1-⑧
その後は大会どころではなくなった。
幸い怪我人がいなかったため、事故として処理されたのだ。
その後目を覚ました伯爵令嬢は、多くの者にあられもない姿を見られたことに気づき泣き叫んだ。
それを宥めるほうが大変だっただろう。
失禁していたこともあり、ルイードは笑いものだ。当分、新しい彼女はできないだろう。
ルイードはその場でマデリンの父に婚約破棄の旨を伝えた。そして、責任をとって伯爵令嬢と婚姻すると。
最後のパーティー会場で、マデリンは多くの同情の言葉をもらった。
「元気を出して」
「あんなところ見せられたら、私だって引き金を引いてしまうわ」
「ありがとうございます。ルイード様があんな人だったなんて……」
マデリンは終始、かわいそうな令嬢を演じ続けた。
五年間、彼の浮気に耐え続けた。健気な婚約者として。
ある程度、被害者という立場を印象づけられてから、マデリンは会場から離れた。
小さく息をつく。
すると、声をかけられた。――アウルだ。こういうときにマデリンに声をかけるのはアウルしかいないのだが。
「まさか、本当に婚約破棄になるとはな」
アウルが笑う。笑ってすぐ、「笑うのは失礼か」と口を閉じた。
「祝ってよ。最悪な婚約者と決別できたんだから。あなただって聞いたことがあるでしょう? ルイードの噂くらい」
「まあ、それなりに。おめでとう。自由に乾杯しよう」
マデリンとアウルはワイングラスを鳴らす。
「あなたが私の運命を連れてきてくれたから、立ち向かうことができたわ。ありがとう」
「どういう意味だ?」
「あの猟銃」
「ああ、元は君のだろ? 売られているのを見つけて買い取った。それだけだ」
「結婚するまでに、私の身体にしっくりくる猟銃に出会えたら、このつまらない人生を変えるって決めていたの」
マデリンは小さく笑った。
結婚まであと少し。それまでに見つからなければ、諦めて公爵夫人として生きるつもりだった。
そういう運命なのだと。
「よかったと言うべきか?」
「よかったって言ってよ。友達でしょう?」
「そうだな。おめでとう」
「ありがとう。あなたは婚約者さんを大切にして、ちゃんと幸せになりなさいよ」
アウルの婚約もマデリンと同じ時期に決まった。
しかし、まだ結婚の時期は決まっていない。もうアウルも二十三歳。相手はマデリンよりも一つ年上だ。
だから、そろそろ結婚してもおかしくはない。
「あー……。多分、結婚はないよ」
「え?」
「今ごろ、遠くに行ってるんじゃないかな」
アウルは困ったように頭をかいた。
鳶色の髪が揺れる。
「どういうこと?」
「彼女とは約束していたんだ。当分のあいだ婚約者をしてくれていたら好きな男との駆け落ちを手伝うって」
「駆け落ちって……。じゃあ、婚約者さんは……」
「無事、抜け出せたんじゃないか。それも君が騒動を起こしてくれたおかげだな」
アウルはニカッと笑った。数歩歩き出す。
彼の背中はどこか誇らしげだった。
ここはパーティー会場よりも少し高台にある。みんなの姿がよく見えた。
彼はそれよりも遠くを見つめる。婚約者が逃げた先を見ているのだろうか。
「あなたって……」
(とんだお人よしね)
五年間。同年代の令嬢たちは婚約が決まっている。すでに結婚した令嬢も多くいた。
今から結婚相手を探すとなると、うんと年下の令嬢の成長を待つか、訳ありを探すしかない。
(それに関しては私も同じね)
マデリンはアウルの背中を見ながら肩を揺らした。
「ねえ、アウル。五年続いた友情、辞めてもいいかしら?」
マデリンはアウルの背中に問う。
五年前。まだ十五歳だった自分自身の中に置いてきた恋心。それをもう一度、拾ってもいいだろうか。
「どうした?」
アウルは首を傾げた。
マデリンの声など聞こえていなかったのだろう。
タイミングの悪い男だ。マデリンは小さく笑った。
「ねえ、私たち結婚しない?」
何の気なしに言った言葉に、アウルが驚きに目を見開く。
「このままじゃ私はお父様に怒られて、誰と結婚させられるかわかったもんじゃないわ。でも、あなたなら、次期侯爵だし、公爵には劣るけどお父様も文句は言わないと思うの。婚約者も逃げちゃったみたいだしちょうどいいわ」
「……そういうことか」
「友達なら助けてよ」
「そんな簡単に決めていいのか? 結婚だぞ?」
「狩りは月に一度がいいわ」
マデリンは言った。
もう、遠慮する必要はない。
父がどう言おうと、マデリンは婚約がだめになった訳ありだ。
アウルが結婚するとなれば、喜んで受け入れるだろう。父はそういう男だ。
「それとも、結婚したくないわけでもあるの?」
「いや……」
アウルは言葉を濁す。
婚約者に五年も付き合ってもらったくらいだ。お人よしなのではなく、何か事情があるのかもしれない。
「あ、もしかして、結婚できない相手を好きになっちゃったとか?」
「ずけずけ聞くな」
アウルは肩を落とした。
図星だろうか。
「だったら、その人がフリーになったら離婚してあげる。それならどう?」
「あのな……結婚とか離婚はそんな簡単にするもんじゃない」
「私だって簡単には決めていないわよ。あなただからいいと思ったの」
彼は虚を衝かれたような顔をした。
マデリンはにんまりと笑う。
「結婚しても男女の友情が続くのか、賭けをしましょう?」
マデリンはもう少しだけ男女の友情とやらを続けることにした。
そのほうが、彼の隣にいられるから。
アウルが小さくため息をつく。
「どう?」
「君がそう望むなら。私と結婚しよう。マデリン」
彼は跪いてマデリンに手を差し出す。
憧れのシチュエーションだ。
「喜んで」
マデリンは目を細め笑った。