選んだ未来
「憶えてないくせに気軽に呼ぶな。未来との未来を諦めたら承知しない。絶対に未来を泣かすなよ?」
「ああ……必、ず」
「はっ。感情だけは消えてないのか……二度とこっち(政府)側に立ち寄るな。分かっているよな。イリス? ……行け」
怜士が壁のボタンを押して、ゆっくりとコンベアが動き出した。私とイリスは見つめ合って頷き、手を繋ぐ。その行き先を見つめて。
「未来……」
「イリス?」
「違ったか? 怜士がそう呼んでいた」
「ううん! 違わない。私は未来で、君は、イリスだよ」
その名前だけは憶えているようで、イリスはゆっくりと瞬いて、自分の名前を確かめるように頷いた。彼の中に残っている、確かなその名前。私は、嬉しさを噛みしめた。
私たちをのせたコンベアはゆっくりと進んで行き、段々とスクラップ音が大きくなる。
私は、イリスと繋いだ手を、ゆっくりと引き寄せる。彼の唇に、私の唇でそっと触れる。その瞬間に、彼の水色の瞳が、柔らかく揺らいだ気がした。
「行こう。イリス?」
私たちは立ち上がり、スクラップ場の入り口のギリギリで、飛び降りた――。
無事に廃棄場から戻って来た私たちは、のぞみ園の院長先生の協力で、人間側居住区。かつての革命家AI縁と、希を支えた、レジスタンスの集落で匿って貰うことが決まっていた。
決死のダイブだったのに、大聖堂に辿り着くと、夏祭り屋台のおじさんと院長先生が既にいて。最初から決まっていたかのように、スムーズに保護される手筈になっていた。
まるで誰かが水面下で手を回していたような。そんな感覚にすらなってしまう。孤児院から、最後の荷物を運び出した私たちは、浜辺に来る船で移動することになっていた。
孤児院の表玄関。遠足だろうか? 孤児院のまだ小さな弟や妹たちが集まっていた。一人の子どもが大通りへ飛び出してしまい、慌ててその子を抱えた背の高いAIは、縁のような雰囲気を持っていた。
「ほら、危ないよ。君の命は大事なものなんだから、ちゃんと大切にしないと。僕も、院長先生も、君がいなくなったら悲しいよ」
その口調や声音までが、あまりにも似ていて、私は思わず立ち止まる。”お父さん?”っと、問い掛けそうになった言葉を飲み込んだ。
顔を上げたAIが、少しだけ迷ったように首を傾げて、そして、私たちへと微笑み掛けた。その懐かしい感覚に、私の胸が温まっていくのを感じる。
「行こう。未来」
立ち止まってしまったままの私の手を、イリスが強く握りしめて引いて、私は迷いながらその場を後にした。
指示された、集合場所の浜辺では、砂浜を照り付ける太陽の反射がとても眩しくて、私は太陽光を遮るように手を伸ばして目を細める。
イリスとずっと繋いでいる手。夏祭りののぞみちゃんや、さっき見かけたお父さん似のAIと子どものやり取りを思い出していた。
「……イリスとの子どもが持ちたかったな」
「子ども?」
イリスに拾われたことで、私は無意識に呟いていたことに気が付いた。夏祭りの観覧車で交わした約束を思い出して、頬が熱を持つ。
「うん! きっと、とっても可愛いと思う」
私の言葉に数度瞬いたイリスが、ゆっくりと口を開いた。
「……一例目の成功例、か?」
「えっ……?」
イリスの口から出た言葉、私の胸がトクンと鳴って、彼に期待の眼差しを注いでしまう。私の眼差しを受け止めたイリスが、困ったように頬を掻いた。
「……なんでもない」
もしかしてイリスは、思い出し掛けているんだろうか? 遠くへ船が見えて、3回汽笛が鳴る。私とイリスは、その音に振り返る。
波の音が不意に大きくなって、真っ青な空と海が、私たちの足元へ跡を残した。私たちは手を繋ぎ直して、抜けるように深い青空の下、足元の跡に二人で一歩を踏み出した――。
――赤い絨毯が敷かれる、法廷のような豪華すぎる会議室。俺はその一室で、複数のモニターに見守られながら、未来とイリスの報告をしていた。
「渡貴君。P-0009Mの記憶消去は完了していますか?」
「……はい。提示した監視カメラの映像通り、記憶消去。廃棄処分とも完了しています」
「如月君のことは残念でしたね……」
「そう、ですね……まだ心痛が和らがないので、俺はこれで失礼します」
――バタン。
俺は、重々しい表情のまま会議室を後にして、閉まった扉の前で大きく溜息を吐く。
(重用と見せかけての監視対象だな。俺も……)
俺は、学院から宛がわれた執務用のラボに戻り、中立都市を見渡せる大窓から下を見下ろした。
「政府は、方針の障害のAI二体を処分したことで、次の段階に進もうとしているようだな……ならば俺も。俺のやり方で……」
端末を操作する俺の背後の扉が開いて、誰かが部屋へと入って来る。窓へ映り込むそのAIの姿に、俺は柔らかく息を吐き出した。
「……お前か。大丈夫なんだろうな?」
「うん。多分ね。しかしマスター。悪役似合うねえ! “お前が抵抗するからだ……P-0009M”。“ああ。二度と会うことはない。P-0009Mを俺が廃棄処分し、如月未来はその後を追った。お前たちを縛る名前はもう存在しない”だっけ? カッコイーね!」
「円。また、あの映像を見ていたのか? やめろ。俺の声真似をするなっ! 多分ってなんだ。報告しろ」
「ふふっ。了解……マスター?」
俺がアイツ等と。目の前のコイツに振り回される日々は、もう少し続きそうだ――。
――数時間の船旅を終えて、私たちはレジスタンスの拠点だという小さくて、のどかな村に辿り着く。
船着き場には、夏祭りで出会った迷子の女の子。“のぞみちゃん”が待っていて、私たちを出迎えてくれた。
「お兄ちゃん! のんちゃんだよ!」
声を掛けてくれるのぞみちゃんに、イリスは申し訳無さそうに眉根を寄せる。
「そっか! 憶えてないってママが言ってた! 待ってて! のんちゃんいいもの持ってくるよ~」
駆け出して、近くの家へ入ったのぞみちゃんは、手に金魚鉢を持っていて、そのまま私たちの元へ走って来る。
水面がぐらぐら揺れており、金魚も、のぞみちゃんも危なそうだった。
近くの石にのぞみちゃんが躓き、金魚鉢が飛んで来る。転びそうなのぞみちゃんを私が捕まえて、飛んで来た金魚鉢をイリスが受け止めた。
私たちは3人で転ぶ。幸い、私が抱き留めたのぞみちゃんも、イリスが受け止めた金魚鉢の中の2匹の金魚も無事だった。
「お前は金魚が好きなんだろう? 危ないぞ」
「えへへっ。お兄ちゃん。金魚、ありがとう!」
のぞみちゃんを抱き上げた私と、金魚鉢を抱えるイリス。3人で仲良く並んだまま目を合わせて、思わず笑い出してしまった。
少し離れた場所で、のぞみちゃんの母親が、私たちへ慌てて頭を下げていた。
私とイリスが再会した、イリスの花の温室はどうなっているだろう。目の前に広がる青い海。その色にイリスの発光を思い出していた――。
『イリス……ってどう?』
『それは、この花の名前だろう?』
『そうだけど、そうじゃないの。イリスには『希望』や『信頼』っていう花言葉があるの。君は不思議なAIだけど、私にとっては特別だから……だから、君の名前にどうかなって?』
『……ああ。悪くない』
あの時名前を付けたイリスが、私の特別な存在として、こうして、私の隣で笑ってくれている。そのことが、私の胸を満たしてくれていた。
「ねえ。イリス」
「どうした? 未来」
「うん。悪くないね?」
「……ああ。悪くない」
私がイリスの名前を呼ぶと、イリスの表情がふわりと柔らかくなった。
「未来……お前を、大切にしたい。俺は……俺が、帰る場所が未来ならいいと思う」
「どうして今、その言葉を?」
「分からない。だけど、のぞみを見ていたら思ったんだ……伝えないといけない。今、俺が。そう、思った」
それは、観覧車の中で“もう一度伝える”と、彼が約束してくれた言葉。私は彼の淡い水色の瞳を見上げて、温かな熱で瞳が潤むのを感じていた。まだ見えないけど、確かに私の中へ予感はある。
「……ありがとうイリス。きっと、二人で叶えようね」
私たちは、自然と寄り添って手を繋ぐ。母親の元へ戻っていくのぞみちゃんを2人で見守っていた。繋いだままのこの手を離さずに、一歩ずつ築いていこうと思えた――。
――――28――――
『イリスの咲く場所。またいつか――終了。 読了ありがとうございました! Ⓒいろは えふ』




