13_プレイヤーの座を巡って
攻略が順調に進んでいく一方で、事件が起きた。その日の夕方、突然ペトロニラがルサレテの部屋に押しかけて来た。どんっと扉を開け放たれ、ソファで刺繍をしていたルサレテはびっくりして道具を床に落とす。
彼女が扉を開け放った瞬間、空中ディスプレイに『イベント発生』の文字が。その近くでシャロが悩ましげな顔を浮かべている。
「シャロ! シャロはどこにいるの!? 出て来なさい!」
ペトロニラは宙を見上げて、きょろきょろとシャロの姿を探す。しかし、プレイヤーではなくなった彼女にシャロの姿は見えなかった。
「ルサレテ……。これからゲームの進行に関わる重大イベントが起こるから、気をつけテ」
シャロはそう告げてから、ぽんっと姿を消してしまった。
(ゲームの進行に関わる重大イベント……?)
一体今から何が起きるのだろうと小首を傾げた直後、怖い顔をしたペトロニラがルサレテの制服の襟を両手で掴み上げて怒鳴った。
「どういうつもりか説明して! お姉様、ゲームの機能を使ってロアン様たちを攻略してるんでしょ!? 私の代わりに、乙女ゲーム転生プログラムの被験者になったんじゃないの!?」
「……なんのことか、よく分からないわ」
「はっ、とぼけても無駄よ。最近やけにロアン様と仲がいいって皆噂してるんだから。私を階段から突き落としたことになって、嫌われてたはずなのにおかしいわ。こんなの、ゲームの力を使ってるとしか考えられない……! それに最近、取り巻きだった人たちが私から離れていったのもあんたのせいなんでしょ!?」
実際は、ペトロニラの振る舞いに原因があると思うが、本人にその自覚はないようだった。自分の心に聞いてみてはどうかと舌先まで出かかった言葉を飲み込んで、冷静に言う。
「話についていけないわ。……手を離して」
ルサレテはゲームの力に頼っているが、ペトロニラほど完全に依存している訳ではない。もしプレイヤーではなくなったとしても、彼女のようにゲームの力に異様に執着したり、取り乱すこともないだろう。
だがどうせ、ペトロニラにはルサレテが新たなプレイヤーとして攻略していることを確かめるすべはない。だから、何も知らないとしらを切るしかなかった。
「ちょっとっ、手を、離して……。苦し……っ」
襟を掴まれているせいで、息が苦しい。離してと何度も懇願するが、彼女は解放してくれない。
そのまま窓際まで追い詰められて、枠に腰が乗る。階段から落とされたときに、彼女の暴力的な一面を見ているため、底知れない恐怖心が腹の底に広がる。
彼女は不敵に口角を持ち上げて言った。
「もう一度一緒に落ちれば……またプレイヤーが変わるんじゃないかしら……?」
「正気じゃないわ! こんな高さから落ちたら……2人とも死ぬから!」
視線を窓の下に落とせば、かなりの高さを感じて喉の奥がひゅっとなる。ペトロニラの目は血走っていて、まともな状態ではないことを悟る。
「あんたにも前世の記憶ってあったりするの? 私はね……前世で――人を殺して自分も一緒に死んだの」
彼女は武勇伝でも語るかのように話した。彼女は日本人の裕福な家庭の娘で、働きもせず、家でゲームばかりして暮らしていた。そして、あるとき知り合ったゲーム仲間に恋をし、勇気を出して告白をしたが振られてしまった。彼女は振り向いてもらえなかったことに腹を立て、相手を刃物で刺し殺してから、自分も後追いしたそうだ。
とんでもない過去を打ち明けられて、背筋にぞくりと冷たいものが流れる。自分が犯罪者と姉妹として暮らしていたなんて。
「こっちの世界に来て、ようやく思い通りになると思ったのに……! あんたも私が消してやるわ!」
「ひっ……」
ぐっと身体を押されて、ルサレテは顔を青くした。ペトロニラは本気でこの窓からルサレテと落ちるつもりだ。
もしかしたら、前世の彼女が片思い相手にしたのと同じように、自分も死んでしまうかもしれない。
(シャロったら、なんて人を検証者に選んだのよ……!)
被験者は無作為で選ぶと言っていたが、それにしたって彼女を選ぶのはナンセンスだ。異世界でもペトロニラは更生することはなかったらしい。
どうしたらいいのかと途方に暮れたその瞬間、目の前の空中ディスプレイに3つの選択肢が現れた。
『①全力で抵抗する ②説得する ③助けを呼ぶ』
どうやらこの検証を采配している研究所の妖精たちは、救済措置を用意してくれているらしい。
選択できる猶予はたったの20秒。姉妹で力が強いのはペトロニラの方だ。
だから力で抵抗しても叶わないので、ひとつ目の選択肢は脳内で消した。では、ふたつ目はどうだろう。先ほどの様子から、話が通じるような状態ではないことはよく分かっている。だから無しだ。――となると、残りは3つ目の選択肢のみ。
(助けなんて、どうやって呼ぶの?)
叫んだりしたら、ペトロニラをより興奮させるだけではないか。けれど、ルサレテは構わずに3番目の選択肢に指を伸ばしてタップした。すると、体が勝手に動いて、出窓に飾っていたクマのマスコットを腕で窓の外に滑り落とした。
このマスコットは、ロアンに以前、薬のお礼としてもらったものだ。誰かが下の道で拾い、上を見上げてくれたなら、窓の近くで姉妹が揉めていることに気づいて駆けつけてくれるかもしれない。ルサレテはただ願うことしかできなかった。
(お願いっ。誰でもいいから、助けに来て……っ)
無我夢中でペトロニラに抵抗するが、その抵抗も虚しく、気づくとルサレテだけが窓の外に放り出されていて。片手を窓枠に引っかけて何とか体を支える。ペトロニラは上からこちらを睨むように見下ろしていた。
「やっぱりふたりで落ちるのはやめる。だって、プレイヤー権利を取り戻せる保証はないもん。だから、あんただけ落ちて。――お姉様?」
恐怖で喉の奥がひゅっと音を立てる。
ペトロニラのことを絶望的な気持ちで見上げながら悟った。
(選択肢を……間違えたんだわ)
ルサレテは命乞いをするしかなかった。
「お願いよ、ペトロニラ……っ。助けて……!」
「嫌よ。これで邪魔者はいなくなる……。あんたはね、妹を虐げてきた自責の念に耐えられなくなって、自分から飛び降りたことになるの」
「……!?」
そう言って彼女は、ルサレテの指を窓枠から剥がそうとしてきた。もう駄目だ。自分は助からないと覚悟したそのとき――。
「――ルサレテっ!!」
部屋に飛び込んで来たのは――ロアンだった。ペトロニラのことを片手で押し飛ばし、彼女は衝撃で床に倒れ込んだ。そのままルサレテの腕を掴む。
「もう大丈夫だよ。よく持ちこたえたね。あと少しの辛抱だから」
「ロアン、様……」
その声が優しくて、安堵から涙が目に滲んだ。彼は軽々とルサレテの身体を引き上げた。ルサレテは足や体が震えてしまって、その場にへたり込むことしかできなかった。ロアンはその肩を優しく撫でる。
「怪我は?」
「……大丈夫です」
ルサレテは首を横に振った。
(助けに来てくれた……。よかった、ちゃんと気づいてくれたのね)
彼の制服のポケットが膨らんでいて、クマのマスコットの頭が覗いていた。
ロアンはルサレテを庇うように立ち、険しい顔つきでペトロニラのことを見下ろしている。
「これはどういうつもりだ? ペトロニラ」
「ち、違います、誤解です……! これは、正当防衛で……っ。お姉様が、お姉様がまた私のことを突き落とそうとして、それで私、必死に抵抗したんです!」
「そうやってまた罪をルサレテに擦り付けようとしても無駄だよ。今回は僕が現場を見ていたからね」
ロアンは乾いた嘲笑を唇の端に浮かべた。彼はたまたま外を歩いていて、マスコットが落ちてきたので上を見てみたら、ルサレテが落とされそうになっているのを目撃したそうだ。彼は確信を持った口調で告げる。
「やっと分かったよ。嘘つきなのは君の方だったんだね。ずっと妹のように思っていたけど失望した。……非常に残念だよ。ペトロニラ」
「……!? お願い、今回だけは私のことを信じてくださいっ。ロアン様……! お姉様の味方をするなんてひどい……っ」
「そうやって好きなだけ泣けばいいさ」
泣きすがるペトロニラを冷たくあしらうロアン。
「この件は、ナーウェル侯爵家はもちろん、王国騎士団にも報告させてもらう」
「そんな……」
「君は二度も、ルサレテに危害を加えようとした。それだけでなく、俺や王太子殿下を謀った。これは紛れもなく不敬罪だ。……覚悟しておくように」
「…………」
不敬罪は、この国で最も重い罪だ。ペトロニラは騙した相手が悪すぎた。よくて追放、最悪は断頭台に送られてもおかしくはない。
ペトロニラは顔面蒼白になり、ただ項垂れていた。