渡されるバトン
『如月 未来君。君はとても優秀な子のようだ。政府付属の中央統括研究学院への転校が決まったよ。これはとても名誉なことだ。政府のためにしっかりと学んで、務めるようにな!』
冷たい。決定事項だとばかりに伝える事務的な声。私は思わず叫ぶ――。
「――違うっ! 私はっ! お父さんっ!」
「まだ。そんな風に呼んでくれるんだね……」
返って来た声に、私は動きを止めて、改めて小部屋を見る。いつの間にか小部屋の鍵は開いていて、手足を金属の鎖と革製の手錠で拘束された男性がそこにいた。虹彩がはっきりしているということは、彼もAIなのだろう。
イリスが灯してくれたのか、ほんのり部屋は明るくなっていて、その男性の顔をしっかりと確認する。
長身で、人懐っこい柔らかな目元が印象的な無精ひげの男性だった。身じろいだ男性の懐から紙が転がり落ちて来て、私とイリスの足元へと留まる。
「ごめん。拾ってくれる? 僕の宝物なんだ」
両手足を拘束されているせいで、男性は手を出せない。私はその紙に見覚えがあって、拾った紙を開いた。
それはあの授業参観の時に、私が“大好きなお父さんへ書いた手紙”だった。何回も読んでくれていたのか、持つ部分が掠れていて、紙も少し薄くなっている。私の頬から流れた雫が、手紙のインクを滲ませた。
「お父さんっ!」
私をずっと支えていた温かな声と思い出。授業参観の手紙で確信した私は、今度はきちんと彼を見て、彼を“お父さん”と呼んだ。
嬉しそうに微笑んだ彼の目元が潤んでいて、だけどそれを耐えるように、唇が弧を描いていた。私が彼を抱きしめると、彼が安堵の息を吐く。
「いきなり一人ぼっちにしてごめんね。未来。けど、元気そうにしてくれていて……良かった。折角愛しい娘と再会出来たのに抱きしめられないのが残念だよ。けど、すっかりレディーになった娘を抱きしめるなんてことは野暮かな? 君の恋人に怒られてしまいそうだしね?」
私の後方で見守ってくれていたイリスを指して、冗談めかしたそんな言葉をお父さんは掛ける。
「流石に、親子の再会に水を差すようなことはしない」
「そう? ありがと。君はやっぱり優しいね。そうだ。君の名前を聞きそびれていたね。娘の彼氏の名前を聞いておかないなんてのは、ちょっと失礼だった。君の名前は?」
「お、お父さんっ!?」
躊躇いなく、イリスを彼氏として扱ってくれるお父さんに、恥ずかしさが湧いて、私は真っ赤な表情を二人へと向けた。
少し楽しんでいるような、悪戯な視線を私へと送って頷いたイリスは、もう一度お父さんへ向き直った。
「イリス。俺は……イリスだ。縁」
「イリス? あの希望の花と同じ名前なんだね。うん。いい名前だ。もしかして未来が付けたのかな?」
「ああ。未来がくれた。“俺だけの名前”だ」
私が付けた名前を、自分のモノとして大切に名乗ってくれるのが嬉しかった――。
――P-0009M本人から、ここに戻って来たのを知らされた時には、毒気が抜けて思わず笑ってしまった。俺は革命家AI。EL-001Rの措置実行のためにこの施設へと訪れていた。
少しだけ時間が欲しいとイリスに頼まれて、自分の意思で戻って来たイリスに免じて、俺は時間稼ぎをしていた。
(……EL-001Rと、未来が親子?)
そろそろ執行の時間で、対象のEL-001Rを迎えに来たところだった。不意に中の会話が聞こえて来て、俺は立ち止まる。人間の未来と、AIのイリス。革命家AI縁の、あまりにも和やかで、穏やかな時間。
(俺は政府側だぞ。どうしてそんなに呑気なんだ。お前たちは……人の気も知らないで。だが、仕方ない……もう少しだけ時間を稼いでおいてやるか)
諦めたように大きく溜息を吐く俺の思考は、ひどくかき乱されたせいで、随分と未来に毒されて来ているらしい。俺は目を閉じて、小部屋の死角にもたれ掛かった――。
――「本当に大きくなったね……未来。あの日、小さな君と出会った時から似てると思ったんだ。僕の奥さんはとても美人で、君と同じ瞳の色をしていたんだよ。僕の大切な息子も……」
イリスの名前をしっかりと受け止めた後、お父さんは続ける。言葉の端々に、私への愛情が滲んでいて、愛されていたことを、ずっと支えられていた記憶が偽物では無かったことを実感する。
「ふふっ。それに、名前のセンスがいいところも似てる。僕が君と過ごせた時間は、ほんの数年だった。けど僕は、君と過ごしたあの時間がとても幸せだったよ。未来。全部を失くしてしまった僕を、もう一度“お父さん”にしてくれてありがとう。君はずっと……僕の。大切な娘だ」
その言葉を聞いた時、ずっと膨らみ続けていた何かが、私の胸の中で弾けた。堰を切ったように、涙が溢れ出した。
「イリスも、お父さんもずるいよ……折角また会えたのに。もう一人ぼっちは嫌だ、よ……」
私の声は震えている。立っていないといけないのに、全身の力が抜けてしまいそうだった。傍らのイリスが、私の腰へと腕を回して私を支えてくれる。
「でもね、未来。最後に大事な娘の彼氏から挨拶をされるなんて、お父さんの僕としては複雑な気分だよ。未来は嫁にはやらない! とか、言うべき? 彼氏からの挨拶への鉄板のさ」
「お父さんっ!? い、今言うとこ!?」
「ね、イリス。僕の恋愛指南役に立ったでしょ?」
「……分からない。立ったかもしれないし、立っていないかもしれない」
「ちょっ! イリスが変なのってお父さんのせいだったのっ!?」
気まずそうな顔をしたお父さんが唐突に、飄々とした調子でそんなことを言い出して、私は泣き笑いの表情で真っ赤になる。
「イリス。最後に僕のお願いを聞いてくれる?」
「なんだ?」
「君たちの未来はきっと明るいと思う。僕の大切な娘を……未来との未来を諦めないでくれるかな? 僕は家族を守れなかった……でも、イリス。君ならきっと出来ると思うんだ」
「分からない……どうしてそう思う?」
イリスの言葉に微笑んで、お父さんが大きく頷いた。
「僕はね。縁って言うんだよ。人間と家族になれた奇跡の一例目なんだ」
「知っている。収容所でお前が教えてくれた」
「ふふっ。そうだったね。うん。僕のこの名前は、親友啓人が付けてくれた大切な名前なんだ。イリス。君にも名前があるだろう? 君はもうただのAIじゃない。自分で君の、未来とのこれからを選べるんだ……そうだろ?」
「……ああ。俺はイリス。俺が……自分で選べる?」
お父さんが私の手を取って、私とイリスの手を重ねる。お父さんの温かな掌で私たちを包み込んで、ゆっくりと名残惜しそうに離した。
「もういいよ。待たせてごめんね?」
お父さんが、小部屋の隅の暗がりへと声を掛けた。石造りを歩く硬質な足音。ゆっくりと暗がりから姿を現したのは怜士だった。呆れたような優しい表情。けれど、怜士の表情が少しだけ強張っているようにも見える。
「はあ。時間だ……EL-001R」
「はいはい。分かってるよ。待っててくれてありがとうね。怜士くん、だっけ?」
怜士がカードキーでお父さんの拘束を解くと、お父さんは少しだけ身体を伸ばしてから、怜士の隣へと並んだ。
「お迎えだから行くね。未来。君は僕の希望だよ。未来はもう大丈夫。大切な人も見付けたみたいだしね?」
「お、お父さんっ!?」
最後に私達へ微笑んで、お父さんは背を向けた。その背中が少しだけ丸まっていて、私はその背中へ手を伸ばし掛けた。
「なんて、格好つけたところで情けないんだけどさ、や、優しくしてくれると嬉しいなあ……なんて?」
「記憶消去措置に、優しいも何もないだろう……」
「だ、だってやっぱり怖いじゃないか!」
「怖い?」
お父さんは最後までお父さんで、彼の言葉にひどく驚いたような怜士とのやり取りに、私は少しだけくすりと小さく声を洩らした。
「お前も早く戻れ。未来……時間稼ぎは限界だ」
「……えっ?」
振り向かずに冷たく言い放つ怜士。突然警告音が鳴り響いて、駆け付けた政府関係のAI看守たちに、イリスが拘束されて、私もイリスから引き離されてしまった。
「いやっ! やめてっ! イリス――――っ!!」
「対象を大人しくさせろ。相手は人間だ。政府方針へ従い、傷を付けたり拘束はするな」
温度の全くない電子音声のAI達の声には抑揚が無い。私がイリスへ伸ばした手は届かない。首元に強い電流が走って、私は意識を手放した――。
――――21――――




