金魚と迷子
「ほら、サービスだ。これも、それも、なんなら隣の屋台のも持ってけ!」
私とイリスの腕の中に食べ物のパックが次々と積み上がっていく。
「こ、こんなに貰えませんっ! それに、こんなには食べられない、です……」
私は慌てて首を振って、店主へと商品の山を全部押し返した。
「そうか? 残念だ。なら、こっから好きなモン2つ持っていきな。幸せになれよ? おっさんはアンタたちを応援するぞ!」
「……必ず幸せになる」
「い、イリスっ!?」
「未来。お前が選べ。どれを食べたい?」
どきどきとパニックで未だ落ち着けない私へ、イリスが店主さんに貰った食べ物を見せる。私のお腹がまた鳴りそうになって、私は牛串とたこ焼きのパックを受け取った。
「あ、ありがとうございます……は、恥ずかしい……」
「いやあ。いいモンを見せて貰ったよ。若返った気分だったぜ。俺たちの大切な結灯祭を楽しんでくれ」
店主に見送られて、私たちは店主に貰った食べ物を食べ歩きしながら、祭りを回っていた。
「待って! 一人で行かないでっ!」
「金魚行くの~~!」
母親らしき甲高い声が聞こえたと同時に、私たちの目の前を、小さな女の子が駆け抜けて行く。思わず驚いて後退った私をイリスが支えてくれた。母親らしき女性は私たちへ一礼して、慌てて少女を追い掛けて行った。
「未来、大丈夫か?」
「うん。ありがとう」
石碑前の階段にずっと座っているおばあさんは、その場から動くことはなく、ただ幸せそうに、親子とお祭りを見守り続けている。
「さっき、あの少女が言っていた金魚とは、どれのことだ?」
「金魚すくい? えっと、あの屋台だね」
私が指を指した先には金魚すくいの屋台。近付くと、白いとろ舟の中に、ホログラムの金魚と、本物の金魚が混泳していた。金魚の泳ぐ背景が、数分おきに川底や海底、花畑や砂漠に変化するのが面白い。
「いらっしゃい。何回だい?」
「えっと、1回で」
「はいよ」
私は代金を払い、お椀とポイを受け取った。私の隣にしゃがみ込んだイリスが、私の金魚すくいを、興味津々で見つめている。
イリスの視線にちょっとだけ緊張してしまう。逃げ回る金魚をポイで追い掛けると、あっさりと私のポイは破れてしまった。
「あ~! 破れちゃった……」
「俺も、してみてもいいか?」
「え? うん。おじさん。もう1回お願いします」
「はいよっ!」
受け取ったポイをイリスへ渡すと、イリスはとろ舟の中の金魚とポイを交互に眺める。
「……ホログラムの中に本物が数十匹。動きは不規則に見えて、一定の箇所で向きを変えている。ここだ」
遊びなのに真剣な表情のイリスが可愛くて、その横顔に思わず頬が緩む。
鮮やかな手際であっという間に数十匹の金魚を掬ってしまい、周囲の視線と、ポカンとした金魚屋台のおじさんの表情。
「流石に全部の金魚を持ってかれたんじゃ商売上がったりだ。この中から二匹選んでくれ」
金魚を選んだイリスが私に袋を手渡して来る。
「私に?」
「未来が残念そうにしていたから」
「ありがと。イリス」
私が受け取ると、イリスが満足そうに微笑んだ。その後も、時々感情バグ(?)を起こすイリスと共に、久しぶりの夏祭りを楽しんだ。
かき氷屋台の練乳掛け放題で、イリスが私のかき氷の練乳をかけ過ぎてしまったり、射的屋台の景品を全部撃ち抜いてゲットしてしまったり、流石に多過ぎて返したけれど。
小さな子ども用の指輪だけは、夏祭りデートの記念としてペアで貰うことにした。
「可愛い。子ども用だから小さくて入らないけど、今日は小指に付けておこうかな?」
「未来が付けるなら、俺も付ける。今日の記念だな?」
「うん!」
このデート中、私はもしかしたら、数年分は笑ったかもしれない。二人の小指に付けられた子ども用のペア指輪を、どこか擽ったい気持ちで見つめる。彼が隣に居て、一緒の景色を見て、一緒の遊びを楽しんで、笑い合う。そんなささいな非日常の風景が、愛おしくて、嬉しくて。
けれど、同時に湧き上がって来る不安と心細さ。本当に彼は収容施設へ戻ってしまうのだろうか?
「ねえ、イリス……本当に……」
言いかけた言葉を飲み込ませたのは、人混みの中に蹲る。小さな女の子だった。
泣き疲れたようにしゃくりあげて、肩を震わせ、浴衣の袖はぐしょぐしょで、小さな足のサンダルは泥まみれだった。私は少女へ駆け寄って、しゃがんで声を掛けた。
「どうしたの? お母さんとはぐれちゃった?」
私の声に顔を上げた女の子は、こくりと頷いて、私が差し出した手を取る。不安そうなその顔が辛くて、私は後から来たイリスへと声を掛ける。
「この子。お母さんとはぐれちゃったみたい。イリスも一緒に探してくれる?」
「さっきの少女だな。母親の特徴は憶えている。けど、この人混みで見つけるのは非効率的……」
「のんちゃん。ママに……会えない、の? う、うっ……うわぁぁぁぁんっ!」
「あ、いや、そうじゃなくて……会えないわけでは……会うのが難しいかもしれない、と……」
少女の泣き声は益々大きくなり、イリスの戸惑ったような表情が、何かを探すように揺れる。私の持っている金魚の袋へ目を留めたイリスが、私へ向き直り、問い掛ける。
「未来。すまない。いいか? また取るから……」
「うん。いいよ。大丈夫。イリスとの思い出と一緒にちゃんと憶えておくから」
イリスの意図を理解して、私は持っていた金魚の袋をイリスへと返す。イリスが受け取って、少女の前へと差し出した。
「お前は、金魚が好きなんだろう? 俺と未来と、金魚と、お前の母親を探そう?」
目を見開いて金魚を見た少女が、両手で受け取って、笑顔になった。
「うん! 探す!」
少女の言葉に、ホッとしたように肩の力を抜くイリスが、なんだか可愛かった。
イリスの優しさに、私も笑顔になる。見つめ合った私たちは、少女の片方の手をそれぞれで繋いだ。少女を真ん中にして、母親を探す。
「おにーちゃんとおねーちゃんは、婚約者なの?」
「まだだな。けど、なる予定だ」
「そうなの? 王子様とお姫様? えへへ。お似合いで素敵だね!」
私たちを見上げて問い掛ける少女の視線には期待が宿っていて、なんと答えていいか分からない私とは違い、イリスは、はっきりと答える。
小さな女の子を真ん中に、両方の手を繋いで歩くシルエットが、境内の石畳へと映っていた。親子のようなそのシルエットに、私は瞬いて、一度目を閉じ、微笑んだ。
少し歩くと、青ざめた女性が、祭り客へと次々に声を掛けている。間違いなくこの少女の母親だろう。
気付いた少女の表情はぱっと明るくなり、女性の元へと走って行った。私は追い掛けるように手を伸ばして。
「ママっ!」
「のぞみっ! どこ行ってたのっ! 一人じゃ危ないっていつも言ってるでしょっ! ……無事で、良かった」
心配が過ぎて声を荒らげる女性。けれど、次の瞬間には、泣き出しそうな笑顔で、少女を抱きしめていた。
「ママ。ごめんなさいっ! おにーちゃんと、おねーちゃんが連れて来てくれて……それで……う、うわぁぁぁぁんっ!」
少女を抱き上げた女性が、少女の持つ金魚に気付いて、私たちへ近付いて来た。
「お騒がせしてすみません。本当に……本当にありがとうございました。何かお礼を……」
「いえ。無事で良かったです。のぞみちゃんって言うんですね。ママに会えて良かったね?」
「ぐすっ……うん。のんちゃん良かったの……おねーちゃん。おにーちゃん、ありがとう」
「そうだわ。よければこのチケットをどうぞ。この境内の上に小さな観覧車があるんです。20時半にはこの天井が開いて花火が見えるんですけど、花火の時間は特等席になるんですよ」
母親が取りだした観覧車のペアチケットを、少女が受け取って、私達へ差し出して来る。私は微笑んで受け取った。イリスも私の真似をして、親子へ頭をぺこりと下げた。
「ありがとうございます。のぞみちゃんもありがとう」
親子と別れたあと、浴衣のレンタル時間が終わったので、私は社務所へ戻り元の恰好へ戻った。イリスがまた少し残念そうにしていたが、また今度ねと窘めて微笑む。
「はあ。楽しかった。久しぶりに夏祭り来たなあ。もうお腹も一杯になっちゃったし。でも、花火まではまだ時間があるね? どうしようか?」
――――18――――




