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その19 『産みなおし』の儀式

 それでは私の番なので、はじめさせていただきます!


 こちらは私の別れた元妻の話でございましてね! まず当時の妻とどう出会ったかから軽く説明いたしますとーー


 ……あ、すいません、うるさかったですか?


 いやぁごめんなさい、ちょっとはりきり過ぎてしまいました。いよいよ自分の番だと思うと緊張してしまいまして。


 じゃあいったん仕切り直しますね! えー…………


 これは私の別れた元妻の話なのですが、まぁ嫌なできごとでしてね。


 まず彼女とですが、大学在学中に出会いました。同じ講義をとっていまして、たまたま席が隣同士だったことがきっかけです。


 そのとき私はついうっかり筆記用具を忘れてしまいましてね。それをつい口に出したら、横から聞いてた彼女が、余っているからってひとつくれたんですよ。それがきっかけで仲良くなって、デートとかもして、いつの間にか数年経って、ふたりとも就職して安定したら結婚するつもりだと、自然とそう考えるようになってました。


 ふたりともそれぞれ新卒で入社した会社で3年くらい働いて、私もそれなりの成果をコンスタントにあげられるようになりまして……順調でしたね、何もかも。それで、そのままの勢いで結婚しました。20代なかばのころです。


 あのころは本当に毎日充実していました。


 それで1年くらい経ったころかな。彼女が身ごもったんです。すごく……嬉しかったですね。私も子供は欲しかったので、これからふたりを幸せにするためにますます頑張らなくてはと、より仕事に打ち込むようになりました。


 彼女のお腹もだんだん大きくなってきて……たしか……6ヶ月めでした。


 お腹の子供も安定期に入って、順調に成長していて、でも彼女が歩き回るのがだんだんしんどく感じてきたころで。


 本格的に動けなくなる前に、一緒に必要になるものを買いに行こうと言ったんです。赤ちゃん用の小さな家具とか、子供用の服とか……。


 私、免許持ってないものですから。ふたりで最寄り駅から電車に乗って、東京のとある駅で降りて。


 そしたら、近所で何かイベントでもやってたんですかね。信じられないくらい人通りが多くて……急いでいる人もたくさんで……。


 だから誰かの肩がぶつかって、彼女が階段の上から突き落とされちゃったんです。


 私は庇えませんでした。アッ、て思ったら隣にいたはずの彼女の体が離れてて。彼女も何がなんだかわからないような、悲鳴なのかはっきりしない声をあげて。


 長くて硬い階段をゴロゴロと、一番上から一気に下まで。


 最初に悲鳴をあげたのは、周りで見ていた人たちでした。


 彼女はうつ伏せになっていて。うすピンク色の春らしいロングスカートが、足の間からじわじわと鮮やかな赤に染まってきていて。床の黄色い点字ブロックに沿って、たくさんの赤黒い血が筋を描いて溢れていくのが見えて……それを大勢の人たちがとりかこんで見下ろしていて…………。

 

 私、頭が真っ白になって泣き叫びました。妻はぐったりして青ざめていて……あんなに、あんなにたくさんの血が……。


 それからです、私たちの生活が一変したのは。


 彼女は一命をとりとめました。でも顎の骨が割れてしまっていたので、大手術をした跡がくっきり残ってしまいました。その……こんなこと言うのも何なのですが……正直、知らない人だったらつい目をそらしてしまうような大きな傷跡です。彼女はそれ以来、ずっとうつむいて喋るようになりました。鏡を見るのもすごく嫌がるようになって……。


 それにもっと良くなかったのが、子供が流れてしまったことです……ええ、お医者様たちも手を尽くしてくれたんですが……どうしようもなかったと。


 彼女はそれがあってから、すっかり元気がなくなってしまいました。一日中ベッドの上でぐったりと横になり、食欲も全然ないようで、どんどん痩せていくのが辛かったです。風呂に入ることも自分だけではしなくなり、髪はぼろぼろ、肌もひび割れて……かつての彼女の姿は見る影もありませんでした。ときどき、婦人科でのエコー検査のときにもらった写真を引っ張り出しては、疲れて倒れるまで大泣きするんです……まさか捨てることなんてできないし……。


 もちろんそんな状態で仕事ができるはずもなく……生活も、とても苦しい状態になりました……。


 精神科医にも何度も相談しました。でもお医者様たちにもどうしようもないようで、睡眠薬と処方してくださるほかには、"彼女が元気になるまで、旦那さんがそばで支えてあげてください"と、そう言ってくるだけなんです。


 彼女の両親は近くに住んでおりましたから、毎日様子を見にきて、彼女の世話をしてくださいましたが……私の両親はもう亡くなっていたので……兄弟もいませんし……。


 だから、私がなんとかしなくてはと、当時の私はそういう考えにとりつかれてしまっていたんです。


 いろいろ調べているうちに、こう考えるようになりました。


 "彼女の苦しみの原因が、子供が産まれてこなかったという事実と、それを受け入れられないことにあるのならば、もう一度子供を産めばそのトラウマが上書きされて回復するのではないか"と。


 ……もちろん、彼女は弱っていますし、そんな気持ちで子供を作るなんて、人間のすることじゃありません。でも理屈として可能性はあると感じました。相談できそうな人にはみんな相談して……そしたら、私の友人のひとりがこんなことを言い出したんです。


 "知り合いの神主の方が、以前に同じような女性の相談にのって、立ち直らせたことがある"と。


 詳しく話を聞いてみると、その神職の方が、過去に特別な儀式をして、同じように子供を亡くした方を元気づけたことがあるらしいと、そういうことらしいです。ついに見つけたと思いました。


 すぐに連絡先と場所を聞いて、まずはインターネットでその神社について調べました。するとけっこう大きくて、地元だと有名な神社のようです。私はますます期待して、メールフォームから相談を送りました。


 数日経って返信がきました。引き受けてくださるそうでした。それから何度かリモートで宮司さんと相談させて頂いて、特別な儀式の内容と、行う日時と場所を聞きました。日帰りで行けそうな距離で安心しました。宮司の方は親切そうな年輩の男性で、神主らしいとてもていねいな方でいらっしゃいました。ああ、この人なら安心して任せられそうだなと、そう感じさせるような。


 時間は真夜中、場所はその神社でした。その夜だけは境内に私と彼女だけを入れてくださるそうで。必要なものもすべて向こうが用意してくださると言ってました。


 でもお金はいらないというんです。私が払いますと何度も言っても、"人助けのためですから"と言って受けとろうとはしないんです。少し怪しい気もしましたが、そのころの私は疲れ切っていたので……あまり深くは追求しませんでした。


 儀式の内容と手順が連絡されて、それから数日後の、約束の夜になりました。


 彼女と私は義父の車でその神社まで行きました。


 義父は車に残ってもらって、私は彼女の手をひきながら神社入り口の鳥居に行きますと、胸くらいの高さに紙垂――――あの、神社によくある白いビラビラした紙です、それがついた縄が張ってあって、人が入らないようにしてるんですね。見慣れない光景に異様さを感じながらも、なんだか厳かな雰囲気があって、緊張しました。


 その縄は下をくぐって入るようにと事前に伝えられていましたから、入りますと、長いまっすぐな石畳の参道の先、神社の本殿前にある石階段のさらに手前に、神職の方がふたり立っているのが見えました。


 片方はリモートで何度か顔を合わせた、あの宮司さんでした。彼は私たちのほうをじっと見ていました。どうやら助手らしいもう片方の神主さんは、大きな和太鼓のそばにバチを持って立っていました。彼らの口もとは白い布で隠されていました。あたりは参道わきの一対の松明に照らされていて、荘厳な雰囲気でした。


 宮司さんのそば、神社本殿の真正面に、それはありました。


 大きな麻袋でした。具体的には、スイカよりふた周りくらい大きな丸い麻袋が大きな桐の台の上に乗せられていました。夜闇の中で松明の火に照らされて、輪郭がふしぎに揺らめいているように見えます……私たちがその前に立つと、宮司さんが恭しくお辞儀をしました。それでいよいよ儀式が始まるとわかりました。


 私は儀式の手順は予め聞いていましたから、無言で頷いて、そのハサミを受け取りました。するとそれを合図にして、バチを持っているほうの神主さんが、そばの太鼓をゆっくりと叩きはじめたのです。


 私のとなりの彼女は、なにがなんだかわからない表情をしていましたが、落ち着いていました。


 どん、どん、どん……と、真夜中の境内に太鼓のゆっくりとした重い音が響き続けています。


 私は彼女の手をとり、ハサミを握らせると、麻袋の前に立たせました。彼女は何も知らないし、何が起こっているかわからないので、彼女の手に自分の手を添え、そのハサミを麻袋の端にあてます。


 このとき不思議な感覚があったのを覚えています……揺らめく松明の明かりを受けた麻袋が、太鼓のゆっくりとした音に合わせて、どくん、どくんと……まるで生き物の心臓のように拍動しているような感覚です。もちろん錯覚だと思いますが……そのときの私にはそれがまるでほんとうのことのように思えて……ハサミを入れるのを躊躇するほどでした。


 でも同時に、添えた彼女の手の冷たさも感じたんです。あまりにも小さくて、やせ衰えた骨の硬さがよくわかって……"なんとしても彼女を助けなければ"と自分を鼓舞して、深呼吸をしました。


 麻袋に刃を入れて、縦にざくざくと切っていくと、中には厚紙で作られた球体の張り子が入っていて、これが丸いシルエットを形作っていたのだと分かりました。そしてさらにその張り子のなか……中心にそれはありました。


 人形でした……米の入った布を紐で縛って作られた大きな人形です。首と頭、手足ははっきりと造形されていて……赤ん坊を模していました。


 そこにあるのは分かっていたはずなのに、私、それを実際に目にしたら、ひゅっと息が詰まってしまいまして……それほど異様な存在感がありました。明らかに『何かが宿っている』と確信できるほどの……。


 ……もうお分かりですよね。


 この儀式は『産みなおし』の儀式なんです。


 母胎を模した麻袋から、赤ん坊を模した人形をとりあげて、参道を通って出口から出る。そういう儀式なんです。宮司さん曰く、母親になるはずだった女性に出産を擬似体験させることで『産めなかった』という悲しみを祓うための儀式であると同時に、産まれることができなかった子供の魂を慰めるための儀式であるそうです。


 私はそれを聞いていたから、その人形に何かが……なにか霊的なものが宿っているに違いないと、そう確信しました。


 その不思議な確信は彼女にも訪れたようで、彼女は人形を目にしたとたん、"ああー!"と叫んでハサミを地面に落とし、両手でその人形を抱えあげました。ていねいに、愛おしそうに方胸に抱くその姿は、かなわなかった母としての彼女の姿にまちがいなくて……コンプレックスの顎の傷跡も隠そうともせず……! あんなに嬉しそうな笑顔の彼女をどれほどぶりに見たことか…………!! 私、許されるなら大声で泣き出したかったです…………。


 でもまだ儀式は終わっていませんから、私、ぐっとこらえまして、彼女をもと来た道に向けて促しました。参道を鳥居に向かって歩くのです。太鼓の音はずっと続いていて……一定の間隔で続く単調なその音が、まるで赤ん坊の心臓のようで……。


 宮司の方が先導してくださって、長い参道をまっすぐに歩いていきます。そのあいだ、彼女はずっと嬉しそうにニコニコしながら、胸元の人形にいろいろ語りかけていました。そのさまを横目で見た私は、しかし何か不吉な予感をおぼえたんです……。


 宮司の方が鳥居の縄を片方外して、屈まずに通れるようにしてくださいました。"旦那さんの方から先に出るように"との指示があったので、私が先に鳥居をくぐって外に出ると、急にぶわっと生温い夜風が吹いて、汗が背中にじわりと浮かびます。


 ふりかえると、宮司に促されて、彼女が鳥居をくぐるところでした。足どりは軽やかで、抱えた人形を大事そうにして。


 そうして彼女が神社から出た直後でした。


 "おぎゃあ!!! おぎゃあ!!! おぎゃあ!!! おぎゃあ!!!"


 産声です。


 驚いて見ると、あの宮司さんが産声をあげているんです。片手で口もとを隠していた布を持ち上げて、その下に覗いた口を大きく開けて。舌を突き出して。目を見開いて。体は直立不動で。老人の男が、


 おぎゃあ!!! おぎゃあ!!! …………って。


 だいたい1分ほど続いたと思います。私、これは聞いていませんでしたからびっくりして何もできませんでした。彼女はというと……やっぱりニコニコしながらその産声を聞いていた気がします。布でできた人形の顔に頬ずりなんかしていたりして……。


 このとき、私、ちょっと冷静になってしまいました。


 それからすぐまたゾッとしました。


 この異様な光景はなんだと。


 真夜中の神社で産声をあげる老人。布でできた赤ん坊を愛でる女。遠くからまだ続いて聞こえる太鼓の音。


 どう考えたってまともじゃない。


 こんな異様な儀式でやってくるものが、まともな存在であるわけがない。


 そもそもこの儀式が『産みなおし』の儀式なのは理解していた。


 だけどそのあとは?


 彼女はこの布でできた人形を育てるためにこの後の人生を捧げることになるのか?


 その人形に宿っているのは、少なくとも絶対に、私たちの子供なんかではないのに。


 そういった考えがひらめいた直後でした。私の身体はバネじかけのように動きました。ずいと手を伸ばして、彼女の腕の中から人形を引ったくったのです。


 彼女は悲鳴をあげました。宮司さんが"やめなさい!"と叫びました。


 でも私は無視して、その人形を足もとの石畳に叩きつけたんです。すっかり興奮していて、何度も何度も赤ん坊の人形を踏みつけました。柔らかい感触があって、布が破れて、中に詰まっていた生米が周囲に撒き散らされて、飛沫みたいに散らばって、人形はあっというまに原型を留めないほどにぐちゃぐちゃになりました。


 ふと我にかえると、彼女が地面にへたりこんで、頭を抱えています。


 "ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ"と、彼女はずっと笑っていました。


 宮司さんは顔を真っ青にしていて、ぶつぶつと何やらつぶやいています。呆然としているようで、その視線はぐちゃぐちゃになった人形に釘付けになっていました。


 だから私が笑い続ける彼女の手を引いて車に戻ろうとしても、止めるそぶりも見せなかったんです。


 …………これが、私が経験したできごとのすべてです。


 あれ以来彼女はずっと虚空を見つめて笑い続けてます。今はどこかの精神病院に入っているんだったかな……知りませんけど。


 その後、私は彼女と離婚し、別の女性と再婚しました。


 娘もひとり産まれて、今は幸せに暮らせていると思います。


 ………え? 元妻とはどうして離婚したんだって?


 ………だってこのできごとで、もう彼女は絶対に回復しないと分かってしまいましたから。


 もう子供も産めないし、頭もますます壊れてしまったんですよ。


 普通に考えていらなくないですか(笑)

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