教師の日記
宇垣善直(2026-2090)
千葉県出身。救国戦争後、関東を中心に様々な学校を転々としながら教師をつとめた。二十年後、彼の息子磯江(2058-2109)が父の遺品を整理している時にこのノートを発見した。磯江は青いペンで父の記述に対する感想をいくつか感想に記している。
長らく2189年に京都の古書店から発掘され、神君ご即位当時の世相を伝えるものとして、今は図書館に保存されている。
紙は極めて古びており、引き裂かれたり、サインペンで黒塗りにされて判読できない部分も多いが、当時の切迫した政治状況を伝える貴重な資料である。
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2071/3/1(日)
天皇追放によって今や名実ともに日本のトップとなった渡辺氏のことを、テレビや新聞では将軍閣下と呼ぶようになって久しい。一般市民も、彼のことを呼びつけにしてはならず、必ず将軍閣下と呼ばねばならないらしいが、これがどうにも慣れない。第一、『閣下』とは何だ。そんな言い方は小説や映画の中でしか聞かない表現だ。それを普通の会話でも使うのは、正直とても変な感じがする。
大体この時代にあって征夷大将軍とは奇妙な話だ。もう武士階級などいないのに。
これほどまでに国家の根幹を引き抜いて、新しいものを置くなどとはとてつもない横暴である。総理大臣を存続させても良かったのではないか。渡辺氏の改革はあまりに博打ではないか。[神君がいまだ生きた人間であり、国民から自由に批評される存在であった事実を彷彿とさせる]
2071/3/4(水)
日章旗に代わる新しい日本の国旗が正式に施行された。
青地に白い十字。中央の円の中に日の丸があしらわれている。我々教師は、毎日子供に対して国旗への忠誠の誓いをさせねばならなくなった。おまけに、人権道徳に関する渡辺氏の言葉を教えさせる必要があるとのことだ。国家による道徳の押し付けとは、何とも全体主義的ではないか。
また、国歌も新しくなった。国土と国民を称える歌である。天皇が日本からいなくなったので、もはや君が代は意味をなさなくなった。
昭和生まれの古老から聞いたことだが、平成の時代では国歌斉唱を拒む者がいたという。もうこれからは決して許されないわけだ。[2091/7/4 国民の義務であり、国家に対する最低限の愛着すら捨てて恥じない、とはにわかに信じがたいことである]
『君よ、新生日本建国の人柱たれ』というポスターが至る所に貼られている。この国に住む者として、未来の世の中のために命をなげうつ覚悟を刻み込めと命じているのだ。
しかし、国とは何だ……。特鋼が社会のあらゆる分野を支配し、その支配を甘受する形で生きる中で、国民はもはやどういう国に住んでいるかなど忘れ去ってしまったように思う。
紛れもなく私は今日本に住んでいる。しかし、子供たちも、隣家の家族も、もう私の知る日本に住んでいないのだ。彼らは私が知らない日本に住んでいる。そしてそれらは決して交わることはない。渡辺がやろうとしていることは、それら多様な日本を消し去って均一な、人工の、純粋な新しい国に住まわせることなのだ。一体それを『国民』となった人々が受け入れるのにどれだけの時間がかかるのか、私には想像することもできない。
2071/3/7(土)
休みなので久しぶりに図書館に行く。道端で至る所に新国旗が掲げられている。登校途中、国歌を歌う子供たちもいる。新しい時代の始まりを祝うつもりなのだ。
平成から令和になった時も同じような光景が見られたのだろう。あの時は、一人の君主の在位期間によって時代が区切られるという愚かしさに国民が囚われていた。だが今回はそれよりももっと、しゃれにならない現実だ。
20年代前後、コロナウイルスの際は社会の混乱が至る所で見られたが、ワクチンに反対した人々はまるで渡辺哲雄の無謬性を信じてやまない者たちと同じではないか。この熱狂は陰謀論と何ら変わるところがない。
先ほどはそう書いたが、だからといって哲雄の崇拝を愚挙として片付けるわけにはいかない。
左翼は渡辺哲雄を支持する人々を無知蒙昧な衆愚として非難するだけで、なぜ彼にすがりつく以外の道を選べないのか、考えようともしない。こうして見捨てられた者は渡辺氏を信奉する他なくなり、渡辺氏の支配は絶対的な者として確率してしまう。
渡辺氏の肖像をかかげて、彼がいかに素晴らしい人間であるかを力説する人間が駅前にいた。
東京の周辺には集住区が多数建設されつつある。社会からはぐれ危険分子となりかねない者たちを徹底的に収容する刑務所のような場所だ。だが、受け入れざるを得ない。
明日は、学校に通いつつ集住区で働いているある青年を尋ねる予定だ。
彼はラカイン人の血を引いているらしく、昭和時代を代表する漫画家からとって『鳥山』と名乗っていた。[私はこの人の息子と知り合いで、今では運転手をしている。鳥山氏に父は色々と世話になったそうだ]専門知識に関しては詳しいが、四則演算や文章の読解力がおぼつかないので、勉強を始めたそうだ。
日本社会の性格としては極端に走りやすい。太平洋戦争前後の社会の価値観の真逆さにしてもそうだし、コロナウイルスが猖獗を極めていた数年間とその後にしても。
内戦以前の社会に比べて今がどれだけましか。特鋼が存在しないというだけでましといえるのか?
ただ、あの時の日本は恐らく社会概念の溶解という点では相当なものがあった。2030年代には虚無主義者という無差別テロを起こすような組織すらいたそうだ。縄文時代を日本の理想の時代とするカルト的な宗教団体が荒れ狂っていた時代でもある。歴史は繰り返すというが、1930年代に起きた出来事を見ると2030年代の日本の状況と怖ろしく似通っている。
実際ここ百年単位で同じことが繰り返されている気はする。
では、今は何が繰り返し起こっているのだろう。
2071/3/11(水)
東日本大震災から六十年。黙祷を行う。内戦でさらに被災者の記憶を語り合っていた。
渡辺氏の地元である岩手では渡辺氏を知る者たちが集まり、その苦労を称えていた。哲雄の幼少期を知るものたちが多くおり、劉禛氏とその親族も参席していた。
渡辺氏の曽祖父渡辺章三郎がニューギニア戦線で一命をとりとめたことから始まり、哲雄の将軍即位に到る歴史を修辞的に語っていた。そして渡辺氏に付き従っていた者たちの演説があった。これもまた、内戦における渡辺氏の苦闘を称えていた。
これは、単なる国民は渡辺氏をたのみ参らすべきである、という意図が見え隠れして、あまり素直に喜べることではない。私の周辺でも、日本を救えるのは渡辺氏しかいないという話を耳にする。
渡辺氏に対する批判は許される。しかしそれは賞賛にかき消される役目しか果たさない。
2071/3/12(木)
高連の日本海側での軍事演習のニュースに、ざわついていた。里見君は大阪で幼少期を過ごしており、特殊鉄鋼の軍隊が戦闘を行っている中で多感な時期を過ごしたのだ。
戦争がまた起きるかもしれない。その感情は理解できる。だからこそ、私はとても彼らに共感することが難しい。
私には内戦による悲惨な記憶がない。だから、彼らの苦しみを理解することができない。理解しようとはどだい傲慢なことだ。
あの戦争は、一部の人間を除いては、国民の記憶だ。
九州や北海道、東京は直接的な被害を受けなかった。だから私はその記憶を他人からの伝聞でしか知らない。
昨日の演説も、まさに国民の記憶を創造するパフォーマンスなわけだ。そしてそうしなければ生きていく希望を見いだすことなどできはしない。
この点で里井君と意見を一致を見ることはないだろう。そうしようとすれば、偉大なる将軍渡辺哲雄を信奉せねばいけなくなるのだから。
哲雄を否定することは簡単だ。だが、哲雄以外に何がこの国の基礎としてふさわしいかとなると、私自身にも適当な解決法など思い浮かばない。
2071/3/13(金)
「将軍閣下は民主主義の擁護者である。将軍閣下はまた平和をもたらした救世主でもある」
「旧政府は民主主義も平和も尊重せず、国土を荒廃させ続けた」
「民主主義が尊重されずに、なぜ平和を実現することなどできるだろうか」
「いや、待て。そもそも民主主義と平和とは関係のあるものではないだろう」
「民主主義とは手段だ。そしてそれが良い方向に進むか悪い方向に進むかは、国民自身の判断によるものだ」
「民主主義とは平和と豊かさがあって初めて実現できるものだ」
「あれの何が民主主義的なのだ?」
「旧体制では天皇と臣民という関係であり、臣民は天皇のための道具に過ぎなかったが、天皇なき今日は全ての国民が平等だ」
「単に政治体制を取り換えただけで世の中が大きく変わるはずもない。権威を一つ取り換えただけでまた別の権威が派生するだけなのだから」
2071/4/2(木)
最近の世相に関して鳥山君が口を開いた。
「中国やシベリアからの亡命者が内乱を起こすことを危惧すべきですね」
高連が国内の不法滞在者を日本に送り出そうとしている、という風聞が広がっているらしい。
私はそれを聞いて、生きた心地がしなかった。
「差別主義者と同じことを言ってくれるなよ。君の祖父も、旧政府から難民として認められないことで大変苦労したんだろう」
「将軍閣下はそのような政府を倒してくれましたから。私は、同じ日本国民として生きたいのです。この戦争の勝利者として!」
鳥山君は以前からこういう思想に傾倒しているらしいとは知っていたが、目の前で国民になりたいと力説されると気おされてしまった。
「私たちは苦労してあの戦争を生き残りました。つまり私たちは選ばれた者だと思いませんか?」
さすがに『私たちはたまたま生き残っただけだ。』ということはためらわれた。私は、彼らのような戦乱を経験していないのだから。
北海道が渡辺氏の支配下に置かれてそろそろ七年が経つ。道の各地では建物や石碑に刻まれた佐藤家の君主の名前や肖像が次々と削られ、渡辺氏のそれに置き換わってきているという。敗れた者たちの恨みすらかき消されていく。
2071/6/2(火)
昼になり、ゆきつけの喫茶店に行くと、
「国民の創成は共通の信条から」というCMが流れていた。ひたすらに外の脅威を煽ることで団結をうながし、思想の統一を計っている。日本国民である限りいかなる民族や人種としてのアイデンティティでも尊重するが、それ以外の国に忠誠を誓うことは許されないわけだ。
このように錯綜した状況では自分で考えることなどできるわけがない。こんな下らないプロパガンダを制作した人間も、悪意で国民を誘導しているというよりは、何とかして意見を一致させることで、社会をまとめようとしてのだ。あまりに無粋な方法で。
2071/6/3(水)
今から二十年ほど前、哲雄がこの国をほぼ全土を掌握した時、人々はむしろ絶望に駆られたものだ。特鋼という巨大な支配機構は怨嗟の的となっていたが、それを打倒した者が果たしてより良い統治をもたらすかどうかなど何の確証もなかった。ましてや生命の危機が迫っており、政治に関心を持っている暇などなかった。
日本中で生き残るための闘争が、他人に対する敵意をむき出しに行われた。
幸いにも、関東では救国軍が到来した後でもあまり生活が変わることはなかった。せいぜい、街中を見張り、うろつく兵士が親特鋼派から反特鋼派に代わり、渡辺氏に対し牙をむいた者たちの死骸が歩道橋や高架に吊り下げられた程度のものだ。電柱にくくりつけられ、烏についばまれた屍を見たのも一度か二度ではない。
鳥山君が教えてくれたことだが、東京の外にいた者たちの暮らしぶりは悲惨なもので、彼もあの頃は他人の家の畑から作物を盗んででも生き延びたものだ。一世紀前も、ほとんど同じ光景を民衆は目にしたものだ。
いずれにしろあまりあの頃のことは思い出したくない。渡辺氏があの時から今に至るまで権力の中枢にいるのは悲劇だ。
あの頃の空気感を忘れ去ったものが大勢いる。職員室にもいるし、アパートの中にもいる。SNSの投稿ですらも、今や無条件で哲雄を信奉する書き込みであふれている。だがそれは、哲雄を信じているからというよりは、それ以外何も信用できないからだ。
誰も彼もが、信用できないのだ。
信用できないからこそ、自分に支持を集めるように仕向けている。私に従いさえすれば大きく道を外れることはないのだと。
彼は、うまくやったものだ。哲雄以外の人間が[祖国の統一を成し遂げてなお国土は荒廃しており、国民は神君以外の者に救いを見出すことはできなかった。神君にとってこの責務は相当な心労を伴ったはずである]
2071/6/8(月)
渡辺氏を唯一の国家の頭目として推戴しようとするあらゆる政策はうまく行っているとは思えない。無論、彼の統治が十年以上続いたのもあってもう彼以外が元首の地位につく未来を誰も想像できていない。だからといって、哲雄氏の権力をそれだけで排他的な物として固定しようとするのはまりに無理筋だ。高連はまだまだ発展していく。
いっそ高連に亡命でもするか?
2071/7/1(水)
情報局の職員がこの街の近辺を見張っているらしい、という情報が入って来た。
彼らは渡辺氏の狂信的信奉者であり、もし少しでも将軍閣下を悪く言うものがいれば捕まえて再教育を行うに違いない、と同僚はささやきあっていた。もうこの時点で私は悪寒がした。この中に協力者がいてもおかしくないのだ。クラスの子供たちの中にも密告者がいるかもしれない。
机の中に入れて誰にも見せずにいるが、このノートも秘匿せざるを得ないだろう。焼き払った方がいいかもしれないが、だがこの目が黒いうちはそんな恐怖で処分してしまうのは避けたい。
抵抗のあかしとして残しておきたい。いつか渡辺氏の支配が終わる時までに。[神君の支配は今や盤石であり、これからも安定することは確実である。いずれ渡辺氏の統治が暗黒時代をもたらうであろうという父の憂慮は杞憂となった]
2071/9/1(火)
秦くんが逮捕されたとのことだ。私も事情聴取を受けた。秦くんが何の罪で逮捕されるに至ったのか、全く知らされていない。ただ、彼が将軍に対する危険思想を抱いている節はなかったかどうか、厳しく取り調べられた。これを書いているのも午後十時以後のことである。
情報局の職員が入って来た時の緊張感といったらなかった。あの顔が忘れられない。個人としての情はほとんどかき消されていた。まさにあれは自分を国家そのものだと思い込んでいる人形のようだった。
私はそうはなりたくない。[情報局は今でも国民を監視しており、今でも不穏分素を再教育して真っ当な人間に更生させているというが、あれはほとんどカルトによる洗脳という他ない。彼らの活動が秘密裏のものであってはならず、より可視化されるべきである]
2071/9/4(金)
里見君は、いっさい秦君のことに関して触れない。逮捕されたことについて語るだけでも、身の危険があると思ってのことだろう。
全く平和ではないにも関わらず、平和に暮らしているように見せかけねばならないとは![情報局は国家の保全に貢献した。確かに一般市民との間に軋轢を起こしたが、それも神君のしらす国家を守るための、不可避の営みだった。どれだけ神君暗殺未遂の際、情報局がどれだけ活躍したかを思い起こすべきだ]
2071/9/6(日)
今日は何もない、いい日だった。騒ぎ合い、時には殴り合いの声も聞こえたが、死者が出ることはなかった。
「中国五千年、日本一万年!」と叫ぶ縄文主義者の街宣車が通りかかることがあったが、耳を貸すものはいないようだった。[縄文主義運動は2074年に禁止されたので、この時代にはまだぎりぎり彼らの息の根が止められていなかったことになる]
2071/9/17(木)
久しぶりに秦くんとの面会が許された。元気な様子だった。人格が変わったという様子もない。ただ、前に比べて心の何かが上書きされたような……精神を構成する一部が消えてしまい、あとから再構成したとでもいうべき違和感が全体的に漂っていた。
いずれ国民の誰もがそうなってしまうのか?
2071/9/23(水)
とうとう情報局に呼び出された。最初は命の危険を感じたが、彼らの物腰は終始穏やかだった。
まさにあれは、国家の忠僕であり、狂犬というべきだ。
汚い仕事を受け負っているからこそ、品位には相当に気を遣っているのだろう。国家のためにやむを得ず非道なことをしているのだ、と強弁するために。だが、そんな外面には騙されない。奴らは私の息子を人質にとっているのだから。
奴らの背後に長谷川炭治郎がついていると思うとぞっとする。あの男は市民の生活を守るかのように振舞っているが実の所秘密裏に多くの悲劇を招いているのだ。
情報局が私を迎え入れたのは、極めて口の堅い男で、人と触れ合い、情報を不特定多数と共有する環境にあるからとのことだった。
私に課せられた任務とは、偽情報を流すことだ。それも、あまり生活の良くない世帯の人々に対して。
実に巧妙だと思った。誰からも信用されない人間に、事実の欠片を嘘と一緒に吹きこめば、あとは勝手に話を膨らませて拡散してくれる。
決して誰にも口外にしてはならないと厳命された。この日記にも本来書いてはならないことだ。だからもしこの日記の存在がばれれば最悪、私の命はない。
それに、書き尽くせるはずがないのだ。奴らに言われたこと、情報局の施設の中で見たり聞いたりしたことのごく一部しか、ここには書けない。紙があまりにも足りないのだから。
とにかく息子の命には替えられない。[この日、私は救国戦争期に活躍した戦闘ドローンのプラモデルを組み立てて遊んでいた。まさか父がこれほど深刻な状況にあったとは少しも知らなかった]秦くんが変わってしまったのもむべなるかなだ。
2071/9/24(木)
情報局員はみな渡辺氏のことを将軍閣下と呼んではばからなかった。そして私にも彼を将軍閣下と呼ぶように強要した。
生徒たちも将軍と呼ぶことが普通になった。そして渡辺氏をかっこいい存在としてもてはやすようになった。
ノートに新国旗の絵を描き散らしたり、渡辺氏の演説やしぐさを真似する子も見かけるようになった。彼らが大人になった時、それを若気の至りとして恥じるか、それとも完全に誇りにしてしまうか。前者であってほしいが、もう教師としても、情報局から任務を託された者としても、その立場を支持することはできない。
彼らに確固たる政治思想が根付いてきているわけではないだろう。ただ単に、かっこいいからやっているだけに過ぎない。だが、その『かっこいいから』というのがあらゆる争いを加速させてきたわけだが。
それにどうやって異議を申し立てれば良いのだ。
この渡辺氏をおいてすでに国家の統治原理を定められる対象など、日本には存在しないからだ。もはや天皇家は国内になく、縄文主義は失敗した。
要するに、これからの時代に広がる物は巨大な虚無だ。もう誰も、集団を維持する大義を見つけられない、手に入れることができない、これほど怖ろしいことはない。
そのアノミーに末に再びあの悲惨な内戦が起きない可能性がどこにあるだろうか。
渡辺氏の後に誰が『将軍位』を継ぐのだ。この十五年で膨れ上がった権力を誰かに譲渡できるものではない。あるとすれば、もはやそれは渡辺氏の親族以外になく、あるとすれば彼の息子だ。[父の予想は現実の物となった。それはいかばかり不本意なことだったか知らないが、いずれにしても再びあの戦争が起きる可能性は防がれた]
二十年近く、渡辺氏は権力の座についている。そして、どれほど彼を弾劾する意見が国会やネット上であふれても、
「渡辺哲雄は国民を虐殺したが、彼がいなければより多くの犠牲者が出ることになった!」という感情により、あらゆる冷静な批判は封殺されていた。[彼らはさらなる犠牲をもたらすべく派遣された工作員に違いない]
2071/10/2(金)
家庭訪問である。訪問先の両親と政治の話になった。
埼玉県知事選の不正選挙疑惑が話題にあがった。渡辺氏の息のかかった候補が票の操作によって選ばれたと彼は信じていた。そして事実として、票の操作は存在したのだ。だが実際には小規模なものであり、完全に渡辺派の都合のいいように操ってしまうほどできのいい工作ではなかった。だが親たちはそれを相当手の込んだ計画によるものだということになっていた。
そして私は、彼らに、出所の怪しい文書を渡してその思い込みを補強してやった。
彼らは恐らく孤立してしまうだろう。そしてそれは私の罪だ。誰にもそれをなすりつけることなどできない。
また、インターネット上のアカウントを通して偽情報を拡散した。これらのことを、夜になってから極秘の番号を通して情報局に報告した。
そして、疑わしい者たちのリストを確かめながら、次に接触すべき人物について調べた。
2071/10/9(金)
情報局から報酬を受け取った。
この施設を出入りする時、職員は必ず決まってこう告げる。
「いいですか、ここで言われたこと、見たこと、聞いたことを、誰にも聞いたり、見たり、言ったりしてはなりませんよ」
極めて穏やかにそう言ってくれる。そしてそれを聞く時、私の心はいつになく寒々とする。理不尽に恐怖しなければならない時よりもまして、耐えがたい不穏さが身に染みる。
その親切心と、裏で非道なことをやってのける厚顔無恥さは同じものなのだ。
2071/10/28(水)
私は施設を出てから、とてつもない虚脱感を覚えた。なるほど、これが国家というものか。人間の一人では抗いがたい暴力を可能とする組織。
人間個人の意思など、この強力な悪意の前では塵に等しい。なぜ、人間はこんなものを発明してしまったのだろう。社会の発展の上でどうしても生じなければならないものではなかったはずだ。必要であるはずのものでもないのに。
将軍という言い方にもそろそろ違和感を覚えなくなってきた。慣れとは怖ろしいものだ。怖ろしいことをされた覚えもないし、奇怪な出来事も起きなかった。もう、そう頭が認識しなくなっている。これが時代というものか。
そろそろ寒くなって来た頃だ。急いで服を買い替えた。ベージュ色のコートを買った。
今や渡辺氏はマスメディアを支配している。反体制派的なサイトは検閲され、テレビでも体制に都合の悪いニュースはほとんど入らない。自分から調べなければろくに入らない。[神君とその輝かしいご子息に、一体何の不都合なことがあるというのか]
2071/10/30(金)
明日が来るのが憂鬱になって来る。以前は、行きの電車に乗るたびに必ず目にした男がいた。名前も知らないが、肩幅が広く、のっぺりした顔の見慣れた人間である。その男がここ三週間ほどずっと姿を見せていない。きっと住居でも移したのだろう。
私は社会を陰から操作することに何も感じなくなっていた。一人の人間に何ができる? この程度の工作、世の中を動かすにも足りないだろう。何より息子の命がかかっているのだ。
2071/11/2(月)
誰もが朝礼で、よどみなく将軍のありがたい訓示を読み上げるようになった。半年前はさほど真剣でもない態度でいい加減に音読する者が多かったが、この時だけは誰もが真面目に読むのである。
誰もが渡辺氏を将軍閣下と呼んでいるわけではなく、普段の会話では『哲雄』と呼びつけにする者も少ないが、哲雄が最高権力を掌握し続けること自体を非難する者はもはやいなくなっていた。思えばもう、子供たちは生まれた時から彼が最高権力者として君臨し続けている時代を生きているのだ。もう誰も彼を批判してはならないと言われたら、自然とそうするわけだ。[要するに、神君の栄光を胎内にいた時から浴び続けた名誉ある世代である。神君万歳!]
2071/12/10(木)
秘密の仕事が終わった。これでようやく私も疑われずに済む。元の普通の市民に戻ったのだ。
情報局とはもはや二度と関わりたくない。いずれにしろこの日記では情報局にまつわることは今後決して書かない。
こうやって生きていけるのは、誰のおかげだろうか。あのお方のおかげか。情報局も、あのお方の意向には逆らえないのだから。
2071/12/12(土)
ほとんど何もせずに一日を過ごした。私は、自分の心の移り変わりをただ漠然と思い返していた。我ながら、なんと身勝手な変節だ。
『1984年』では、主人公ウィンストンは最後にオセアニアの軍門に下り、忠実な下僕となってしまう。
私はウィンストンのように拷問を受けたわけではなく、再教育を受けたわけでもない。にも関わらず私がこのように渡辺氏を受け入れるのは、それがリズムとして定着してきているからだ。これは理性で抗えるものではない。長い長いアノミーとそれに対する苦闘を経て三島由紀夫の言葉が成就したのだ。
私は、いと高き将軍閣下を恃み参らせる。[こうして私の父は忠実な国民となったのである。このように父を導いた神君はいと尊きお方であらせられる。神君万歳、万万歳!]
・人物紹介
里見啓介(2034-2106)
日記作者の同僚として、学校資料に名前が見える。彼の孫は里見哲彦といい、造船事業で財をなした。
鳥山
伝未詳。ただ、東京都杉並区にある建国広場の建立記念碑に刻まれた設計者リストに鳥山聡という人名が見え、この人物ではないかと推察される。
秦継之(2045-2122)
幼い頃に父を亡くし、叔父の家で育てられた。神君の将軍就任以前から積極的に神君の執政官就任運動に参加しており、自らが反社会的な行為を行っていると疑った多くの人間を情報局に告発していた。22世紀に入ってからは北海道に移り住み、農業を営んだ。
渡辺章三郎(1905-1958)
磯江が注釈を施した時点では、まだこの神君の尊きご先祖をまだ祭祀の対象としてはいなかった。