その52 地面に落ちたアイスクリーム
子供のころに目にした、"脳裏に焼きついた忘れられない光景"ってあるじゃないですか。
私の場合、それは地面に落ちたアイスクリームの塊でして………。
小学生のころ、たまに遊びに行っていた公園に、アイスクリームのキッチンカーが来ていたんですよ。日本だとちょっと珍しいですかね。
夏休みのころでしたから、陽射しが暑くって……だから私、少ないお小遣いを握りしめて、アイスクリームを買うことにしたんです。
注文と小銭を受け取ったキッチンカーの店員さんがにっこり笑って、大きな銀色のスプーンみたいな器具を操り、円錐形のコーンの上に丸いアイスクリームの塊を乗せてくれるのを、私はわくわくしながら眺めていたのをおぼえています。
薄く黄色がかった、レモン味のアイスクリームでした。私はそれを両手で大事に受けとり、キッチンカーから少し離れたところでさっそく食べようと、小走りでそこを離れたんです。
と、そのとき。
足下にあった小石を踏んづけて、バランスを崩してしまいまして…………。
なんとか転ばずにふんばることには成功しましたが、アイスクリームが………。
黄色くて甘い丸い塊が、コーンからこぼれ落ちて公園の地面に落ちてしまったんです。
私はそれを見て、泣きそうな気持ちになってしまいました。新しく買うお金はありませんし………何も乗っていないコーンの軽さは虚しくて、それすら食べる気にもなれませんでした。公園の周囲の木々からは無数のセミの鳴き声が響いていて、間抜けな私を嘲笑っているような、とてもみじめな感じがしました………。
私は落ちたアイスクリームの前にしゃがみこみ、それをじっと眺めました。黄色い塊は、夏の直射日光を受けて、じわじわとその表面が溶け出しています。丸い輪郭は少しずつ歪にかたちを変えていき………垂れた液体が、地面に染み込まずに広がっていくのが見えます。
私はアイスクリームがそうして変化していく過程がすごく興味深く感じて、さっき不注意で落としてしまったことへのショックなんか、すっかり忘れてしまっていました。
じっと見つめているあいだに、アイスクリームはどんどん溶け出して、固体から液体へとその姿を変えていき………やがていつの間にか、その周囲に黒いものが集まりだしていました。
蟻たちです。
クロオオアリでしょうか、たくさんの小さな蟻たちが、地面に空いている小さな穴から、列をなしてアイスクリームに群がっていました。
突如現れたごちそうの山に、黒い縁取りとなってたかる無感情な集団…………。
無数の小さな生き物たちが、まるで機械のようにものを分解していく様は、自然のメカニズムの一端が、その壮大な姿を気まぐれに見せてくれたかのように、幼い私の目にうつったのです。
私、その光景がとても忘れられなくて………。
それから何年も経って、大人になっても、ときどきその光景を見たくて我慢ができなくなってしまうほどでした。
夏になったら、適当なコンビニでアイスクリームを買って、偶然を装ってベンチのそばに落とすんです。自分自身はそのベンチに腰かけて、頬杖をつきながら、うっとりとそれを眺めて過ごす………個体のアイスクリームが溶けて液体へと変貌していく過程と、それに群がる無数の小さな生き物たちの蠢きを眺めて過ごす、至福の時間……………それが、とても人には言えない私の趣味になっていました。
あるとき、どうしてこんなにこの光景が好きなのか、考えてみたことがあるんです。
それで出た結論は………ひと言では言えないのですが。
"幸せをもたらすはずのものがその運命を断ち切られ、無意味に地面に落ちる"という『為し得なかった幸福と滅び』、そして、"滅んだものがさらに分解されてあとかたもなくなっていく"という『諸行無常』の実感が、私の感性にすごく響くのだと思います。
アイスクリームって、幸せの象徴じゃないですか。作る人も、売る人も、買う人も、食べる人も……みーんな幸せじゃないですか。
だけど地面に落ちたアイスクリームは誰にも食べられないじゃないですか。本当はもっとたくさんの人を幸せにできたのに………多くの人を幸福にして、その役目を終えるはずだったのに。
しかしその使命は果たされず、心無い無数の虫たちに分解されていく…………。
その過程に、すごく"美"と、"運命の壮大さ"を感じて………ゾクゾクしてしまうんです。
………それで、あるとき思っちゃったんですよ。
"アイスクリームでこれだけの光景が見られるのなら、生き物だったらどれだけのものが見られるんだろう?"………って。
そう思ったらいてもたってもいられなくなって。
社会人2年目のある日、ペットショップで仔犬を買ったんです。とても可愛らしい………生後半年のゴールデンレトリバーでした。
まるでぬいぐるみみたいで……両目が宝石みたいにキラキラと輝いていて。きゅーんきゅーんって鳴いてすりよってくる、人懐っこい子でした。
これからたくさんの人に愛されるべき運命が待っているのが確実だったのに。
まさか、包丁で首をはねられることになるなんてね。
でもだからこそ…………。
土を敷いたガラスの水槽のなかで、無数のウジ虫に仔犬の生首が分解されていくさまは、これ以上ないほど美しかったんです。
金色の毛並みの皮の下で、ボコボコと小さな白い虫たちが蠢いて………真っ黒になった眼球からたくさんの汁が出ていて。黄色い体液が全体から染み出して、地面に広がって…………。
甘い腐敗臭が部屋の中に満ち満ちて。とても美味しそうにおもえて。
まるで、あの日地面にこぼした、レモン味のアイスクリームにそっくりでした。
…………ところで。
私、そろそろ社会人6年目になるんですが。
今度、妻とのあいだに子供が産まれるんですよね。
男の子の予定です。妻も、出産をとても楽しみにしていて……。
私もとうとう父親になるんだと思うと感慨深く…………"絶対に幸せにするんだ"と、心からそう思っているんです。
『幸せをもたらすはずのもの』が………『たくさんの人に愛されるべき運命が待っている』はずのものが……………。
もしも無意味にその運命を断ち切られ、無数の虫たちに分解されていく光景を見られたら………。
私、最高に幸せだと思います。
………でも悩んでいることがひとつあって、ぜひあなたの意見も聞きたいんですが。
腹から『出てくる前』と『出てきた後』。
どっちがいいと思います?




