その34 『怖い』がくるところ。
皆さんは『怖い』って感情、どこからくると思います?
例えば幽霊や怪物、怪異が怖いっていう感情は、その人の『今までの人生経験や一般常識に照らして、そぐわないことが起こっている』と脳が判断したときに出る、一種の警告のようなものじゃないですか。
そしてその警告っていうのは、身も蓋もない話をしてしまえば、『自身の生命が脅かされること』への警告じゃないですか。
だからその………たとえば産まれたての赤ちゃんは何も知らないから、床に砕けたガラス片が落ちていてもニコニコしてますよね。"触れると怪我する"って経験がないから。
でも同じ赤ちゃんを高い場所から足を掴んで逆さ吊りにしたら、当然泣きわめきますよね。経験がなくても本能で『これは生命の危機だ』とわかるから。
じゃあその『本能』ってなに? って話ですよね。
本能っていうのは、『魂に刻まれた恐怖』のことだと思うんですよ。
…………少し、前おきが長くなりましたね。
私、1児の母やってます。お話したいのはその娘の話で。えっと、名前は○○っていいます。
結婚してすぐの子供でした。
夫とは高校生のころに出会って、それからずっと大学も通して付き合ってまして。
社会人になって3年目で結婚したんです。それからすぐに妊娠して、産んだ娘です。
普通の赤ちゃんより大きくてね。お医者さんからも"こんなに文句なしに健康な赤ちゃんはなかなかいない"って言われて、うれしいやら恥ずかしいやらだったんですけれども(笑)
でも…………。
娘、すこしこう……変わったところがありまして。
すごく人懐っこい子で、私はもちろん、知らない人に向けてもいつもニコニコしていて、全然人見知りしないんです。
おかげで会う人みんなに可愛がられるような子だったんですが………。
唯一、夫………その子の父親です。
夫のことだけはものすごく嫌がっていて………。
近づいただけで大声で泣きわめくし、無理して抱きかかえようものなら力いっぱいに暴れて、かえって危ないくらいです。
産まれた直後からそんな感じでしたから、何か彼にひどい目に遭わされたとか、そんなこともないはずなのに………。
おかげで彼は育児に全然関われなくって。本人もすごくそのことを気にしていて、何度も私に謝ってくるんです。彼は全然悪くないのに。
私、そのことが申し訳なくって………どうしてそんなことになっているのか、ずっと気になっていました。
娘のその感じは数年経っても変わらなくって………保育園に入園するころになっても、私やほかの人ならニコニコしておとなしくしているのに、夫が関わったときだけものすごい癇癪を起こして暴れるような子のままでした。
保育士さんからも…………その、虐待とか……疑われるくらいで。
でも本当に、本当にそんなことはないんです。夫は良い人で………いつもすごく悩んでいて、娘が泣くたびに傷ついているんです。娘のために家の生活エリアも完全に分断して、ふいに鉢あわせたりしないように気を使って生活するほどです。
それで私、あるとき娘に訊いてみたんです。"○○ちゃんは、どうしてパパのことをそんなに嫌がるの?"って……………。
そうしたら娘は一生懸命に言葉を探しながら、こう答えました。
"○○ちゃんは、すごくこわくて、とてもイタイイタイだった。ふたりにあえるの楽しみにしていたのに。パパのせいでできなかったから、パパをみるとゾワッとなって、頭がわーってなって、ぐちゃぐちゃになっちゃうの"………そう言いながら、娘は泣きそうになっていました。
まだ子どもですから言葉があいまいで、分かりにくかったですが…………その話を聞いたとき、私、ピンときてしまいました。
…………実はその、お恥ずかしい話……………。
○○ちゃん、実は『妹』だったんですよ。
『きょうだい』の方は、私たちが高校生のころに、その、妊娠してしまいまして…………。
ふたりとも気をつけていたのに。運が悪かったとしか言いようがなくて。
だってまだ高校生だったんですから。
産めるわけないじゃないですか。
当時の夫が私のために、貯めてた貯金を全部出してくれたんです。
夫も私も、喜んでそうしたはずがないでしょう。
でもそんなこと、殺されたがわには関係ないのも分かってるんです………いちどそんな目にあったのに、また私たちのもとに来てくれたことも嬉しかったんです…………。
娘は……○○は本当にいい子なのに………。
その魂には夫への恐怖がつよく刻まれてしまっていて………。
あらゆる夫に関わるものに、強烈な嫌悪を感じてしまうようになってしまっていたんです。
………それで、そんな子が大きくなって………。
小学校の理科の授業で、"自分の体に流れる血には、親から受け継いだ遺伝子がたっぷり流れている"だなんて知ったら……。
どうなると思います?
………それ以来、娘はずっと病院に入院しています。
すこしでも切れるものや尖ったものを見ると、それで体を傷つけて、体の中のものを全部出そうとしてしまうから、分厚い布の拘束具を着せられて、ベッドに縛りつけられて……起きているあいだはずっと、猛烈な恐怖を感じて叫び続けていて…………。
まだ小学生なんですよ?
大切な……大切な娘だったんですよ。
あんな苦しみ続ける姿、見たいわけがないじゃないですか。
………いっそ、産まれてこなければよかったと…………。
つい、そう思ってしまうんです。




