喪失
――爆発にも耐えうる分厚いガラスに隔たれた記憶消去措置室。戦闘AI等が大きな抵抗をした時に、措置を実行する人間を守るためのものらしい。
俺の目の前には無数のボタンやダイヤル、スイッチが整然と並んでいる。その中でも、一際大きなガラスカバー内の赤い円形のボタンが、記憶消去のスイッチになっている。
ガラスの向こうにポツンとあるカプセル内の椅子に、EL-001Rは一人で座っている。
縁には、さっきの未来たちとの会話について訊きたいことが沢山あったが、記憶消去の決まったAIと、私的な会話をすることは政府規定で一切禁じられていた。
俺は、会話用のヘッドセットを身に着けて、複雑な心境で息を吐いた。
「EL-001R……ちっ……縁。何か最後に言い残したいことはあるか?」
「あれ? 君も名前を呼んでくれるの? ふふっ。政府側にも居るんだね。変わった子が。啓人みたいだ」
「お前は史上最悪の革命家AI、EL-001Rだったな。最後に尋問の権利を使わせてもらう。啓人は、初代所長で俺の高祖父だ。お前は俺の高祖父とどういう関係だったんだ? 血族の俺には訊く権利があるだろう。高祖父はお前のせいで不幸になったらしいからな」
俺の質問に、収容施設で見た時のように飄々とした言動で、茶化すように答える縁。まるで人間を断罪するかのような錯覚を覚えて、俺の胸中に不快な苛立ちが募る。
記憶消去対象AIとの会話は政府側に録音されている。私的な会話は禁止されているが、相手が犯罪者級のAIだった場合、政府へ報告する情報として、尋問と称した相手への質問がいくつかは許されていた。
「やっぱり? 君、似てると思ったんだよね。特に目元の辺りとかそっくりだよ。自分なりの正義をしっかり持っている。そんな意志の強い瞳。格好いいよね。啓人はね。僕の名付け親で、親友で、仲人で、そして家族だったんだよ」
「人間とAIでか? あり得ないだろう」
政府側に録音をされている為、務めて冷静な口調を装うが、俺の中に湧く確信めいた思考が、白衣のポケットの空のメモリへと手を伸ばさせる。
「でも、不幸にしちゃったのはそうかもしれない。彼は僕の革命に巻き込まれて命を落としてしまったんだ。僕の大切なパートナーと一緒にね。僕は彼に、一生分助けられたのに……」
感情を持たないはずのAI。後悔と、悔しささえも滲んでいるような縁の表情と声色に、俺は息を飲んだ。
嘘をついているようには見えない。どうみても人間のようにしか見えない目の前の縁は、確実に異端で、誰かを大切に想う一人の男だった。
「ああ。話が逸れちゃった。最後に言い残したいことだっけ? 啓人と歩乃架には、本当に悪いことをしたと思ってる。僕はAIだけど、人間と同じ場所に行けるかな? もしも会えたら、今度はちゃんと謝りたいな。僕と家族になってくれてありがとう……守れなくて……不幸にしちゃってごめん、ってさ……?」
死を意識したような発言をする縁の声は、人間のように震えていた。縁が呟いていた“怖い”という言葉。目の前の縁の様子を見ていると、実感を伴って俺にまで伝わって来た。
「結局希は見つけられなかった……会いたかったな。希……あっちで怒られよう……本当に、頼りない父親で……ごめん」
俯く縁が、泣いているように見える。まるで意識の共有でもしてしまったかのように、俺の指先も震え出す。
――俺は一度躊躇って、白衣のポケットから取り出した空のメモリを、記憶消去措置の吸い出し用ポートに差し込んだ。これは政府に背く行為だ。だが、一人の男としての。縁の真実を知りたかった。
掛けてやれる言葉が見つからなくて、俺は静かに縁を見つめる。俺の視線に気づいた彼が、笑顔で手を振るのを確認して……俺は……俺が、ボタンを――押した――。
――俺の頬に、冷たい雫が伝う。暗い部屋の白い壁。眩しい青色の光が、柔らかく部屋を満たす。
(これは……なん、だ? 俺が……殺した……の、か?)
再生しているのはEL-001Rの、縁の記憶。何処までも優しくて、穏やかな光景。親戚や政府からの呪縛を断ち切るように、その映像が俺を抉る。空っぽになった俺の胸の中に、太い楔が打ち込まれてしまったようで、俺は上手く息が出来なかった――。
――分厚いガラスの向こう側から俺を見下ろすのは、白衣に身を包む、狐目。ラインの細い男。ヘッドセットを身に着けて、穏やかな笑顔を浮かべている。
「政府にとって不都合な因子は排除されなくては。私の道を阻む存在はひどく目障りなのです。今や私が。この世界の頂点へ君臨する者。私が啓人に、EL-001Rごときに負け続けるなんてあり得ないでしょう? 私は、化石の彼らとは違う。P-0009M。貴重なデータをありがとうございました。やはり“他のAI”は感情を持つべきではない。AIとは、人間に管理されるもの。それ以上でも以下でもない。私の考えは正しい!」
講釈を垂れる狐目の男の口調はひどく穏やかなのに、目が笑っていない。俺が睨みつけるように見上げると、男は恍惚とした表情でスイッチを押した。
『君は最後に会いたい人はいる――?』
縁の言葉が頭の中で反芻されて、ジジジッと、不快な電子音が部屋に響く――。
「P-0009Mの記憶消去を実行します……消去システム起動。オールクリア。続いて個体識別番号を――――」
これまでは、普通に聞いていたはずの機械的な音声。今はとても冷たく聞こえた。俺の脳裏に未来の泣き顔が浮かんだ。
そうだった。俺は未来と約束したんだ。俺はもう、P-0009Mじゃない――。
「違うっ! 俺は……っ!!」
ビ――ッビ――ッビ――ッ!
「エラー――……識別番号消去出来ません――――」
音声処理が難しくなるような甲高い警告音と、ひどく慌てた顔の男――。
――――未……――来……――――っ! ――――プツン。
「――――イリスっっ!」
私はがばっと身体を起こす。目を覚ましたその部屋は、中立都市の学院寮。私の部屋だった。謹慎と称され、人間側ののぞみ園へ行く前と何も変わらない私の私室。
辛く悲しい出来事。嬉しいことも、楽しいことも、どきどきしたことでさえ、もしかしたら全部夢だったのではないかと――。
私はベッドから下りる気が起きないまま、部屋の中を見回した。テーブルに置かれるペアの子ども用指輪は、夏祭りで、イリスが射的屋台で手に入れてプレゼントしてくれたもの。
棚に並ぶ二体のぬいぐるみ。藤色で、リングの下がるベージュリボンが首に巻かれた、クタクタのクマのぬいぐるみは、昔お父さんが私にくれたもの。その横に並ぶ、イリスの瞳と同じ水色。白いリボンの巻かれたクマのぬいぐるみは、彼が仲直りにくれたもの。
私の部屋にある大切なものたちが、私の記憶を、思い出を、イリスへの想いすらも間違いなく肯定していた。
――コンコン。
私の部屋の扉が小さく鳴る。私は、重い身体を持ち上げて、扉を開けた。そこに立っていた怜士の表情には生気がなくて、私は震える声で彼へと問い掛けた。
「……イリス、は?」
長い沈黙の後、怜士が震える声で、重い唇を動かした。
「――――……実行された。昨日、だ。あとは廃棄を……」
俯いたまま、怜士が口を噤んだ。その言葉が何処か空虚に響いて、一人ぼっちでスクリーンを観ているような、実感を伴わない音として私の耳に届いた。
「……そっか。私……全部失くしちゃったんだね……何も……誰も。守れ、ず、に……――」
視界が歪む。私はその場にゆっくりと崩れ落ちて膝を付く。スローモーションのように、私の視界が怜士の身体を滑って、全部が遠ざかっていく。色を取り戻したはずの私の世界にモノクロが染みて、音すらも飲み込んで塗り替えていく――。
白衣のポケットに手を突っ込んだまま立ち尽くす怜士のポケットの中。そこにある右手が強く握り込まれているのが分かった。
「……未来。ごめん……俺の。俺のせい、なんだ……」
いつもよりも幼い口調で、怜士の掠れた声が降って来て、私は昔の怜士との記憶をなんとなく思い出していた。
――当時の怜士の家は、私の孤児院、のぞみ園の近所だったようで、私と怜士は時々、孤児院近くの公園で遊んでいた。
『や~い! まざりもの~!』
『その色。なんだよっ! お前のかあちゃんフリンしてたんだってな!』
『だから誰もおむかえに来てくれないのよ。気持ち悪いから捨てられたんだ~!』
子どもの言葉はとかく残酷で、意味を理解して使っているかはともかく、私は俯いて泣くことが多かった。
――――22――――




