その10 納得のいかない話
なんていうか、いまだに納得できない話なんですけど……。
私、数年前まで刑務所に入ってたんですよ。半年です。話したいのは、刑務所に入るきっかけになったできごとの話で。
そのころ私は社会人2年目くらいで、仕事にも慣れてきたし、ゴールデンウィークを利用してどこか温泉旅館でもいくかーって思って。でもひとりで行っても退屈だろうから、仲のいい同僚を誘ったんです。
そいつもゴールデンウィークは暇みたいだったから、男ふたりで車旅だーって。2泊3日の予定で、長野県の山奥の宿をとったんですね。それで出発して。
1日目は車で移動して、長時間運転したからヘロヘロになっちゃって。旅館についたらささっと温泉に入りました。あの風呂は気持ちよかった……川の近くの旅館だったので、露天風呂からせせらぎが聞こえて。ほかにお客もほとんどいなかったと思います。だから私、あいつとふたりでじっくりいろいろ話しました。仕事の愚痴とか、彼女との仲とか……楽しかったなあ。
料理も奮発してけっこういいコース予約してましたから、とても美味しくて。山菜料理に川魚、もちろん蕎麦もあったりして……。
うん……それで、1日目は普通に寝たんですよ。本当に何もなくて……幸せでした。
翌日は、まぁ朝からもう一度温泉入って、上がったら、近くを散策でもするかーってことでスマホで近くの観光スポットを探したんですよ。ふたりともあんまり有名な観光スポットとかは興味なかったから、なんか近所の珍しいものでも適当にぶらりと見て、残りの時間は旅館でダラダラして過ごすつもりだったんです。
それで、見つけてしまいました、私が。
旅館から車で20分くらいのところに有名な心霊スポットがあったんです。古い、山道のトンネルで……今はそのトンネルに続く道自体が通行止めになってます。そのトンネル、建設途中にあった地震の土砂崩れのせいで半分くらいが埋まっていて、巻き込まれた作業員たちの霊が出るんですって。いちど掘ったトンネルをまた埋めなおすのも金がかかるから、立ち入り禁止にはなっているけど、トンネル自体はまだ残っているんだとか。
その話をスマホの地図アプリの口コミで読んで、私、なんだかすごく惹かれてしまって……どうしてもそこに行きたくなってしまったんです。
だから一緒に行こうぜって、あいつに言ったんだけど、あいつすごく嫌がって。それがなんだか私すごく腹がたって、強いことばで食い下がってしまったんです。私、べつに心霊とか興味ある方じゃないはずなのに。
あいつ、そんな私にうんざりしたのか"じゃあしょうがない行くよ"と。"でも夜の山道は危ないから、行くなら暗くなる前にな"って言って、ついてきてくれることになりました。
出発したのは昼食を食べて昼過ぎでした。ふたりで車に乗りこんで、調べた道のりを進んでいきました。山の斜面に沿った道は蛇のように曲がりくねっていたので、慎重に運転したのを覚えてます。狭い山道でしたが……そのトンネルへと向かう道の前には、お誂え向きに車を停められる空間がありました。たぶん、工事車両とかが使うスペースなんだと思います。
私たちはそこに車をとめて降りました。ほかには車や人影はなく、私たちだけでした。天気はなんだかどんよりとしてきて、薄暗かったです。そのトンネルへと向かう分かれ道の前には、誤進入を防ぐために鉄のフェンスが道いっぱいに張られていました。フレームにサビは浮いてますけど、フェンス自体はしっかりしていて、とても素手じゃ侵入できそうにない感じでしたね……。
それを見てあいつ、"中に入れそうもないし、もう帰ろう"って言い出したんですが、そのとき私、車の工具箱の中にペンチが入ってるのを思い出したんです。だからそれを引っ張り出したんですが、あいつは"そこまでする必要ないだろ"とか"犯罪だぞ"とか言うんです。今思うとまったくその通りで……あのときの私、なんであんなに夢中だったんでしょうか。
無理やりそいつの腕をふりはらって、ペンチでフェンスを切りました。中に押し入ると、わずかに見えるボロボロのアスファルトの道と、その両わきを固める、地すべり防止の硬い壁がそびえています。そしてその奥に例のトンネルがぽっかり大口を開けてました。車二台分の幅がある、大きな入り口です。
もちろん照明なんかついてないですし、外の陽の明るさも相まって中は真っ暗、何も見えません。古めかしい入り口まわりのコンクリートはひび割れて、歪んでいるようにも見えます。吹き抜ける風もないものですから、空気は淀んでいて、落ちた草木や死んだ小動物の腐った臭いが鼻をつきました。
私とあいつはその前に立ち、トンネルの入り口をじっと覗き込みました。あいつは"満足しただろ、もう帰ろう"って何度も言ってました。でも私……どうしても、どうしてもそのトンネルの奥にまで行きたくてたまらなくなってしまったんです。
どうしてかはわかりません。気がついたら私は走り出してました。あいつが止める声が聞こえたと思います。トンネルの中に入り、真っ暗な中を走りました。あんな経験は初めてでした……だって、本当に何も明かりがないんですよ。目の前が壁であることも、踏み出した先に地面があることもわからない。本当の暗闇です。上下の感覚すら狂いそうなほどに深い暗闇の中を全力で走る……私、すっかり興奮してしまって、わけのわからないことを喚いていました。その声がトンネルの内壁に反響して、わんわんと私の耳に聞こえます。反響した声がまた方向感覚を狂わせて、私はもう、前と後ろ、どっちに向かって走っているのかすらまったくわからなくなってしまいました。
それで、思いっきり転んだんです。当然ですけど……腕と脚をしたたかに地面に打ちつけて、その痛みで我に返りました。自分が何をしているか、そこでやっとわかったんです。あわてて周りを見渡すと、まったくの暗闇のなか……私、パニックになりそうでした。
でも、そこでポケットにスマートフォンがあるのを思い出したんです。取り出してライトをつけると、トンネルの内壁が照らし出されました。なんの変哲もない普通の……コンクリートだかセメントだかわかりませんが、そんな感じの壁でした。
私は少し落ち着きました。少なくとも自分がどこにいるのかは分かったので、落ち着けば無事に帰れると思うと、さっきまでの混乱はすっかりなくなりました。息を整えつつスマホのライトを奥の方へ向けると、大きく崩れた土砂の壁が照らし出されました。それで、私は今トンネルのいちばん奥にいて、さっき転んだのは足元に転がる大小さまざまな大きさの石に躓いたからだとわかりました。
直後、私の耳に届いたのは、あいつの声でした。声は反響して方向が分かりませんでしたが、あいつもスマホで前を照らしながら走り寄ってきていたので、すぐに見つけられました。
あいつはすっかり怯えていました。"はやく帰ろう"と私の腕を引き、入り口の方へ引っ張ろうとします。
なんででしょうね。あいつ、何も変なことしてないはずなのに……私、そのとき、あいつのその態度にすごく腹が立ったんです。ほんとになんでなのかわかりません。魔が差した、としか言いようがなく……怒りに任せて、私、そいつの腕を振り払いました。
タイミングが悪かったんです。あいつ、バランスを崩して、私の体にぶつかりました。
私、それでカッとなって……あいつを突き飛ばしたんです。
あいつ、背中から倒れました。もろに打ったみたいで、苦しそうな声をあげて……。
私、謝りながら慌てて駆け寄りました。するとあいつ、トンネルの出口のほうに手を伸ばしたんです。はっきりわかりました。こいつ、私から逃げようとしてるんだって。わかった瞬間、へんな考えが頭に浮かんで……。
"俺を置いていくのか"って。
そう思った瞬間、ものすごく頭に血がのぼって……!
手近な石を拾うと、のたうち回っているそいつに馬乗りになって、頭を殴りつけました。何度も、何度も……トンネル内に悲鳴が反響して……頭の中も外もそいつの悲鳴でびりびり震えて……でも怒りはなかなかおさまらなくて……殴るたびに私の手も痛いのが、ますます我慢できなくて、砕けた骨が指に突き刺さって、割れた歯が私の頬にぶつかって……殴る音がだんだん、びちゃびちゃと水けを含むようになって……感触も硬いものから柔らかいものに……。
……落ちついてきたころには、そいつ、もうピクリとも動かなくなってました。
もうパニックでした。私、なにがなんだかわからなくて。トンネルの出口へ走りました。外に出るとまだ陽は高くて、小鳥の鳴き声なんかも聞こえて、ポカポカとしていました。それが信じられなくて、私、暗くなるまでずっとそこに蹲って泣いてたんです。何もかも信じられませんでした……納得がいきませんでした……。
……そのうち、泊まってた旅館から電話が入って、警察も呼ばれて……私は逮捕されました。
でもそれで終わりじゃないんです。
逮捕されたあともおかしいことばかりで……。
なんだか、警察の人たちがみんな優しいんですよ。私、人を殺したのに、なんだか私のほうが被害者みたいな扱いで。怒鳴られることのひとつもありませんでした。なんでか理由をきいても教えてくれないんです。
それは裁判になってからも同じで……裁判官も、検事も、みんな私の味方としか思えない言動ばかりなんです。すごく怖かった……私が弁護士さんとかにいくら厳罰にしてほしいとお願いしても、みんな、"それはできない"って言うんです。
おかしいですよね? 私はあいつを殺したのに、みんな私をかばってくれてる。
そしてとうとう判決がくだりました……信じられないです、あいつ、"事故"で死んだんですって! 私の犯罪はフェンスの器物損壊とトンネルへの不法侵入のみ。
そんなわけないのに……!
だから私の刑期は半年だったんです……それももうとっくに終わって、私はもう元通りの生活を送れています……あいつがいないことを除いて。
きっと、みんなわかってるんですよ……あのトンネルはそういう場所なんだって……だから私を罰することができないんです。
私は死刑になりたいのに……あいつは間違いなく私に殺されたのに……私が殺したのに……。
だから、まだ納得がいかないんです。




