9-④
アウルの問いにマデリンは頷いた。
婚約はいわば契約だ。双方の同意を持って白紙に戻すことができる。
「あの男は自信たっぷりに『もとに戻る』と言っていたわ」
「酔って気が大きくなっていた可能性もあるが、そう決めつけるのはまずいな」
アウルは乱暴に頭を掻いた。
「もとに戻るということは私とアウルが婚約を白紙に戻す必要があるわ」
「だが、その決定権はあの男にはない。トルバ侯爵なら……すぐにでも同意しそうだが」
マデリンは肩を竦めて同意した。
その点は否定できない。父がルイードと会っているという話も兄から聞いている。
権力に弱い父の性格を考えれば、ルイードの一声で同意するのは目に見えていた。
しかし、父が同意したところで意味はない。
「でも、アウルのお父様まで納得はしないでしょう?」
父にはメリットのある話でも、ルート家にはまったく利点がない。二度婚約者を失うという汚点だけが残るのだ。
ルート家とトルバ家の家格は同等。そこを加味してもルート家が特をすることは一つもない。
なのに、なぜルイードはあんなに自信たっぷりに言ってのけたのか。
「そもそも両親は今、領地にいる。帰ってくるのは狩猟大会の直前になるだろう」
「領地に行って婚約撤回を求めるのは現実的ではないわね」
狩猟大会が終われば、すぐに結婚式だ。婚約の撤回をするような時期ではなくなる。
ならば安心なのだろうか?
ただの酔っ払いの戯れ言と片づけていいのだろうか。
マデリンは思考を巡らせた。
「でも……。正攻法とは限らないわ」
マデリンは呟くように言った。
「一方的に婚約を破棄する方法なら、いくらでもあるわ」
そのためには、相手の非を作り出さなければならない。
婚約を一方的に破棄するような非だ。
ナターシャは公爵夫人にリーチをかけている状態だ。
その彼女が婚約が駄目になるほどの間違いを犯すとは思えない。作り出すしかないだろう。
(あの男ならそれくらいしてもおかしくないわ)
マデリンはちらりとアウルを見る。アウルは首を傾げた。
「ねえ、アウルも狩猟大会の参加をやめることはできない?」
「大会を? それは難しいな。今回の狩猟大会はいつもよりも特別な意味がある」
「そう……」
マデリンは肩を落とした。
マデリンとアウルでは立場が違うのだからしかたない。
マデリンはまだ一令嬢に過ぎないが、アウルは次期侯爵。今後のことを考えれば必要な参加だ。
「どうした?」
アウルが心配そうな面持ちでマデリンの顔をのぞき見る。
「もし、ナターシャを罠に嵌めて婚約破棄を企てているなら、狩猟大会だと思ったのよ」
ナターシャの浮気をでっち上げるにしても、何かの罪を着せるにしても、狩猟大会はうってつけだ。
ほとんどの貴族が集まっている上に、みんな狩猟に集中している。
事件を起こすのは簡単だった。
それをマデリンが証明しているではないか。―─前回の発砲事件だ。
「あの男なら、あり得なくはないか」
「アウルも狙われる可能性があるわ」
アウルの形のいい眉が眉間に寄る。
出来た皺を見ながらマデリンは真面目な顔で見つめた。
「あなたとナターシャを罠に嵌めれば、あの男の願いは叶う」
「ナターシャに婚約破棄を言い渡して、マデリンと再度婚約する?」
「そう。アウルに非があれば、お父様が一方的に婚約破棄を言い渡すことができるから……」
アウルは「たしかに」と納得したように頷いた。
「マデリンの参加を辞めさせたのも、うまくことを進めるためかもしれないな」
「私がいないほうが都合がいいってこと?」
「ああ、私が一人で参加すれば隙が生まれる。そう考えているのかもしれない」
アウルは苦笑を浮かべた。
「やっぱり、参加しないことはできないの? ほら、骨折したとか言ってみるとか」
「狩猟大会に出られないほどの理由の仮病を使えば、結婚式を延期される可能性がある」
「それはそうだけど……」
マデリンは唇を噛みしめた。
たとえ結婚が延期になったとしても、アウルが無事であることが重要だと思ったのだ。
どんな罠を仕掛けようとしているのかわからない。
狩猟大会の会場だ。もしかしたら、命が危ぶまれるかもしれない。
「危ないとわかっているのに飛び込むなんて心配だわ」
「君が言える立場か?」
アウルは肩を揺らして笑った。
今は笑うような状況ではない。その楽しそうな笑みにマデリンは眉根を寄せる。
「どういう意味?」
「君の破天荒なところに、私はいつもヒヤヒヤさせられているっていう意味だよ」
「それは……。反論のしようがないけど」
長年、マデリンは父に反抗して生きてきた。アウルからは危うく見えているのだろう。
「わかったわ。行くのはしかたない。大切な大会だもの。でも……」
でも。
マデリンはアウルの腕を強く掴んだ。




