予兆
――僕は、一人きりの真っ暗な部屋で、温かな夢を再生していた。壁に凭れ掛かりながら、目を閉じて上を向く。僕の左手の薬指には、弱い月光を反射して鈍く光る銀色のリング。
『うん。準備OK。ちゃんと撮れてるよ。希の成長記録。手を放してみて歩乃架?』
艶やかな黒髪で色白。日本人には珍しい藤色の少し大きな瞳を持つ、華奢で線が細い彼女。少し不安げに幼い男の子の手を離す。結城の姓を持つ彼女は僕の愛する奥さんだ。
『お父さん。見て~。ボク、上手にできるようになったんだぁ』
『危ないわっ! 縁! 希が道路に出ちゃうっ!』
『おっと! 大丈夫かい? 希の命は大切なものなんだから、気を付けないと? 僕も、お母さんも、希が居なくなったら悲しいよ』
両手を口元に当てて、息子の危機に恐怖を滲ませている彼女の左手の薬指にも、僕と揃いの銀色のリング。あの時僕が抱き寄せたのは、彼女とよく似た藤色の瞳。結城 希。黒髪のこの子は僕の可愛い息子だった。
『悪ぃ悪ぃ。ちょっとやんちゃさせ過ぎたか? けど、希がお父さんに見て欲しいんだってはりきってたからさ。あんなに小さかったのにな。大きくなったもんだ』
『もう! ちゃんと希を見てって、私言ったわっ! あなたの孫に怪我をさせないで!』
『歩乃架。啓人も悪気があったわけじゃきっと無いよ。希が無事で良かった』
『もうすっかり家族だな。美人な奥さんとの仲を取り持ってやったこと、感謝しろよ。縁?』
『うん。感謝してるよ。親友がお義父さんっていうのにはまだ慣れないけどね』
明るく歯を零して笑う、40代後半の小麦色の肌の彼は、渡貴 啓人。革新的な考え方の彼は、研究室で少し変わり者扱いをされていたけれど、どんな時にも僕の味方でいてくれた僕の親友だった――。
「――未来……ごめん、ね」
「お父さんっ!」
私は、悲しい夢で目を覚ました。勢いよく起き上がった私の左腕は、何かを掴むように伸ばされていて、私の頬から落ちた冷たい雫が、布団にシミを落としていた。私は藤色のぬいぐるみを抱きしめる。だけど、胸を覆う不安感を拭うことは出来なかった――。
――薄暗い会議室の大きなディスプレイ。そこに映るシルエットの輪郭はぼやけていてはっきりと確認出来ない。俺は頭を下げたまま、そのディスプレイから出力される合成音声を聞いていた。
『渡貴君。君はこの学院で、一番優秀な候補生だと聞いている。君の報告は本当かね?』
「……はい」
『やはりか。こちらでもP-0009Mの最近の動向について洗い直してみたが、記憶の統合処理において不完全な部分が大いに影響をしているようだ。君のご先祖の二の舞にならぬよう、監視の強化と、異物の排除が最善だと上層部へ報告しておく。今後も動向を報告してくれ……プツン――』
合成音声独特の冷たい口調。ディスプレイが消えたことで、会議室の暗さが深さを増した。俺は闇に沈んでいくような不快な錯覚に、極小さく舌打ちをして、会議室の扉を潜った――。
――朝見た夢が気になって、私はなんとなく、学院の図書館へと来ていた。この間イリスの花を見に行こうとしていた時は、あんなに楽しい気持ちだったのに、なんだか今日は図書館の空気が重い。天井まで積み重なる本を見上げる。本の整理や、管理。保全をしている蜘蛛型のAIたち。
その圧迫感に、私は大きく息を吐き出して、候補生専用の端末へと手を伸ばし、候補生カードで自分のページを開いた。この図書館内は人間の候補生だけが利用出来る。人型のAIの立ち入り禁止区域。ここにイリスがいない。なんだか不安で仕方なかった。
「未来? こんなところでどうした?」
後方から掛けられる優しい声、私が振り返ると、怜士と目が合う、一瞬彼が気まずそうに目を逸らしたのがなんだか気になったけど、彼の存在になんとなく安心感を覚えている私がいた。
「怜士。あのね、随分久しぶりにお父さんの夢を見て、ちょっと気になったからお父さんのこと調べてみようかなって」
「あまり覚えてないけどって、時々俺に話してくれてたな。どんなところが気になったんだ?」
「悲しい夢だったの。私、どうやってお父さんとお別れしたんだっけって思って」
私が端末のプロフィール。家族構成の部分を見ると、私の育った孤児院の名前、“のぞみ園出身。両親不明”と表示されていた。私の記憶の中に確かにお父さんはいたはずなのに、その情報はない。入学方法も、自分で選んだと思っていたのに、“政府推薦”となっていた。
「あれ? お父さん……居たはずなの、に? それに私、推薦だっけ?」
「孤児院の院長先生じゃないのか? お前は俺と同じで推薦だったはずだぞ」
「そうなのかな? ……けど」
曖昧な記憶。図書館の壁に出資者として、名前と写真が連ねられている私の孤児院の院長先生。確かにその男性の顔を私は覚えているけれど、私の記憶のお父さんとは違う気がして、写真を眺める。その数人隣に、初代のぞみ園の院長だとされる女性の写真が飾ってある。
他の写真はいつもぴかぴかに蜘蛛型AIが磨いているのに、何故かその写真だけはいつも埃を被っており、その写真の人物をはっきりと見ることは出来なくなっている。かろうじて読める彼女の名前は、“結城”だ。
「怜士のは、ちゃんと家族構成あるんだよね?」
「ああ。あるな」
私の問い掛けを受けて、彼が自身の端末で、彼のプロフィールを出してくれる。彼の家族構成には、ちゃんと両親と親戚の名前が“写真付きで記載”してある。
「そうだ。この間ちょっと家系図調べる講義があって、俺の家系図を見てみたんだが……この人、お前に少し似てないか?」
怜士がページを開き直し、見せてくれた画面。怜士の高祖父“渡貴 啓人”の配偶者として並ぶ女性の写真。“渡貴 このは”。怜士の高祖父とは再婚と表示されているが、確かにその女性のぼやけている写真の容姿は、なんとなく私に似ている気がした。
「それと、連れ子アリってなってるんだが、結婚した年に子どもは亡くなっているらしい。他の人には死因まで載ってるのに、この連れ子だって言われてる人に関してだけは写真も、名前もなくて。死因を調べようとすると政府機密って画面に飛ばされるんだ。アクセスを試みた瞬間警告音も鳴るし、こちらの利用者情報の収集が開始されたって通知も来る。この情報に関してだけ、俺のページのはずなのにやたらと厳重なんだよな。俺の親戚に訊いても、この子どものことを知ってる人間は、俺の知る限りいなかった」
「そうなんだ? まるで隠されてるみたいだね。私の家系図にもなんかあるかな?」
私は、自分の端末で家系図を調べる機会はなく、この怜士との会話で初めてそのページを開いてみた。私の行動履歴やAIとの接触履歴のページを覗き込み、怜士が訝し気に私の端末を眺めていた。
「あれ? 政府機密によりアクセス不可?」
「未来が孤児だからか? けど、この学院にかかれば、お前の身元なんて簡単に調べられそうだよな。なのに両親は不明のまま、お前の家系図は政府機密……?」
「……両親が“不明”なら、家系図も“不明”って表示されてもいいはずなのに、どうして政府機密なんだろ?」
私が、更に調べようとすると、けたたましい警告音がなる。私は端末を取り落としそうになり、慌てて画面を閉じた。図書館を利用していた候補生達の視線が一斉に集まり、蜘蛛型ロボットの赤いランプがこちらを睨みつけるように点滅する。私と怜士は頭を下げて足早に図書館を出る。
「分からないが……お前の行動、AIとの接触履歴は、俺のよりも細かいぞ」
「え?」
廊下に出た私は、もう一度、ホーム横に表示される私の行動履歴を確かめる。怜士が同じページを見せてくれたけど、確かに私のは日付だけではなく、時間と場所、AIとの接触時間までも記録されていた。
私は、得体の知れない不安を覚えて端末を閉じる。落ち着かない、苦しい気持ちで怜士に向き直る。
「未来。昼に行くぞ。今はいい。俺が調べておいてやるから」
彼が自分の腕時計を指差して、私をランチへと促す。私の不安を察したのか、その声音は柔らかくて。いつも通りを意識してくれているようだった。
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