08_イベント連続発生中(3)
また別の日。今度は、ルイに関わるイベントが起きた。
学園の廊下で彼が悩ましげに立っているのを見かけた。彼の目の前には教科書が山のように積み重なっている。『イベント発生』の文字が表示された空中ディスプレイを見つつ、話しかけてみる。
「何かお困りですか?」
「仮に困っていたとして、そなたに話す義理はない」
「……ああ、そうですか」
冷たく突っぱねられたルサレテはすぅと目を細める。
まぁ、わざわざ聞かずとも、ディスプレイを見れば悩みの内容は分かる。どうやら、ルイは所属している生徒会の会議があったのに、この教科書をすぐに図書室へ運んでほしいと教師から押し付けられてしまったらしい。
ルサレテは無言で教科書の山を抱える。
「図書室、ですよね」
「どうしてそれを……。それより、何のつもりだ? 僕は別に頼んだ覚えはない」
「はい。私が勝手にやるだけです。ちょうど、本を運びたい気分だったので」
「どんな気分だ」
さっさと教科書を運び始めると、ルイの好感度が+5上がっていた。
「……すまない。助かる」
彼はいそいそと会議へ行ってしまった。
教科書を運ぶだけで好感度が上がるなら、安いものだ。
好感度を上げるために頑張ってはいる。それでも、開始時の好感度が-100なので、好かれるには程遠い。大嫌いが嫌いになったくらいではほぼ意味がないのに。
「頑張ってるネ〜ルサレテ!」
教科書を持って歩いていれば、目の前にぽんっとシャロが現れた。
「頑張ってるけれど、最初の好感度が低すぎて埒が明かないわよ」
「まぁまぁそう言わズ! ボクは興味深い観察をさせてもらってるヨ!」
「他人事でいいわねシャロは。見てるだけじゃなくてたまには手伝ってよ」
嫌味を零して睨めつけると、彼は少しだけ申し訳なさそうに言った。
「じ、じゃあここにキミの推しを呼んでアゲル! 好感度を上げるチャンスだヨ! わ〜いやったネ!」
「えっ、ちょっと待って、何勝手に――」
頼んでもいないことを勝手にするなと阻む前に、シャロは画面の中に消えていった。
その瞬間、教科書の山が崩れそうになり転びかけ、ルサレテの腰が支えられたのと同時に、腕から教科書のおよそ半分の山が取り上げられた。
「ひとりだと大変でしょ。手伝うよ」
さり気なく気遣ってくれたのは、ロアンだった。好感度は-70。まだ割と、かなり、嫌われている。
「どこまで運べば?」
「図書室です」
「遠いね。こんなに沢山、ひとりで運ぶには無理な量だよ。分けて運ぶとか、そういう工夫はできないの?」
キャパを考えろと嫌味を言われる。ついさっきバランスを崩していた身では、ぐうの音も出ない。
「あの……親切にしてくださってありがとうございます」
「教科書を落として傷まないようにと思っただけだよ」
「でも……なんだかんだ言って、優しいですよね。私が転ばないように支えてくださいましたし」
「自惚れないで」
「……すみません」
そのとき、ロアンの好感度が+2上がった。ほんのりと頬も赤く染っていて。
(もしかして、優しいって褒めたから?)
意外と単純なところがあるのかもしれない。教科書を図書室に運んで戻ると、廊下の途中でルイとペトロニラを見つけた。
ルイは生徒会の会議があったはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろう。しかも、ペトロニラも一緒に。気になったが、ペトロニラの前で攻略対象である彼に話しかけたらまた機嫌を損ねてしまうので、黙って通り過ぎようとする。
「王太子殿下、今日は生徒会の会議があるのでは?」
しかし、ロアンがルイに疑問を投げかけていた。
「私とお花を見るために休んでくださったんです。ね? 殿下」
にこにこと無邪気な笑顔を浮かべるペトロニラが、ルイの代わりに答えた。
ペトロニラは、ルサレテとルイが話しているのを見つけたあと、ルイに何を話していたのかと問い詰めた。しまいには、ペトロニラのことがどうでもよくなったのかと泣き出し、今も友だちだと思っているならすぐに一緒に庭園の花を見に行こうと駄々を捏ねたとか。その一部始終を、ルイがやんわりと説明する。
「そなたが泣くから、生徒会を休んだんだ。何か深刻な悩みでもあるのかと思えば、私とルサレテ嬢が話していたのが気に入らなかっただけなのだと言う」
呆れたような表情をするルイを見て、ペトロニラはむっと頬を膨らませた。
「だって……お姉様が私の大切なお友達と話すのが、本当に嫌だったんです。お姉様がルイ様に何かひどいことを言ったりしていないか、ただ心配で、申し訳なくて……っ」
彼女はぐすぐすとしおらしく泣き始めた。申し訳ないと言う割に、ルイに迷惑をかけている彼女。ルサレテのことは責めても、自分のことは棚に上げている。そして次は、ロアンの袖をつまんで言う。
「ロアン様はお姉様に無理やり重い荷物を持たされたと伺いました……! 姉がご迷惑をかけてごめんなさい。お姉様はいつもそうなんです。面倒なことは全部私に押しつけて楽をしようとなさるので……」
「迷惑なんて思っていないよ。むしろ自分から手伝ったんだ」
「え……」
ペトロニラは納得していなさそうな顔をした。他方で、ずっと黙っていたルサレテは妹の代わりにルイに詫びた。
「申し訳ございません。生徒会の大事な集まりがあったのに、行けなくなってしまって……」
「むしろ、せっかくそなたが手伝ってくれたのにすまないな」
「いえ。……お構いなく」
するとまた、ペトロニラが割り込んできた。
「お姉様、私が悪いっておっしゃりたいの!? ルイ様は自分から望んで私とお花を見に行ったんです。私に非はありません。お姉様が不審なことばかりするから私が疑心暗鬼になるんです……!」
お姉様が、お姉様が、と駄々をこねる子どものように責め立てるペトロニラ。乙女ゲームのサポートがないと、こんなにわがままで空気が読めない感じの性格になってしまうのだろうか。
しかしペトロニラは、小さなころからずっと乙女ゲーム頼みでこの世界で生きてきたのだと思うとある意味納得できる。
するとルイは、どこか冷めた様子で、ペトロニラに告げた。
「僕はそなたと花を見に行ってよかったと思っている。そなたのことを見直すきっかけになったからな」
「ふふ。もっと私のことがお好きになりましたか?」
「…………」
ルイから読み取れたのは、少しの失望、落胆の色だった。けれど、好感度メーターが見えなくなったペトロニラには、表情の機微から感情を汲み取ることさえできないのだろう。この期に及んで、とんちんかんなことを言っている。
(現実は、乙女ゲームみたいに自分の都合の通りにはいかないのよ。……ペトロニラはもっと、学ぶべきね)
すると、ルイとロアンのルサレテに対する好感度が+5上がっていた。もしも、ペトロニラに対する好感度メーターがあるなら、ルサレテが上がった数値以上に下がっている気がする。
◇◇◇
学園の講堂のロビーに、4人の麗しの貴公子が集まっていた。令嬢たちの憧れの的である、ルイとエリオレット、サイラス――ロアンだ。ロビーの大きなソファにルイがゆったりと腰を下ろし、それを他の3人が囲っている。
4人の美男子の集まりは、絵画の一場面のような華やかさで、また圧倒する雰囲気があるため、ロビーに立ち寄った生徒たちは近寄ろうとせずに遠巻きでちらちらと眺めた。そして、一体どんな雑談をしているのだろうと内緒話をする。
「……気になるな」
神妙な面持ちで、ルイが呟く。ルイが気になっているのは、ナーウェル姉妹のこと。
ルイだけではない。他の3人も皆、彼女たちのことで頭を悩ませている。
「ペトロニラはルサレテ嬢に日ごろから虐げられ、階段から突き落とされたと訴えた。彼女は嘘をつくような娘ではないと信じて疑わなかったが……」
ルイの言葉に、エリオットとサイラスが続ける。
「私には……ルサレテ嬢が悪人のようには見えません」
「……だな」
ロアンも彼らと同じ意見だった。ペトロニラの訴えを信じて、ルサレテに軽蔑さえ感じていたが、実際に関わってみると、真面目で、優しい印象を受けた。
むしろ、階段から落ちた事件を境にペトロニラの自己中心的で勝手なところが露見するようになった。
以前のペトロニラは、困ったときにすっと助けてくれるような、不思議なくらいに気遣いができる人で、ふいに見せるわがままなところも、妹みたいで可愛いと感じていたのに。
一方、ルサレテはペトロニラに悪評を広められても学園に来て、好奇の目に晒されても弱音を吐かずに耐え忍んでいる。ペトロニラに責められても、黙って我慢していて、健気に思えてくる。
そして、お人好しな性格が隠せないところも、大人しそうに見えて意外と物怖じせずにはっきり言うところも、ロアンには好ましく見えた。
ロアンは腕を組みながら言った。
「真実を知っているのは、ペトロニラとルサレテの当事者2人だけ。現段階で犯人を断定するのではなく……もう少し様子を見る必要があると思う」
ロアンたちはずっと、ペトロニラのことを妹のように可愛がっていた。けれど、ここに来て彼女への信頼が揺らぎ始めている。