EP.14 国の仕組み
あの大笑い事件の後、キースが時々顔を見せるようになった。
チェスターやエドガー、フランは元々から友好的だったためそう変わった様子は見られないが、ベリアは診察の最中、時々思いついたように話しかけてくる。前までは始終無言を通していたというのに。
そんな些細な変化の中で、紗和はようやくこの国の仕組みというものを理解するようになってきた。
この国の時間を知るためには、修道院で鳴らされる鐘の音を聞く事だということも最近になってようやく気がついた。来たばかりの頃から不思議に思っていた鐘の音はこちらの時計だったのだ。
生きていくうえで、時間は必要不可欠。というわけで、エイダに詳しく教えてもらうことにした。
いつものようにベランダでお茶を飲みながら、『エイダちゃんの日常生活簡単講座、または紗和さんの無知を救おう!の会』(すべて紗和命名)が始まった。
「修道院の鐘は、普通修道院の者がつくことになっています。それが一つの彼らの役目といってもいいですね。その鐘は一日八回、毎回決まった時間に鳴るんです」
「はい質問!」
「どうぞ、サワ様」
「その時間はどうやって決まるわけ?」
「それは太陽の傾き具合を見て決めます。ですから、夏と冬では鐘の鳴る時間帯は違ってくるのですよ。鐘の役割はただ、この鐘の時に何をすれば良いのかと知らせるためのものですので」
「役目?」
本当に自分は無知だなぁ。と心のなかでぼやきつつ、質問は続ける。今は一刻も早くその仕組みとやらを知らなければ。
エイダは紗和が次々と繰り出す質問に気分を害すこともなくにこにこと答えてくれる。このエイダの態度もまた、紗和の心を癒してくれるものだった。
「では、もっと詳しく説明していきましょう」
エイダはすでに教師気分のようだ。なにやら幻視で黒板すら見えてきそうになる。
「最初になる鐘、それは朝課と呼ばれるもので、これは夜明けの明けるずいぶんと前に鳴らされます。この鐘は修道院の僧を起こすためのものですので、わたし達には関係ありません。次が讃課といって、日の出の上る少し前になります。これは町の人々を起こす役目を持っています。この屋敷に住む者は、この鐘で起床します」
「え、でも私はいつも太陽が少し昇ってから起きてない?」
「えぇ、サワ様はお嬢様ですもの。一時課、つまり日が昇って朝市が開始され、人々が朝食を食べ始める頃にサワ様が起きられるのです。そして三時課、日が昇ってしばらくしてこの鐘が鳴り、お勤めが開始されます。お昼を食べるのは、ちょうど太陽が空の真ん中の位置に来た時、つまり六時課の時です」
「なるほど、正午ってことね」
紗和がふむふむと納得した。
「太陽が傾き始めた頃、九時課が鳴り、人々は余興に時間を投じます。束の間の休憩時間とでもいいましょうか」
「これは三時のおやつとかそういったもんかな」
ここでもまた頷く紗和に、エイダが不思議な笑みを見せたけれど、何も言わなかった。
「終課は夕日が目立ち始めたとき。そして人々のお勤めは終わり、夕食になります。就寝は晩課といって、辺りが暗くなり始めた頃に鳴ります。……というのが、一日と流れですかね」
喋りすぎて喉が乾いてしまったのだろう。エイダが一言断りを入れて、紅茶のカップに口をつけて、ゆっくりと喉を潤した。
エイダの見事な飲みっぷりを、頬杖をついて見つめていた紗和は少し眉と歪める。
「ちょっと気になってたんだけどさ、この国の人って起きるのも寝るのも早いよね」
「それはそうですよ。太陽のあるうちにすべてを済ませなければ困ったことになってしまいますから」
「本当に、健康的な生活だよねぇ」
当たり前といえば当たり前なのだろうが、この時代には電気などなかった。中世ヨーロッパのパラレル世界ということは、この辺りはきっと同じなのだろうと思う。電気を発明したエジソンが登場するのはもう少し後のはずだから。
屋敷の部屋はきちんと太陽の光が通るように構成されていて、普通よりも明かりが必要な部屋―――例えば、図書館や使用人達の働く部屋には大きな窓が備え付けられていた。
すべて昔の知恵。
蝋燭では限度があるのだから。
光に溢れていた日本で生きていた紗和とはまったく明かりに対する感覚が違う。彼女にとって、薄暗い場所でも、この国の人から見れば、顔や物の分別がつけばそれは明るいということになるのだ。
残業やらなんやらと夜更かしが習慣になっていた紗和は、日が落ちて皆が寝静まった後でも眠る気にはならず、暗い部屋を行ったりきたりしたり、ベランダから夜の風景を眺めたりしていた。
が、すべての明かりが消えて月明かりしかない部屋は改めてみると不気味だ。
そこでベティとエイダの提案により、蝋燭を部屋に置くことにした。その火を使い、最近は書物に目を通すこともできるようになった。
ここだけをみれば、書物にあるような中性ヨーロッパとまったく変わらない。
どの辺りがパラレルワールドなのかはまだよく分からなかったが、「天使」や「神」が実際にいて紗和に助けを求めてくるというのは完全にファンタジーではある。それともこれは、紗和に特別に与えられたものなのだろうか。
―――勇者とか、主人公とかにつく、特別オプションみたいなやつだったりして。
ダイちゃんは再び姿を現すようになった。今でも会話は鏡越しで、仮面装着であるものの、皆が寝静まっているであろう真夜中に色々愚痴を聞いてもらっている。時々家族の様子を教えてもらっているが、もうすでに思い出と化してしまっている部分もあるようだ。話を聞くだけで満足してしまっている部分もあることに気づいて苦笑してしまったのは記憶に新しい。
これもすべて、ダイちゃんが最初に「町田紗和と言う人間は死んだ」とい現実を教えてくれたせいなのだろうか。それともただ単に紗和という人間の特異体質なのだろうか。
それは非常に判断に難しいところだった。
『本当に、紗和は紗和だね』
ダイちゃんは黄金の巻き毛を少し揺らして笑った。
「どういう意味?」
『いや、そうやって思ってることきちんと言えるところとか、全然変わってないから。いいと思うよ。というかそうじゃないと君はこの世界でやっていけないと思う』
ダイちゃんの呟きにも似たその言葉に、紗和も同意した。
「そうだね。この国じゃ女性の立場なんて本当に脆いからねぇ。ちゃんと意思があるってこと分かっておいてもらわないと、どこに流されるかわかったもんじゃないし」
『この屋敷の人達はきっと大丈夫だろうけど、周りはこれから干渉してくる他の貴族達だ』
「そうそう」
貴族達の事情は、洋画や小説などでしか知りえないがそれでも十分ドロドロだったのは覚えている。陰謀やら裏工作やらなんやらで埋め尽くされていたはずだ。
「……ねぇ、クリスティアナちゃんはまだ回復できないの?」
なんとなく空恐ろしくなってしまった。心持青ざめた顔のまま、紗和は鏡の中も幼馴染に視線をやった。とそこである違和感に気がつく。
仮面をつけているため彼の表情まではわからないが、それでもダイちゃんの顔は紗和にの方向を見ていなかったのだ。どこか落ち着かない様子で紗和の周りや上、横などに目線をやっている。
ここまで分かりやすい行動をとる人間もいないだろう。
―――いや、ダイちゃんは人間じゃないんだっけか。
そういえばと過去を思い出して、紗和は口元がにやけた。このボケボケの彼は確か、何もないところでこけたり、近所の女の子の熱い視線をものの見事に無視できる鈍感さに加え、思ったことがすぐに顔にでることで周りに嘘をつけない友人でもあったのだ。
「で?今回はまた何を隠してんの?」
「うっ」
ダイちゃんの顔が引きつった。しかし紗和の位置からは確認できない。それでも隠し事をしているのはバレバレだ。
紗和の顔は笑っている。しかし頭の後ろの辺りがなにやら紫色のオーラで覆われている気もする。
「え、え……?な、なんの話?」
「私を誤魔化せると思ってるの?」
あえて知らぬ存ぜぬで会話に挑もうとするものの、紗和の口元の笑みが更に深くなったことであえなく撃沈する。昔から彼女は嘘真の真意を測るのがとてもうまい人だった。
昔は自分が天使であるということ以外、いつも嘘を見抜かれていたものだ。
ダイちゃんは気合をいれるために拳を握った。この嘘は彼女を怒らせてしまうだろう。けれどきっと。
「あのね、これを聞いたら紗和はきっと怒ると思う。だから、あえて黙っていたんだけど……」
「なに」
紗和の中に嫌な予感がした。
そしてこういう時の予感はあまり外れないということもよく知っているだけに少し冷や汗が流れる気分を味わう。
仮面の奥に覗く瞳が紗和のそれと重なった。
「クリスティアナの魂が行方不明なんだ」
「……は?」
国の時間と今の時間を照らし合わせると大体こんな感じ。
朝課:午前二時 讃課:午前三時 一時課:午前六時 三時課:午前九時 六時課:正午 九時課:午後三時 終課:午後六時 晩課:午後九時
といっても、かなり大まかな感じなので、時間の話が出てきた場合は大体これくらいなんだなぁと思ってください。