愛をなくした僕に、溢れるほどの愛をくれる彼の話。
前半→綴視点
後半→桜視点
視点が途中で切り替わります。ご注意ください。
「綴、もう大丈夫なの?」
翌朝、自室から出てリビングに下りてきた俺の前には、むうっと頬を膨らませて、いかにも心配してます。という態度を隠す気もないであろう桜の姿。
「もう、へーきだよぉ桜。心配かけてごめんね」
「絶対、無理すんな!」
もう二十歳超えているというのに、反抗期なのか? と思わなくもないが、そこがこの子の可愛い所のひとつ。
桜は縁の任務に俺と調が後学の為にと同行した任務先で、ギフト関連の事件の被害に遭い、虫の息だった桜の母親から託された子供だった。
当時二歳だった桜は母親が持つ能力によって眠らされていて、母親の最期には会えていない。
その後、桜の母親はすぐ病院へと搬送されたが、助からなかった。
桜をアジトへと連れて帰ってきて、次に目覚めた時。
「だれ……? ぼくのままは?」
「俺は、つづり。ごめんね、桜のママは今ここにはいないんだ……」
「なんで……? ままのところ、いく」
泣きながら、母親を探すその姿を俺は今でも忘れることができない。
「……まま……どこ? ……ままぁ――」
当時は俺も十三歳と子供で、どうしてあげればいいのか分からなかった。
とにかく泣き止ませてあげたくて、声を掛けてみながら後ろをついて回ったり、ぬいぐるみを渡してみたりと、俺は思い付くありとあらゆることを試した。
「んーぅ! はなして、いやっ」
だがどれもあまり効果を得られず、ダメ元で抱っこしてみると少しぐずったが、暫く背中をさすっていれば落ち着いてくれたように見えた。
「まま……かえってきて……」
俺の服を小さな手でぎゅうっと掴み、啜り泣きを続ける桜。
「泣かないで……桜、良い子だねぇ、大丈夫だよ」
俺は自分にも言い聞かせるようにして、桜へと声を掛け続けた。
「まま……」
暫くして、電池が切れたように泣きつかれて眠ってしまった桜を抱っこしたまま、その日は俺も眠りの世界へと旅立つことになった。
そして翌日。俺よりも先に起きていた桜は前日の夜とは違い、まるで何事もなかったかのように平然としていた。
幼いなりに状況を理解したのか、あの夜を境に桜は母親の話をしなくなり、その代わりだとでも言うように俺へと物凄く甘えるようになった。
ある日の昼下がり、調と一緒に学校の課題を進めていた時。
「……つづり」
「ん? どうしたの? 桜」
「だっこ……」
そう言って両手を伸ばして待つ、桜。
「ごめんね、桜。ちょっとだけ待ってくれる?」
「……や。いま、だっこして」
「えーっと……」
俺が少し困っていると、正面に座っていた調が吹き出した。
「ふはっ、綴、丁度いいし少し休憩にしよう。俺飲み物取ってくるから、その間に桜のこと構ってあげなよ」
「ありがとう、調」
「いえいえ、綴、飲み物は何がいい?」
「オレンジジュースがいい!」
調はそう言って、飲み物を取りに行ってくれる。
「桜、おいで。どうしたの? 寂しくなっちゃった?」
桜の脇のところに手を入れて持ち上げる。
腕の中にすっぽりと収まった桜は、俺の胸元に猫が甘えるようにして擦り寄ってから、顔をうずめた。
「……うん」
「そっか。桜、すぐ気付いてあげられなくてごめんね」
「つづり、ずっと……だっこ」
「いいよぉ、ずっとぎゅーしてようね」
いつの間にか戻ってきていた調に、言われる。
「すっかりいいお兄ちゃんだな、綴」
「でしょー? 桜、かわいいからねぇ」
全身全霊で甘えてくる桜の温もりに、俺自身も救われていた部分が大きい。
「つづり!」
またある時。俺はリビングのソファで小説を読んでいたのだが、俺の名前を呼ぶ小さい子特有の元気な声が聞こえ、本へと落としていた視線を上げる。
ぱたぱたと走ってくる桜。俺は内心転んでしまわないかと心配になるが、そんな心配をよそに桜は俺の膝まで辿り着き、小さな手足で懸命に登ろうとする。
「んしょ……」
「だっこする?」
「じぶんで、のぼるの……」
手を差し伸べようとしたが、首を横に振られてしまえば手を出すわけにもいかなくなり、いつでも防御態勢を取れるようにと準備しておく。
「のぼれた!」
満面の笑みを浮かべ、俺に体重を預けるようにしてぎゅうっと抱きついてくる。
ある程度くっついて満足したのか俺に背を向けて、俺の手を掴んで遊び始めた。
その様子はご機嫌そのもので、まるでここは自分の特等席なのだとでも言うように嬉しそうにしている。
俺は、それが可愛くて堪らなかった。
「つづり、だっこして!」
「ねむれないから、だっこ……」
「つづりの上、のぼる!」
小さな手を目一杯のばして抱っこをせがんできたり、眠れなくてぐずったり、無邪気な笑顔ではしゃいでたと思えば俺の膝に登ってきたり。
俺としては、甘えてくれるのは嬉しい。だけど、それが母親を求めてなのだとしたら……俺はずっと、複雑さを抱えていた。
あの時、もう少し早く現場に着いていれば。
もっと早く、見つけていれば。
桜の母親が死ぬ事は、なかったのではないか。
この子から、母を奪わずに済んだのではないか。
桜が二十歳の誕生日を迎え、祝にとお酒を酌み交わした時。
「僕ね、実はずっと母さんの事忘れてたんだ」
「え……そう、だったんだ」
正直、この発言には驚かされた。
今思えば本人なりの自己防衛本能だったのかもしれないが、この時の俺は忘れていたとは考えもしていなかった。
「うん、思い出したのは最近。でもね、ずっと綴がそばにいてくれたから、全然っ! 寂しくなかったよ」
その言葉に、目頭は熱くなってしまう。
「だから、その……ありがとう。これからも、よろしくお願いします……」
少し照れた様子で言う桜は、それを誤魔化すように手元にあったお酒を呷った。
「うぇーにがい……」
顔をしかめて舌を出すその様子に、つい笑ってしまう。
「そのうちに、美味しさがわかるようになるよ」
そんなまだ幼さの残る所に少しだけ安心してしまったのは、親バカが過ぎるだろうか。
でも本当に、大きくなったなぁ。子供の成長とは、本当に感慨深いもので。
あの時。そんな何気ないやり取りに、親になったことなんてないのに嬉しいけど、寂しい――。
その少し複雑な気持ちを分かってしまったような気がした。
「綴?」
不思議そうに、覗き込んでくる桜。
「本当に大きくなったね、桜」
「もぉ、なにー? 急に……」
手をのばして頭を撫でてあげれば、口では少し嫌がりつつも嬉しそうにしていて、猫みたい。
この子が必要としてくれていたから、桜の小さな手が俺をこちらの世界へと結びつけてくれていたから、俺はここまで走り続けることができたのだと思う。
――――――――――――――――――――――――――
綴は、とにかく優しい人。僕は、綴以上に優しい人を見たことがない。
僕には、両親に関する記憶がなかった。
物心ついた時にはすでに綴がそばにいてくれたから、あまり寂しさを感じたことはない。
小さい頃の僕は、綴に抱っこしてもらうのが何よりも好きだった。
甘えたい時は優しく抱きしめてくれて、眠れない時は僕が眠るまで背中を撫でてくれる。
自分の感情をうまく処理できなくて、涙が止まらない時も綴は嫌な顔なんてひとつせずに受け止めてくれた。
「おいで、桜」
そう言って手を広げた綴の胸に飛び込めば、ぎゅうっと抱きしめてくれる。
――僕にとって、世界で一番大好きな場所。
温かい腕の中で甘く優しい声が聞こえると、凄く安心できた。
綴が座っている時に、膝の上によじ登れば笑って頭を撫でてくれて、好きにさせてくれる。
僕には綴がいたから学生時代に友達の話を聞いたりしていても、自分に親がいないということを疑問に思うことはなかった。
僕が母さんの事を思い出したのは、高校を卒業してすぐの頃。
初めての僕一人での単独任務。
その内容は今は使われていないはずの倉庫を根城に、人身売買を行っている集団の殲滅が目的。
当初、敵の想定は数人のはずだった。
だけど蓋を開けてみれば、相手は数十人の大所帯。
圧倒的に、数では不利な状態。
だけど僕は、ここから逃げ出すわけにはいかない。
僕は自分の能力である血花操術を使い、制圧しようと技を繰り出す。
「血花螺旋――」
僕の周囲に、指先からこぼれ落ちた血液の花が螺旋を描き舞う。花弁は鋭い刃となり、その矛先は相手へと向かう。
轟、と音を立て血の花は空気を巻き込み、竜巻として姿を変えて敵へと襲いかかる。
血花操術はその名の通り、血を媒介に花びらを創り出す能力だ。
そして僕は戦術を広げるため、少し前から和と湊に協力してもらって広範囲技のアイデアを形にしようと、試行錯誤をしていた。
複数人を相手にするこの任務は、それを試す絶好の機会――。
その日は凄く調子が良かったのもあって、僕が思い描く通りに出来るような気がしていた。
「血雨降花――」
思っていた通り、うまく形にすることができた。
今まで、何度挑戦しても出来なかったというこの技は、上空に自らの血を撒き硬化させ、雨のように降らせるというもの。
――楽しい。自らの血が花へと姿を変える瞬間に、快感となって僕の体を満たしていく。
体温が上がり、血が沸き立つような感覚。
今いる戦場がまるで舞台のように見えて、僕はその中心で踊っているみたい。
自分が描いたイメージの通りに出来るのが楽しくて、つい調子に乗ってしまった自覚はある。
ふと、足元が揺らいだ。喉の奥が乾ききったようにうまく息が続かなくなり、視界がじわじわと白に包まれていく。
キーンと甲高い耳鳴りの音が、頭の中に響き渡る。それを認識した時にはすでに膝が崩れていて、見えている世界が数段低くなった。
ぐらぐらと揺れる視界を抑えるため、片手を地面へついた。
――まずい、能力を使いすぎた……。
「桜!」
聞き覚えのある声が聞こえたが、僕の意識はそこで途切れた。
次に目覚めた時、視界に映るのは見慣れた天井――。
僕は自分の部屋のベットに寝かされていて、そばの椅子には和が座っていた。
「あ、よかった。目が覚めたんだね、桜」
「あれ、任務は……?」
「敵は制圧できてたらしいよ」
「そっか……よかった」
「よくない。技の使いすぎでぶっ倒れた桜を、偶々近くで任務だった調が見つけて連れて帰ってきてくれたから、桜は貧血程度で済んでるんだよ?」
普段、温厚で怒った所なんてみたことない和の言葉に、事の重大さを突き付けられる。
「……ごめんなさい」
ふんっ! なんて音が聞こえてきそうな和の様子に、どうしていいかわからなくなる。
その時、扉が開いて綴が入ってきた。
「まぁまぁ和、気持ちは分かるけど、桜もちゃんと反省してるみたいだからそれくらいにしてあげて?」
綴が珍しく感情を高ぶらせている和を、優しく宥める。
「でもね……桜、今日の任務は本当に危なかったから、もう絶対に無理しないって俺と約束できる?」
「……うん、もう絶対にしない。ちゃんと約束する」
「うん。約束ね、桜」
優しく微笑んだ綴は、僕に小指を差し出してくる。その小指に自分の小指を絡めて、指切りをした。
「もぉー! 綴は、桜に甘すぎるよ! 綴にそう言われたら僕、これ以上怒れない!」
「ははは……まぁ、そうだねぇ。和は、桜が心配だったんだよね。桜のために怒ってくれてありがとうね」
少し困ったように笑いながら、和の頭を撫でる綴。
「……なごみ、心配かけてごめんなさい……あと、ありがとう……」
「……うん、僕すごい心配したんだからね……」
和はふいっと横を向いたままだったが、どうやら許してくれるみたいだ。
タイミングを見計らうようにしてまた扉が開き、今度はお盆を持った調が入ってきた。
「桜、雑炊作ったけど食べられそう?」
「うん……調……は、僕のこと怒らないの?」
「怒ってほしいのならそうするけど……桜はもう、きちんと反省したんでしょ?」
「……うん」
「なら、俺は怒らないよ。でも無理はしちゃだめ」
「……はい……ごめんなさい、調。助けてくれてありがとう」
「どういたしまして」
綴とは違う大きな手に、頭を撫でられる。僕はそれが少し気恥ずかしいけど、それ以上に嬉しくて。
「これ食べたら、もう少し眠りな。まだ本調子じゃないだろ」
「そうだよ、桜。しっかりごはんを食べて、いっぱい眠って血を増やさないと」
調と綴は順番に僕の頭を撫でてから、部屋を出ていった。
調、曰く今回の任務は敵が金目当ての素人で、不良に毛が生えたくらいのやつらだったらしい。
一人部屋へと残っていた和に、そう言われた。
「……なんで応援を要請しなかったの? 桜の実力は本物だよ。それは僕以外もきっと思ってる。だけど、あれだけの人数を一人で相手にするのはリスクを伴う。もし相手が手練れだったら、命はなかったかもしれない」
「調が顔面蒼白な桜を担いで帰って来た時、僕は凄く怖かった」
和は震える声で、そう言った。
「僕は、桜や皆んなみたいに前線で戦うことは出来ない。それに、体もそこまで丈夫にはできていないから……場合によっては、助けられないかもしれない。それが僕は怖いんだよ……」
苦しそうに、ぽつりと言葉を紡ぐ和。
いくら治癒という強力な能力を持ってたとしても、簡単に血液まで増やせるわけではない。
血液を増やすということは単に「傷を治す」以上に、生命維持や蘇生に近い領域になる。
その行動は限りなく、神の所業に近付いてしまう。
そうなれば和の体には、非常に大きな負担が掛かることになる。
必要とあらば和本人はそんな事を躊躇わずに使うというが、周りはそれを良しとはしない。
だからリヒトのメンバーは和がいるとはいえ、極力怪我をしないようにと、殆どが無意識のうちに気を付けている。
多少の怪我なら、自然治癒で治すことのほうが圧倒的に多い。
「……本当に心配かけてごめん、和」
「いや……僕の方こそ、しつこく言ってごめんね」
「和が謝らないといけないことなんてないよ。僕の自覚が足りなかっただけだ」
「……とりあえず寝な、桜。僕がそれ片しとくから」
「うん……ありがとう、和」
雑炊が入っていた小さな土鍋の乗ったお盆を、和が回収してくれる。
「おやすみ、桜」
「おやすみ」
そう言ってくれた時には、いつも通り柔らかい雰囲気の和に戻っていた。
一人になって静寂に包まれた部屋で目を閉じれば、とろりと意識は溶けていく。
そしてその夜、見た夢が母さんとの記憶。といっても、物心つく前の記憶なんてものは朧気な物の方が多く、断片的だった。
僕は母さんのことを、殆ど知らない。
「桜――」
夢の中では名前を呼ばれて、抱きしめられたような気がする。
翌日の朝、目覚めた時――。
胸の内が少しだけざわついていたが、不思議と泣きたいほどの懐かしさも、強い恋しさもなくて。
こんな事を言えば、薄情だと言われてしまうかもしれない。
普通ならもっと母を求めたり、愛したりするものなんだろう。
けれど僕に、その時間はなかった。よく覚えていないから、強い思い出もない。
それでも、ひとつだけ思うことはある。
産んでくれてありがとう。
そうじゃなきゃ、僕はここにいられなかった。
その感謝の気持ちは、本物。だけどそれ以上は、何も思わない。
――母さんは僕を生んでくれたけど、僕を残していなくなった人。
僕を育て、支えてくれたのはずっと、綴だ。
だから必要以上に心配はかけたくないと、綴にも夢の事はずっと言わずにいた。
なのにあの日、お酒の力もあって楽しくなってしまった僕の口から、ぽろっと零れ落ちてしまったのだった。
言ってしまってから、しまった。と思っても時はすでに遅く、驚いた表情の綴。
だからそれを誤魔化すためにその上から言った、本当は伝えたいけど恥ずかしくて、中々言えない感謝の言葉を伝えれば、綴は一瞬泣きそうな顔をした。
もしかしたら綴は母さんを死なせてしまったことに、ずっと責任を感じていたのかもしれない。
だけど、悪いのは綴じゃない。
それに、俺はこの年まで立派……かどうかは分からないけれど、育ててもらった。
親という言葉を僕が使うなら母さんではなく、綴なんだと思う。
だから、そんな顔はしないでほしい。僕は綴には、笑っていてほしい。
その為に飲めもしないお酒を一気に呷ったが、アルコール特有の苦味と、何とも形容出来ないぐわっとくる感覚に襲われ顔を顰めてしまう。
だけど、そんな僕の様子に綴は笑ってくれた。
まだまだ頼りないかもしれないけれど、僕はこの優しい人を支えられるくらい強くなりたい。
早く大人になりたい。なんて言えば、ゆっくりでいいのよ。と言われてしまいそう。
だけどその両手いっぱいにたくさん抱えているであろう重たい物を、ひとつでも僕が受け取ることが出来れば。
そのために、必死で訓練を積む。
「綴、本当に無理はしないでね」
「わかってるよ、桜。だいじょーぶ、お兄さんが桜に嘘ついたことなんてないでしょ?」
「え? どうだろう……」
「ちょ、そこはすぐに、そうだなって言ってよぉ」
もぉー桜。なんて少し頬を膨らませて軽くふざけながら言っている綴の様子は、いつも通りで安心した。
「桜、今から任務でしょ? 気をつけて行っておいでね」
「はーい! 頑張ってきます」
「桜、これ持っていきな」
「うわっ……びっくりした、ありがとう、調」
小さい包みを投げられ、それを咄嗟に受け取れば綴とはまた少し違う、優しい笑顔を向けてくれる調。
「調、俺の分はー?」
「お前の分は、ない」
「えー、調のいじわるぅー。桜、いってらっしゃい!」
「いってきます!」