もうひとりの時間遡行者(タイムリーパー)
受付嬢が真正面から挑むように歩いていっても、シーラは一歩も引かず、怯まなかった。
彼女の中で、何かが完全に切り替わっている。
冒険者ランクの格差など、もはや意識にない。
王国騎士団を乗っ取り、騎士団を顎で使う、いつもの自由奔放なシーラだ。
受付嬢の見たところ、シーラが立ち上がったのは、クレアが標的になった瞬間だったようだった。
「弱い者を助けるために力を発揮しますか……あなたそういう勇者ね?」
やがて、シーラにムチの射程まで近づいた受付嬢は、ぺろりと唇を舐めた。
「騎士団長はボロ雑巾にされていても無視するのに……あの人には人権ないのかしら?」
「はやく、クエストを終わらせて帰らないと……」
シーラは、目に鈍い光を宿らせて、硬い意志を込めて言った。
「弟が待ってるの」
受付嬢は、言葉を失ったようにぽかんと口を開けた。
どうやら、背の小さいクレアが弟の姿と重なったのだ。
「そう……あなたはまだ弟を守る夢を見ているのですね。それが貴方にかけられた魔法。いいでしょう……私の全霊を持って、貴方の眼を覚まさせてあげます……」
シーラを憐れむような瞳で見下ろし、そしてムチを鋼鉄の手甲に巻きつけた。
腰のホルダーからクサビ形のナイフを抜き、最小限の動きで近接格闘術の構えを取ると、口元を邪悪にゆがめた。
「貴方を信じて育ててきた、愚かな私の責務です……すべての責任を取りましょう」
シーラと受付嬢の間に、激しい火花が散った。
どちらが先に攻撃したのかはわからない、両者はその火花を合図にして、お互いに距離を取った。
速度はほぼ互角だった。
一定の距離をもって走りながら、シーラは、受付嬢が武器を変えた狙いを読んでいた。
おそらく、武器のスキル効果をこちらに当てたいのだ。
ムチは攻撃の発動も素早く、攻撃範囲も広い。
シーラのような素早い相手にも有効な武器だったが、金属とは違ってスキルや魔法効果のルーンを刻み付けることが難しいのだ。
こちらの反撃を食らって刺し違えることを恐れている。
かわりに選んだクサビ形のナイフは、見るからに邪悪なスキルを宿していた。
間違いない。スキルが本命なら、スキルを封じるまでだ。
シーラは聖剣スキル、第2階梯【ソードブレイカー】を発動させた。
はた目には、シーラがただ無造作に横に剣を振ったように見えただろう。
相手の呼吸、筋肉の動き、思考の流れ。
すべての動きを読みきり、針に糸を通すような際どいルートで銀の剣をすっと伸ばし、受付嬢の隙をついて、ナイフから邪悪なスキルを1個だけ弾き飛ばすことに成功した。
まさに神業だった。瞬きの瞬間すら大きすぎる隙となる。
「しまっ……!」
スキル【必殺+50%】
飛んでいったスキルは、まさに受付嬢の狙いの肝とも言うべきものだった。
その瞬間、受付嬢は、全身が急にずしんと重くなったように感じた。
スキル【呼吸するたびに歩く速度-88%】
「ぐうぅッ! なんてクズスキルを……!」
受付嬢は、異常スキルを植え付けられたナイフをぱっと離し、すぐさま足に隠し持っていた予備のナイフに取り換えた。
事前に【ソードブレイカー】の効果を見て予習していたのが効いたようだ、対応も素早かった。
シーラは追撃をやめ、銀の剣で反撃を受け流した。
受付嬢のジョブ『宮選暗殺者』も、『暗殺者』と同様、複数の武器を次々と使い分ける戦闘スタイルを得意としているようだった。
その武器をひとつひとつつぶしていくのでは、効率が悪い。
いずれ本命の攻撃を当てられてしまえば、必殺で一撃死をもらう可能性がある。
しかし、相手もちまちまと攻撃を重ねるのは危険だと判断したようだ。
「シーラ、いいこと教えてあげる。あなた、負けるわよ」
『宮選暗殺者』スキル第5階梯、【夜の帳】が発動する。
隠れジョブの未知なる固有スキル。
どうやら特殊な戦闘範囲を生み出すもののようだ。
受付嬢の体を中心にして薄暗い空間が生まれ、周囲の光がどんどん失われていった。
暗黒の球体が草原にぽっかりと生まれ、その中にいた受付嬢とシーラの姿が、ふっと消えた。
それを予備のカメラで撮影していたクレアは、2人が画面から消えてしまって、すっかり慌てた。
「ええーっ!? ちょっとちょっと、私には真実を報道する義務があるのに……あ」
だが、カメラをどけると、クレアの眼には半透明な2人の姿が見えていた。
どうやら2人とも【潜伏状態】になっているだけだった。
スキルの効果を知ったクレアは、その異常性に驚いた。
「エリア内【潜伏付与】……!? 敵味方区別なく!? なにこのスキル!」
クレアには分からなかったが、お互いに【潜伏状態】になるこの空間では、暗殺者のジョブが一方的に有利になる。
なぜなら暗殺者の眼には、【潜伏状態】の相手が見えているからだ。
さらに、暗殺者スキル第6階梯、【餓狼の牙】は、レベル%の確率で必殺が発動するが、【潜伏状態】の相手に対しては特効を持ち、その確率が2倍にはねあがるのだ。
さらに、『宮選暗殺者』のスキル第6階梯、【月詠】はその完全な上位互換だ。
レベル%の2倍の確率で必殺が発動し、【潜伏状態】の相手に対する確率はさらにその2倍になる。
教会に通うのをやめてから今の正確なレベルはわからないが、レベル18の受付嬢の限界は【夜の帳】と【月詠】をあわせた必殺確率72%だった。
そこにナイフのスキル【必殺+50%】の底上げを加えると、必殺確率は122%にとどく。
デバフを食らって20%減らされたとしてもなお必殺が確定する、文字通りのオーバーキルだった。
「けど、当たればでしょ?」
シーラは、相手の思考を読んでいるかのような信じがたい反射神経で、背後から襲いかかる受付嬢からの【月詠】を避けた。
剣筋も身のこなしもまったく見えない無光の剣だったが、そよ風のようなわずかな気配だけでシーラはそれを避けてみせた。
「……!! 見えているの!?」
「読めるのよ」
シーラの声は、受付嬢の背後から聞こえた。
一瞬にして背後にまわりこむと、銀の剣をひと振りした。
聖剣スキル第1階梯、【光輝の剣】が発動する。
旋風が巻き起こり、受付嬢のスキルが中断させられた。
暗闇の球体が切り裂かれ、もとの半月の夜に戻ると、両者の【潜伏状態】も強制的に解除された。
「本当にこの子は……強すぎる!」
受付嬢は戦線離脱し、攻撃範囲から逃げるので精一杯だった。
シーラは生まれついての怪物だ。
こちらも怪物にならなければ勝てない。
やがて彼女は、覚悟を決めた。
「仕方ありませんね……奥の手ですが……」
もはや動けなくなった騎士団長アスレを介抱していたクレアは、そのとき、真っ先に異変に気付いた。
彼女は視界のマップを見て、感極まったように突然さけんだ。
「ダーリン! 来ちゃー!」
シーラと受付嬢が、異様な気配を察知して同時にはね飛んだ。
まるで暗黒の風が谷から吹きあげてくるような、無数のヘビが行進するような、ぞっとする気配だった。
「なっ……! なにっ……!」
受付嬢は、驚愕に目を見開いた。
彼女の目の前に現れたのは、槍スキルの突進を使い、山道を全速力で登ってきたサイモンだった。
サイモンは、槍を地面に突いて突進の勢いを止めると、ようやく村に帰還した。
「悪いな、少し遅れた」
そこにいた誰もが見上げるような巨体だ。
シーラは乱れた髪をいそいそと整え、ほっとしたような笑みを浮かべた。
「こ、来なくてよかったのに……」
クレアは親指をぐっと立てた。
「ううん、みんな無事よ!」
ひとりだけ人権を認められていない騎士団長アスレは、ボロボロになりながら彼を見て、うめき声をあげた。
「さ、サイモン軍曹……! まずい、こんな、時に……!」
サイモンは、もともと国王軍の調査対象だった『混交竜血』の1人だ。
両足を失った騎士団長アスレは、唐突な宿敵の出現にまるで対処できず、はがゆい思いをしていた。
『宮選暗殺者』の特性であるアバター破壊は、【復活】以上の回復をつかわないともとに戻らない仕様になっている。
対人戦で相手の復活リソースを使い潰すことが目的だったが、ホワイトアイコンはふつう復活用のアイテムなど持っていないのだ。
さらに、夜の闇に紛れてよく見えないが、サイモンの体からは、もうもうと暗黒の煙がふきだしていた。
「だ、ダメだ……! もう、ダメだ……!」
妙な男だ、と、受付嬢は警戒を深めていた。
サイモンが登場した瞬間、騎士団長アスレも、クレアも、シーラさえも、突然挙動がおかしくなった。
相手はただの槍使い、一般的な職業だ。
確かに冒険者としては異様な成果を収めているが、一般的なブルーアイコンと比較すれば大差ない。
いったい、彼に何を期待しているというのか。
「メイシーさん……覚悟することね」
「あら、そのマッチョが来たら、戦局が変わるのかしら?」
「その通りよ。ふふん、知ってる? サイモンはね……元Bランク冒険者なのよ!」
どぉーん、と胸を張って自慢するシーラ。
彼女にとって、Bランク冒険者とは雲の上の存在なのだった。
冒険者ギルドの受付嬢に言ってしまうところが、いかにもシーラだった。
「そう……そうだったの……」
サイモンに対する、彼女の信頼の厚さを敏感に察知した受付嬢は、ああ、なるほど、と大きく頷いた。
「シーラが冒険者を一時期やめて、何があったのかと思っていましたけれど……そういう、ことだったのですね……」
今朝方、オーレンとシーラとサイモンの3人が冒険者ギルドに訪れた時の事を思い起こしていた。
まるで家族のように仲睦まじく見えて、受付嬢は胸がちくりと痛くなったのだ。
きっとヘカタン村で3人、仲良く暮らしていたのだろうと思うと、歯がゆくて仕方がなかった。
「ひょっとして、Bランク冒険者の肩書を利用して、シーラに好き放題していたのですか? だとしたら、ゆるせないわね」
思わず己の欲望をサイモンに反映してしまった受付嬢。
そう考えてしまったら、彼女はもう止まらない。
肩と髪の毛から炎を噴き上げ、行き場のない怒りを、サイモンに爆発させた。
「許せないわねぇぇぇぇッ!」
***
そしてサイモンは、気がつくと門の前に立っていた。
ちちち、と古木で小鳥たちがさえずり、ウサギがのそのそ、と巣穴から草原へ繰り出していく。
時刻は、午前8時20分。
この世界では、朝日の昇るころだった。
「メイシー……」
サイモンの最後の記憶にあるのは、巨大化していく彼を見上げて驚愕の表情を浮かべる受付嬢メイシーの姿だった。
どうやら、その直後にサイモンは『ドラゴン』になってしまったようだ。
クレアは感動に目を輝かせてカメラをまわし続けていたが、シーラは一体どんな顔をしていただろう。
きっと、その感想はもう聞けない。
村人たちはリスポーンし、朝の状態まで巻き戻っているはずだ。
この世界で、まったく同じ一日を繰り返していることに気づいているホワイトアイコンは、サイモンだけだ。
「……いや?」
サイモンは、「本当にそうか?」と自問自答した。
この世界では、朝の時間帯になると、様々なものがリスポーンし、元の姿を取り戻していた。
だが、巻き戻らないものがいくつかあったはずだ。
ブルーアイコン、そして、冒険者ギルドのクエストである。
それが影響して、今回も世界の何かが変わっている可能性がある。
ふらふらと崖に近づいた彼は、崖下の様子を見て、異様な光景に愕然とした。
何かが燃えたような痕が、崖の斜面一帯に広がっている。
薬草は一本も生えていない。
通常、ドロップアイテムがフィールドから消えることはないはずだ。
『トキの薬草』もそれと同じはずだったが、見事にすべて燃え尽きている。
メイシーが爆弾のようなアイテムで焼き払った状態のままだ。
「……ああ、そうか」
メイシーに与えられたクエストが完了し、新しく世界が書き換えられたのだ。
そうだった、いつも冒険者ギルドは時間を超越して存在していた。
そこに、もう1人の時間遡行者がいたではないか。
ギルドの受付嬢、メイシーだ。
サイモンが素材を持っていくたびに、なぜか前回の事を覚えていて、対応を変えてくれていたではないか。
サイモンは、目覚め始めた港町の方を見て、呟いた。
「メイシー……ひょっとして、お前も同じ一日を繰り返しているのか?」
***
同じく、午前8時20分。
港町の冒険者ギルドが始まる頃。
カウンターに立っていた受付嬢が、ガタッと音を立てて、その場に崩れ落ちた。
「だ、大丈夫ですか、メイシーさん!?」
「おい、姉ちゃん、顔が真っ青だぞ。ちょっと休んだらどうだ?」
同僚の受付嬢が慌てて駆け寄り、冒険者たちも心配そうにポーションなどを差し出してくれた。
人柄もよく、周囲からの人望も厚いメイシーは、温和な笑みを返したが、がたがたと肩を震わせていた。
「……大丈夫です、心配しないで。ちょっと、奥で休んできますね」
そう言い残して、よろよろと階段を登っていく受付嬢。
あれは一体何だったのか。
震えが止まらない。
直前に見た光景が、いまでも彼女の脳裏に焼き付いている。
「サイモン……サイモン……サイモン……」
漆黒の煙に包まれ、漆黒の翼を広げ。
伝承によると、それは無数の黒ヘビを従える、湖の主。
神を食らって元いた世界を滅亡させ、異世界に流れ着いた暴食竜。
どうしてあんな所に、あの伝説の『ドラゴン』がいるのか。
あんな所に、大量の『トキの薬草』が生えていたのか。
調べなければならないことは山ほどあるが、メイシーは、嬉しさのあまり、人知れず笑みを浮かべた。
「ああ……ようやく、ギルドマスターのお叱りをうけずに済みます……!」
受付嬢は、壁にもたれ掛かるようにしてドアをノックし、ギルドマスターの部屋に入った。
暗幕の向こうの朝日をじっと見つめていたギルドマスターは、彼女に背中を向けたまま言った。
「収穫があったようだな」
「はい……『ファフニール教団』の七使徒のお一人を見つけました」
受付嬢は、よどみなく言った。
ギルドマスターは、にやりと深い笑みを浮かべた。
この男が笑みを浮かべるときは、必ず莫大な金が動くときだ。
「そいつは『金』になりそうな話だ……ここに呼んできてくれ」




