ルーツ
『またやってるのか? 別の血筋同士がまざって生まれてるんだから、お前らだってそうだろう? 未来となにが違うんだよ?』
少しだけ年上で、大人びていた怜士は、小さい頃から理詰めの理屈を使う変わった男の子だった。
『チスジ? そんなの知らないよ。紫色の目は不幸をまきちらすんだって、近所のおばちゃんが言ってたもん!』
子どもたちは、怜士の言葉に首を傾げて、あっという間に孤児院へ戻って行ってしまう。怜士の理詰めが、政府従事者の家系独特のものだと知った時には納得してしまったけれど。
『未来。だいじょうぶか? また俺が守ってやるから、もう、あんまり泣くな。お前がピンチの時には、いつでも俺がかけつけてやるからな』
優しく手を引いて、蹲っていた私を、怜士が引き起こしてくれる。怜士は、小さな頃からずっと怜士で、確かに私は、彼にずっと支えられていた。
まだお父さんに引き取られる前、私の孤児院が火事になったことがあった。幸いその時は、ボヤ程度で済んだけど、駆け付けた怜士が謝ってくれた。
『あら? また火事? やっぱり紫色は駄目なんじゃない? ほら、誰だったかしら? 随分昔だけど、ここが大火事になった時さ、紫色の男の子が居たらしいじゃない?』
『ああ! 確かノゾムくんだったかしら? おばあちゃんがそんな事を昔言っていたわ……』
避難して、外に集まっていた子どもたちの中から私を見て、近所のおばさんたちがひそひそと眉を顰める。
『俺は、コイツの藤色の目がきれいだと思う。もしもコイツが日本人じゃなかったとしても、ご婦人方はそんなことを言うのですか?』
噂話をしている近所のおばさんたちに気が付いた怜士が、ツカツカと二人の元へ寄って行って、二人を見上げる。
『れ、怜士くん!? そ、そんな事は……お、おほほ。し、失礼するわね』
政府従事者家系に目を付けられるのが怖かったのか、そそくさと退散するおばさんたち。私は少しだけ胸の重りが、軽くなった気がした。
『未来。ごめん……俺のせいだ……俺が、遅くなったから……』
申し訳なさそうに俯いたままの怜士が、私の髪をくしゃりと撫でていた――。
「……未来。お前たちのことを、政府に通報したのは俺なんだ。お前とアイツの関係……イリスに……嫉妬した。悔しかったんだ……お前の隣にいれるのは、俺だと思っていたから。俺だけが……お前の、未来の隣にいたかった……」
私の髪から手を離した怜士。私の頭上に、冷たい雫が降る。彼が泣いているんだと分かった。
(私にとって、完璧なお兄ちゃんのようだった。”あの怜士”が……?)
「……ずっと未来が好きだった。本当は、兄妹みたいな関係でいるのが、ひどく苦しかったんだ。お前に笑顔を向けられる度。頼られる度に……どんどん苦しくなっていった。お前を守ると言っていたから、すぐに駆け付けるって約束してたから。ずっと守ってるつもりだった……けど、結果的に未来を傷付けた。もう俺は、自分で自分が許せない……正直壊れそうなんだ。俺は人間のはずなのに……」
初めて怜士が吐く、私への弱音。積もりきった想いが決壊したように、怜士が泣いている。その衝撃に、胸を締め付けられた私の頭の中が、急速に冷えて、落ち着いていくのが分かった。
(私も、怜士を傷付けていたんだ……当たり前のように頼って、甘えて――)
気が付いたことで、靄が掛かっていたような私の脳内が、またゆっくりと動き出す音がした。
「……全部失くしてしまったのに? 今更どうすればいいの?」
私は、怜士の涙を拭うべきだったのに、口を付いたのは、思っていた以上に冷たい言葉。自分のことだけで一杯一杯な、身勝手な自分を痛感してしまった。
(私は……怜士とどうしたいんだろう?)
押し黙ったままの怜士が、白衣のポケットから小さなメモリを取り出して、私へ差し出す。
「……俺はもう、お前の保護者ではいられない。未来への気持ちを認めてしまったから。だから、お前と関わるのは止めることにする。俺がお前の近くにいたら、お前はきっと苦しいままだろうしな。でも、最後に――あの人からの……縁の手紙だ。アイツは……縁は。お前のお父さんだったんだろう?」
怜士はもう、イリスも、お父さんも、個体識別番号では呼ばない。私に許しなんて求めない。求められるとは思っていないのだろう。
それに気が付いた私は、怜士の手からメモリを受け取った。私の指と触れ合った瞬間、怜士の指先が僅か躊躇ったように一度ピクリと動いた。
私がメモリを受け取ったのを確認した怜士が、私に背を向けて歩き出そうとする。私は怜士の白衣の裾を引いて、怜士を見上げる。
「怜士。行かないで。ごめんなさい……でも、今はまだ、ここにいて……」
拭えない不安。やっぱりまた、私は怜士を頼ってしまう。心細い時に、いつも私の隣にいてくれたのは、ずっと怜士だったから。
私の言葉に息を飲んで、怜士は諦めたように肩の力を抜いた。私を引き起こして、私が招くままに、私の部屋へとあがる。私は怜士と並んで座って、縁の記憶メモリを再生した。
『うん。準備OK。ちゃんと撮れてるよ。希の成長記録。手を放してみて歩乃架?』
艶やかな黒髪で色白。日本人には珍しい、私と同じ藤色の瞳を持つ、華奢で線が細い女性。少し不安げに幼い男の子の手を離すその女性の容姿は、鏡でいつも見ている私にそっくりだった。私は、縁が呼ぶその女性の名前にも心当たりがあった。
イリスが幼い頃にいた施設のモザイクタイル。落ちたタイルが“KONOHA”だったその名前を“HONOKA”に変えていた。一緒に彫られていた女神の名字は“YUUKI”。図書館に飾ってあった埃まみれの、のぞみ園初代院長の女性の写真。彼女の姿は隠されていても、“結城”と書いてあったその文字だけは確認することが出来たのを思い出した。
『お父さん。見て~。ボク、上手にできるようになったんだぁ』
『危ないわっ! 縁! 希が道路に出ちゃうっ!』
『おっと! 大丈夫かい? 希の命は大切なものなんだから、気を付けないと? 僕も、お母さんも、希が居なくなったら悲しいよ』
両手を口元に当てて、男の子の危機に恐怖を滲ませている女性の左手の薬指には、銀色のリングが光っている。私はその銀色のリングに見覚えがあった。私は、棚の上の藤色のぬいぐるみのベージュリボンに通る銀色のリングを確認する。リングの裏側に彫ってある言葉は。
『誰よりも特別な君へ――Dear HONOKA from ENISHI』
その一文だけで、二人が夫婦だったことを物語っている。彼女とよく似た藤色の瞳の黒髪の男の子。その人物は、夏祭りのホログラムで見た、藤色の瞳を持つ黒髪の青年の面影を色濃く残している。希と名乗るそのホログラムの青年は、結城姓を名乗り、縁を父と。歩乃架を母と呼んでいた。それから啓人おじいちゃん。
小さな男の子を抱き上げる、カメラ係。縁の左手にも、女性と同じ、銀色のリングが光っていた。私はこの女性。歩乃架と、私のお父さんになってくれた縁が夫婦だったことを確信した。
『悪ぃ悪ぃ。ちょっとやんちゃさせ過ぎたか? けど、希がお父さんに見て欲しいんだってはりきってたからさ。あんなに小さかったのにな。大きくなったもんだ』
『もう! ちゃんと希を見てって、私言ったわっ! あなたの孫に怪我をさせないでちょうだい!』
『歩乃架。啓人も悪気があったわけじゃきっと無いよ。希が無事で良かった』
『もうすっかり家族だな。美人な奥さんとの仲を取り持ってやったこと、感謝しろよ。縁?』
『うん。感謝してるよ。親友がお義父さんっていうの、まだ慣れないけどね』
明るく歯を零して笑う、40代後半の小麦色の肌の彼は、怜士の家系図の写真で知っていた。啓人と、縁から親しげに呼ばれている。
映像では怜士の見せてくれた写真よりも少しだけ若い。彼は渡貴 啓人。怜士の高祖父に当たる人物で間違いないだろう。この学院の研究所の初代所長だったと怜士から聞いたことがある。
お父さんの記憶メモリの中には、どう見ても幸せそうなAIと人間の家族。私の憧れをそのまま再現したような日常の一コマが映っているのに、この事実は、政府の記録の中にも、歴史の中にもない。このメモリを見ることが出来た人にしか知り得ない真実だった。
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