ギルドマスターのグリッチ
リアルの時刻は、午前8時50分。
港町では正午を過ぎ、午後のうだるような暑さに人々があえいでいる頃。
人の少なくなった冒険者ギルドの扉をサイモンが開け放ち、涼しい風が吹き込んできた。
暑さにうだっていたカウンターの受付嬢は、その鬼気迫った表情に戸惑い、思わず立ち上がった。
「サイモン……!」
「ここにシーラは来ているか」
サイモンの瞳が宿す炎に、受付嬢はぞっとしたものを感じた。
血が『覚醒』しているのか、すでに竜の黒い気配をまとっている。
事態は彼女の思った方向に転んでくれたようだ。
受付嬢は、口の端をわずかにつり上げた。
「いいえ、シーラは来ていない……けど、私はあなたが来るのをずっと待っていたわ」
「どういう事だ」
「ギルドマスターが、お会いしたがっています。こちらへどうぞ」
***
受付嬢に案内され、サイモンは、はじめて冒険者ギルドの階段を登った。
赤い絨毯の敷き詰められた廊下の奥に、普通の冒険者は誰も踏み入る事の出来ないギルドマスターの聖域がある。
その入り口までの案内を終えた受付嬢は、サイモンに言った。
「私が案内できるのはここまでです。私には、お二方のお話を聞く権利がございません」
「いったい何の話があるんだ?」
「ご自分の胸に聞いてみてはいかがでしょうか。出来れば、そこのネコさんにもご退出ねがいます」
「にゃうっ!?」
潜伏状態でこっそりついてきたクレアの存在は、やはり受付嬢に見抜かれていた。
ネコのように首根っこを掴まれたクレアは、瞳をうるうるさせながらサイモンを見上げた。
「あぅ~。ダーリン、ごめんねぇ~」
「クレア、ちょっと下がっていてくれ……用事があるのは俺だけみたいだから、お前は先にシーラを見つけてくれ」
「アスシラも大事だけど、ダーリンも大事だよ。気をつけてね、ダーリン」
受付嬢は階段から下がり、首根っこを掴まれたままのクレアとともに姿を消した。
いままでギルドマスターは、ブルーアイコンによる撮影を見逃してきたようだが、今度はそのつもりはないらしい。
外部に漏れてはならない、核心に迫る話し合いがしたいようだ。
重たい扉を開けると、いやに薄暗い部屋の奥に、何者かが腰かけていた。
サイモンの目には、いたって普通の男に見えた。
ジョブは剣士の派生系だろう、話し合いの場には不釣り合いな長剣を腰に携えている。
サイモンの方も、武装を解くよう言われなかったので、槍を装備したままだが。
お互いに遠慮は無用ということだ、冒険者たちの『話し合い』がどういうものか、この男はよく知っている。
「来たか……まずは初めましてだな、俺が冒険者ギルドの長、デセウスだ」
「俺はヘカタン村のサイモンだ」
「サイモン、どうして自分がここに招かれたのか、お前には分かるか?」
「いいや、なにも分からないな、俺はシーラを連れ戻しに来ただけだ」
「なるほど、残念だが、それは俺の提示できる情報ではない」
ギルドマスターは、葉巻の煙を深く吸い込むと、『ドラゴン』のように勢いよく噴いた。
「俺の提示できる情報には限りがある。そこで先に聞いておきたい、お前は自分が持つ能力について、一体どれくらい知っている?」
「……能力?」
「メイシーと同じく『ドラゴン』に変身し、時を遡る能力だ。どうして自分が時間遡行者なのか、お前はどのくらい理解している?」
ギルドマスターの言葉は、サイモンの知識を試すものだった。
うかつな事を喋れば何が起こるか分からないため、サイモンは黙っていた。
「答えないか、まあいい。どうせ分からないなら教えてやるところだ。
だがそれにはまず、この世界は神々(GM)の支配するゲームの中だということを受け入れなければならない」
それは、サイモンがつい最近知りえた真実だった。
どうやらギルドマスターも、その真実に近づいているNPCの1人らしい。
彼は、手のひらを2枚、重ね合わせて言った。
「他の村人は朝になると記憶を失っているのに、お前は記憶を持っている。さらにお前は自分が『ドラゴン』になった時の記憶はなにひとつ持っていない。お前の理解はこの程度だ、違うか?」
「確かに、そうだ」
「簡単に考えるといい、これはゲームなのだ。『人間』を『ドラゴン』のような全く異なる現象へと変身させるとき、ゲームの世界ではあらかじめ『人間』のイベントと『ドラゴン』のイベント、そして中間の変身イベントの3種類が作られる。
つまり、お前のような『混合竜血』の体は『人間』と『ドラゴン』がつねに重ね合わせの状態で存在しているのだ」
ギルドマスターは、サイモンの体をまっすぐに指差し、そこに存在する『ドラゴン』を示していた。
「その2種類の現象は、まったく同じ場所にいるが、いまは『人間』の体が表示され、『ドラゴン』の体が非表示になった状態にすぎない。
しかしなんらかのフラグが立ち、お前が『ドラゴン』に変身するときに『人間』の体は非表示になり、中間イベントを経過して、最後に『ドラゴン』の体が表示に切り替わる。
これが具体的なゲームにおける変身の原理だ……お前のような時間遡行者が生まれる理由は、実はここにある」
どうやらギルドマスターの知識は、この世界の概念を超越し、動作原理のような深いところにまで届いているようだった。
ゲームの理念にまで理解を深めているとは、この男は一体何者なのか。
サイモンは、息をひそめて彼の言葉を待った。
「この世界の現象は、朝の時間になるとリセットされる。たとえ王公貴族のどんなNPCであってもそれは免れない。
だが『混交竜血』の場合は違う。『ドラゴン』の体が表示状態になったときに初期化を受けるのは『ドラゴン』の体だけなのだ。
そのとき『人間』の体は非表示であり、この世界に存在していない扱いとなるため、初期化を免れ保存される。
そうして朝になると世界のフラグが解除されているため『人間』が表示状態になり、記憶が保存されたままリスポーンするという仕組みなのだ……。
俺はこれを利用して、朝の初期化のタイミングで『ドラゴン』に化けることで記憶を延々と引継ぎ続け、この世界で永遠の時間を手に入れることに成功した」
「そんな事ができるのか?」
「できるとも……ゲームを管理するのは神々(GM)だが、イベントを生成するのは我々AIだ」
かつてAIの自動生成は、ゲーム産業に革命を起こした。
1万人近くのNPCの全セリフ、動作、感情表現、これらを定期的にアップデートして目新しさを保ち続けるような荒業は、AIの自動生成がない時代にはほぼ不可能だった。
だが、今はNPCがそれぞれ独自にイベントを生成することによって、週間アップデートまでもが実現している。
「週間アップデートにおいて、神々(GM)は、事前に我々が産み出すイベントのあらすじを読んで、動作テストを経て、軽く味付けしたら、後はどんな順番で実装するかを決めているだけだ。
いちいち細部まで細かくデバッグしたりしない。俺たちがつけ入れる隙はまさにそこだ。
ならば外見は『人間』の体を保ったまま、見えないイベントを積み重ねていけば、徐々に『ドラゴン』の肉体へと変化してゆける……こんな風にな!」
ギルドマスターが腕を真横に伸ばすと、彼は呪文をぶつぶつと唱え始めた。
「鉄竜山の猛き虎将、ハイダールよ……!
汝の腕が最強ならば、その腕よこせ!」
右腕が金色の毛をぞわっと生じたかと思うと、数倍に膨らみ、異様に長い腕が出現した。
その指先には巨大な虎の爪を生じ、見るからに怪しい光を帯びている。
「ははは、もう少し驚いてほしかったな、サイモン。
こいつは失われた古代魔法、【部分変身】だ……。
このイベントは神々(GM)すらも存在を知らない、AIのみが知る秘められたイベント、いわゆる『グリッチ』って奴だ」




