07_イベント連続発生中(2)
その日の昼、またしてもイベントが発生した。イベントは参加自由で、攻略したい相手と関わるものでなければスルーしてもいい。しかし、人から嫌われすぎ&破滅フラグだらけのルサレテにとっては攻略が死活問題なので、ひとつひとつのイベントを着実にクリアしていかなければならない。
「危ないっ!」
昼休み、学園の稽古場でサイラスと別の男子生徒が剣の稽古をしていた。
たまたまルサレテが通りかかった瞬間、空中ディスプレイに『イベント発生』の文言が再び現れる。
サイラスの稽古には、剣を振る彼の姿をひと目見ようと大勢のギャラリーが集まっている。そこに、彼の剣が吹き飛んできて、女子生徒のひとりが怪我をするかもしれないという。怪我をする予定の女子生徒の頭上には赤い矢印マークが。
無視する訳にはいかず、とりあえずイベント参加をタップする。
(使用できるアイテム無し……か)
続いて、目の前に3つの選択肢が表示された。
『①身を呈して庇う ②女子生徒を突き飛ばす ③危ないと声を上げる』
選択するまでの時間の猶予はたった20秒。カウントダウンが進む中で必至に思考を巡らせる。まず、3つ目の選択肢だが、あの女子生徒の反射神経が余程よくなければ避けきれないと思う。2つ目の選択肢は、剣がぶつかったことによる怪我は防げても、転んだことで違う場所を怪我する可能性があるだろう。……となると、残りは1つ目の選択肢しかない。
(これ、捨て身で助けろってことじゃない……!)
庇ったらルサレテが怪我をするかもしれない。しかし、選択の余地がないルサレテは、1番を指先で押した。すると、ゲームの作用で身体が勝手に動き、女子生徒のことを抱き庇った瞬間、剣がひゅっと飛んできた。
――ごんっ。
剣がルサレテの腕に弾かれ、鈍い音を立ててから地面に転がる。ずきずきと痛む左腕を押さえながら、女子生徒に尋ねる。
「怪我はないですか?」
「は、はい。それよりあなたの方こそ大丈夫ですか!? すみません、庇ってもらっちゃって……」
「私も大丈夫です。……大したことはありません」
必死の作り笑いを貼り付けて大丈夫と言いつつも、実際はかなり痛い。サイラスの好感度を確かめるのはまた今度にして、とりあえず医務室に湿布をもらいに行こうとすると、彼がこちらに駆け寄ってきた。
「大丈夫か!? 悪い! 俺の不注意だった!」
「こちらの方が私のことを庇って怪我をされています!」
「それは本当にすまな――って、ルサレテ嬢……」
庇ったのがルサレテだとは知らなかったサイラスは、一瞬だけ嫌な顔をした。ルサレテに謝るのは不本意のようだ。
「大したことはないので、ご心配なく」
そう伝えてひとりで医務室に行こうとするが、意外と律儀な彼はわざわざ付いてきてくれた。医務室には人の姿がなく、サイラスが代わりに手当までしてくれることに。医官が来るまで待つからと抵抗したが、彼は頑固で、強引だった。無理やり椅子に座らされて、腕を見せるように言われる。
「別に私、医官を待てますけど……」
「はぁ。お前は本当に頑固だな? いいから大人しく言うことを聞けって」
「…………頑固なのはそっちでは」
「今なんか言ったか」
「い、いえ! 何も……! サイラス様は天よりも広いお心を持ち、海よりも深い慈愛のある方だなぁと……」
「ったく。調子のいい女だ」
顔を横に振り、しぶしぶ腕をまくって売った部分を見せると、赤く痣になっていた。
「相当痛かっただろ」
「階段から落ちたときよりはマシです」
「それは自業自得だ」
自分は無実だと訴えてみるが、彼は「そうかよ」と鼻で笑うだけでまともに相手にしてくれなかった。サイラスもやはり、付き合いの長いペトロニラのことを信じているようだった。しかし、湿布を貼り、包帯を巻いてくれる手つきは不器用ながら優しい。
「怪我させて、悪かったな。それで? 俺は何をすればいい?」
「何をって……どういう意味ですか?」
「怪我をさせた詫びだ。そのつもりで庇ったんだろ」
ルサレテが怪我をさせたことへの責任を取らせようとしているかのような口ぶりだ。
もし、ペトロニラが言いふらしたようにルサレテの意地が悪ければ、これに乗じて理不尽な要求をしていたかもしれない。でもルサレテは、一切そういう気がなかった。
(好感度……まだ上がってないんだけど。こんなに体を張ったのに。選択肢を間違えたみたいね)
視線を少し上に向け、好感度メーターを確認するが、サイラスの好感度は-100のまま。それを見て、ルサレテはすっかり意気消沈、落胆してしまった。若干苛立ちながら、投げやり気味に言う。
「別に何もしてくれなくていいです」
「嘘つくな。本当は俺を脅して何かする気なんだろ? ペトロニラはお前のことを計算高く狡猾だと言っていた。何の目的もなく人を助けたりしない」
いちいち高圧的というか、上から目線でものを言ってくるサイラス。前世でゲームをしていたときは、いわゆる俺様キャラというような属性で好きだったのに、好感度-100となると、ぞんざいに扱われすぎて逆に嫌いになりそうだ。
「では、何もしないことを要求します。サイラス様の剣で怪我をした話は、これでおしまい」
ルサレテは手当してもらったお礼を伝えて立ち上がり、さっさと医務室を退出した。
部屋に残されていたサイラスは、ルサレテの態度に呆気に取られて目を瞬かせた。
「何もしないことを要求します……か。はは、おかしな女」
そのとき、彼の好感度が-80まで上昇したのをルサレテはまだ知らない。
医務室を出ると、待ち構えていたかのように廊下でペトロニラが話しかけてきた。
「さっき……サイラス様とおふたりで歩いているのを見たんだけど」
「…………」
腕を組みながら近づいてくる彼女。またか、とルサレテは小さく息を吐く。階段から落ちた日も、ペトロニラにロアンと話していたことを追及されたのを思い出す。
友だちと庭園のテラスで軽食を食べていたペトロニラは、ルサレテとサイラスが一緒にいるのを見て慌てて追いかけてきたが見失ってしまったのだと話した。怪我をしたから医務室で手当をしていたのだと説明すると、彼女はわざと怪我をした方の腕を掴んできた。
「ねぇ、調子に乗ってるの? お姉様」
「痛……っ、そこ、怪我してるからそんなに強く掴まないで……っ」
「口答えしないで。私、再三言ったよね? 攻略対象には近づくなって……。どうして私の言うことを聞けないの? そんなに私を怒らせて、もっとひどい目に遭いたい?」
ペトロニラは腕を掴む力を強め、爪も立ててくる。ルサレテは絞り出すように小さな声で反発した。
「もう……ひどい目には遭ってるわ。私の全部を奪ったじゃない」
元婚約者も、両親も、学園の人たちも、誰もがペトロニラの味方だ。なぜなら彼女は、模範的で、完璧な令嬢だったから。でも実は、乙女ゲームの力を使ってずるをして得てきた評価だったのだ。きっと、今目の前で見せているのが本来の彼女なのだろう。
「目障りなの! お姉様なんて、あの日階段から落ちて――死ねばよかったのに!」
彼女は力いっぱいこちらを突き飛ばして、踵を返した。尻もちを搗いたルサレテは、ずきずきと脈打つように痛む腕を擦って俯いた。
(全部奪ったのだから、攻略対象のひとりくらいもらってもいいわよね。ペトロニラ)
ペトロニラが乙女ゲームの力で攻略対象たち上流階級に取り入り、国一番の花嫁候補という名誉と確固たる地位を築けたのなら、ルサレテも現状を変えることができるかもしれない。やられっぱなしでいるつもりはない。
そして、同じく医務室から出てきたサイラスが、姉妹のやり取りの全貌を見て唖然としていた……。