6-③
マデリンは目を瞬かせる。
アウルの行動の意味がはじめ、わからなかった。
なぜ、口を開けているのか。
アウルとケーキを交互に見る。そして、意味がわかると、マデリンの顔はみるみるうちに赤くなった。
「なっ……! そんなはしたないこと!」
「今は二人きりだ。マデリンが秘密にしてくれれば、誰もわからないだろ? 一口だけだからさ」
アウルはさらにマデリンに顔を近づけた。
近付く顔に鼓動は早くなる。マデリンは耐えられなくなって、わずかに震える手でケーキをすくった。
クリームよりもルビー色のジュレを多めに。
「ひ、一口だけよ?」
「もちろん」
アウルが目を細めて笑う。
マデリンは彼から目をそらしながら、スプーンを彼の口元に近づけた。
彼はパクリと口に入れる。振動がスプーンから手に伝わった。
軽くなった瞬間、マデリンは慌てて手を引っ込める。
「すっぱ……。こっちのほうがうまいな」
アウルが感心したように呟く。
マデリンは小さく深呼吸をしたあと、笑みを浮かべる。
「でしょう?」
「こっちは全部が甘い。食べてみるか?」
アウルは何気なくひとすくいすると、マデリンの口元に差し出す。
ただの優しさなのだろう。しかし、マデリンには初めてのことで、どんな反応をしていいかわからなかった。
ここで断ったら、一人だけ意識しているみたいではないか。
そう考えると、断るのも気が引ける。
「もしかして、甘すぎるから少しでも減らしたいの?」
マデリンは早くなる鼓動を抑えながら、アウルをじとりと睨む。
彼は少し恥ずかしそうに笑った。
「それもある。なあ、マデリン。ここは婚約者を救うと思って」
グイグイと近づける。
ひとりでドキドキしているのが馬鹿らしくなるくらい、アウルはいつもどおりだ。
いや、ただの友人だったときに比べたら、二人の距離は近いのかもしれない。
五年間、マデリンとアウルは夜会であえば近況を報告しあうだけの関係。
必ず人一人分の距離を空け、互いの婚約者に気を使っていた。
こんな風に一緒にスイーツを食べる関係に発展することを誰が想像しただろうか。
マデリンは小さく笑う。
「しかたないわねぇ……」
なんでもないふりをして、マデリンは差し出されたケーキを口に入れた。
とろりと蜂蜜の甘さが口に広がる。
殴られたような甘さにマデリンは慌てて紅茶で流し込んだ。
「これは相当な甘党向けのケーキだと思う」
「そうか。マデリンでも甘いか。なら、しかたないな」
アウルは笑って、残りのケーキをすくって口に入れた。
甘さに身震いしながら、紅茶で流し込んでいる。
「目が覚める甘さだ」
「次はなんの味か確認したほうがいいかもね」
「そうだな。次はすっぱいのを買ってきてもらうようにする」
次。
たったその一言が、マデリンの気持ちを浮き立たせる。
アウルにとっては何気ない一言だったに違いない。
しかし、マデリンには救いのような言葉だった。
足の傷を見て、アウルの態度が変わったらどうしようと、昨晩からずっと考えていたのだ。
何も変わらない。それどころか、距離は少し近づいたようにも感じる。
「今日の目的は本当にこれだけ?」
「ああ。マデリンが休んでいるか確認しに来ただけだ」
「次期侯爵様はお暇なの?」
マデリンは揶揄うように言った。
暇なわけがない。
マデリンの兄だって、次期侯爵として忙しくしているのを間近で見ている。
屋敷の運営を母から学んでいるマデリンよりもうんと忙しいだろう。
そんな忙しい中、来てくれたことに嬉しさもありながら、礼を素直には言えない、気恥ずかしさもあった。
言いすぎたかもしれない。
心はざわめく。しかし、アウルはにへらと笑った。
「そうなんだ。次期侯爵って意外と暇なんだよ。……私が優秀過ぎるからかもしれないな」
アウルは胸を張って言う。
マデリンは肩を揺らして笑った。
「そう。優秀過ぎる次期侯爵様のおかげで私はこんなに美味しいスイーツにありつけたのね」
「そういうことだ。他に欲しいものはあるか?」
アウル紅茶を飲みながら尋ねる。
「まさか、また来るつもり?」
「ああ。マデリンも暇だろ?」
「まさか、毎日来るつもりじゃないでしょうね?」
「そういう話じゃなかったか?」
アウルは首を傾げる。
「冗談じゃなかったの!?」
「冗談で毎日来るなんて、無責任なこと言えるわけがないだろう?」
「そう……だけど!」
普通は冗談だと思うものではないのか。
そもそもマデリンとアウルは甘い関係ではない。
恋人同士ならば、心配して毎日通うなんてこともあるのかもしれないとは思う。しかし、二人はただの友情という曖昧な名前がついた関係だ。
「欲しいものがあれば買ってくるよ」
「そう言われても……」
特別欲しいものはない。
アウルが来てくれるだけでじゅうぶんだ。
けれど、そんなことを言えるわけがない。
「リクエストがないなら、適当に見繕ってこよう」
アウルは何でもないふうに言った。
マデリンは頷く。頷いた瞬間、頭が急に重くなった感じがする。
ふわりと欠伸がもれた。
「なんだか眠いわね……」
「疲れがたまっているんじゃないか? 少し休むといい」
「ええ、そうする……わ、ね」
昨日は考えすぎてあまりよくねむれなかった。
だから、アウルの言うとおり疲れが出てしまったのかもしれない。
マデリンは抗えない眠気に身を任せたのだ。
***
アウルは静かに眠るマデリンを見下ろした。
「悪いな」
アウルはマデリンの頭を撫でる。