僕を外の世界へと連れ出してくれた彼の話。
前半→綴視点
後半→和視点
視点が途中で切り替わります。ご注意ください。
25.8.31 加筆修正しております。
僕を外の世界へと連れ出してくれた彼の話。綴→和
――視界一面に広がる、赤。
自分の両手にもべったりと付着しているそれを認識した時には周りの音は遠くなっていて、頬には冷たく硬い感触がした。
視界は少しずつ黒く塗りつぶされて、鉄のような血の匂いは濃くなっていく。
自らの能力を使いすぎた代償として流しすぎた血は、もう立っている事すら許してくれないようだった。
「つ、……り、」
遠くで誰かが、俺のことをよんでいる。
また、あの時の燎のように心配かけてしまうのは、嫌だなぁ。
そんな他人事のような、思考――。
気を付けていたはずなのに――。
やはり、俺は失敗作だから駄目なのだろうか――。
のばしかけた手は、力なく地面へと落ちてしまう。
俺は自らの影に引き込まれていくような感覚を覚え、そのまま意識は深い暗闇に飲み込まれていったのだった。
闇の中を漂っていたはずなのに柔らかい光が差し視界は、開けた。急な光は眩しくて、世界が白む。
「調! お菓子ちょーだい」
可愛らしい声が聞こえてきて、俺はそちらの方に視線を向けた。
徐々に定まる視界へと映った愛おしい姿に、つい笑みがこぼれてしまう。
「悠、燎との特訓はもう終わったの?」
「終わったよ! 俺、この間よりうまくできた!」
星屑を散りばめたように美しい銀色の髪を揺らして、溌剌と言う悠。
「そうなんだね、よく頑張りました。これ桜の分もあるから、持っていってあげて。今は多分、和の所にいると思うから」
そう言いながら調が、悠の頭を優しく撫でる。
「わかった!」
元気な返事をしながら走っていく悠の背中に、調は声を掛けた。
「ちゃんと、二人で仲良く食べてね」
「はーい!」
調が、悠にいつもみたいに甘い物をあげている。
これは、過去の記憶……。俺は今、夢を見ているのだろうか。
俺の意識が正しければ、今は任務中だったはず……。
なのに、なぜここにいるのだろう?
今より若い調と、小さい頃の悠。
あぁ、これは走馬灯というものなのか。それなら、納得はいく。
――ついに、その時が来てしまったのだろう。
目まぐるしい日々の中で、こうした他愛のないやり取りが俺にとってどれほどの救いになっていたか。
今さらこんな形で気付かされることになるとは、思ってもみなかった――。
意識の奥でそう呟いた時。光が緩やかに揺れて、また場面は切り替わる。
ふわっと暖かい風が、俺の体を吹きつけていった。
「綴、大丈夫?」
「はる、か?」
気付いたら、俺はリヒトのアジト兼自宅のソファに座っていた。
目の前には先程見た時より成長している、悠の姿。少年の面影を残しつつも、背が伸びて眼差しには確かな強さが宿っていた。
「どうしたの? どっか痛い?」
悠は俺のことを心配してくれているようで、眉尻を下げて首を軽く傾げていた。
「どこも痛くないよ、だいじょーぶ」
安心させるようにへらりと、笑ってみせる。
悠は納得がいってないようで眉間に皺が寄っていたが、それ以上は追及してこなかった。
「そう? なら、信じるけど……。どこか調子悪いならちゃんと俺じゃなくてもいいから誰かには言ってよ? 燎や和は綴の事めっちゃ心配してんだから」
「ありがとう、悠。気を付けるね」
軽いお説教を受けながら悠、大きくなったなぁ、なんて感慨深いものを感じていれば、キッチンにいた調が悠に声を掛けた。
「悠、これ弥のところに持っていってくれる?」
「わかった……綴、無理はしないでね」
調へと返事をした後、少し困った表情の悠に釘を差されてしまった。
「気を付けます……」
俺は悠や桜に困ったような表情で見つめられてしまうと、それ以上何も言えなくなってしまう。
俺の返答に満足したのか、にこりと笑った悠は手を降って調から荷物を受け取り二階へと上がっていく。
――さては、分かっててやったな……悠。
そんな事を悠に教えたのは、はたしてどの子か……。
ひとり、そう考えていれば後ろから声が掛かる。
「綴」
名前を呼ばれて首だけで振り返れば、調が立っていた。
おでこに調の少しひやりとした手がふれ、熱の有無を確かめられる。
その少し冷たい手は気持ちがいい――。
昔、何かで聞いた手が冷たい人は、心が温かいという言葉。
調は正しく、そのタイプだと思う。といっても調のは、能力から来るものでもあるのだが……。
「微熱……くらいかな。今すぐ部屋で寝ろ、綴」
口は悪いのに、言ってることはめっちゃ優しいのが少し面白い。
「これくらいなら、大丈夫だよ」
「駄目だ。燎、呼ぶぞ」
「わかったよ、わかったから、部屋行きます。だから、みんなには言わないで」
俺は少し焦り、両手を顔の横に出し降参のポーズを取る。
そのままゆっくりと立ち上がって、自室へと向かうことにした。
「……綴、部屋までついていこうか?」
「だいじょーぶ、ひとりでいけるよ。ありがとね、調」
これ以上心配を掛けないように、いつも通りへらりと笑ってみせる。けれど僅かに掠れてしまう声を隠し、ふらつきそうになる体を必死に抑え、階段を上っていく。
やっとの思いで辿り着いた、自室――。
ここまで来るのにいつもの何倍もの時間が掛かり、扉に体重をかけるようにして何とか開ける。部屋へと入り一人になった途端、呼吸が大きく乱れた。
張り詰めていた糸が切れてしまったのか、熱が一気に全身を蝕んでいく。
這うようにして移動しベットへと横たわれば、重くなった瞼が勝手に下がってきてしまう。
自分で思っていたよりも体調は芳しくなかったようで、俺はそのまま気絶するように眠ってしまったのだった。
――――――――――――――――――――――――
「んぅ……」
小さく声が聞こえ、読んでいた本から視線を上げた。
ぱちりと目が開いたけど、どこか焦点の合っていない綴の瞳。
特徴的な雌雄眼はしばらく彷徨った後に、僕のことを捉える。
「……なごみ?」
「よかった、気分はどう?」
「だいじょーぶ。いま、なんじ?」
寝起きだからか、いつもよりも更におっとりとした口調の綴。
「夜の九時だよ。綴、結構眠れたみたいで安心した」
起き上がろうとする綴の背中に慌てて手を入れて、その体を支える。
触れたところからもはっきりと体温が伝わってきてしまうのをみるに、かなり熱は高いのだろう。
「そっか……ごめんね。心配掛けちゃって……ありがとね、和」
綴はそう言って無理やり笑顔を作り、辛いのを隠そうとしてしまう。
僕の頭を撫でて、何でもないのだと誤魔化すその姿に、胸は痛む。
――そんな辛そうな顔して、何でもないわけないじゃん……。
立場が反対だったら、めちゃくちゃ心配するくせに。
綴は、とても優しい人だ。僕は、綴より優しい人を知らない。
僕たちを平均より少し小さいけど頼りになる強い手で、いつも守ってくれる。
あの時も、そうだった――。
僕は生まれつき体が弱くて十五年、生きられるか分からないと言われていたらしい。
だから小さい頃は入院が多く、殆どを病院のベッドの上で過ごしてきた。
病院特有の真っ白な壁に消毒液の匂い、絶えず聞こえてくる心電図の音。
あまり外の世界を知らない僕にとって、ずっとそれが当たり前だった。
毎日のように続く高熱や咳。やっと病院から出れても、次の日には倒れてまた病院へと逆戻り。
友達と遊ぶどころか、学校にすらまともに通うことは出来ない。
何度も外に出たいと願ったけれど、僕の体はいつも思い通りにはなってくれなくて窓から見える青空だけが、僕の世界のすべてだった。
十二歳のあの日までは――。
いつもよりさらに酷い高熱に魘され、死をも覚悟した夜は苦しくて、辛くてたまらなくて。泣きながら空中へ手をのばすと、そのまま僕は意識を闇にのみ込まれた。
翌朝、目を覚ますと体感したことがないくらい体は軽くなっていた。
心配して朝一番にお見舞いへと来てくれた母の手に、僕が触れたとき。そこに存在していた小さな傷が、忽ち治っていった。
「和……」
「……僕が治したの?」
突然、僕の能力である治癒は覚醒した。
その日を境に今までが嘘みたいに体調は安定し、僕は普通の人と変わらないくらい元気になった。
色々な検査をされ体中を調べてもらった結果、不思議なことに今まで至る所にあった異常はすべて消え去っていたという。
念願叶って、退院できた僕は数年ぶりに自宅へと帰ることが出来た。
久々に食べる母さんのご飯。父さんと一緒に見るテレビ。
みんなが当たり前に過ごす日常を、僕も同じように送れることがとても嬉しくて。今なら走れるし、外にだって出られる。ようやく自由になれる。
――そう、思っていたのに。
外に行きたいという僕の希望に対してだけ両親は頑なで、絶対に首を縦には振ってくれなかった。
父さんは一緒に遊んでくれるし、母さんは僕の好物を作ってくれる。
愛情はたくさん感じるのに、外には出してもらえない。
「和、外へ出てはいけないよ」
いつも言われる違和感しかない、その言葉――。
それを僕はずっと、変だと思ってた。
なぜ僕は、外に出てはいけないのか――。
ある時、そんな毎日に疑問を抱いた僕は家を抜け出した。
息苦しさを感じる家から出て、初めて地面を踏みしめて走った。太陽の光は眩しくて、柔らかい風が頬を撫でてくる。
――その感覚は僕にとって、とても新鮮なものばかりで。
だけどそんな嬉しさを感じていられたのは、ほんの僅かな間だけだった。
知らない道に、知らない人。外の世界は僕が思っていたよりもざわざわと煩く、色々な匂いがして……僕の体はすぐに悲鳴を上げ始めた。
気分が悪くなり少し休もうと、人気の少ない公園へと足を踏み入れてベンチを探すが、不意に視界がぐらりと揺れ、足が縺れ始める。
立っていることすら難しくなってきて、僕はその場にしゃがみ込んだ。
――どうしよう、目がまわる……きもちわるい……。
自分の意志で外の世界へと飛び出して、自由を手にしたはずなのに思い通りにいかない体。
それだけでなく僕の心は強い孤独感と不安によって、押し潰されてしまいそうになっていた。
「ねぇ、君。だいじょーぶ?」
そんな時、公園の隅で蹲る僕に声をかけてくれたのが綴だった。
柔らかく、穏やかな声が聞こえて、何故かとても安心した事を覚えている。
「すみ、ま、せん」
顔を上げれば、目の前にそっと手を差し伸べてくれた。僕はその手に縋るように触れた。
「大丈夫だよ。ごめんね、ゆっくり立てる? そこのベンチへ横になろう」
そう言って綴は僕の腕を自分の肩に回させて、半ば抱えるようにして近くへのベンチへと連れて行かれ、そっと座らされる。
自分の着ていた上着をベンチへと敷いて、横になるように促された。
世界がぐるぐるしているのが気持ち悪くて、固く目を閉じた見知らぬ僕のそばに、綴はずっといてくれた。
呼吸を整えながら、僕は空を仰ぐ。暫くして落ち着いてきた時にふと見た綴の手に、一筋の大きな切り傷がついているのを見つけた。
「……怪我、して、る」
せっかくの綺麗な手が、勿体ない――。
そんなふうに思った僕は、思わず手をのばし何も考えず能力を使った。
手のひらに意識を集中させると、淡い光がふわりと広がっていき傷口を包み込む。そこは、瞬く間に綺麗な肌へと戻っていった。
「え……傷が治った?!」
困惑したような声。顔を上げれば、目を白黒させている綴。
「ちょっと待って、これは君の能力?」
「え……? そうです」
まって、今の誰にも見られてないよね?! ぶんっと音がなりそうなほど首を動かして、辺りを確認する綴。
「俺は、綴。君の名前は?」
「和、です」
「和。君の能力はね、とても貴重なものなんだ。だから、無闇に使っちゃ駄目。でも、ありがとう! おかげで、もう痛くないよ」
初めは真剣な顔をしていたのに、次の瞬間には優しい笑顔でひらひらと手を降ってみせる、綴。
「おうちの人は和の能力の事、知ってるんだよね?」
「はい……知ってます。あの、綴さん……聞いても、いいですか?」
「うん、いいよ」
「その……この力は……人には言わない方がいいものなんですか?」
「そうね、言わない方がいいって訳ではないんだけど……そうだね、治癒の能力ってね存在そのものがずっと確認されていなくて……」
少し困ったように、眉を下げながらも言葉を選んでくれる綴。
「あまり、こういう言い方は好きじゃないんだけど……凄く価値があるの。だからね、その力を利用しようとする怖い人に狙われてしまうかもしれない。だから自分で自分の身を守るためにも、出来るだけ知られないようにしないといけないんだよ」
そう言いながら綴は、僕の両手を体温を分けてくれるようにしてぎゅうっと包んでくれる。
とても安心感があって……だけどその手は少し震えていた。
「そう、なんですね……」
「だからね、この力は絶対に人前で使わないで。和が危ない目に、あっちゃうかもしれないから……」
――この人は本気で、僕の事を心配してくれているのが分かる。
「ごめんなさい……わかりました」
「和が謝る事じゃないよ。だけど、約束ね」
小指を差し出されて、僕も自分の小指を差し出した。
「はい、約束します」
ふわりと笑ってくれる綴。その優しさに、胸の奥がぎゅうってなった。
「……だから僕は、家から出してもらえなかったのか……今ようやく、理由が分かりました」
「……酷いこと、されたりしてるの?」
「いえ、両親は愛情をたくさん注いでくれてると……思います」
「そっか、和の親御さんは、和のことがとても大切なんだね」
「そう、なんですかね……じゃあ、なんで僕に本当の事を教えてくれなかったのかな」
「そうだね……でもね、きっとご両親は和が大切だから本当のこと言えなかったんだよ。和が愛情を感じたんなら、間違ってないと思うよ」
優しく微笑む、綴。その柔らかい声もあって、ざわざわしていた心が落ち着いていくのを感じる。
「さぁ、和。お家まで送るよ、行こう」
僕は頷くほかなかったが、今ベンチから立ち上がれば帰らないといけなくなる。
――そしたら、僕はまた……家から出られなくなるかもしれない。
「……綴さん。僕は家に帰ったら、また外の世界には出られなくなりますか?」
「そんなことはないよ、和。君は、自由になるべきだ。だけどね、それには和のご両親の理解と協力が必要になる」
「……理解と協力?」
「そう、……俺もね、能力者なの」
そう言った綴の手に光が集まってきて、瞬きひとつの間に金属製の小さな船の模型が現れた。
魔法のようなそれに、僕は驚く。
「船だ、凄い!」
「俺のはね、物質形成。ある程度の大きさの物なら、何でも創れるよ。和は、能力者……ギフトについての事は知ってるかな?」
「本で少し、読んだことがあるくらいです……」
「そっか、和は物知りさんだね」
「俺はね、今リヒトっていう所に所属してるの。そこはギフトを守る為の施設でね、和みたいに珍しい能力を持つ子を保護したり、相談にのったりして能力を悪用しようとする悪いやつから守る仕事をしてる」
僕は静かに、頷く。
「そこなら和もきっと、安全に過ごせる。だから、もし和が良ければ俺たちの仲間になってほしい」
その言葉はとても優しくて、心強いものだった。胸の奥で、何かが強く揺れた。
「仲間……?」
「そう、仲間。勿論、和の意志が一番大事だから、無理はしないでね。だから、少し考えてくれると嬉しいな」
差し出された手を取れば、優しく包みこんでくれる。綴は僕に選択肢をくれた。僕の秘密を知ってしまったのに、逃げ場を与えようとしてくれる。
その体温にとても安心して、視界が滲む。繋がれた手から伝わってくる温度に、初めて外へ出てよかったと心から思えた。
日が沈み、少し暗くなり始めた道を曲がったときだった。
両親が血相を変えて僕のことを探していた。声を枯らしながら僕の名前を呼ぶ。何度も……、何度も。
その姿は、僕が思っていたよりもずっと必死で、苦しげだった。
胸の奥が締め付けられる。僕はずっと、閉じ込められているとしか思えなかったのに。
その時、両親の言葉を思い出す。
「家にいてね、和」
「外へ出てはいけないよ」
ずっとそう言われる理由が、分からなかった。
僕のことを信じてくれていないのだろうかなんて、思っていた。
でも違った。僕を守ろうとしてくれていたんだ。誰よりも、必死に。
僕はここで事の重大さを、明確に痛感させられた。
それを見た綴は繋いでいた手を離し、僕の背中を押す。
「ほら行っておいで、和。絶対、だいじょーぶだから」
「でも、僕……なんて言えばいいのか……」
足がすくんでしまう。
逃げ出したことを責められてしまうかもしれない。
もしかしたら、もう二度と家から出してもらえなくなるかもしれない。
「そうだね、怒られちゃうかもしれないけど、それでも……和が話せばきっとご両親に気持ちは伝わるよ」
綴の言葉に、心臓が大きく鳴った。不安の感情は完全にはなくならないけれど、前に進みたいという思いが僕の中で勝った。
「……ありがとう、綴さん」
僕は深呼吸をして、一歩を踏み出した。
僕の声が両親に届きそうなくらいの距離まで近付いた時、足が止まってしまった。
声をかけようとしたのに、喉が震えてしまって言葉にならない。
だけど、僕のその迷いよりも先に、母さんが僕を見つけた。
「……! 和!」
叫ぶような声と共に、母さんが駆け寄ってきた。気づいた時には、僕は母さんに強く抱きしめられていた。
「どこに行ってたの……! よかった……凄く心配した……」
母さんの細い腕は、震えていて。
僕は何も言えなくて、ただその肩に顔を埋めることしかできなかった。父さんもこちらへと向かってきて、僕を母さんごと包み込み苦しげな顔で言った。
「和がいなくなった時、頭が真っ白になった……ごめんな。和を守ることに必死で、閉じ込める選択肢をとることしかできなかった」
ようやく、両親の本当の気持ちが聞けた。
僕を縛っていたんじゃなくて、守ろうとしてくれていたんだ。その想いが、こんなにも伝わってくる。
「……僕、何もわかってなかった。ごめんなさい……」
震えてしまう声でそう言えば、さらに抱きしめる力を強められた。
「和は謝らなくていいの……生きていてくれるだけで……ただ、それだけでいいの」
綴の言った通りだった。ちゃんと話せば、気持ちは伝わる。
「和、後はご両親との問題だから、大切な事をちゃんと聞いてね」
「うん……ありがとう、綴さん」
「またね、和! 今度会う時は、綴って呼んでね!」
綴は僕の両親に名刺を渡してから、颯爽と帰っていった。
その後、僕は両親と何度も話をした。
家に閉じ込められていた理由も、守ろうとしてくれた気持ちも、すべて受けとめた。二人は守るためだったとはいえ、ずっと心苦しかったそうだ。
その上で、僕はリヒトに加入したい意思を伝えた。
――もっと、外の世界を見てみたい。
――綴のように、人の役に立てる人になりたい。
二人は真剣に聞いてくれた。
心配なのは変わらないけど、和の選択を応援したい――。
父さんはそう言ってくれて、母さんも大きく頷いてくれた。
そして数日後に綴ともう一人、縁と名乗る男性が家を訪れてきた。
少しだけ怖そうな人、年齢は父さんとあまり変わらなそうに見える。
事前に父さんが、綴へと連絡を取った時。もう一人来ることを聞いていたのだが、凄く緊張してしまう。
「紹介します。俺の所属しているリヒトの……上司? の縁です」
「綴……。まぁ、いいか。はじめまして、和くん。俺のことは縁でいいよ。君が治癒の力を持つ子だね」
縁……は、僕の目の前に屈み視線を合わせてから、声をかけてくれた。それに僕はこくり、と頷く。
その低く落ち着いた声音は、じわりと耳に入り込んでくるような不思議な感覚がして、ゆっくりと言葉を紡ぐその声に緊張で強張っていた体の力が抜けるのがわかる。
「あの……本当にあなた方を信用して、大丈夫なんですよね?」
父さんのその言葉に、流れている空気が一気に重くなる。僕の肩に置いている父さんの手に、力がこもるのを感じた。
「ご両親が心配されることはごもっともだと思います。率直に言わせてもらえば任務には相当の危険が伴いますし、すべての脅威から確実に守れるという保証は、本来はありません」
その言葉に父さんと母さんの表情が強張り、僕も思わず息を呑む。
「それでも、ここにいる綴を始めリヒトに所属している子たちは、絶対に仲間を見捨てたりはしません。それに私はこの子たちが、もし身の危険に晒されそうになれば、自分の命を懸けてでも守ります。それがリヒトの約束です」
嘘や誤魔化しなんかではなく、強さも、弱さも全て含めて誠実に向き合おうとしている……そんな風に僕には聞こえた。
父さんは視線を逸らし、母さんは涙を溢す。二人は懸命にその言葉を受け止めようとしているように見えた。
――真正面から向き合ってくれようとするこの人のことは、信用できると思った。
「……でも、この子は……小さい頃から病気がちで……私たちが守らなきゃって……ずっと、そう思ってきたんです」
涙を拭いながら首を横に振り小さく呟いた母さんの声は震えていて、胸が締め付けられる。
僕のせいで、ずっとこんな思いをさせてきた。
「お二人の思いは当然のものです。私には子供はいませんが、もし自分の子であれば離す選択肢をとれるかと言われれば、正直わかりません」
そこで、縁の視線が僕の方へと向いた。
「ですが、力を持った今、和くんには選ぶ権利があります。彼はもう、守られるだけの存在ではありません。だからこそ差し出がましいことかもしれませんが、親であるお二人がその権利を奪ってはいけないと私は思います」
その言葉に母さんの目が大きく見開かれ、父さんも何か言おうと口を開いたが言葉を失っていた。
「和くんのことは、私たちが全面的にサポートします。危険な任務へ無理に出すことも絶対にありません。初めは、新しい環境に慣れるところから。仲間と一緒に過ごし、色々な経験を通して自分で考えて行動する力を身に付けてもらいます」
縁は真っ直ぐに父さんと母さんを見て、言葉を伝えようとする。
父さんが、視線をそらし小さく息をついた。そのままこちらを向き、僕の目をしっかり見据えて言った。
「和……お前の、望む道を進みなさい」
母さんも目を潤ませたまま、優しく微笑んでくれた。
――その言葉が、胸の奥に強く響いた。
その日は意思確認だけで、綴と縁は帰っていった。
数日後、僕は両親にリヒトのアジト兼自宅まで送り届けてもらう。
「なごみー!」
「綴!」
僕の事を見つけた綴が、笑顔でひらひらとこちらへ手を振ってくれる。僕もそれに倣って手を振り返す。
その綴の姿を見て隣にいた母さんの体から、僅かに力が抜けたように見えた。
アジトの玄関口に辿り着き、母さんが俺の手を優しく包み込む。
「何かあったら、いつでも帰ってきていいからね」
「……うん。その時は、ちゃんと帰ってくる」
別れの涙はなかった。これは永遠の別れではないと、わかっているから。
父さんから荷物を受け取った綴と一緒に、一歩を踏み出す。
振り返れば、父さんと母さんはまだそこに立っていて、こちらを見守ってくれていた。
僕は笑顔で、手を振る。二人も小さく振り返してくれた。
この日僕にとっての居場所が、ひとつ増えた。
父さんと母さんとは今でもそれなりの頻度で会えていて、今だにあの時のことを謝られることもある。
僕は今、限りなく自由に過ごさせてもらっている。
優しい仲間に囲まれて、僕が病院にいた頃から懸命に蓄えた知識をみんなが必要としてくれる。
それも、これも綴のおかげ――。
だから綴が何かを隠しているとしても、僕だけは最後まで大好きな綴の味方になるつもりでいる。
優しすぎる綴が無理をしていないか、僕はいつも気が気でない。
見守ることしかできない自分ができる、最大限のサポートをできるようにと、今日も新しい知識を学び研究を続ける。
「綴、早く元気になってね」
僕は静かに眠る綴へ向けて、呟いた――。