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01_完璧な妹の裏切り

 

 ルサレテ・ナーウェルには、完璧な妹がいる。


 名前はペトロニラ。誰にでも気さくで思いやりがあり、大勢の友達がいた。勉強をやらせれば学園トップで、刺繍はコンクールで入賞するほどの腕前だった。おまけに花のような愛らしい容姿をしている。彼女の金髪碧眼の美貌をひと目見た男たちは、次々に虜になっていき、今では国一番の花嫁候補と噂されるほど。……とにかく、完璧なのである。


 ルサレテもペトロニラと同じ両親から生まれたのに、彼女と違って取り立てて褒めるところがないような平凡な令嬢だった。


 そんな妹が今、家族とルサレテ、ルサレテの婚約者ジェイデンの前でしくしくと儚く泣いている。


「私――お姉様にずっと前からいじめられていました」


 と、嘘を述べて。


 向かいのソファで悲しげに泣くペトロニラの肩を母が支え、父が「どうしてもっと早く言わなかったのか」と問い立てる。ペトロニラが答える前に母が代弁した。


「そんなの決まってるじゃない! ルサレテのことを悪者にしないように庇っていたのよ。この子は優しい子だもの。そうなのよね?」

「……はい。だって私、お姉様のことが大好きだから……っ」


 両手で顔を覆うペトロニラに、ジェイデンがハンカチを差し出し、父が背中を擦る。この応接間にいる者たちはすっかり彼女の味方で、ルサレテの言い分を聞こうとすらしない。


 ジェイデンはこちらに冷たい眼差しを向けて言った。


「君には失望したよ、ルサレテ。実の妹を虐げるような……嫉妬深く、子どもじみた人だったなんてね」

「そ、そんな……。私は、決して嫌がらせしたりしていません! それは、ペトロニラが――」

「いじめられる彼女に原因があるとでも言うつもりかい?」


 冷たい眼差しに鋭さが乗り、ルサレテは小さく肩を竦める。


「違っ、そうでは……なくて……」


 言いかけた言葉は全部喉元で留め、下唇を噛む。

 ルサレテがどんなに弁解しようとしたって、彼は信じないだろう。なぜなら、ペトロニラは何でも持っていて、ルサレテを憎んで危害を加えるような理由が考えられないから。むしろ、ルサレテが彼女を妬んだと考えるのがごく自然だ。

 また、ジェイデンは以前から、ペトロニラに好意を寄せていた。平凡な婚約者と、完璧な妹。近くにいて目移りするのは無理のないことだった。小さなころから彼とは婚約者同士だったが、「本当はペトロニラが相手ならよかったのに」と護衛の者に愚痴を零す姿を見ることもしばしば。


 その後に告げられる言葉は、もう予想できていた。


「君との婚約は解消させてもらう。僕は……前からペトロニラのことが好きだったんだ。彼女を傷つけた相手と結婚するなんて屈辱、耐えられそうにない」

「…………」


 ジェイデンの告白に、ペトロニラはほんのりと頬を染めて、驚いた素振りを見せた。


「う、嘘……。ジェイデン様が私のことを慕ってくださっていたなんて……信じられないわ」


 本当に初めて知ったのか、それとも初心なフリをしているだけなのかは、本人しか分からない。

 そして、婚約解消されて落ち込む暇もなく、今度は母親から告げられる。


「こんなことがあった以上、大事なペトロニラの傍にあなたを置いておけないわ。この屋敷から出ていきなさい。ルサレテ」


 一方的に責められ続けたルサレテは俯き、膝の上でぎゅうと拳を握り締め、絞り出すように答えた。


「分かり……ました」


 そのとき、ペトロニラの唇が意地悪く扇の弧を描いたのを、ルサレテだけがはっきりと確認した。

 妹に裏切られ、婚約者を奪われ、家まで追い出されることになるとは、ひと月前までは夢にも思わなかった。


(こうなったのは全部――あの日の事件のせいだわ)


 ルサレテは目を伏せて、ひと月前のことを思い出した。




 ◇◇◇




 遡ることひと月。

 そのころのルサレテとペトロニラの関係は、決して悪いものではなかった。彼女は他の家族に接するように、いつも気さくで優しく、愛情を持って接してくれた。

 完璧な妹を羨むことはあっても、嫉妬を抱くことがなかったのは、ペトロニラがいい子だったからだ。


 その日は、ペトロニラの誕生日を祝うパーティーがナーウェル侯爵家で大々的に行われていた。前の月はルサレテの誕生日だったが、両親の気合いの入れ方はルサレテのときとは明らかに違い、企画の予算もペトロニラの方が何倍もかかっている。それもそのはず。彼女の誕生日を祝うために、名だたる貴公子たちが訪れて来るのだから。


 ペトロニラは学園で、四人の麗しい取り巻きの令息がいた。


 ひとり目は、王太子のルイ・フォーゲル。

 二人目は、宰相の息子エリオット・シュルツ。

 三人目は、騎士団長の息子サイラス・ベルガー。

 そして最後は、筆頭公爵の息子ロアン・ミューレンスだ。


 彼らは見目麗しく、身分も文句の付けようがないため令嬢たちの憧憬の的なのだが、全員もれなくペトロニラを慕っている。それが恋愛感情かまでは分からないが、親友と呼べるくらいには仲が良さそうに見える。


(わ……すごい数のプレゼント)


 ルサレテは広間のバルコニーで頬杖を着き、使用人たちが荷馬車から屋敷に荷物を運ぶ様子を眺めていた。

 荷馬車には、ペトロニラの取り巻き令息たちの実家の家紋が描かれており、これらの大量のプレゼントは彼らが用意したものだと分かる。


 ちなみに広間では、ペトロニラを例の美男子たちが囲み、蝶よ花よともてはやしている。


 果実水が入ったグラスを片手に、バルコニーでひと休みしていると、後ろから声をかけられた。


「僕もご一緒しても?」


 振り返ると、そこにやって来たのはペトロニラの取り巻きのひとり――ロアン・ミューレンスだった。

 すらりとした長身に、金髪緑目の儚げな雰囲気の青年。容姿、身分ともに非の打ち所がなく、言わずもがな女性たちから大人気だ。


「……構いません。どうぞ」

「ありがとう」


 バルコニーはそう広い空間ではないため、近い距離に二人が並ぶ形になる。

 庭園を眺める横顔も綺麗なのかとこっそり盗み見ようとしたら、彼の顔色が随分悪いことに気づいた。額は脂汗でびっしょりで、呼気が荒い。視線を少し下に落とすと、指先も震えていた。


「もしかして、体調が悪いですか? 飲み物を持って来ます。あとは椅子も。それとも医務室に案内しま――」

「いや、大丈――ぶ、げほっ、げほ……っごホッ」


 医務室に案内しましょうかと言いかけたそのとき、彼は苦しそうに咳き込み始めた。身分が上の、それも異性である彼に触れるのは不敬だと分かってはいたが、無意識に背中を擦る。咳はしばらくして治まったものの、口を抑えていたロアンの手のひらに血が付いていた。


(血を吐く咳は……よくないと聞いたことがある)


 ルサレテはハンカチを取り出して、唇に付いている血をそっと拭ってやる。手を拭くようにとハンカチをて渡せば、彼は決まり悪そうに言った。


「このことは……誰にも言わないでくれるかな」

「分かりました。……お医者さんには診ていただいているんですか?」

「うん。でもこれはもう――治らない病気なんだって。人より長くは生きられないとはっきり言われてる」


 困ったように笑うロアン。

 お辛いですねと言うのも、頑張ってと言うも違う気がした。何も言わないのが正解かもしれないが、ルサレテは口を開く。


「では、何かとっておきの奇跡が起こるようにお祈りしますね」

「!」


 にこりと微笑みかけると、彼の緑の瞳の奥がわずかに揺れた気がした。


「君は……病気を知ってもそうやって笑顔を向けるんだね」

「申し訳ありません! 無神経ですよね……」

「いいや、違うんだ。その方がいい。皆、腫れ物に触るみたいに接してくるから」


 彼はありがとうと礼を言って踵を返し、広間へ戻って行った。ペトロニラや友人たちの前で気丈に振る舞う彼の様子を見て、なんだか胸が痛くなった。


 パーティーが終わったその夜。二階から一階の自室に移動しようと廊下を歩き、螺旋階段に差しかかったところで、ペトロニラがこちらを呼び止めた。


「――待ってください。お姉様」

「どうしたの?」

「今日のパーティーでロアン様と何をお話になったの?」

「何って、それは……」


 ふいに、咳をして苦しそうだったロアンの姿が脳裏に浮かぶ。彼が病気を患っていることは内緒にする約束だったから誤魔化すしかない。


「大した話はしてないわ」

「嘘です。やけに距離が近かったではありませんか。お姉様が彼の背中に触れているのを見ましたよ」


 それは、咳をしていたから擦ってやっただけだ。ペトロニラはルサレテたちが親密な関係ではないかと疑っているようだが、誤解だ。どう説明したらいいかと頭を悩ませていると、彼女が更に畳みかけてくる。


「ロアン様は私の一番の推しなの。せっかく好感度のメーターも数年かけて半分まで上げてきたのに……。お姉様、私のロアン様を奪うつもりなんでしょ!? ロアン様と喋らないで!」


 普段は温厚な彼女にキッときつく睨めつけられて戸惑ってしまう。それに、いつもよりずっと口調が荒く、表情が怖い。


「推し……? めーたー? 悪いけれど、言っている意味が分からないわ」

「……絶対に邪魔させないんだから」

「ペトロニラ……?」


 彼女は地を這うように言うと、――どんっと力任せにルサレテの身体を押した。衝撃とともに重心が階段の下に傾く。

 ルサレテは何かに掴まってバランスを取ろうと腕を伸ばし、咄嗟にペトロニラの手を掴んでいた。引っ張られた彼女の身体も前のめりになる。



「へっ、ちょっと何して……――きゃああああああっ!」

「きゃあっ…………っ」



 二人は絡み合うように、螺旋階段の上から滑り落ちた。

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