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その72 コインロッカーベイビー

 えー、この話の始まりは、今から20年ほど前のことなんですが………。


 私……私と妻には子どもがおりませんでしてね。まぁお互いが若いころにした病気が原因で、それは仕方ないと思ってはいたんですが………お金も持て余し気味でしたし、やはり寂しいよねぇ、と。


 というわけで、私たちが30代の頃ですね。『身寄りのない子どもを引き取るのはどうか』という話が出たんです。


 『それはいいじゃないか』という話になりまして、さっそく資格をとりまして、いちばん近い児童養護施設のお世話になりました。


 そこにはたくさんの、赤ちゃんから高校生くらいまでの子どもたちがいまして………みんな可愛らしくていい子そうでした。お金さえあれば全員引き取りたいくらいだったんですが、もちろんそんなことはできるはずもなく。


 引け目を感じつつ、誰かひとりを選ぼうということになったんです。


 それで妻と話し合いまして……やはり、『まだ物心ついていないような赤ちゃんを引き取るのがよいのではないか』という結論になりました。そのほうが、本人の心にいちばん良いのではないのかと、そう思ったのです。


 そして、その施設に何人かいた赤ちゃんのなかから、ひとりを選びました。


 1歳くらいの女の子でした。1歳『くらい』というのは、正確な誕生日がはっきりしない子だったからです。


 施設の方に伺った話では、この女の子はとある大きな駅のコインロッカーの中で見つかったそうでした。裸んぼうの、産まれた直後のような状態で………でも産声すらあげられないほど衰弱していて…………名札も、身寄りがわかるものも何もない………まだ名前もついていなかったんです。


 私、許せなくってねぇ。


 その当時、そういうのが流行っているというニュースは目にしていました。望まない妊娠をしてしまった若い女の子が、誰にも相談できないままトイレなどで出産し、そのまま子どもをコインロッカーに捨てて立ち去っていく………そういう事件が増えていたんです。


 それまではテレビ越しにそういう話を聞くだけでしたから、"世の中には考えなしの人間がいるものだなぁ"程度の感想でしたが、いざ実際にそうして産まれて、捨てられてしまった子供を目の当たりにすると………すごく腹が立ちましたし、涙が出ました。『この子の人生にこれ以上の苦しみを与えるものか』と………決意した私たち夫婦は、すぐさまその子を引き取ることに決めたんです。


 そうして家に来てくれた娘を、私たちは『幸子(さちこ)』と名付けました。………平凡ですけど、いい名前でしょう………?


 それで、幸子と私たち夫婦の生活が始まりました。


 幸せでした……。妻も私も公私ともに順調だったし、幸子の無邪気な笑顔は眩しくて…………こんな夢のような生活を本当に自分が得ていいのか、怖くなるくらいでした………。


 幸子ですが、すくすくと成長していきました。幼稚園にも問題なく通って、社交的で友達も多く、いつもみんなの中心だったと聞いています。実際、家でもひねくれたところが全然なくって、いい子でした……いい子だったんです。


 でも、ひとつみょうな癖がありました、幸子には。


 幸子、やたらといろんなものを口に入れたがるんですよ………。赤ちゃんのころはそのあたりの分別がついてないですから仕方ないですが、小学生になってもそれは続きました。


 消しゴムや、印鑑や、家の鍵………手のひらに収まる小さなものならなんでも、ひょいと口に入れてしまうんです。"危ないからやめなさい"といくら注意してもやめることはできず………本人も困っているようでした。いわく、『私の中に入れられるなって思うと、つい口にいれてしまう』のだとか…………さすがに飲み込むのだけは自分の意思で耐えているようでしたが…………。


 今思うと、あれは『兆候』だったのかもしれません。


 幸子が小学6年生のころでした。


 ある日突然、彼女が部屋から出てこなくなったんです。


 一日中自分の部屋にカギをかけて、呼びかけても応えず………学校も休むようになりました。


 妻と私は"学校で何かあったのか"とか、"具合でも悪いのか"とか、いろいろと声をかけましたが……ろくに返事ももらえず。でも私たちにもそれぞれ仕事がありますから、ずっと部屋の前についているわけにもいかず…………。


 部屋の前に彼女のご飯だけおいて、心配な日々を過ごしていたんです。


 それで、二週間が経って、いよいよどこかのカウンセラーを呼ぼうという話を妻とし始めたころ…………。


 とある真夜中………唐突に、幸子の部屋の鍵があきました。そして小さく"キィィ………"と開いたドアの隙間には、部屋の電気が消えているようで、真っ暗な闇が満ちていました。


 その様を目にした私は"やっと出てくれる気になったのか"と安堵しましたが、でも焦ってはいけないと、幸子が自ら部屋の暗がりの中から姿を現すのを待ちました。しかしいくら待っても彼女は姿を現さず……………。


 しびれをきらした妻が、おずおずと声をかけたんです。


 "幸子ちゃん、具合はどう?"と………ドアをゆっくりと開きながら……………。


 部屋の奥の闇から返事はありませんでした。


 それで、妻が部屋の電気を点けるのを見ました。すると、妻が小さく悲鳴をあげるのを聞きました。


 その途端、最悪の想像が私の頭をよぎり…………ずっと目を背けていたその可能性が実現してしまったのかと、私は慌てて妻のそばに駆け寄りました。


 ですが………。


 部屋の中にあった光景は、私の想像していたような残酷なものではなく…………。


 もっと異様なものでした。


 "あれは、なに?"と、妻が震える指でさしたもの………。


 それはコインロッカーでした。


 駅にあるような青い塗装のコインロッカー………高さは180センチくらい。縦1列で、扉が4つ。そんな威圧的な存在感を放つ金属の箱が、どういうわけか、幸子の部屋の中心にどんと立っています。真上にある部屋の照明を冷たく反射して、下に濃い影を落としながら…………。


 もちろん私が購入したものじゃありません。妻にも心当たりがないようです。中にもなにも入っていませんでした。


 そして………幸子本人は、部屋のどこにもいなくなっていました。


 どこかに隠れているのかと、いくら探しても、あの天使のような娘は見つからず………警察にも届け出ましたが、まったく成果はなく……………。


 ………そうして、幸子はいなくなってしまったんです。


 妻はすっかりふさぎこんでしまい………体調も悪化して、仕事も続けられなくなって…………。


 ………数年後、手首を切って死にました。


 それ以来、私はずっとひとりです。


 果たして、幸子はどこに行ってしまったのか……………。手がかりといえば、部屋の中心に残されたコインロッカーだけ………。あの異様な存在感を放つコインロッカー………。


 あのコインロッカーはまだ、幸子の部屋の真ん中に立っています。捨てられるわけもないでしょう。


 それで………考えて、考えて…………。


 思ったのが…………。


 "もしかして、幸子はあのコインロッカーになってしまったんじゃないか?"と…………。


 ………意味不明なことを言っているのは自分でも分かっています。でも、そう考えると………。


 赤ん坊のころの幸子がコインロッカーの中で見つかったのも、スジが通る気がするんです。


 あれは、幸子があそこに捨てられていたんじゃなくって………。


 『そのコインロッカーこそが、幸子の本当の母親だったんじゃないか?』と…………。


 『幸子は実は、人間とコインロッカーのハーフで、人間として産まれて、成長したらコインロッカーになる運命だったんじゃないか?』と…………。


 ………ええ、自分でもおかしいことを言ってる。分かっています。


 でも、いちどそう思ってしまうと………。


 幸子の部屋のコインロッカー、あれがどうにもまるで生き物のように見えてきて………。


 扉が開くときの動きや、100円玉を入れたときの音、中で鍵がガチャガチャ動く様子が……まるで人間の女性の動きのように感じられるんです。


 あんなに固くて冷たくて角ばっているのに、女のように丸くて柔らかくて温かくて…………。


 そして………そう。もし幸子がまだいたのなら、今年で20歳になっているころで……………立派な大人の体つきになっているはずで…………。


 あのコインロッカーは幸子かもしれなくて…………。


 妻がいなくなってから、もう何年も経っていて………。


 私、寂しくて………。耐えられなくって……………。


 あの晩………家で、お酒を飲みすぎてしまって…………。


 コインロッカーの金属臭が、すごくいい匂いに感じてしまって…………。


 幸子は、コインロッカーは、抵抗なんかできないから…………。


 ああ、私は…………!


 なんということを…………!!


 …………


 …………


 …………


 …………どうすればいいんでしょう。


 私、わかります。もうすぐなんです。


 もうすぐ、あのコインロッカーの中に赤ん坊が産まれます。


 また新たな、コインロッカーベイビーが……………。


 誰か、私を罰してください。

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