17_一難去ってまた一難
元婚約者のジェイデンがルサレテの元に訪ねてきたのは、それから数日後のこと。
(ようやく完成した……! これはかなりシャロっぽいのでは!?)
シャロがいなくなってから、記憶に留めておくために彼をイメージしたぬいぐるみを作っていたのだが、それがようやく出来上がった。
ルサレテはあまり器用な方ではないが、よく頑張ったと満足し、不格好なシャロのぬいぐるみを両手で抱えて眺める。
それを、出窓のクマのマスコットの横にちょこんと置いた。クマのマスコットはロアンにもらったものだ。
するとそのとき、ゴーンゴーン……と、始業を告げる鐘が宿舎に響き渡った。
「嘘、もうそんな時間……!?」
慌てて時計を確認する。早起きして夢中になって手芸をしていたら、授業が始まる時間になってしまった。
講堂へ向かおうと、荷物を持って慌てて宿舎を飛び出すと――外でジェイデンが待ち構えていた。
久しぶりに見るジェイデンの姿に、ぴしゃりと硬直するルサレテ。
「ジェイデン様!? ど、どうしてここに……」
「久しぶりだね、ルサレテ。元気だったかい?」
「…………」
彼はこの学園をとっくに卒業しており、今は生徒ではない。学園の宿舎まで許可なく押しかけてくるとは何事かと身構えていると、彼が言った。
「そう警戒しないでくれ。君にどうしても話したいことがあって来たんだよ」
「……私はあなたと話すことは何もありません」
「つれないな。……侯爵夫妻が、君のことをとても心配しているよ。意地を張っていないで、早く家に戻ってはどうだい?」
「なんですって……?」
意地を張っている?
その言葉に、ルサレテは思わず眉をひそめる。ペトロニラの一件で、ルサレテと家族の間にわだかまりができてしまったのは、ルサレテが意地を張っているとかそういう問題ではない。心に負った傷がまだ癒えていないのだ。
しばらく両親から離れていたいという意思は、彼らも理解してくれているので、ジェイデンの言うことは見当違いだ。
(そんなことを言うために、わざわざ学園まで押しかけて来たというの? こんな朝早くに)
ルサレテが一方的に両親に突き放して、困らせているかのような口ぶりで。
ジェイデンが何を考えているのか分からない。
「家には戻りません。これは、私と両親の問題なので、ジェイデン様にはなんの関係もない話です。そのようなことをおっしゃるために来たなら、帰ってください」
これから授業があるので失礼します、と踵を返そうとすれば、彼はとんでもないことを言った。
「――俺と……やり直そう。ルサレテ」
「…………はい?」
一瞬耳を疑い、思わず振り返る。
けれどすぐに、ジェイデンが寄りを戻そうとしてきた真意は想像できた。
ジェイデンは勢力の小さな伯爵家の四男だ。爵位は一番上の兄が継ぐと決まっており、その下の弟たちは家を出て自分で生計を立てていかなければならない。
次男と三男は幼少のころから鍛錬を重ねて騎士団に入った。
そして、ジェイデンはナーウェル侯爵家の婿養子となり侯爵家を支えていく――はずだった。
しかし、ペトロニラとルサレテの階段転落事件の際、ペトロニラ側についた彼は、一方的にルサレテに婚約解消を言い渡した。……自分の立場を忘れて。そのときに彼は、侯爵家の後継者としての権利も手放したことになる。
ジェイデンはペトロニラに惚れており、本命の彼女が弱っているときに支えることで、振り向かせたかったのだろう。
もっとも、ペトロニラはルサレテへの嫌がらせのためにジェイデンを自分のものにしようとしていただけで、攻略対象たちの方に夢中だったのだが。
ジェイデンは深く頭を下げる。
「一時でもルサレテのことを疑って、本当に悪かったと思っている。反省してるんだ。だから早く家に戻ってきて、以前みたいな関係からやり直そう。今度は何があっても君のことを信じると約束するから……!」
そう言って彼は、背中に隠し持っていたバラの花束をこちらに差し出した。婚約していたときは、花束どころか、一度も贈り物をもらったこともなかったのに。
ジェイデンにはルサレテに対する愛情などなく、自分の将来のために必死になっていることが見え透いていて、ルサレテはどう反応していいか困った。
(一度は突き放しておいて、今更元に戻ろうだなんて、図々しいとは思わないの? それも完全に、自分の将来のためだけに……)
綺麗な花束を差し出されても、抱いたのは嫌悪感だった。
立場を失ったことに対しては多少同情するが、ルサレテが結婚してまで助ける義理はない。
ルサレテは頭を下げ、丁寧に断る。
「ごめんなさい。ジェイデン様とやり直すつもりはありません。その花束も受け取れません。侯爵家を継ぐ以外で、ジェイデン様が生きていく道が見つかることを願っています。どうかお帰りを」
「…………生意気な」
彼はルサレテに聞こえないくらい小さな声でそう呟くと、花束を下げてルサレテの腕をぐっと掴んだ。
「前から思ってたんだけど、君はそのつんと澄ました態度を改めた方がいいな。鼻につく」
「ちょっと、何……!?」
「ペトロニラは、愛想もよく、可愛げがある人だった。潤んだ瞳で甘えてくるところはたまらなくいじらしくて……。君は無愛想で、面白みも可愛げもない。昔からね。君の両親もずっとそう言っていたよ。ペトロニラは可愛いがルサレテは可愛くない……と」
この期に及んで、まだジェイデンはペトロニラの肩を持つというのだろうか。ペトロニラが姉を階段と窓から突き落とそうとしたことを知りながら。
それに、両親の話まで出して、わざわざルサレテを傷つける意味はないのに。
「その調子では、一生嫁の貰い手もないんじゃないかな?」
随分と高圧的な物言いに変わる。
花束を携え、プライドを捨てて擦り寄ったのに拒まれ、気に食わなかったのだろう。
「君の女性としての名誉を守るために、善意で結婚してあげるんだ。君にとっても悪い話ではないはず――」
「嫌だって言っているの!」
腕を振りほどこうと身じろぎながら、彼を睨めつける。
「そうね。あなたの言う通り、私には可愛げも愛想もないのかもしれない。でも、それでも、好きだと言ってくれる人もいるんです。私にだって、相手を選ぶ権利があります! 少なくとも、私の尊厳を傷つけたあなたとは結婚できません」
「そういうところが、昔からいけ好かないんだ……!」
「ジェイデン様に好かれなくても結構!」
すっかり揉め事に発展したそのときだった。
「――俺の婚約者に勝手に触れないでくれるかな」
低く透明感のある声が、耳を掠める。ロアンがルサレテの腰を抱き寄せて、ジェイデンのことを目線で牽制していた。
ルサレテはロアンの腕の中でこてんと首を傾げる。
「「俺の婚約者……?」」
ルサレテの復唱する声は、ジェイデンと重なった。
はてさて、自分はいつの間に筆頭公爵家の嫡男であり、麗しの令息の婚約者になっていたのだろうか――と。
「あの、私はロアン様の婚約者では――むぐ」
想いを通わせてはいるものの、まだ正式に結婚するという約束を結んでいる訳ではない。至極真っ当な指摘をしようとするが、ロアンに口を手で塞がれる。彼はそっと耳打ちして、話を合わせるようにと呟いた。
(な、なるほど。ジェイデン様を追い払うための演技をしろということね)
ジェイデンを追い払うための方弁なのだと理解したルサレテは、ロアンの胸元に手を添えて、甘えるような仕草で擦り寄る。
するとロアンは、びっくりしたように小さく肩を跳ねさせ、頬を朱に染めた。
一方のジェイデンは、あんぐりとしていて。
「ル、ルサレテがロアン様の婚約者……!?」
ロアンは女性たちの憧憬を集める国随一の公爵家の跡取り。相手は選び放題なはずなのに、どうしてルサレテなのか、という驚きだろう。
「信じられません。だいたい、あなたこそずっと、ペトロニラに好意があったのでは……?」
「親しくしていたし……妹のように思っていたよ。以前はね。でも恋心を抱いたのは、後にも先にもルサレテだけだ」
そんな風に耳元で喋るので、ルサレテの顔が耳まで赤くなる。
嫁の貰い手はないとついさっきまで見下していたジェイデンは、悔しそうに顔を歪ませた。そんな彼に、ロアンが鋭い眼差しで追い打ちをかける。
「早くここから消えてくれるかな。俺は婚約者を侮辱されて今とても機嫌が悪いんだ。今後二度と彼女に近づくな。今回は目を瞑るけど――次は容赦しないから」
「…………っ!」
とうとうジェイデンは、不服そうにこちらを一瞥してから、逃げるように去って行った。ロアンがはっきり念押ししたので、今回のようなことは彼もしないだろう。
しかし、ジェイデンが帰って行っても、ロアンは腕の中からルサレテを解放してくれなかった。
後ろからぎゅうとこちらを抱き締めたまま、切なげに言う。
「もう少しだけ、このままでいてもいいかな。君が嫌でなければ」
「……嫌では、ないです」
「こういう言い方はよくないかもしれないけど、あんな男、別れて正解だったよ。君にはふさわしくない」
「ロアン様、どこから話を聞いていましたか?」
「……花束の辺りからかな」
というと、ほぼ全部だ。ルサレテの家族や婚約者が、長い間妹びいきで、ルサレテのことを可愛くないと蔑ろにしていたことも知られてしまったのだろう。
ロアンは、ルサレテがなかなか講堂に来ないので、心配して授業を退出したのだと説明した。
「俺にとってルサレテは、世界で一番可愛い女の子だよ」
「……ありがとう、ございます。俺の婚約者って言ってくださったの、嘘でも嬉しかったです」
「今は嘘だけど、俺は本当になってほしいと思ってるよ。ルサレテ……俺と結婚してくれないかな?」
「!」
ルサレテを抱き締める手がわずかに震えていて、緊張が伝わってきて、愛おしさが込み上げてくる。
彼は腕を解き、ルサレテのことを手放す。ルサレテはくるりと振り返り、彼の顔を見上げた。長いまつ毛が縁取る双眸は切実さを孕んでいる。
「君が辛いときは一緒にその辛さを抱えるし、嬉しいときはともに分かち合いたい。そういう関係を君と築いていきたいんだ」
ロアンは、前世からの推しだった。病床に伏せっていた毎日の中で、画面の中のロアンは心の拠り所で、励みだった。
また、同じように病気の辛さを味わい、長くは生きられないという不安を抱えながらも健気に毎日を過ごしていた彼。
最初は誤解されて嫌われていたけれど、一緒に過ごして好感度が上がっていくにつれて、彼への恋心が膨らんでいった。
今はただ、この人のそばにいたい。ルサレテはロアンの手に自分の手を重ねて、こくんと頷いた。
「――はい。私でよければ、お願いします……!」