その26 恐怖のおっぱい祭り
あの、この話なんですが、少し長くなります。
やたら蚊の多い夏でしたね……だから山奥は嫌なんだと、何度も思った記憶があります。
当時私は地方の国立大学2年で、ゼミの論文の材料を集めていました。文化人類学のゼミでしたから、研究テーマは民間信仰でして、これはまぁ純粋な興味からそのように設定したんですが、後悔しましたよ。
地方の民間信仰だけじゃテーマが広すぎることに気がついたんですね。何かもっと具体的な……どこか特定の、ひとつの信仰についてじっくり深く調べたほうがよい評価をもらえるぞと思って、まずは大学の図書館で日本のマイナーな民間信仰をたくさん紹介する内容の本をベラペラめくっていたんです。
そしたら『おっぱい祭り』って字面が目に飛び込んできたんですね。
いやまぁ(笑) 大学生ですからね(笑)
やっぱ見ちゃいますよ、そりゃ(笑) 興味しんしんに決まってるじゃないですか(笑)
……ふざけてないですふざけてないです。
実際、"性"をテーマにした祭りは日本全国にありまして、おっぱい祭りは全国でやってるところがあるくらいメジャーな題材ですし、男性器や女性器を祀るお祭りだって存在します。
性は生き物の根源ですからね。神秘的なものを感じてしまうのも当然ですよね。
それでまぁそのページを読んで、"面白そうだからこれにしよう"って思ったんです。ウケそうですしね。
でも大学生ですんでね。遠出するお金もないんで……何か近場でやってるところないかなあと。
載っていました。
実家から原付バイクで3時間くらいの山と山のあいだに、おっぱい祭りをやっている村がある、と書かれていたんです。スマホでも調べましたが、まだ年イチで開催されているようで、村の役場のホームページにはお祭りの写真が掲載されてました。
山奥ですが、その写真を見る限り人も多そうで、けっこう盛大なものに見えましたね。
"これは楽しそうだぞ"と、そう思ったんです。
しかも次回のお祭りは来週に開催されるとのことで……これは行くしかない、と。バイトのシフトも入っていなかったですし、ちょうどよかったんです。
一泊2日の予定にして、宿も予約して……当日の早朝まだ暗いうちに、原付を転がして向かいました。
到着は午前10時くらいでしたかね。慣れない道だったので思ったよりかかってしまった記憶があります、山道でしたし……。
でも着いたころにはその村、もうすっかりお祭りムードができあがってて、村全体が楽しげな雰囲気で溢れていました。
昼間なのに花火がポンポン定期的にあがってたりして、通りに屋台とかもたくさん出てて。
もちろん人も多かったです。観光客はあまりいないみたいでした。原付を駐車場に停めて、とりあえず宿にチェックインしました。
それでまぁ疲れましたし、腹も減ったんで、何か食えるものはないかと、とりあえず通りの屋台を見て回ることにしたんです。
楽しかったですねー。
定番のたこ焼き、焼きそば、チョコバナナはもちろん……おっぱい祭りに因んだ出し物とかもたくさんあって。
『おっぱい肉まん』って名前のちっちゃい肉まん2個セットとか(笑)
おっぱいの形に似せた飴とか、おっぱいにそっくりな水風船釣りとか、あとはえーと、そうそう、おっぱいの形をしたプラスチックのお面とかも売ってましたね(笑) デザイン怖いって(笑)
おっぱい型の袋に入った綿菓子でしょ? 胸におっぱいのイラストが描かれたTシャツも売ってたし……まぁそんな感じで、内心爆笑しながら祭りをまわってましたよ。もしかしたら顔もニヤついてたかもですね(笑)
論文の資料用の写真をデジカメでぼちぼち撮りながら人混みの中をすり抜けていって、結局、お腹にたまりそうな『おっぱい丼』を買うことにしたんです。
あ、『おっぱい丼』ってのは目玉焼きの乗った牛丼みたいな感じで、山盛りになったシルエットと真ん中に乗った黄身が、おっぱいと乳首っぽいってことらしいです(笑) おもしろいですよね(笑) 味はあんまりでしたけど。
で、屋台のおじさんにお金を払って、プラの丼を受け取ったとき、そのおじさんが言ったんです。
"あんた、観光の人だろ? 牛乳おまけしとくよ! この村の名物なんだ!"って。足元にあったクーラーボックスから、小さな牛乳瓶を渡してきたんです。
これもおっぱいにちなんでってことなんでしょうけど……実は私、乳糖不耐症で。牛乳飲むとお腹こわしちゃうんですよ。
だからその……飲めないんです。でも断れる勢いじゃなくって……結局、受け取ってしまいました。
適当に村の開けた場所に出て、丼ぶりを食べ終わると、自販機で買ったコーラを飲みながら、"この牛乳どうしよう"って考えました。
牛乳だから中身をそのへんに捨てることもできないし、瓶だしで……困ってたんですよね。暑い日でしたし、そういった面でもかなり不安でした。
そんな風に牛乳瓶を眺めていると、ふと、私のことを眺めてる人がいたんです。
おばさんでしたね。いかにも地元の人みたいな感じの……その人が私に、"ねぇ、それ飲まないの?"って訊くんです。
(いきなりそんなこと聞いてくるなんて、変だな)と思いましたが……正直に"屋台のおまけでもらったんですけど、体質的に無理なんですよね"って返しました。
そしたらそのおばさん、"じゃあそれちょうだい! もうアタシきらしちゃったの!"って。
(牛乳くらいそのへんで買えるだろ……)と内心思いましたが、私も処分に困っていましたので、よろこんで譲りました。
そしたらそのおばさん、その場で牛乳瓶の蓋を外して……
両手で瓶をしっかり持って、
ペロペロ舐めるように飲みはじめたんです。
口を大きく開けて、舌を思いっきり伸ばして……
犬や猫が水差しの水を飲むときみたいに、舌ですくい上げるような飲み方なんです。両目はギョロリと牛乳のほうをずっと見ていて……すっかり夢中になっていました。
その飲み方があまりにも気持ち悪くて、私、それ以上会話がおこる前に、すぐにその場を立ち去りました。とても見ていられなかったんです……。
まだ陽も高いのにあんな不審者と遭遇するなんて……じっとり汗ばむような不快な暑さのせいだったのかもしれないと思いました。
すごく不気味でしたが、しかし帰るわけにはいきませんでした。
祭りのメインイベントは夜にあったんです。
午後6時に、この祭りの主催である神社がご神体をお披露目するイベント、いわゆる御開帳があるんです。祭りを取材しにきたんですからそれだけは絶対に逃せませんでした。
なので、6時まで時間を潰さなくちゃいけなかったんですが……夏でしたから……それがしんどくて。
陽射しは強くて眩しいくらいでしたし。湿度も高くて汗がたくさん出ました……。
村のどこもかしこもみーんみーんと蝉の声が響きわたっていてうるさくてたまらない。
おまけに蚊が……
とにかく蚊がたくさんいて……
虫除けスプレーを吹いても吹いても腕や顔にまとわりついてくるんです……何匹潰しても次から次へとやってきて……。
とても屋外にはいられないと思って、喫茶店を探して入りました。古い喫茶店でしたが、そこはエアコンが効いていて助かりましたね……。
それで当然飲み物を頼んだんです、アイスティーを。
そしたらそこの店主のお姉さんが
"観光の方ですよね? この村の牛乳、サービスしますからぜひ飲んでください!"って。
正直うんざりでした。そのとき私、ちょっと気分がささくれだっていましたし、善意なのは分かってるんですけど、このときはキチンと言えました。
"すいません、私、牛乳飲むとお腹壊してしまうんです。ありがたいですが、結構です"と。
そしたらお姉さんは少し残念そうにしました。でも無理強いしてくるようなこともなくって、そのあとは会計までとくに会話もありませんでした。
それで御開帳までの数時間、その喫茶店にいるあいだに気づいたんですけど、
この村、牧場ないんですよね。
そもそも山あいで、たいへんに起伏の多い土地ですから、広い土地が必要な酪農に向いてないんですよ。おまけにこの村はとにかく蒸し暑い。酪農には涼しい土地が適しているのに。
だから牛乳が名物になるわけないんです。
でもまあ実際のところ『どこどこ村の名産〜〜』みたいなものって、村おこしのために近年無理やり作られたものってパターンも珍しくないので、そのときはそんなものなんだろうって思いました。
……で、読書とかして時間を潰して……
いい時間になったから店をでました。夏場でしたから、まだ外は全然明るかったですね。蝉も相変わらずうるさくて。蚊もうんざりするほどそこらに飛んでいて……。
神社の場所は分かってましたから、向かうと、境内にたくさん人が集まっています。私、その人混みになんとか分け入っていって、中心が見える場所までたどり着きました。
人混みの中心には杭に結ばれたロープで空間が区切られていて、緋毛氈が地面に敷かれていました。けっこう広くて……あの、映画のイベントとかで見るレッドカーペットみたいな感じで長く続いていました。
それがやや遠くに見える神社の拝殿をぐるりと回りこんで……私からは見えませんでしたが、きっとご神体が納められている本殿まで続いているに違いありませんでした。拝殿はけっこう大きくて、いかにも歴史がありそうな、立派な建物でした。
私、デジカメでパシャパシャ写真を撮りながら待ちまして……。
そして、ついに始まったんです。
最初は正装の宮司さんが集まった人たちの前に現れて、挨拶しました。すると集まった人たちみんな静かになって、一気に厳かな雰囲気に満ちました。カメラのシャッター音すらうるさく聞こえる気がして、私、写真を撮るのを遠慮してしまったくらいです。
それから神主さんと巫女さんが何人か出てきて、祝詞を詠んだり、舞を舞ったり……神道でよく見られる形態の儀式ですね。私の研究テーマではありますけど、ここはちょっと本題じゃないんで……。
で、ついに御開帳のときがきたんです。
私、この神社のご神体が何か知らなかったんですが……まさかあんなものだとは……………。
最初に気づいたのは、ガラガラという大きな音です。それが何の音かというと、荷車の車輪の音でした。木製の大きな荷車が宮司さんと何人かの神主さんに引かれて、拝殿の裏から現れたんです。緋毛氈の上を通ってこちらに向かってきていました。
それに気づいた周りの人たちもにわかに興奮したような様子を見せはじめて、小さく歓声をあげたりしていました。とうとうご神体を目にすることができるんだと。
それで、その荷車の上に乗っていたのが……
人間の乳房が全身にびっしりとついた、大きな生き物だったんです。
多分、本体は芋虫のような、手足のないかたちをしているんだと思います。
全長は4メートルくらいあって、パンパンにはちきれそうなほどに丸いシルエットの生き物が荷車の上に乗っていました。
全身には無数のおっぱいが隙間なく並んでいて……生き物が身じろぎするたびに、肌色の表面がゆさゆさと柔らかそうに揺れていました。
無数の乳首がぎゅっと四方を向いている様は気持ち悪くて……集合体恐怖症的な怖さに鳥肌が立ちました……。
私、あんな生き物を初めて見ましたから、あれは何だとひどく混乱していました。でも神主さんたちや周りの人たちは平然としています。
そうこうしているうちに、その生き物が荷車から下ろされました。着地したときに、どさり、と重い音がしたのが聞こえました。生き物は牛のような、低い唸り声をあげていました……。
それから宮司さんが言いました。
"それでは縄を外しますので、どうか押しあわず、順番におねがいします"と……。
神主さんが空間を区切る縄の一部を外しました。すると、集まった人たちがぞろぞろと、その生き物の周りに近づいていきます。
そしてみんないっせいに……そのおっぱいに吸いつきはじめました。
子供も、大人も、老人たちも、男も、女も……みーんな、夢中になってその生き物のおっぱいを吸っているんです。彼らの両目は大きく見開かれて、おっぱいに向けられていて……。
彼らの口の端からは白い液体がたらりと溢れていました……それを見たとき、私、わかってしまいました。
"あの牛乳、ここで採れたものだったんだ……"って。
私、その様子にもうクラクラしてしまって、取材どころじゃありませんでした。あまりにもおぞましい……。
逃げ出しました。人ごみを抜けて、神社の外まで走っていって……。
なんとか宿に戻りました。しかしもちろん休めるわけもなく……無理やりチェックアウトして、原付で村を出たんです。
夜の山道は危なかったですが、なんとか自分の家まで戻ることができました。
でもその日はやっぱり眠れなかったです。ずっとあの生き物について考えてしまって……。
あの生き物……おっぱいの化物。
正体はなんなのか分かりませんが、とにかくおぞましかった。
でも本当に私が恐怖を感じたのは、その生き物自体じゃなくて、その様子です。
あの生き物……苦しんでいたんです。
村人たちに全身のおっぱいから母乳を吸われているあいだ、あの生き物はずっと苦しそうな鳴き声をあげていたんです。牛のような低いうめき声を……。
だけど村人たちは母乳を吸い続けていた……代わる代わる、みんな夢中になって……生き物が苦しむことなんか気にもとめずに。
……調べたんですけど、母乳って、ほぼ血と同じ成分なんですって。
私、あの村人たちを叩き潰してやりたくなりました。
だって、蚊とそっくりじゃないですか。
本当に気持ち悪い。




