1-③
「お祖父様のことは気に病むな。医師が言うに、元々長く病気を患っていたそうだ」
「そんな話聞いたことないわ」
「私もだ。みんなに秘密にしていたようだ」
「そんな……身体がつらいのに私を狩りに連れて行ってくれていたの……?」
マデリンはこみ上げてくる感情を抑えることができなかった。
ポロポロと目から涙がこぼれる。
何度拭っても止まらない。
母はマデリンの隣に座ると、マデリンの肩を抱いた。
「お祖父様もあなたと最後まで一緒に遊べて幸せだったはずよ」
「でも、私が狩りに行きたいと言わなければ、もっと一緒にいられたかもしれないでしょう?」
祖父はマデリンにいろいろなことを教えてくれた。
マデリンは声を上げて泣いた。
マデリンが泣き止むと、父が小さく咳払いをする。まだ話は終わっていないという合図だ。
「マデリン、おまえはもうすぐ十六歳になる」
「……はい」
「そろそろ未来のことを考えなければならない」
未来のこと。
それが結婚を示すことは知っている。この国の貴族の令嬢である限り、避けては通れないことだからだ。
ふと、彼の顔が頭を過った。―─アウル・ルートの顔が。
「明日、おまえの婚約相手と会う約束をしている」
マデリンの胸は少しだけ高鳴っていた。
祖父たちは二人のことをよく「お似合いだ」と言っていた。だから、かげで話を進めていたのだろう。
「きちんと準備しなさい」
「わかったわ」
「聞き分けがいいなんて珍しいな」
「私だってトルバ家の娘よ」
「そうだったな。いいか。一番仕立てのいい上等なドレスを選びなさい。けっして乗馬服で来ようなんてしないように」
「わかってるわ」
マデリンももうすぐ十六。大人の仲間入りをするのだ。
それくらいわかっている。
乗馬服でお茶会に参加したことはない。それなのに、父はいつも大袈裟にいうのだ。
マデリンはその日の夜、眠れなかった。
何度もドレスを確認し、侍女と装飾品の相談もした。
侍女はマデリンに笑みを向ける。
「婚約者とお会いするなんてドキドキしますね」
「そんなことないわ」
「でも、こんなに念入りにドレスも選んでいるじゃありませんか」
「ただ、場違いだと笑われないようにするためよ」
「そうですね。一番素敵なお嬢様を見てもらわないといけませんから。明日は化粧もとびきり力を入れますね」
「そうしてちょうだい」
マデリンは力強く頷いた。
『乗馬服のほうが似合ってるな』と鼻で笑われないようにしなければ。
マデリンは先日会った彼の顔を思い出す。
いつも乗馬服で会っていたから、着飾ったマデリンを見たら驚くだろう。
彼が驚く姿を見たことがないから、楽しみだと思った。
***
マデリンは呆然とその場に立ち尽くした。
「こちらが婚約者のルイード・アレス様だ。ルイード様、わが娘のマデリンです」
「ああ、君が噂の。想像していたよりも美人だな」
「ほら、マデリン、挨拶しなさい!」
父が声を荒らげる。
マデリンはどうにか淑女の礼を取った。
「トルバ侯爵家の娘、マデリンです。よろしくお願いします」
「ああ、よろしく」
ルイードはマデリンの手を取ると、指先に口づける真似をした。
(どういうこと? アウルじゃないの?)
呆然と金に揺れる髪を見つめる。
ルイード・アレス。アレス公爵家の長男だ。
アレス公爵家は王家に連なる由緒ある一族だった。
「いいか、マデリン。ルイード様がおまえのデビュタントのパートナーを務めてくれる」
父がマデリンに説明する。
マデリンはただたただ頷くことしかできなかった。
一番仕立てのいいドレスを着た。それに似合うイヤリングとネックレスを選んだ。
なぜ、彼はいないのか。
ベッドの中で何度も練習した。
『あなたなんて不本意だけど、お祖父様たちが決めたならしかたないわ』
せっかく用意した言葉は使う機会を失った。
ルイードはマデリンを隈なく観察したあと、笑みを浮かべる。
「僕の婚約者になった以上、もう野蛮な遊びは止めにしてもらう。いいね?」
「野蛮……。狩りのことですか?」
「ああ。僕は血生臭いのは嫌いなんだ」
ルイードはうねった前髪を神経質そうに直す。
(血生臭いって……)
狩りは王族だって嗜む。
社交として狩りの大会は毎年開かれている。
それを否定するとは思わなかった。
「とにかく、女はスイーツを食べてお喋りでもしていればいい。いいね?」
マデリンは震えるほど拳を握り締める。
しかし、それを振り上げる前に父がマデリンの拳を押さえた。
「ルイード様、もちろんです。私が娘をしっかりと躾けて参りますので」
父はルイードに愛想笑いを見せる。
「頼むよ。僕は野蛮な人間は嫌いなんだ。特に馬に跨がって猟銃を振り回すような人間はね」
「猟銃は振り回しません。構えるものです」
つい、マデリンは口を開いた。
ルイードの頬が引きつる。
「僕は口答えする女も嫌いだ」
「ルイード様、申し訳ございません! 次までにはきちんと躾け直しておきますので!」
父は何度も何度も頭を下げる。
無理やり父が頭をマデリンの下げさせようとしたが、マデリンは頑なに頭を下げなかった。
ただルイードを睨みつける。
(こんな男との結婚なんて、絶対にいや!)
ルイードはわずかに口角を上げた。
「次に会うまでにはもう少し従順に躾け直しておいてくれよ」
「もちろんです」
父は最後まで頭を下げ続けた。
***
屋敷に帰って早々、父は私の頬を叩いた。
パンッ。
大きな音が部屋中に響く。誰もが固唾をのんで見守る中、マデリンは父を睨み続けた。