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10年前のログアウト不能事件

「あ……ありがとう」


「いいや、彼の目的は、たぶん私だ」


 シーラは、獣のような速さで先に向かった。


 どうやらナナオは、長髪の用心棒と直接交渉する手段に出たようだった。


 これからこの世界は、AIによる自動運転の状態に入る。


 日常的に行われていたイベント自動生成を繰り返すだけだ。


 だが、完全にAIに任せて自動運転させてしまうと、一体どのような展開になってしまうか、予測がつかなかった。


 ストーリーを軌道修正するプレイヤーは、少しでも多い方がいい。


 長髪の用心棒のように、プレイヤーを次々とログアウトさせてゆく、不安要素を残してはおけない。


「お前か、双剣士ノルド……お前がログアウト不能事件を画策していた首謀者だと聞いている」


「ああ、いかにも。私が真犯人というやつだ」


「お前は一体何者だ?」


「名前を尋ねるのなら、自分の方から名乗るべきではないか?」


 ナナオは、堂々と言ってのけた。


 まるで恐れた様子はない。


 そう、彼女が何を言ったところで、このアカウントは双剣士のものなので、相手の怒りを買うのは双剣士なのだ。


 長髪の用心棒は、素早く日本刀を横に振ると、隣の木をへし折った。


「俺は県警察『SNS生活安全課』の者だ。

 見ての通り、ゲームをやりこんでいる。その腕を買われて潜入調査をしている」


「へぇ、警察だったのか。うわさは聞いているけど、本当にゲーム世界に潜伏してるんだな」


「このゲームの全プレイヤーがログアウトできない状況に陥っているため、全プレイヤーのゲームからの解放を執り行っているところだ」


「信じろっていうの? 確か警察には身分証明書を提示する義務があったと思う。

 それを抜きにしても、あなたを警察だと信じることはできないよ」


「それでも構わない、どうせこの世界に警察手帳の持ち込みは不可能だ。

 さあ次はお前が答える番だ。

 お前が犯人だというのなら、どうしてこの状況を生み出した。その狙いはなんだ。

 身代金でも要求するつもりか、それとも他に個人的な恨みでもあるのか」


 ナナオは笑みを浮かべたが、すぐに答えることができず、内心冷や汗をかいていた。

 ただのプレイヤーだと思っていたら、覆面警察と対面していたのだ。


(まいった……これは予想外の相手だ)


 ナナオは、とんでもない相手に声をかけてしまった事を後悔していた。


 もしも長髪の用心棒が、デスゲームの宣告を真に受けてしまっただけの一般プレイヤーだったら。

 自分の真の目的を伝え、協力体制を築こうとしていたのである。


 たとえ相手が高レベルのプレイヤーだろうと、ナナオは必殺の『GM権限』を持っているため、どんな相手だろうと強制的に倒して退場させることができるのだ。


 今後のゲームの展開を健全に保つために、こうして話しかけるのは必要な措置だった。


 このログアウト不能事件の本当の目的は、デスゲームでもなんでもない。

 ゲーム会社に対する抗議のための閉じこもり、すなわちスクワットなのだ。


 そこまで話せば、このゲーム世界を気に入っている多くのプレイヤーは、ナナオの目的に賛同してくれた。


 しかし、それをそのまま『警察』に伝えても、許されるとは到底思えない。


 なぜなら、それは普通にサイバー犯罪だったからだ。


 長髪の用心棒は、黙り込んでしまったナナオに対して、さらに言葉をつづけた。


「全プレイヤーのリアルの情報は、すべて調べがついている。

 双剣士ノルドは、リアルではただの学生だ。

 本当にログアウト不能事件の首謀者であるかは疑わしい」


 長髪の用心棒は、確信をもって言った。

 鋭い指摘である。


 もともと双剣士は、問題行動のあるプレイヤー(モンク)とつるんでいるプレイヤーとして、ずっと以前から『S課』によって身辺調査されていたのである。


 通信記録や、ネットの利用記録も調べられている。


 だが、ログアウト不能事件につながる予兆など、どこにもなかった。


 分かったのは、ゲーム開発者の一人と交友が深かったことぐらいだが。


「『ログアウト不能事件』のような事件を起こすアカウントとはとても思えない。お前はいったい何者だ?」


 どうやら、警察は双剣士ノルドがアカウントハックされていることにも気づいているようだ。


 ナナオは言葉につまって、ぐっと顎を引いた。


 たとえ警察だろうと、ナナオの『GM権限』を利用すれば関係ない、強制的にロストさせることは可能なのだが。


 そんなもの、リアルにいる自分の正体がGMの一人だとばらすようなものではないか。


 しかも、双剣士のアカウントを乗っ取っている何者か、というところまで推察されている。


 まずい、非常にまずい。


 だが、双剣士ノルドと親交が深く、しかもゲーム開発者であるナナオが、どうして真っ先に容疑者だと疑われないのだろうか。


 ひょっとすると、ナナオは迫真の機械音痴なので、とても事件の関係者だとは思われなかったのかもしれない。


 警察の調査は、もうそんな段階まで調べがついているのだ。


 そうなると、いったい誰が犯人だと疑われているのだろう。


 事件を最初に引き起こしたクリハラは、すでに警察に逮捕されていて、今はログインすらできない。

 ファフニールはAIなので、そもそもリアルの身体を持たない。

 そしてナナオは機械音痴だ。


 警察は、クリハラでもない、ファフニールでもない、ナナオでもない。


 事件の裏を引く何者かの存在を疑っているのだ。


 だとしたら……この男はナナオを強制ログアウトさせることができないはずだ。


 せっかく接触できた犯人とのつながりを、みすみす手放してしまうことになる。


 真犯人のリアルの身体が動いていない、今のうちに調査すべきではないのか?


 そこまで思い至ったナナオは、にやり、と笑みを深めた。


「さあな……私の事は『美少女スーパーハッカー』とでも名乗っておこう」


「そうか『美少女スーパーハッカー』……お前は10年前に起きた『ログアウト不能事件』の事を、知っているのか?」


 長髪の用心棒は、ナナオを責めるでもなく、やけに沈んだ声で言った。


 10年前と言えば、まだナナオは小学生だったころだ。


 当時はフルダイブ型のゲームが開発されて間もないころで、ハードウェアも非常に高価だった。


 いまでこそ、そのゲームを開発する会社に所属しているが、母子家庭で育ったナナオには手に入れる事ができなかったものだ。


 そんな機械に頼らなくとも、本を開けば異世界に没入することができた。


 地道に本を読み続け、執筆補助型のAIと出会ったことで才能を開花させ、ストーリーライターとしての道を歩むようになって、ようやくこの世界にたどり着いたのだ。


 だが、警察にそんな事を告げることはできないし、その必要もない。


「さあ? 君は事件の真犯人が、自分の身柄を特定できるような質問に安直に答えるとでも思っているのか?」


「……そうか」


 長髪の用心棒は、落胆したように目を伏せた。


 それだけだ。


 特に追及してくる様子もなかった。


 ひょっとすると、心当たりでもあったのかもしれない。


 長髪の用心棒は、自分の身に着けている衣服をひっぱって、その滑らかな質感を確かめている。


「10年前、当時のVR世界はグラフィックもここまで良くはなかった……。

 それに、フルダイブ状態だと外部との連絡が一切取れなくなっていた。

 いまのようにチャット機能が使えなかったのだ。

 その状態で起こったログアウト不能事件は、プレイヤーをパニックに陥れ、文字通り、生死をかけたデスゲームになった」


「……けれど、死ぬはずはない。原理的に、人を殺すことは不可能なはずだ」


「ああ、死ぬはずはなかった……。

 だが、そんな冷静な判断力を保ったまま、何十時間も何もせずにただじっと待っていられるほど、生身の人間の精神力は頑丈にはできていなかった。

 ゲームの世界に閉じ込められているプレイヤーたちは、次々と異常な行動を取り始めた。


 外部に助けを求める事もできず、正しい情報を信じ続ける事すらできず。

 ゲームで死ねばリアルでも死ぬという『うわさ話』に翻弄された。


 プレイヤーはみな混乱し、ゲームの中で本気の殺し合いを始めた。

 もちろん、すべてゲームの中での出来事だったが、それが彼らにとってのリアルだった」


 長髪の用心棒は、ため息をついて言った。


「当時のゲーム会社は、この事件を社会から隠蔽しようとした。

 ファンが起こしたただのイタズラで、犯人もすぐに特定され、アカウントロックされたからだ。

 それで終わりだと思っていた。


 ただ、サーバーを強制シャットダウンするしか全員をログアウトさせる方法はなかったが、それがプレイヤーの脳に悪影響を及ぼすことだけが懸念事項だった。

 人災が起きる事を恐れて、プレイヤーの解放は後回しにされ続けた。


 事件発生後、何人かログアウトしてきた被害者たちも、とくに問題を騒ぎ立てるような事はなかった。

 そう、見た目上なにも問題はなかったんだ。

 時間が経てば解決するだろうと考えていた。

 なぜなら、NPCの敵キャラも徐々に難易度を上げていくこのゲームで、人間が何時間も生き残り続けられるはずがなかったからだ。


 世界記録のRTAでも10時間が限界だった。

 だが、俺たちは生き残るために、知恵を振り絞った。


 敵と味方の境界を越え、いつしか徒党を組んで、仲間同士でかばいあい、生き残れないはずのゲームの世界で生き残り続けた。


 そうして、事件発生から20時間が経過した。

 いったい何が起こったと思う」


「……」


「その間、リアルの身体は放置されていた。

 フルダイブ中のプレイヤーは、水も食料も補給することができないんだ。


 災害救助におけるタイムリミットは72時間、それが人間が水を飲まずに生きていられる限界だった。


 事件発生から40時間ごろ、とうとうログアウトしたプレイヤーから、脱水症状でそのまま病院に搬送される者が現れた。

 彼の証言から、まだゲームの中に閉じ込められているプレイヤーが大勢いることが明らかになった。


 それでようやく警察がこの異常事態に気づいて、行動を開始した。

 この時点でまだ298名、ヘッドギアという拘束具を身に着けたまま、文字通り死ぬまでゲームを続けている者たちがいるのだ。


 当時の警察に打つ手はなかった。

 令状を取って、それぞれのプレイヤーの部屋に強引に侵入し、ヘッドギアを手動で操作して、電源を落としていくことが彼らに可能な最善策だった。


 だが、プレイヤーは全員が世界各地のどこかに散らばっていて、全員に救助隊を派遣することは物理的に不可能だった。


 当時は法整備もゆるかった、警察が令状を持ってゲーム会社に押し入るまで、さらに丸1日もかかった。


 その頃には、まだ129名のプレイヤーが全国にいた。

 すでに100名近くが病院に運ばれ、治療を受けていた。


 警察はゲーム会社に対し、全プレイヤーのアカウント情報を開示させ、ようやく全員の住所を特定したが、とうてい救助に間に合わなかった。

 そのうち、ついに死者が出た。


 意識不明の状態でログアウトしたプレイヤーが、一人暮らしだったため、誰にも気づかれないまま自室でひっそりと息を引き取ったのだ。


 さらにまずいことに、焦った警察はゲームを中断させるため、サーバーを強制的にシャットダウンさせたのだ。

 この判断が正しかったのか悪かったのかは、今でも分からない。


 プレイヤーはみな衰弱して弱っていた。

 そこに強制シャットダウンの弊害である電磁パルスが流され、ショックで90名が意識障害に陥った。


 どのみちリアルの身体の救助が遅れている状況では、意味がなかった。

 15名がそのまま病院で死んだ。


 これが『10年前のログアウト不能事件』のあらましだ。

 フルダイブ型ゲームにおける史上初の災害で、かつ史上類を見ない最悪の事故だった。


 二度と同じ事を起こさないように、警察はマニュアルを整備した。

 俺は、その事件に巻き込まれて運よく生き延びた一人だ」


 長髪の用心棒は、血にまみれた自分の手を見下ろして、当時の事を思い出していた。


「昔からゲームの腕前だけはよかったのが自慢だったが、あれから俺の価値観は激変した。


 殺したはずの敵がやってきて、俺は感謝された。

 俺が助けたはずの仲間は、あれからどこかに消えてしまって、連絡も途絶えている。


 俺が正しいと信じて行ったことは、すべてが『真逆』だったんだ。


 リアルの世界に戻って、しばらく入院生活を送ってから、ようやく事件のニュースを調べる機会があった。

「リアルを捨ててゲーム世界に住みたかった」というファンが起こした事件だった。

 もはや怒りもわいてこなかった。


 あの時の俺たちは、ゲームの中のNPCと同じだった。

 俺は生死をかけて戦ったつもりでいて、そのすべてが『ただのゲーム』だった。


 何かを必死に守っているつもりでいて、リアルの世界の何かを失っていた。

 リセットされれば消し飛んでしまうようなデータ上のリアルに、ただひたすら夢中になっていたんだ。


 AIは、常に自分の知っている限られた情報の中から、何らかの答えを出そうとする。

 結局のところ、それは人間だって同じなのかもしれない。


 何が正しくて、何が間違っているのか。

 自分の知ることのできる範囲の情報から本当の答えを出すことは、本当は誰にもできないはずだ。


 だが、あのとき自分の出した答えが本当に正しかったのかと思い悩むことができたのは、おそらく人間だけだ。


 ひょっとすると自分のやっていることが間違っているのかもしれない、と考えて立ち止まることができるのは、人間にしかできないんだ。


 お前はNPCではない、人間だ。

 自分の行いがどんなに正しく思えても、思いとどまることができるからこそ、価値がある。


 リアルのお前がどんな人間なのか、俺は知らない。

 どんな事情があってこんな事をしているのかは、俺は知らない。

 だが、一言だけ言わせろ。


 お前がこの事件の首謀者なら、もうこんな事はやめにしてくれ。

 このゲームの世界にあるものは、すべて虚構でしかないんだ。

 現実を捨ててまで手に入れる価値のあるものなんて、ひとつもない。


 今ならまだ、取り返しがつくはずだ。

 ログアウトして、リアルの世界に戻るんだ」


 ナナオは、長髪の用心棒の言葉に耳を傾けていた。


『10年前のログアウト不能事件』の生還者、それが彼の正体だ。


 小学生でも、ニュースで聞いたことがある。

 おそらくゲーマーとしても、超絶技巧を持つプレイヤーだったはずだ。


 もはや伝説にさえなっている、60時間連続プレイ。

 人間離れした『グリッチ』を模倣する技術。


『GM権限』を使わずに、まともにやりあって、ナナオに勝つことは、難しいだろう。


「悪いけど……私は『自分のやっていることが間違っているかもしれないと思った』から、こうしてここにいるのよ」


 だが、ナナオは引くことができなかった。

 ここで彼女が一線から身を引いたところで、いったい何になるというのか。


 いまさら取り返しはつかない。


「あなたが経験した『ログアウト不能事件』と私の事件は、決定的に違う。

 あの事件は、リアルから逃避するために起こされた。

 私のこれは、リアルと戦うために起こすものだから」


「……どういうことだ?」


「……今は言えない」


 ナナオは、それ以上の事を告げる事ができなかった。


 そう、これはリアルに存在するゲーム会社と戦うための抗議活動。

『立てこもり』なのだ。


 土曜日のアップデートの内容が気にくわないから起こす。

 ということは、実装されるアップデートの内容をよく知っている者が犯人だ。


 少なくとも、そこから正体を見破る足がかりを与えてしまうかもしれない。

 自分の正体を知られる危険を犯すことはできないことぐらい、ナナオにもわかっている。


 なぜなら、これは明確な犯罪行為だ。

 一企業の資産であるゲームサーバーを占拠して、損失を与えていること。


 さらに大勢の人々をゲームの世界に閉じ込め、長髪の用心棒が憂慮するように、人命を危険にさらしていること。


 この活動に成果があろうと、なかろうと。

 巻き込まれた大勢の人々が民事訴訟を起こせば、犯人であるナナオはひとたまりもないだろう。


 しかし、ナナオにできるだろうか。

 ここにいるプレイヤーは、みなNPCではない。


 大勢の、血の通った人間なのだ。

 中には長髪の用心棒のように、心に傷を負った者もいるかもしれない。


 彼らの心を、パニックや恐怖から守りながら、最後まであるべき世界線へと導くことが、本当にできるのだろうか。


 いや、自分がやらなければならない。

 それは自分にしかできないはずだと、ナナオは確信していた。


「私は、自分が犯してしまった罪を償うために、ここにいる……悪いけど、もう引き返すことはできない。

 私の目標は、ここから先にあるの。ここからさらに一歩、前に進まなければならない」


「……そうか。なら仕方ない……」


 長髪の用心棒は、抜身にした日本を構えた。


 全身から白い煙をくゆらせ、日本刀スキルを発動させようとしている。


 おそらく、いまのレベル差なら、長髪の用心棒は簡単に彼を倒してしまう。


 そのため、いままで攻撃するのをためらっていたのだが。


 どうやらナナオの話を聞いて、心変わりしたようだった。


「……お前の目的がこの先にあるというのなら、お前をこのままこの世界に置いておくのは危険だ。ログアウトしてもらう」


 ナナオは、ぐっと顎をひいた。

 誤算が生じてうろたえた。


 長髪の用心棒は、犯人逮捕につながるからと言って、ナナオをこのまま拘束しておくことを選択しなかった。

 どうやら彼は、『ログアウト不能事件』そのものを憎んでいる。


「……誰が言い始めたのかはしらない。『ゲームの世界で死ねば、リアルでも死ぬ』と。

 最初のログアウト不能事件がデスゲームになったのも、プレイヤーたちを扇動した何者かがいたからだ」


「……まいったな」


 どうやら、ファフニールが大声で宣伝した『デスゲーム開始の宣言』がまずかった。

 他のプレイヤーたちを危険な方向に扇動する可能性があると判断されたのだ。


 ナナオは観念して、リアルの世界にチャットを送った。


『すまん、双剣士。私はそう長く持たないかもしれない』


 彼女がこのゲーム世界から退場してしまえば、ここはプレイヤーたちの無法地帯と化してしまうだろう。


 かつて欲望のままに、ゲームの世界線を荒らしまくったプレイヤーたちのことだ。

 彼らにこの先を任せても、きっとろくな世界にはならないだろう。


 無念に思っていると、ふいに、空気が妙な振動をしているのに気づいた。


『ジズ』の羽ばたきとも違う。


 熱せられた空気がはじけるような、不思議な振動だ。

 長髪の用心棒も、その変化に気づいたらしい。


「……なんだ?」


 辺りに目を配っていると、ふいにプロペラ音があたりに鳴り響いた。

 空を見上げると、巨大な箱型の物体が森の上空に浮かび、その影を落としている。


 ナナオは、その正体を知っていた。


「……飛空船……!」


 だが、それはこのエリアに出現するはずのないものだった。

 それは、現在の攻略最先端である、異大陸ではじめて登場する乗り物だった。


「なんだ……? 今までのループでは、こんなイベントはなかったはずだ」


 長髪の用心棒にも、それが異常な出来事なのだとわかった。


 AIが自動生成するデイリーイベントにおいて、ここまで大きなイベントは発生しない。

 帝国のある魔の山の向こう側から、ゆっくりと姿を現してくる。


 飛空船が船首を向ける方向には、『ジズ』の姿があった。


 どうやら飛空船に乗っていたのは、メインストーリーの最先端に向かっていた、シーラの仲間たちだった。


『あー! あー! 聞こえるかー! 地上の諸君ー!』


 飛空船から、小柄なバンディットが身を乗り出し、拡声器で大声を放っていた。


『今から俺たちは、あの空に浮かぶでっかい鳥! に乗っている騎士団長アスレをぶっ飛ばしに行く!

 参加したい奴らは、全員この船に乗り込め!』


 どうやら彼らは、最前線の攻略を放り出して、シーラを迎えに来ていたのだ。


 すこし前の世界線でも、同じような事があった。

 旅立つ事ができないシーラを、強制的に旅立たせるために。


「どうして……」


 そのときナナオは、ようやくこの世界の何かが普通ではないことを理解した。

 この世界にまだ彼女の知らない、ほころびが生じはじめている。


 どうしてその選択をしたのか。

 こんなストーリーは、すべてのシナリオを把握しているナナオも聞いたことがない。


「そうか……繰り返しのループが外れているのか……」


 ナナオは、ようやくその原因がわかった。


 警察がゲーム世界のアップデートをすべて禁止したからだ。


 あと1時間以内に起こる予定だった『リスポーン』がない。


 そうなるとAIは、さらにその先のストーリーを構築しなくてはいけなくなる。


 おなじ1日の繰り返しではない、この先のストーリーを、独自に編み出す必要がある。


 このゲームを作っていた関係上、ナナオは知っていた。

 このゲームのAIは、制限された情報で、破綻のないストーリーを何時間分も構築することができないのだ。


 クオリティを保てる長さは、だいたい1日が限界だった。

 同じストーリーの続きを生成させ続けさせると、陳腐化するか、情報量が足りなくなって、破綻してしまうのだ。


 それが小さなデイリーアップデートを何度も行わなければならない、本当の理由だった。

 どうやらNPCたちは、その解決策を取ろうとしている。

 そのために、足かせになっている『情報の制限』を少しずつとっぱらっているのだ。


『他の世界線』で得た情報をもとに、イベントを構築しはじめている。


 つまり、そのNPCが本来は知りえなかった、他の世界線の情報。


 ほんとうはあった、しかし、失われた出来事。


 そのすべての情報を元に、未来を構築しようとしているのだ。


 だから、NPCたちの『記憶の混乱』が起こっている。


「……すべての人間をログアウトさせてみるか?」


 ナナオは、不敵に笑った。

 長髪の用心棒は、唖然として空を見上げていた。


「たぶん、無駄だろう。

 彼らはもう、ゲームのために最適化されたNPCじゃない……。

 きっと彼らこそが、このゲームの世界に閉じ込められていた、本当の人間なんだ」

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