お父さん
「わかった。約束する……俺はまた、お前に同じ言葉を伝える。きっと、必ず……」
俺からの衝動的な接触に、思わず身じろぐ未来を抱きしめると、もう、この感情を制御するのが難しくなっていた。未来を傷付けてはいけない。それでも、もう一度だけ、未来の耳元へと唇を寄せた――。
「未来。大好きだ……愛してる」
――イリスから告げられたその言葉は、ずっと望んでいた。告白よりも深くて甘い言葉。けれど、彼の記憶消去が迫った中での言葉に、私の胸が締め付けられる。でも、それ以上に。イリスの少し上がった温度と、掠れた声音が必死で何かを抑えようとしているようなそんな響きを孕んでいて、私は、嬉しさと困惑を内包した視線を彼へと送る。
イリスは、頬を滑らせた掌を、私の顎へと滑らせて指先で持ち上げる。私をじっと見つめたあと、私の唇に彼の熱が重なった。これはただの触れ合いじゃない。私たちの未来を確かに予感させる。欲望を閉じ込めたような、そんな、熱を帯びたキスだった――。
無言のまま手を繋いで。私たちは観覧車を下りる。
花火が終わったからか、お祭りの人は疎らになっていて、あの石碑の前のおばあさんだけが、同じ場所へ座っていた。ずっと気になっていた私は、おばあさんへ声を掛ける。
「あの。お祭りも、花火も終わりましたよ。おばあさんは帰らないんですか?」
「まあ。ほのちゃんにそっくりねぇ……」
目を開けたおばあさんの瞳は藤色。私と目が合った瞬間に、そう呟いたおばあさんは、煙のように立ち消えて、スレンダーな黒髪男性の姿が浮かび上がる。
私はその藤色の瞳と黒髪に見覚えがあった。怜士が見せてくれた写真。渡貴 啓人教授のたった一枚だけ残っていた家族写真。あの小さな男の子を青年にしたような姿だった。
『僕は、結城 希。奇跡の一例目、結城 歩乃架と、結城 縁の隠し種だ。僕は啓人おじいちゃんと、革命軍のみんなに守られて救われた。このホログラムは、僕の血族にのみ開示されるようになっている。名前の分からない僕の未来の子孫へ。父と母の本当の姿を伝えておきたくて、僕が作ったタイムカプセルだ』
作られて時間が経っているのか、そのホログラムは時折揺れて、形を保てなくなる時があった。私とイリスは、そのホログラムの青年を見つめたまま、静かに瞬いた。
『父と母は確かに愛し合っていた。それは、人間とかAIとかそんなのでは測れない真実の愛だった。啓人おじいちゃんが、守るために僕を隠した。真実は、父と母、僕と祖父の中にしかない。それでいいと言われた。けれど僕は、伝えないといけないと思ったんだ。これを見られる君ならば分かる。伝わるはずだ。きっと……だから希望を。僕たちの真実を諦めないでいて欲しい。縁を繋いで欲しいんだ……仄かな灯りと希望を、まだ見ぬ明るい未来へ――ジジッジジッ――プシュンッ』
青年も、おばあさんも。まるで最初からそこにいなかったように消えてしまっていて、この場にいたはずの人々も、祭り客さえも全部が居なくなっていた。現実と幻想の境目が分からなくなって、私の視線は、おばあさんが座っていた石碑へと吸い寄せられた。
そこに刻まれていた擦れた文字。
『縁を繋いで。仄かな灯りと希望を。まだ見ぬ未来へ――』
私は彫られたその言葉を、無意識に指先でなぞっていた。ホログラムの青年の言葉。私は自然とイリスを見上げて、人間とAIの未来。そこに、私とイリスを当てはめていたことに気が付いた。いつの間にか私たちは二人きりになっていた。戸惑う私の髪を、イリスがくしゃりと撫でて、私の手を指を絡めて繋ぎ直す。
「未来。もう少しだけ付き合ってくれ。お前に会わせたい人のところに連れて行くから」
頷いた私たちは、神社を後にする。タクシーを拾って、中立都市の裏側。廃棄AIの処分場と記憶処理施設がある区域へと辿り着く。
石造りの高い塀が何人たりとも侵入を許さないような圧力を放っていて、息の詰まる心地がする。
イリスが縁に教えて貰ったという、監視カメラの死角を通りながら、イリスの灯りだけを頼りに、地下へ繋がる階段を下りていく。やけに響く硬質な音。時折吹く、生温い風が纏わりついて、不安に駆られた私は、イリスの服の裾を無意識に掴んでいた。
それに気付いたイリスが、私の手を取って、もう一度しっかりと繋ぎ直してくれる。イリスの柔らかな表情が、『大丈夫だ』と、言ってくれているようで、私はイリスと離れないように身を寄せながら歩を進めていく。
辿り着いた、一番奥の小部屋は、薄暗くて人の気配がしない。私は暗闇に目を凝らして、小部屋の奥を確認しようとする。金属の擦れ合うような音が小さく響いて。
「誰かいるの?」
低いけれど、柔らかくて懐かしい声が、耳に届いた。私の記憶の奥底。温かくて、優しくて、いつも私を支えてくれていたあの声に間違いない。私は、小部屋の奥を確認しようと手を伸ばした――。
『――キーンコーンカーンコーン』
『はい。明日は授業参観です。大好きなお家の人へお手紙を書いて、感謝の気持ちを伝えましょう。授業参観で発表するので、お家の方には、まだ内緒にしておいてくださいね? それではみなさんさようなら』
『さようなら~~!』
いつも来てくれるお父さんに、感謝の気持ちを伝える授業参観。私はわくわくした気持ちで家路を急いだ。
『お父さん。ただいま~!』
玄関を開けると、オムライスの香りがする。今日の晩御飯はオムライスみたいだった。
『ああ。お帰り未来』
『お父さんっ! 明日は授業参観なんだ。絶対に来てね!』
『ふふっ。なんだか機嫌がいいみたいだね。もちろん。僕の大切な未来の授業参観だ。必ず行くよ』
私はその夜、張り切って大好きなお父さんへ手紙を書いた。
『お父さん! 行って来ます!』
私が声を掛ける。いつも直ぐに反応をしてくれるお父さんが、コーヒーカップを片手に、スマホを難しい顔で睨んでいた。
お父さんの待ち受けには、私と同じ藤色の瞳の綺麗な黒髪の女の人と、同じ目と髪の色の小さな男の子。そして、小麦色の肌の明るそうな男性三人がいつも笑顔を見せている。
お父さんはこの写真がお気に入りで、私にもよく、誇らしそうに見せてくれていた。
『お父さんっ! お父さんってば!』
『はっ……あ、ああ。ごめん未来行ってらっしゃい』
『お父さん。大丈夫? 顔が青いよ』
『ああ。少し疲れちゃってるかも。最近は仕事で夜更かしばかりしていたからね。気を付けてね。未来』
『うんっ! 授業参観。絶対来てよ! 行って来ま~す!』
手を振って見送ってくれるお父さんにもう一度行って来ますを言って、私は学校へと急いだ。
『……だから私は、お父さんが大好きです』
教室の中に拍手が響いて、私の前に発表した子が席へと座った。教室の後方に並ぶみんなのお父さんとお母さん。
私は唇を引き結んで、電子黒板を睨みつけていた。私の授業参観には、必ず来てくれていたお父さんが今日は来ていない。
『はい。よく出来ました。次は結城さん。結城 未来さん。お願いします』
『――れ、ました』
『えっ!』
『忘れましたっ!』
『ゆ、結城さんっ!』
私は裏切られたような気持になったまま席を立って、への字口で教室を飛び出していく。先生と友達。みんなのお父さんとお母さんが、言葉を失ったかのように私を見ていた。
(約束してたのに! どうして来てくれないのっ!)
私は走り続けて、家の前に辿り着いていた。いつも閉まっている玄関が開いていて、黒塗りの車が家を囲んでいる。
私が部屋に入ると、奥でお父さんが黒いスーツの人たちに捕まえられていた。振り返ったお父さんが、困ったように、戸惑ったように私を見て微苦笑を浮かべる。
『未来。早かった、ね?』
『来てくれるって言ってたのに! どうしてっ! 未来、待ってたの、に……』
泣き出してしまった私の言葉を、苦しそうな表情で聞いて、お父さんは寂しそうに微笑んだ。
『未来……ごめん、ね』
『お父さんの嘘つきっ!』
思わず、ぐしゃぐしゃに握りしめて投げ付けてしまったお父さんへの手紙をそっと拾い上げて、壊れ物でも扱うように胸元へと仕舞いこむ。
そのままお父さんは、黒い人たちに連れて行かれてしまった。追い掛けようと腕を伸ばした私を、別の黒い人たちが捕まえる。
――――20――――




