15_攻略の最後のピース
ゲームの移動機能で瞬間移動し、気づくとロアンのタウンハウスの前に立っていた。
街の住宅の中でもひときわ大きくて立派な3階建ての建物。白い壁にいくつもの窓が並び、屋根はオレンジ色の洋瓦が載っている。
ロアンが学園に通うために、数人の使用人と暮らしていると聞いているが、それにしては大きすぎるくらいだ。
玄関ベルを鳴らすと、年老いた執事が出迎えてくれた。
「突然お邪魔して申し訳ございません。ロアン様と同じ学園に通う、ルサレテ・ナーウェルと申します。ロアン様が一週間お休みしていらっしゃるので、気になって様子をうかがいに来ました」
「ああ、ルサレテ様ですね。いつも坊っちゃまから話をきいておりますよ。さ、中へどうぞ」
「あ、ありがとうございます。でも、ロアン様に確認しなくても大丈夫ですか?」
「坊っちゃまもきっとあなたとお会いしたいはずです」
にこにこと愛想よく微笑んだ執事は、ロアンの私室へと案内してくれた。
長い回廊は、靴が埋まるくらい毛先が長い絨毯が敷かれ、両側の壁に高そうな絵画や壺が飾られている。
彼の私室の出入口は一番大きな扉だった。
豪奢な天蓋付きの寝台に、ロアンがひとり寝ていた。
「坊っちゃま。お友達がお見舞いに来てくれましたよ」
しかし、執事の言葉に返事はない。どうやら深く眠っているようだ。睡眠を妨げては申し訳ないと思い、見舞いの品を置いて帰ろうとするが、「ゆっくりしていってください」と言った執事がルサレテを残して部屋を出て行ってしまった。
ルサレテは、持ってきたフルーツをロアンの寝台横のサイドテーブルに置いてから、椅子に腰を下ろした。
(顔色……よくないみたい。汗をかいているし、熱があるのかしら)
ロアンは小さく唇を開き、無防備に眠っていた。呼吸が少し荒く、額が汗でしっとりと湿っていた。いつも澄ましていて大人びた雰囲気があるが、寝ている顔は子どもみたいだ。
おもむろに手を伸ばし、指で彼の額に触れる。やはり熱がある。そっと手を引こうとしたとき、ロアンが手をぎゅうと握った。
「わっ、ごめんなさい。起こしてしまいましたね」
「夢の中にまで現れるんだね、君は」
「へ……?」
どうやらロアンは、ここを夢の中だと勘違いしているようだ。熱が出ているせいで、夢と現実の区別がついていないのだろうか。彼は半身を起こして、こちらをまじまじと見つめた。その眼差しは熱を帯びていて、胸の奥が切なく締め付けられる。瞳の奥に見える熱は、彼の体温が高いせいなのか、あるいは別の理由があるのか、分からない。
彼は咳き込み、口元に手を添えながら呟く。
「ごほっけほ……っ。夢の中なのに、体が重いな。でもルサレテを見ていたら、少し楽になった気がするよ。……一週間顔を見ていないだけなのに、ずっと君が恋しくて……切なかった」
「あ、あの……?」
「ふ。困った顔も可愛いね」
ふっと慈しむように目を細めた彼は、ルサレテの長い髪をひと束すくい上げるようにして撫でる。その仕草が艶っぽくて、心臓の鼓動が速くなっていく。
ロアンは髪を弄んだあと、ルサレテの陶器のような滑らかな頬に手を添え、親指の腹ですぅと触れた。
恋人にするようなスキンシップに、ルサレテは顔を紅潮させて俯く。このままでいたら心臓がもたないので、消え入りそうな声で訴えた。
「ロアン様……あの、ここは夢ではないです…………!」
「――え?」
ルサレテが恥ずかしくて赤くなっている顔を見て、ロアンの顔は逆に、血の気が引いて青くなっていく。彼はすごい勢いで手を引き、「すまない!」と謝罪を繰り返した。ルサレテは俯きがちに尋ねる。
「そんなに……私に会いたかったですか?」
「……今のは聞かなかったことにして。本当に」
「…………」
ロアンの頭の上に浮かぶ、好感度メーターは99を示したまま。実はこの数字のままずっと停滞している。あとたったひとつ数値が上がるだけで、攻略達成、ゲームクリアなのに。
一刻も早くゲームのクリア報酬で治してあげたいのに、彼の体調は悪くなる一方で。
(好感度の数値が99で止まっている理由……私には分かる気がする)
「どうしてですか? もし会いたいと思っていたくださっていたなら私……すごく嬉しいのに」
「……俺を困らせないで。とにかく、聞かなかったことにしてほしい。ごほっ、ごほ……」
「…………」
ロアンはルサレテへの好意をあと一歩のところで隠そうとする。甘い表情を見せて、優しくして、思わせぶりなことはするくせに、肝心なことは何も言ってくれない。
苦しそうに咳き込むロアンは、きまり悪そうにごめんねと謝罪を口にした。
すると、ルサレテの目の前に3つの選択肢が現れた。
『①きっと元気になると励ます ②静かに抱き締める ③話題を変える』
それらの選択肢を見たが、ルサレテはどれも選ばなかった。彼の手を上から握る。
「私……ロアン様のことが――好きです」
「…………」
彼は少し目を見開いたあと、戸惑い、悲しげに目を伏せた。この攻略で、好感度メーターが満たされる前に告白するのは反則かもしれない。けれどたぶん、ゲームではない現実にいるロアンは……ルサレテを好きになるのを理性で留めている。
「駄目だよ、ルサレテ。俺なんか好きになっちゃ」
「それは、ロアン様が病気だからですか?」
「そうだよ。俺は君の元を早く去っていく人間だから。……君に悲しい思いをさせたくはない。分かるでしょ?」
今のままでは、ロアンの寿命は普通よりずっと短い。彼にもその自覚がある。想いを通わせたところで、必ず遠くないうちに残酷な別れがやって来て、ルサレテは傷つき、悲しむことになる。
あと一歩のところで、彼がルサレテへの好意を抑え込んでいたのは――そのことに負い目を感じているからだろう。
ルサレテも前世で病に伏せってばかりだったころ、周りに迷惑をかけることに負い目を感じていたし、恋人を作ることもしなかった。誰かを傷つけないためにひとりぼっちでいることを選んだルサレテには、彼の気持ちが手に取るように分かる。
(病気を患っている人に必要なのは、口先だけの励ましや慰めじゃない。離れずにそばにいてくれる……大切な人)
ルサレテはにこりと笑顔を浮かべて言った。
「もしいつか……ロアン様を失って傷つくことになったとしても、私はその傷ごと愛せる自信があります。だってそれは、ロアン様の傍にいて幸せだった証だから」
先のことはロアンだけではなく、誰にも分からない。たった今空から隕石が降って来るかもしれないし、明日事故に遭うかもしれない。だから本当に大切なのは、先のことを心配するのではなく、今このときを大切に味わい、めいいっぱい楽しむことだと伝える。
「好きです。ロアン様のことが、好きです。病気があるからなんだっていうんですか。一緒にいたいと思う気持ち以外に、大事なことはありませ――わっ!?」
次の瞬間、ロアンの腕の中にいた。
彼の体温と胸の鼓動が伝わってきて、脈動が加速する。ロアンは優しくルサレテのことを包み込みながら、耳元で囁いた。
「せっかく手放してあげようと思ったのに。後悔しても知らないよ」
「後悔なんてしません」
「……俺も君が好きだよ。先が長くなくても、最後まで、離れずにそばにいてほしい」
「はい……っ。喜んで」
そう答えたとき、ルサレテは本気で覚悟をしていた。好感度メーターが100にならなくて、病気を治すことができなかったとしても一緒にいようと。彼との別れを想像して目頭が熱くなる。
彼の背中に手を回し、力を込めたそのときだった。ロアンの好感度メーターが100を示した。
空中ディスプレイの中からシャロがあらわれて、「クリアおめでとう」とクラッカーを鳴らす。しかし、ロアンにはシャロの姿は見えていない。
「いやあ、最後まで楽しく観察させてもらったヨ。以上でボクたち妖精族の検証はおしまイ。約束通り、彼の病気を治してあげヨウ!」
こくんと頷くと、シャロは光の粒を放出しながらくるくるとロアンの周りを旋回した。
「これで大丈夫! 少しずつ体力も戻って元気になるヨ! ――ボクからのサービスで、ふたりが健やかに幸せに過ごせるように妖精の加護もあげちゃウ!」
ぱちんとシャロが指を鳴らせば、部屋中が光に満たされ、ルサレテの頭上にも暖かな光の粒が降り注いだ。不思議な力のある妖精の加護だ。きっと幸せに導いてくれるような気がする。
一方、体の変化に気づいたロアンは、腕を動かしたり手のひらをかざしたりして不思議そうに言う。
「不思議だ。なんだか急に体が楽になった。……君と両想いになれて、力が湧いたのかな?」
「ふふ。そうかもしれませんね」
……なんて答えて微笑んだあと、もう一度ふたりで抱き合う。
そのすぐそばを浮遊しながら、シャロが目配せしていた。