動物オルゴール
「おい。P-0009M。未来が困ってるだろ。少し離れろ」
「何故だ?」
「未来の表情を見れば分かるだろう?」
怜士がAIの彼を私から引き剥がそうと軽く腕を引く。怜士に言われ、AIの彼の瞳が私を捉える。
「眉根が寄り、唇がへの字に曲がっている。表面温度が上昇し、発汗している。そうか。お前は困っているのか?」
私を観察して納得したのか、AIの彼が少し私から距離を取ってくれた。私はホッとして息を吐く。
「怜士。ありがとう」
「おう。汗かいてるみたいだな。着替え用意しといた。お前の部屋に来たときは肝が冷えたぞ。少し熱は下がったみたいで安心した」
「何故怜士に礼を言う?」
「AIのお前には分からないだろうが、気にするな」
怜士の少し勝ち誇ったような口調と表情に、またもAIのはずの彼の表情が不服そうな色を浮かべる。この二人は何を張り合っているのだろうか?
「未来。喉が渇いているだろう? スポーツドリンクと栄養ドリンクも買っておいたぞ。飲めそうか? ちゃんと水分も補給しろよ。気が気じゃないから早く治せ」
「俺がやる!」
怜士が差し出してくれたドリンクもAIの彼が私へ飲ませようとしてくれる。いつもと違う、どこか不安が滲んでいるような彼の様子に私は微苦笑を浮かべる。
「お前、未来にこだわり過ぎてないか? まさか心配をしている訳じゃないよな?」
「心配? そうか、俺は……」
怜士の言葉を聞いた途端。AIの彼の不安げな表情が変わる。穏やかな表情で、どこか納得をしたように私へと向き直る。
「お前が心配だ。だから、お前を手伝わせて欲しい。俺に何が出来る?」
AIの彼の言葉に、私と怜士は大きく目を見開く。怜士は口元に軽く握り込んだ拳を当てて、訝しがるようにAIの彼を見つめ、眉間に皺を寄せている。口元は引き攣り、俯く怜士。その複雑な表情に、彼は何を思っているのだろう。
「ちっ……一時休戦だ。敵に塩を送るのは癪だが、俺が教えてやる。弱ってる未来に変な事されたらたまらないからな」
「別に、俺とお前は戦ってはいない。変なこと? それはどんなことだ?」
珍しく理性的な怜士が舌打ちをして、AIの彼へと向き直り、不服そうに、それでも私と目が合うと微笑んだ。
「まずは着替えろ。未来。ほら、お前は出るんだ」
「何故だ? 弱っているのだから、手伝った方が効率もいいだろう?」
「い、いや。そ、それは流石に自分で出来るよっ!」
着替えを手伝おうとしてくる彼に、流石に焦り、私はぶんぶんと首を横に振った。
「体温の上昇を感知。熱が上がったのか?」
AIの彼は顔を近付けて、私の額へと彼の額を当てて、心配そうにのぞき込んで来る。あまりの至近距離に私は頭が混乱して、少し眩暈がして来る。
「離れろ……お前は男性型だろっ! 察せないなら検索でもしろっ! そういうとこだ……」
「検索? ……なるほど。人間の倫理観の問題か。分かった」
私からAIの彼を引き剥がして引きずり、怜士は部屋を出て行く。引きずられながら、一度振り返ったAIの彼。その様子がどこか捨てられた子犬めいていて、私は思わず息を飲んだ。
「……未来」
「コイツは引っ張って行くからゆっくり着替えろ。終わったらまた声を掛けてくれ。無理はするなよ?」
AIの彼から不安げに名前を呼ばれ、怜士に気遣われる。部屋の扉が閉まったあと、私はどこか落ち着かなくて、無意識に深呼吸をしていた。
怜士とAIの彼という珍しい組み合わせに看病をして貰ったお陰か、私の夏風邪はもうすっかり良くなっていた。最初こそ戸惑わされたが、怜士の指導(?)の元、正しい看病の仕方を教わったAIの彼は、流石にAIらしく学習の成果をしっかり発揮していたことに感心した。
今日は夏風邪が治ってからの久しぶりのお出掛けということで、ショッピング街の公園付近の店のウインドウショッピングをAIの彼としていた。私に対して心配性気味の怜士も付いて来たがっていたけれど、怜士は取っている講義の都合で今日は不在だ。
「風邪を引いちゃった時はありがとう。とても苦しかったから助かったよ」
「……俺に礼を言うのか? 俺は、怜士に説教をされていたが?」
「ううん。怜士と頑張ってくれたから。私は嬉しかったよ」
「……そうか」
私の言葉に首を傾げながら、俯く彼の視線が、何かを考え込むように揺れる。けれど、その口角は僅かに上がっていた。
(喜んでくれてるの、かな?)
彼と会話をしながら歩いていると、私はショーウィンドウのクマのぬいぐるみが目に留まる。私がずっと大事にしているコにどこか似ていて、そのふわふわで愛らしい水色のぬいぐるみに私は大きく瞬いた。
『――ふわふわ! 可愛いっ!』
笑顔でぬいぐるみを抱きしめる幼い少女。隣には、いつも温かい温度と声があった。
『未来が寂しくて眠れないって言っていたからね。僕が添い寝をしてあげれない日もあるし、そんな時は、このコが未来を僕の代わりに守ってくれるからね。いつも頑張っている未来に僕からのプレゼントだよ。未来の瞳と同じ藤色のコを見付けたんだ。僕の一番好きな色だよ』
不意に思い出す、懐かしく温かい声。曖昧な面影。私の大切な藤色のふわふわのぬいぐるみ。私は今でもそのぬいぐるみを持っている。
『今日からアナタも家族だよ、マドカ!』
『マドカ?』
『うん! このコの名前。お父さんが前、未来に教えてくれたでしょう? マドカは円って書いて、みんなの繋がりを表すんだよって。だから、マドカなの』
『未来の名付けはいつもセンスがいいね。僕もこのコに似合う名前だと思うよ。ふふっ。大切にしてあげてね?』
――私の意識がはたと引き戻される。私の頬に涙が伝っていて、その温度に私は驚いて頬を押さえた。
「お前。悲しいのか?」
「う、ううん。大丈夫。違うよ。なんだかすごく懐かしいこと思い出しちゃって。それに、人間が泣くのは悲しい時だけじゃないんだよ。私、ふわふわって大好きなの。ぎゅうって抱きしめると、あったかくて落ち着くから」
AIの彼から指摘され、私は慌てて涙を拭った。彼は瞬いて、私をじっと観察する。私の心の中にある答えを探そうとしているように見える。
「ぬいぐるみは愛らしく、人間を癒すように作られている。だから、ふわふわが落ち着くのか?」
「ん~。確かにふわふわは落ち着くけど、私にとってはそれだけじゃないんだ。このコね、私が持っているコにちょっと似てるの。可愛いよね」
「お前の表情が柔和だ。そうか。お前はこれが好きなんだな。お前の沢山ある好きの1つということか」
雨宿りの時の会話を彼が覚えていてくれたことに、驚きと嬉しさが湧き上がり、胸に込み上げた温かな気持ちと一緒に私は笑顔で頷いた。
「うん! 好き!」
私の言葉に、彼が一瞬動きを止めて、胸の辺りを押さえながら難しい顔をしている。私は大きく瞬いて首を傾げ、改めてショーウィンドウを見た時、ぬいぐるみの隣の動物オルゴールが目に留まった。
「機能停止だな」
いつの間にか隣に並んで一緒にショーウィンドウを見ていた彼の呟きに、私は悲しい気持ちになる。
「この子、もう動けないんだね。可愛いってみんなに見て貰えるの、嬉しかっただろうな。みんなの笑顔好きだっただろうね。もう見て貰えないなんて、かわいそうだね」
「可哀想?」
動物のオルゴールを見つめる私の横顔を彼がジッと見ている。心の中を覗かれようとしているみたいで、なんだか落ち着かない。
「い、行こっか?」
なんだか気まずくて、私は彼を先へ促して歩き出す。彼は一度振り返り、ショーウィンドウをもう一度眺めて私へ付いて来た。
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