの笑顔の口元が引きつる。仮面は鼻元までしか隠してはいないので、引きつり笑いは紗和にも見てとれた。
「礼ならばフランに言ってください」
「え?」
面白くなさそうにそっぽを向くエドガーからフランに視線をやると、口元に拳を当てて笑いを堪えている赤毛の男性が居た。
その隣に居るチェスターが、今一現状のわかっていない紗和のために解説をした。
「今回庭に出ることを提案されたのはフランなのですよ。いつまでも部屋の中にいるのは嫌だと言っていたお嬢様のためにも、一度外に出たほうがいいと。責任は自分がとるからとベリアにも交渉されていました」
説明しながらも口元にはやさしい微笑が浮かんでいる。それだけでチェスターの人の良さが伺えるものだ。そしてそれはフランも同じ。
「……フラン」
「人間、健康に生きていくためには日光も大事だろう?」
恥ずかしがることもなく、フランはいつものようににかっと笑って見せた。本当にお日様のような人だと思う。
まったく違う二人なのに、なぜか与えられる印象はどちらも同じ、とても安心するやさしさなのだ。
「ですが、本当はエドガーも同じことを考えていたようなんですよ。珍しくフランの考えにも反対しませんでしたから。エドガーもきちんとお嬢様の事を考えているのです。……ただ、今回はフランに先を越されたといいましょうか」
「へぇ」
「立ち話は終わりましたか?ずっと外に居られるわけではありませんからね、さっさと行きますよ」
フランとは逆に、チャスターの言葉を聞いたエドガーは少し恥ずかしがるような仕草を見せた。
ある意味とても分かりやすい人間だと思う。
いつもより足早に先を行くエドガーに追いつくよう、残された三人は少し笑いながら足を進めた。しかしエドガーに追いついたのは予想よりも早かった。
というのも、彼が急に歩みを止めたからである。
「あなた、もしかしなくても、エドガー様?」
「……これはこれは、デイジー様にルークではありませんか」
そう言ってエドガーが笑った。その先に居たのは少女と青年。
「お久しぶりですわ、クリスティアナ」
デイジーと呼ばれた少女はにっこりと笑って紗和を見る。しかし紗和にはその瞳が笑っていないことぐらいすぐに察しがついた。
しかし、そんなことよりも大切なのは。
紗和は隣に居たフランを見上げた。
「……誰?」
今までに見たことがない顔だ。
少女の方は夜闇を思わせる漆黒の長い髪を癖もなく風に遊ばせている。漆黒のその瞳は、感情を含むことなく紗和を見つめていて。白い肌に黒い髪、そして黒のドレス。
彼女を見つめていた紗和は、同じくらいの年であるクリスティアナとは対極に位置する娘だと思った。
そしてその隣に立つ青年の黒の短い髪もまた、風に揺れていた。
「っ!」
しかし前の二人の観察もそこで終わる。
以前よりも長く人の観察ができるようになったとは思うが、やはり相手は自分の限度を超えた麗人達。結局数分しか紗和の目は持たず、すぐさまフランの後ろに隠れて肺の中の息を入れ替える。
紗和の慌てた態度に、一瞬は何事かと身構えたフラン達も、彼女の苦手なものが何であるかを思い出してとりあえず普通に戻った。
「……な、なんですの、その態度」
もちろん分かっていないのは先の少女である。
側近の後ろに隠れてしまったクリスティアナを不快そうに眺めた後、異様なマスクを被る三人の男たちをみた。
「あえて理由は聞きませんことよ。ワタクシはただあいさつ回りに来ただけですので」
「深く追求しないでいただけるとこちらもありがたい」
フランが笑う。
デイジーはもう一度だけ不快気にエドガー達を見た後、そのまま背を向けて歩き去ってしまった。その後を、付き人らしくエドガー達に礼を返したルークが追った。
「ふー」
仮面装着をしていない麗人達がこの場から立ち去ったことを確認してから、紗和はゆっくりとフランの背後から出てきた。その時、まるでどこかに大仕事に行った帰りのような疲れたため息と、額の汗を拭う真似をするものだから、エドガーに胡散臭そうに睨み付けられるのだ。
「今すぐにとは言いませんけれどね、そのあなたの苦手なもの、克服していただかなければいけませんよ。この先あれぐらいの容姿の人間など、貴族社会には五万と居るんですからね」
「わかってるよぉ」
この件に関してだけは、さすがの紗和ですらも弱気になってしまう。
どうしたって苦手なものは苦手なのだ。




