絆を求めて
「私は夜の散歩兼見回りです。たまに羽目を外し過ぎてしまう学生たちもいるものですから。そうなんですか? 若いっていいですねぇ。けれど、候補生である以上、節度は保たねばなりませんよ? 確かに如月さんは美しいので無理もないかもしれませんがね」
壱華教授のネクタイの端には、オレンジのアネモネがさりげなく刺繍されていた。木の葉の木箱に入っていたオレンジのアネモネの押し花のしおり。革命前夜の映像で引っかかったアネモネのくだりに出て来た花だ。
私は、所々、本音も混じっていそうな怜士の言葉に戸惑いつつ、曖昧に微笑んだ。怜士と教授の、異様に冷静なやり取りに息を飲む。一瞬、教授が私を値踏みするような視線を向けた。
(なんだろう……この感じ……聞き取り呼び出しの頻度が増えた時にも感じていた。視線の主は、壱華教授だったのかもしれない……)
その奥にある得体の知れない温度に居心地が悪くなって俯く。視線を逸らしても拭えない、言いようのない違和感。その中で、教授と話す怜士の声が、私を守ってくれているようだった。
私の保護者をやめるなんて言っていたのに、結局怜士はお兄ちゃんのような怜士のままで。その温かさに、私は安堵の息を零す。
「ああそうだ。今度俺にも教授の交渉術をご指導くださいませんか? 未来にも使えるかもしれない。俺たちは人間同士ですから、問題はないですよね?」
「もちろん。優秀な生徒のお力にはなりたいと思っていますよ。私でお役に立てますかね?」
「今夜お時間があれば是非。未来。今夜は付き合って貰って悪かったな? ほら。襟が曲がってる。候補生なんだから、身だしなみにも気を使えよ? 教授に指導して貰って出直す。今夜は気を付けて戻れよ」
「う、うん?」
怜士が、私の服の襟を直して、壱華教授を連れてその場を去る。私はその場で二人を見送り、壱華教授の纏わりつくような視線の名残に暫く立ち止まる。安心感を求めたくて、怜士が触れた襟口へと、無意識に手を伸ばしていた。触れた襟に違和感を感じて、その場所を触り直すと、几帳面に小さく畳まれたメモが挟んであった。メモを開くと、AI用の廃棄場の地図と、イリスが廃棄予定となっているゲート番号が書いてあった。
(怜士……ありがとう)
私は寮へ帰るふりをして、イリスの元へと急いで向かう。失う不安へ駆られながら、革命前夜の映像を思い出していた。“アネモネには気を付けて”それから、“日本は治安がいい”どうして、花の話から、突然日本の治安の話になったのだろう。気が付いた違和感。
私は、イリスの花を見に行く前、図書館で見ていた植物図鑑を思い出した。イリスの花の隣のページにあったアネモネの和名は“牡丹一華”だったはずだ。壱華? いないはずの時代に記されていた、教授の名前が浮かんだ。
(壱華教授……あの人は本当は何者なのだろう。革命前夜の家族の会話に覗いていた影? ……まさか、ね)
私の背筋がスッと冷える。嫌な感覚を振り払うように、私は首を振る。
私の中に芽生えた、ほんの少しの光を手放してしまわないように、私は走る速度を上げた。
(私は君と、本当の家族になれるかもしれない。イリス……会いたい。君に、会いたい、よ……)
――怜士の地図に示されていた廃棄場のゲート番号。私はその扉の前へ立ち、扉を見上げていた。金属製の硬質な扉は錆で赤茶けていて、所々塗装は剥がれている。この扉へ辿り着くまでの道のりも、舗装されていない獣道だった。
あちこちに大岩も転がっており、第三次世界対戦時代に廃棄されたものなのだろうか。乗り捨てられた戦闘機や戦車、小型の大砲などが、積もった土と草に覆われていた。足場も悪く、まるで廃棄場へ行く道のりですら、丸ごと時間を止めて、全てが眠らされているかのような光景が続いていた。
延々と続いていた山道が、一瞬だけ開けるその場所に、人工的な金属だけが聳え立っている。思ったよりも時間が掛ってしまっていたようで、私の時計が指す時刻は23:58分。私は息を飲んだ。
(この向こうにイリスが居るの? 本当に?)
――ブィ――ン、ゴゴゴゴ――……ガッシャン!
扉の向こう側から聞こえる、微かな機械音。私は扉へ近付いて、そっと耳を寄せる。コンベアのような物が動く音、何かが引きずられている音、続けて、スクラップされるような音が規則的に聞こえて来る。
(怖い――……)
私は、イリスのその瞬間を目撃してしまうことが怖くて、扉を開くのを躊躇った。
――ガキュン! ガキュンッ!
中から規則的に聞こえる機械音とは違う、銃の発砲音のような音が不意に聞こえて来る。廃棄場から聞こえるはずが無さそうな音。不安に駆られた私は、恐る恐る扉を開く。その扉の重みが、私の胸の中の不安と比例するように重く感じて、その瞬間が何十分にも感じられた。
「お前が抵抗するからだ……P-0009M」
廃棄されたAI達の山の上に立つのは、怜士の後ろ姿。怜士の手には青い月光を反射する拳銃が握られている。
私は、息を止めて、感覚が無くなった指先を握り込む、震える視線を怜士の足元に落とす。怜士の足元には、姿かたちが分からないくらいに崩された人型――。
「嫌っ! イリス――――ッッ!!」
私の叫び声は、声にならない。半分だけ私へ振り返った怜士の横顔は、月光に照らされてひどく冷たく感じた。 怜士が人型を足蹴にして、私の方へ転がす。その瞳には色がない――。
私の元へ転がって来たのは、ぐったりとして動かないイリス。ほんの少しの傷と、汚れはあるものの、イリスの身体は無事だった。ホッとしたのと同時に、怜士が助けてくれたんだと思った。
声を掛けても、揺すっても、イリスの瞳は、ずっと虚空を眺めている。私の方を見てはくれなかった。忘れてしまったのだと、じわじわ実感して、私の瞳に涙が滲む。
「イリスッ! イリスッ! お願いッ! 動いて……私を……こっちを見て、よ……」
私が呼んだ名前に反応して、僅かに、イリスの身体が動く。私たちの様子を見ていた怜士が、ほんの少しだけ眉を動かす。
「イリスっ!」
「そうだ……俺、は……イ、リス?」
「イリス! そう。君はイリスだよっ! 私のこと。私たちのこと、憶えてる?」
私の問い掛けに思案するように、苦し気に眉を寄せて、一度瞬いたイリスの瞳から、大粒の涙が零れる。AIのはずの彼から流れた涙に、私と怜士は息を飲んだ。
「思い出せ……ない、んだ……とても大切な……記録、だった、のに……」
「……イリス。私が、思い出させてあげるから」
私は、決意を込めてイリスを抱き寄せる。私の視線に気が付いた怜士が、大きく息を吐いて、廃棄AIたちの山から下りた。そのままレバーとボタンのある壁へ移動して、私たちを見つめる。
「お前は、本当にソイツと家族になるつもりなのか? ソイツはもう、憶えてないんだぞ。これから思い出す保障だってない。未来、それでも本当に……ソイツと行くのか?」
「うん……それでもいい。イリスが思い出したいのなら、私が一緒に思い出させてあげる。私がお父さんのことを、ちゃんと思い出せたように。私のイリスは、彼だけなの」
怜士が、呆れたように肩を落として、壁のレバーを下に引く。
「はあ。分かってたよ……」
「怜士。ごめんなさいっ! 本当に色々、ありがとう……」
「ったく。フラれた俺の最後の意地だ。せめて幸せになれ……AIとなんて茨の道だとは思うが」
その動きに共鳴して、機械音が鳴り始め、私たちのいる場所が振動する。それは、私が扉の外で聞いた微かな音と同じ。
「俺は政府に残る。助けられるのは、これで最後だ……コンベアの先、スクラップ場入り口の左側に飛び降りろ。もう使われていない非常階段がある。その先の扉。あの大聖堂に通じている」
「もう会えないの? 怜士とは……」
「ああ。二度と会うことはない。P-0009Mを俺が廃棄処分し、如月未来はその後を追った。お前たちを縛る名前は、もう存在しない。これからは、何者でもないイリスと未来だ」
低くて静かな怜士の声は、少しだけ震えている気がした。
「怜、士……」
私の声に反応したのか、イリスが私の肩に手を添えて、たどたどしく名前を呟いて、ゆっくりと怜士を見る。
――――27――――




