告白
「眩し……久し振りに外、出たかも。中立都市で過ごしていた日々の方が、もしかしたら夢だったんじゃないかな? 私なんかが候補生って大体おかしいもん。こんなに馴染めないはみ出し者なのに……」
人間側の居住区に居るのは、感情を持たない動物型のAIたち。時折人間のサポートとして働く人型のAIは居るものの、その数は人間よりも圧倒的に少ない。
監視らしい監視の目はなく、何事も起きない日常が、ただ延々と繰り返される。そんな平和過ぎる場所。それが人間側の居住区だ。
「けど、この風景を懐かしいって感じてる……でも、中立都市も、イリスも……夢じゃない……私は憶えてる」
統治された綺麗過ぎる街とは違う。けど、こんなにも人間とAIの扱いが違うのは、どうしてなんだろう。その風景のあまりの差に、つい邪推をしてしまう。
買い出しの途中に、懐かしい公園へ立ち寄った。孤児院から一番近いこの公園。私は一人でよく遊びに来ていた。
(やば……熱中症かな? 少し、気持ち悪い……)
しばらく引き籠っていたせいか、夏の日差しへの耐性と体力が極端に落ちているのかもしれない。私は公園の一番大きな樹の下の木陰へ移動して、静かに目を閉じる。
(少し休めばきっと大丈夫なはず……早く帰らないと夕食に間に合わないから、本当に少しだけ……――)
『――小さな女の子が、こんなところで、一人ぼっちで何をしているの?』
私は顔を上げる。顔に影が掛かっている背の高い男性が私を覗き込んでいた。表情は見えない。だけど、この優しい声を私は知っている。
きっとこれはいつもの懐かしい記憶の断片。私はそれを確信して、もう少しだけ回想へと浸る。
『逃げて来たの……みんなが未来を変だって笑うから。未来の血は混ざりものなんだって。混ざりものだから、未来にはお父さんも、お母さんも迎えに来てくれないんだって。ねえ、おじさん。混ざりものってなあに?』
『君の名前は未来っていうんだね? すごく素敵な名前じゃないか。混ざりもの? そうだね。それは、いいとこ取りってことじゃないかな?』
『いいとこ取り? おじさんは、どうしてこんなところで未来に話し掛けてるの? 院長先生が言ってた誘拐犯?』
私の言葉に、男性が、肩を震わせて楽し気に笑い出す。
『あははっ。誘拐犯か。それなら君は逃げなくちゃ? けど、僕はこう見えて、実はすっごくおじいちゃんなんだよ。君の足には追い付けないかもね』
『本当に? お父さんと同じくらいに見えるよ?』
『そうかな? それじゃあ、僕が君を迎えに行けば、僕は君のお父さんになれる? いいとこ取りはね、君のお父さんとお母さんの素敵なところを両方共君が持ってるってことだよ。宝物だね――』
「――……未、来……未来。大丈夫か? 俺の声は聞こえているか?」
私の唇に柔らかな感触が重なって、喉を通るスポーツドリンクの味。額に当たる濡れた感触は、ペットボトルを伝う水滴みたいだった。
私は微睡から引き戻されるように、ゆっくりと目を開けた。私の瞳にまず飛び込んで来たのは水色の瞳と、銀糸のような髪。鮮やかな色に私は顔を上げる。夢の続きを見ているのかと思った。人間区域への、無許可でのAIの訪問は重い罪に問われてしまうから。
彼の唇が濡れていて、私は少しの間を置いて、何が起こったかを理解した。
「……お、応急処置の範囲だ。悪い。許せ」
「い、イリスっ!? どうしてここに? 収容施設へ連れて行かれたって聞いて、私心配で。も、ずっと会えない、かと……」
私から視線を逸らす彼の表情が明らかに染まっている。声を掛けても動かない私を心配して、口移しで水分を摂らせてくれたのだろう。恥ずかしさで言葉が上手く紡げなかったけど、また彼に会えた嬉しさの方が勝っていて、私は思わず彼へと抱きついていた。
「やっと会えた。未来。だが、俺は戻らないといけない。目的を1つ果たしたら、早急に。怜士が困るから」
戸惑った風にしながらも、彼が私の頬へと触れて、私の潤んだ瞳を拭う。私の名前を呼んでくれるその声が。仕草が愛おしくて、私は彼をより強く抱きしめていた。
「……未来。好きだ。名前を貰ったあの時から、俺はお前の特別になりたい」
一度躊躇って、私の頬から震えるように掌を滑らせた彼が、私の背中へ腕を回して、遠慮がちに抱きしめ返す。私の耳元に落ちた音は、熱を帯びて、甘く震えている。
その声音だけで、体温が少し上昇した彼の頬が、私の頬を掠めただけで、その言葉の意味が私の中へゆっくりと広がっていく。温室で見たイリスの花のように、触れあって明かりを灯していく。
「……私も。イリスが好き。私はイリスを、男の人として見てる。もしかしたら、君と初めて出会ったあの会場からずっと」
思っていた以上にすんなりと、私は彼へと声を返していた。言葉にしてみると、それが当たり前みたいに、彼への想いがストンと私の中へ納まった。私たちは導かれるように顔を上げて見つめ合う。イリスが一度息を飲んで、私の唇へ親指でそっと触れた。
「未来……俺はもう一度お前のここに触れたい。いいか?」
「……うん」
目を閉じた。彼の温度が私の唇にもう一度留まって、彼の気持ちと一緒に、私の中へ確かに流れ込んで来た。擽ったくて、あったかくて、私の世界はいつの間にか全ての色を取り戻していた。
「ねえ。イリス。目的ってなあに? 収容されちゃってたんだから、許可とかは?」
「……ああ。無い。未来の大事な人に収容施設で会った。俺と同じ措置が決まっている人だ。だから、俺はお前とその人を会わせたいと思った。会わせるために未来を迎えに来たんだ」
「で、でも! 戻ったらイリスの記憶は消されちゃうんでしょう? だったら……!」
私の言葉を、指先で唇を抑えることで塞いだイリスは、私に悪戯っぽく微笑んだ。
「俺は、忘れない。忘れたくない……一番大事なことはきっと。だから未来、俺とデートをしよう?」
「で、デート!?」
彼が鑑賞したという恋愛モノの影響だろうか。今までの彼からは信じられない単語が出て来たことに、驚きと、気持ちの高揚するような甘さが私の胸を満たしていく。
「思い出作り……と、言うのだろう?」
「イリス……」
彼がその単語を選んだこと。それが彼の決めた答えなんだと思った。私は、泣き出しそうな気持になって俯く。その気持ちを察しているかのように、彼の掌が私の髪を撫で梳いて、私の旋毛に柔らかな熱を落とした。
「行こう。未来」
彼が私へ手を差し出した。私が彼の手を取ると、再会した温室の時と同じように、彼が私を引き起こす。けれど、今は恋人として、彼は私の隣へ立っていた。
私たちは買い出しを済ませて、一度孤児院へと戻り、再び外へと繰り出していた。私たちの手は自然と繋がれている。
「ところでイリス。どこに行くの?」
「……風の向くまま、気の向くまま。迷う時間が愛を育てる……らしい?」
「待って。突然どうしちゃったのイリス? よく分からないけど、まだ決めてないってこと?」
「要点を纏めるなら。そうだな」
真顔で冗談(?)を言うイリスの、いつもと違う様子に、私の頬は無意識に緩んでいた。彼の収容を聞いてから、私は初めて笑ったと思う。私たちが商店街を通り掛かると、浴衣の子どもたちやカップルが、商店街の裏手へと細い道を下って行く。
「あの服はなんだ? 布がひらひらして邪魔そうだ」
「あれは、浴衣だね。お祭りの正装(?)なんだよ。あれを着てお祭りへ行くと、いつもよりもお祭りが楽しくなるんだ。どこかでお祭りをやってるのかもね?」
「お祭り? 未来は、浴衣を着ないのか?」
「急に準備は無理かなあ……」
私の答えに、明らかにイリスがしょんぼりしていて、今までにない彼の反応に、私は思わず笑み声を零してしまう。
「なんでそんな残念そうなの? それじゃあ、次は着るね?」
「ああ。楽しみにしている。きっと装いを変えた未来は美しい。と、思う」
「またそんな感じ!? ちょ、本当にイリスどうしたの?」
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