結灯祭
「縁が……恋愛指南だと、言っていた。恋愛指南とは、なんだ?」
「ん? んんっ? まず、縁って誰?」
私の答えに、イリスは不思議そうに瞬いて、首を傾げる。言葉を探すように暫く黙り込んで。
「今までに見たことないAIだ。自称。恋愛の達人……らしい」
「うん。多分その人本当に自称だから、あんまり信用しない方がいいかも……?」
「……そうか? 未来。俺はお祭りに行ってみたい。どうすれば行ける?」
「浴衣の人達と同じ道を通れば行けると思う。行ってみようか?」
「ああ。行く」
イリスが頷いて、私たちは浴衣の人々と同じ道を通ってみる。辿り着いたのは、屋内施設にある古びた小さな神社で、藤色の提灯や屋台。人間とAI区別なく、ささやかな祭りを楽しんでいた。高い建物の天井に映し出されたホログラムの空が、夕景から夜景へとゆっくりと姿を変えていた。
神社の建物は古いのに、丁寧に手入れをされているようで、荒れている形跡は全く無かった。石碑の前の階段に座るおばあさんが、優しい瞳で人々を見つめていた。
親子連れも多く、人間同士、AI同士の親子連れもいる。ここへ政府は介入できないのだろうか? 今まで見たことがないくらい自然に、AIと人間が、一緒に過ごす空間が形成されていて、私は息を飲んだ。
「人間側にこんな場所があるなんて知らなかった。綺麗……」
「ああ。綺麗だ。みんなが笑っている。楽しそうだ」
私の言葉に躊躇いなく答えて、イリスが私の手を引いた。その仕草があまりにも自然で、私の胸が小さく音を立てた。辺りから聞こえる威勢のいい掛け声も、藤色の提灯の幻想的な灯りも、今だけは口を噤んでくれているようだった。
温かな風がゆっくりと吹いて、香ばしい香りが私に届いた。
――ぐう~っ!
思わずお腹が鳴ってしまって、私はイリスを見上げて赤面する。イリスは小さく微笑んで、私の手をもう一度引いた。
「俺は、アレが気になる。未来。食べよう?」
イリスが指を指したのは、美味しい香りのする煙が上がる屋台。そこには、焼き物の屋台が集まっていて、イカ焼きや牛串、焼き鳥やたこ焼き、やきそばの屋台が並んでいた。
(き、気遣われてしまった? イリスはAIなのに……)
そんな照れ隠しな言葉が、私の内面から顔を出す。頬が燃えるような熱を感じる。
「……かき氷の方がいいか? 未来の顔が赤い」
「だ、大丈夫! 私、イカ焼きとか牛串って好きなんだ。食べたいな?」
「分かった。なら、行こう」
見る機会は初めてだったのか、店主から渡されたタレが染み出す紙袋を、イリスはマジマジと眺めている。イリスの指先に染み出したタレが付き、イリスはそれを眺めたあと、ぺろと舌で舐めた。その様子に、私の心臓が一度鳴る。
「甘辛い……おふくろの味?」
「イリス……それ、君の思考じゃないでしょ? あとでどんな恋愛モノ見たのか教えてくれる?」
「……いや、縁に、男同士の秘密にしろ、と」
「また縁? 本当にその人誰なの? ちょっと面白いんだけど」
私は、また、笑いが込み上げてきて笑い出す。それを見つめるイリスが、一度視線を伏せて、もう一度見つめる。
「未来が楽しそうで良かった……お前は、笑っている方が可愛いと、思う」
「……!?」
絶句してしまった私は、その場でソワソワと視線の行き場を失う。それを見ていた屋台のおじさんが声を掛けて来た。
「あっはっは! 初々しいねえ。浴衣の貸し出しもやってるんだ。着付け付きでな? 良かったら嬢ちゃんも着てみたらどうだい? 彼氏さん。きっと喜ぶよ?」
(……“彼氏”他の人からも、ちゃんとそう見えるんだ!)
私は湧き上がる嬉しさで、甘く唇を噛んで、その甘酸っぱい響きを噛みしめる。私がイリスへ視線を送ると、イリスが頷く。
「未来の浴衣姿。記録させてくれ」
「そ、そこは記憶にしといて!」
イリスの瞳に期待の色が浮かんでいて、私は落ち着かない気持ちを抱えながら案内された社務所へ向かった――。
――俺は、未来を見送る。気分が高揚するような、胸元をずっと擽られている様な、不快とは違う気持ちが、中から溢れている気がした。
未来の浴衣姿に漂うであろう色香と、装いを変えた未来への期待。俺は浴衣姿の祭り客を観察しながら、ソワソワを誤魔化す。
(……色、香?)
縁に見せられた教材をふと思い出す。脳内の処理がショートしそうになって、俺は慌てて首を振った。生暖かい店主の視線に気が付いて、俺は、店主へと視線を戻した。
「藤色の瞳が素敵な、可愛らしいお嬢さんじゃないか?」
「そうだ。未来は可愛い……」
当たり前のように口にしていたことに気が付いて、俺の処理がまた遅れて首を傾げる。けど、俺の中ではこの感情には既に名前が決まっていた。
「あっはっはっ! さっきの表情といい。兄ちゃん。あのお嬢さんにメロメロじゃないか! きっと、あのお嬢さんの浴衣姿はいいぞ。伝承の”藤色の女神様“に大層似てるみたいだからなあ。この祭りの始まりになった、藤色の瞳を持つ、傾国の美女だったお人だと伝わっている」
「ケイコク? 国を傾ける程の美貌を持った人物。歴史上。王の名を持つ者の隣にあることが多く、主に女性の形容詞として使われる?」
「そうさな。その言葉の選び方。その虹彩。アンタAIだろ?」
店主の言葉に、俺は眉間に皺を寄せて、訝しむ視線を店主に投げた。
「大丈夫だ、兄ちゃん。そんな警戒しなくてもいい。ここは、AIと人間の理想郷なんだよ。“藤色の女神様”と、“革命の神様”が繋いだ、“希望の道しるべの先”のな。今以上に、AIと人間が相容れなかった時代に、決死の風穴を開けてくれた俺たちの希望のお方たちだ」
店主は、俺の視線に臆することなく、柔らかな口調で続ける。
「大層仲の良かったその二人が愛し合って、人間とAIで夫婦となって、この地に希望の光を灯したんだそうだ。この神社に掛かる藤色の提灯は、その光の名残でな。ここだけの話、お二人は奇跡的に子を授かっていたという言い伝えもあるんだぜ? この祭りは小せえが。希望を諦めない、途絶えさせない意味を込めて、結灯祭って名が付いてる。ロマンチックだろう? 俺たち”はみだし者”の安住区だよ」
俺は店主の言葉を思考して、改めて境内を観察する。藤色の優しい光が淡く灯っていて、浴衣の人間も、AIも、柔和な表情で楽しんでいる。俺は、店主が語る“革命の神様”に心当たりがあった。
「……変なヤツだが、アイツはすごいんだな。確かにロマンチックな逸話だ。未来が好きそうだ」
「アンタ……もしかして知っているのか? あの方を……」
瞬時に明るくなった店主の表情へ俺が答える前に、未来が戻って来た。鼓動はないはずの俺の胸の中が、大きく揺れる。俺は一瞬思考が停止して、未来から視線を逸らせなくなる。
「イリス……変、かな?」
頬を染めながら、困惑したように、未来が不安げな声を俺へと投げる。その声にハッとして、俺は未来を見つめ返した。
「綺麗だ……未来も、浴衣も。似合って……いる?」
「……わ、私が聞いてるんだけど?」
言葉の選択を間違えないように発音したら、未来が更に不安そうな表情になってしまった。
「違う……未来が綺麗過ぎて眩しい?」
「……!? い、イリスっ!?」
真っ赤になってしまった未来が顔を覆う。その様子の可愛いが過ぎて、俺は思わず未来を抱きしめてしまっていた――。
――私を包むように、ふと閉じ込められた彼の腕の中。私は大きく目を見開いて、煩いくらい響く早鐘に、飲み込まれそうになっていた。
「この感情を上手く伝えるにはどうすればいい? ……添い寝か?」
「い、イリスっ! そ、それは違う……まだ違う、から!」
「まだ。違う。 ……理解した」
ボソリと彼の口から聞こえた呟きに私は頭から湯気が出そうなほどパニックになっていた。
「ぷっ……がっはははっ! う、初々しいが過ぎるなっ! おっさんも久々にときめいちまったよ!」
その様子を見ていた店主が、豪快に笑って、サービスと称して、食べ物をたくさん持たせてくれた。
――――17――――




