試練
私はあの日からイリスに会えていない。真面目に学部の授業を受けているだけならいいんだけど。いつも隣にあった彼の存在が隣にない。そのことに慣れることは出来なかった。
候補生として3か月に1回程度の生活状況、態度調査。聞き取り調査。最近はその頻度が以前よりも増えていた。ちゃんと期日までに答えないと呼び出しを受けて、窓のない部屋で教授から直接聞き取りを受ける。私は溜息を吐いて、部屋から解放されたことに少しだけホッとしていた。
読書でもしようかと気分転換に図書館へと向かう。AI種禁制の学院図書館。そこで久しぶりに怜士とばったり会った。私の顔を見た怜士が気まずそうに、私の前から逃げようとする。私は怜士に後ろから抱き着いて、彼の動きを止める。彼の背中越しに、彼が息を呑んだのを感じた。
「怜士。ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
「……分かった。観念する。俺の心臓が持たないから、一旦離してくれ未来」
俯いた彼の頬。その耳へ朱色が差していることに気付いて、私は慌てて彼から離れた。久しぶりにまともに顔を合わせた彼が、少しだけ大人びていたから。
「ご、ごめん。けど、怜士。最近私のこと避けてたから……ちょっと寂しかったよ」
「悪かった……お前について調べていて忙しかったのと、あまりお前に聞かせたくない話を聞いてしまったせいで、未来と顔を合わせ辛かったんだよ……」
私たちはカフェテラスの席へと座って、向かい合う。怜士はどうやら、私の履歴ログがやたらと詳細だったこと、私の家族についてを約束通り調べてくれていたそうだ。
怜士の話によると、学園から調べられるものに関しては、私の家族情報全てが機密扱いになっており、閲覧が不可なこと、この間の情報と同じように調べることがタブー視されているように厳重だということ。
孤児院の私の情報が火事で焼失していること、院長先生の記憶の中には、私が、誰かに引き取られた過去が曖昧に残っていること。
怜士の高祖父の研究資料の中に、端が焼け焦げた家族写真一枚だけ残っていたこと。怜士は、それを私にも見せてくれた。映っていた子どもは男の子だった。写真の左側3分の1だけが、意図的と思う位に綺麗に焼け焦げている。この写真に写る小さな彼が、きっと隠された子どもなんだろうと思う。彼の瞳の色も、母親このはさんと同じ藤色だった。
その写真の怜士の高祖父のパートナーの下の名前だけ、怜士の家系図外の全ての情報は何故かローマ字で“KONOHA”と表記されていたことを教えてくれた。
「お前のログがやたらと詳細な原因は結局分からなかった。調べてみると、お前がこの学院へ入学した時から詳細だったことだけは分かった。お前は元々なんらかの理由で監視対象だった可能性がある。もしかしたらP-0009Mとのことで、体制を強化されたのかもしれない。聞き取り呼び出しの頻度が上がっているだろう?」
「そうなの……普通に生活してても、先生たちの視線を感じることがちょっと増えてて、怖いなって。私、何かしちゃったのかな? イリスとも最近会えていないし」
私がその名前を出すと、怜士の表情が曇り、黙り込んでしまった。
「怜士? 何か知ってるの?」
「…………」
怜士は私を見ない。葛藤をしているような、苦し気な表情で、怜士が絞り出すように呟いた。
「そのイリスというのがアイツを指すのならば……いや、やっぱりお前は知らない方が……」
「駄目っ! 教えてっ! 彼に……イリスに何かあった、の?」
私の、いつもよりも低く出てしまった声は震えていた。カフェテラスは冷房が効いているはずなのに、何故か湿度の重みを感じた。
私は怜士を逃がさないように彼の腕を掴んで、彼の瞳をジッと見つめる。決して逸らさない。逸らせなかった。
「……お前との政府規定違反の疑いで、記憶消去措置が決定している。今アイツが居るのは、AIの留置所だ……措置は一週間後」
「それは、犯罪AIに対する措置でしょ!? どうして彼が! イリスは何もしてないのに!」
私は、感情のままに怜士を責めてしまう。けど、唇を噛みしめながらも、私の視線を怜士は黙って受け止め続けている。そうしなくてはいけないと思っているかのように。
怜士は無言で中立都市に所属するAIのデータベースの画面を私へと差し出す。昨日までは普通に見れたイリスのプロフィール画面へのリンクが消えていて、記憶消去措置の日付と、廃棄予定の文字だけが目に留まった。
「そんなっ! どうにか出来ないの? こんなのおかしい……おかしい、よ……っ!」
「政府の決定は絶対だ。俺たち候補生ごときには覆せない……俺も、決定が下りるのを早過ぎると思ったんだ……でも……」
目頭が熱くなった私は、小刻みに震えて、そのまま全身の力が抜ける。椅子から崩れ落ちてしまった。慌てて支えてくれる怜士の腕の中。安心だったはずのその場所は、知らない場所のようで、私の冷えた指先は、彼の腕を弱々しく掴むだけで精一杯だった。
「未来……」
――血の気の引いた未来の顔。いつも明るい未来の藤色の瞳は俺を捉えることはなく、虚空を見つめて濡れていた。その、あまりに強い動揺と静かな焦燥が、俺の胸と頭を急速に冷やす。
俺の背中を流れる汗が異様に冷たくて、腕の中にいるのは俺の知らない未来だった。未来の中のアイツは、未来を壊してしまうほどに、未来の中にいたのだろうか……?
いや、違うな……未来を壊したのは俺なのかもしれない――。
俺は未来に何も出来なかった。ようやく未来を部屋へ送ったが、自分の部屋までどうやって戻ったのか、その日の俺は覚えていなかった。
後悔と自責の念に駆られてしまった俺は、まだ情けなく未来を諦めることが出来ないでいた。
消去前の最終確認と称して、俺へと渡されたP-0009Mの記憶の一部を確認していた。統合処理が不完全な影響か、P-0009Mの記憶領域は八割ほどが未来との記憶だった。
(……コイツは未来を騙していたのか? コイツの記憶の中の未来は、ほとんどが笑顔だ。多少のズレはあるものの、やり取りの中には、感情の片鱗が見えている気がする――)
政府の方針と、長年の俺の疑念。それこそ俺の高祖父の代以降に受け継がれてきたAIに対する概念が揺らぎそうになる。俺はもう少し、高祖父についても調べてみようと思った――。
――俺に与えられた部屋は暗かった。AI用の独房だと教えられた。特にすることもなくて、俺は寝台へ仰向けに転がる。
時折隣の独房から聞こえる賑やかな音が少し不快ではあるが、思考の整理をするには、この部屋の静けさは最適だった。
(俺が突然消えて、未来は大丈夫だっただろうか?)
未来の泣き顔がふと思考を過って、俺はゆっくりと瞬いた。その時、微かな電子音がして、俺の部屋の壁に頭一個分程の穴が開いた。
俺は身を起こして、そちらへと目を凝らす。そこには無精ひげを蓄えた男がこちらを覗いていて、手を振っている。
俺は後方を確認するが、この独房は一機用だ。他に誰かいるはずもなく、俺はその穴へと近付いた。
「や。お隣さん。初めまして。僕は旧型AI。EL-001R。結城 縁だよ。通称革命家AI。ちょっと格好いいでしょ?」
流暢な言葉、仕草、反応。飄々と俺に話し掛けて来る様が人間染みていて、見たことのないタイプのAIに、俺の思考は困惑する。
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