02_乙女ゲームの開始
ルサレテが目を覚ましたのは、ペトロニラが目を覚ましたすぐあとのことだった。
身体が鉛のように重く、あちこちに激痛がある。発熱もしているようだ。重い身体をなんとか起こして座ると、既に意識を取り戻していたペトロニラの周りに、取り巻き令息四人が集まっていた。
「無事でよかった……っ。そなたが目を覚まさなかったらと思うと気がおかしくなりそうだった」
「医師によると、全身に怪我があるそうです。ひと月ほどは安静にするようにとおっしゃっていました。でもきっと、すぐに元気になりますよ」
「何か食いたいもんはあるか? 喉乾いただろ。とりあえず水飲め」
王太子ルイ、宰相の息子エリオット、騎士団長の息子サイラスが慰めの言葉をペトロニラにかけ、至れり尽くせり世話をしている。彼女が目覚めたことに感無量の様子だ。
「ありがとうございます。ちょうど喉が渇いていたの。サイラス様はお優しいですね」
「そ、そんなことはない。当然のことをしたまでだ」
サイラスは満更でもなさそうに口元を緩めた。ペトロニラはサイラスからコップを受け取り、喉を潤す。取り巻きたちに愛嬌を振りまく彼女を見てルサレテは疑問に思った。
(人のことを階段から落としておいて、どうして平然と笑っていられるの……?)
あのときのことが脳裏に過り、背中に冷たいものが流れた。
すると、ロアンが意識を取り戻したルサレテに気づく。
「あ、お姉さんも起きたみたいだよ」
彼は一番にこちらに寄って来て、身体の具合はどうかと心配してくれた。満身創痍だと答えるより先に、ひとつ気になるものを見つけた。見つけた……と言うより、見えている。
「……好感度、メーター……? 何これ」
ロアンの頭上に、ハートの形をした測定器が見えていた。その数値は20。彼だけではない。ルイにエリオット、サイラスの頭の上に『好感度メーター』なるものが浮かんでいる。それぞれ、数値は0を示していた。
「どこか悪いの?」
「あ、はい。何か、幻覚が見えるみたいで……。頭を打ったのかしら」
瞼を擦ってみるが、やはりロアンの頭の上には妙なものが浮いていて。
ルサレテが好感度メーターの話をしたそのとき、ペトロニラが頭を抱え、悲鳴を上げた。
「いやああっ、嘘よ……そんなはずない。お姉様にプレイヤーが移ったってこと!? それじゃあ私のここまでの努力はどうなるのよ……!?」
彼女は顔面蒼白で、何かに絶望したような、そんな様子だった。
「ペトロニラ。そのように動揺して、どうしたというのだ?」
「見えないの。何も……。少し前までは見えていたメーターが……ううっ」
ルイが心配そうに声をかけると、遂にペトロニラはぐすぐす泣き始めた。まるで、わがままを言う子どものように。
「突然泣いたりして、どうなさったのです? 力になりたくても、説明してくださらなければ……私たちは何もできません」
エリオットが聞くとペトロニラは泣き止み、こちらをそっと指差した。
「お姉様が……私のことを階段から突き落としたんです。私が持っているものを全部、奪おうって……っ」
「なんですって……!?」
彼女の証言にエリオットは驚愕し、他の男たちもざわめいた。しかし、ルサレテの驚きが一番大きいだろう。なぜなら、突き落とそうとしたのはペトロニラの方なのに、その罪を姉に擦り付けようとしているのだから。
「誕生日会のあとの夜……お姉様が言ったんです。ペトロニラは何でも持っていてずるい。だから、いなくなればいい――と」
彼女は、ルサレテに突き落とされそうになった瞬間に、ルサレテの腕を反射的に掴んで一緒に落ちたのだと、実際と逆の状況を説明した。
取り巻き令息たちがルサレテを見る瞳が懐疑心に染まっていく。そのとき、彼らの好感度メーターの数字が下がり始めた。
-1、-2、-3……。
数字の変化に気づいたあと、ルサレテは弁解する。
「私はそんなことしていないわ!」
「またそうやって嘘をつくんですか? お姉様はいつも嘘ばかりですよね。王太子殿下たちと私の仲を引き裂こうとしたり……。私の悪い噂を流して評判を落とそうとしたり……。いつもいつも、私の足を引っ張って来たじゃありませんか」
-10、-20……と好感度メーターの数字がどんどん下降していく。ペトロニラは両手で顔を覆い、更にしおらしく泣き始めた。
彼女は切々と打ち明ける。何でも完璧なペトロニラにルサレテが嫉妬し、いじめていたのだと。ドレスにいたずら書きしたり、物を隠したり壊したり、食事に異物を入れたり、ルサレテの嫌がらせは深刻だったと続けて言う。もちろん何ひとつ、ルサレテの心当たりのないものだ。
ペトロニラが泣き、悲しみ、嘘の告発をしてルサレテを責める度、好感度メーターの数字がみるみる低くなっていく。
(この数字は、何の意味があるっていうの……?)
-30、-40、-50……。低い数字を重ねると、令息四人のこちらを見る顔つきが険しくなる。そして彼らは、ペトロニラの話を鵜呑みにしていた。
「辛かったよな……。ひとりで抱え込んでいたことに気づいてやれなかったなんて……俺は自分が情けない」
サイラスは額に手を当て、悔しそうに呟いた。ルイとエリオットが泣き続けるペトロニラを宥めている。するとロアンが、鋭い青の双眸でこちらを射抜いた。美しい顔に怒りの感情が乗ると、威圧感がある。
「それで。お姉さんはどうしてずっと黙ってるんだい? 妹にどうしてそんなひどい仕打ちをしたのか説明し、謝るべきだろう」
「……! わ、私は……謝らなくてはならないことは何もしていません……! 本当なんです!」
「白々しい人だな。なら、ペトロニラが嘘をついているとでも?」
「…………」
ロアンだけではなく、他の令息たちも皆ペトロニラを好いていて、昔から信頼関係を築いていた。ペトロニラは嘘をつくような人だとは思っていないのだ。よく知らないルサレテの言葉と、どちらを信じるかは考えなくても分かりきっている。
すると、美しい令息たちに囲まれたペトロニラが言った。
「今までずっと我慢してきましたが、もう我慢しません。私から大事なものを奪った責任を取ってもらいます。だからどうか、お覚悟を。お姉様」
「大事なものを奪った……?」
彼女は奪った、奪ったと繰り返すが、ルサレテにはさっぱり訳が分からなかった。
ペトロニラは、ルサレテと同じ部屋にいたくないからと、取り巻き令息たちに支えられながら部屋を出て行く。すれ違いざまに、寝台に座ったままのルサレテに耳打ちする彼女。
「これで、好感度メーターが面白い数字になったんじゃない? ……プレイヤーの座は奪えても、攻略対象は誰ひとり奪わせないんだから」
彼女の言っている言葉の意味が分からず、呆然とする。
そして部屋を出ていく取り巻き令息たちをちらりと見たとき、全員の好感度メーターの数字が-100になっていた。