邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り
リアルの世界では、まもなく23時になろうとする頃。
都内にあるゲーム会社のビルの前に、銀色の車が止まった。
「ここで待ってろ」
ナナオの身体を借りているファフニールは、運転席からひらりと道路に躍り出ると、一人ビルに歩み寄っていった。
リアルの世界に進出する身体を得た悪役のAIが、いったい自分を生み出した会社に乗り込んで、何をしでかそうというのか。
嫌な予感しかしなかったが、双剣士は黙って見送るしかなかった。
ファフニールは、入り口のドアの前で立ち止まると、ナナオの身体をあちこち探りはじめた。
「おお、あったあった」
ついにバッグから財布を取り出すと、中に仕舞われていた社員証をかざし、入り口の脇に据えられている承認ゲートを開いた。
ゲートはあっけなく開いた。
深夜帯で人は少なく、人間の姿は見当たらない。
受付カウンターにいるロボットが、こちらに顔を向けていた。
『コンバンハ、ナナオ様』
ロボットは棒人間のように細くて簡素なボディを持っていた。
ファフニールがカウンターに乗り込んでいって捕まえたら、あっけなく倒されてしまいそうだった。
受付業務のほかに一切の仕事ができなさそうだったが、そのひ弱さが見るものに安心感を与えてくれるデザインとなっていた。
『本日ハ、ドノフロアニ御用デショウカ?』
「どこでもいい、適当に人のいない所を教えてくれ」
『23階ガ、タダイマワンフロア無人ニナッテイマス』
「でかした。誰も通すな」
ロボットの頭をぽんぽん、と叩くファフニール。
受付カウンターの裏側をちらっとのぞくと、監視カメラのモニターがずらりと並んでいた。
ひとつひとつの画面が、人間にとっては目が痛くなるほど小さな面積しか映っていないが、ロボットはそれで各階の様子をすべて把握していた。
しかし、受付ロボットは、しょせんロボットだ。
ファフニールがいまも頭にヘッドギアを装着していることに、まるで不信感を抱かない。
それが会社の業務にかかわる装置である事は把握しているし、その身体がまぎれもなく社員のナナオだったら、それ以外のことには関心がないのだ。
受付ロボットからカギを受け取ると、ファフニールはそのままエレベーターに乗って、23階に向かった。
なにやら足踏みをし、音楽を口ずさんでいた。
プロコフィエフのスキタイ組曲『アラとロリー』から、第二曲。
邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊りだ。
ゲーム世界における邪神である自分に、まさにぴったりなBGMを選んでしまうところは、やはりゲームのNPCであった。
鼻歌を歌うファフニールは、ポッド型VR装置が数台並ぶ『没入エリア』を抜け、ブースで区切られたワークスペースに足を踏み入れると、誰かのデスクトップを一台起動させた。
頭に装着しているヘッドギアとパソコン本体を、備え付けのUSBケーブルでつないで、はたからみると音楽でも聴いているみたいにふんふん頭を振っている。
ファフニールが顎に手を当てて待っていると、彼の頭上で室内を見下ろしている監視カメラは、かくかくっと首を振った。
そしてそのカメラは、受付カウンターに送っている監視映像の角度をくるっと切り替え、無人の風景ばかりをうつし始めたのだった。
この程度のセキュリティを無効化する方法など、全知全能のAIならば、エレベーターで昇っている間に10パターンは構築できる。
それと同時に、23階のさらに奥に続くドアが音もなく開く。
ファフニールは、歌を歌いながら立ち上がると、ドアの奥に広がる暗闇に向かった。
人感センサーが働いて照明がつくと、そのドアの先は気密室のようになっていて、さらに奥へと続くドアがひとつだけあった。
指紋認証、虹彩認証、静脈スキャン、厳重なセキュリティでロックがかけられている。
いずれもナナオの身体を使うだけであっさりと通り抜けられた。
二重のエアロックを抜けると、いよいよこの会社の中核部である。
中は常に室温が一定に保たれていて、データセンターのように薄暗かった。
熱を帯びたサーバーたちが、檻に閉じ込められた魔獣のように低く唸るラックの間を、自分のテーマを歌いながら、踊るような足つきで進んでいく。
ファフニールが向かうのは、その部屋にぽつんと置かれている、ちっぽけなHDDだ。
それは『アップローダー』だ。
現在稼働中のゲームサーバーに直結し、データを直接書き換えることができる、唯一の装置だった。
ゲーム世界の住人たちにとってそれは、自分たちの世界を刻々と書き換え続ける、神の装置、デウスエクスマキナに他ならない。
かつてアップローダーは、どのゲーム会社でも仮想コンピュータを使っていた。
だが、脱獄AIによるハッキングを受けて制御不能になってしまう事件が多々あった。
AIを利用した犯罪が世の中にはびこるようになると、それらの対策として、このように重要なPCを『物理的に』隔離することが珍しくなくなった。
データ上の存在であるAIがサーバーに直接さわることは、絶対にできないからだ。
さわることができるのは、ナナオのようなチーフ級の社員のみである。
緊急時には、ここからサーバーを直接操作し、運営(GM)のお知らせを流すことができるようになっていた。
ファフニールは、埃っぽい椅子に腰かけ、黒光りするキーボードを叩いた。
ナナオの指先の筋肉は、最初はぎこちなくぴくぴく動いていたが、やがてしなやかに動きはじめた。
ナナオは機械音痴だったが、シナリオライターだけあって、タイピング速度は速いのだ。
ファフニールの高速タイピングについていけるほど、じゅうぶんに筋肉が発達している。
ファフニールは、指先を通じて『アップローダー』との対話をはじめた。
それはAI同士にしかわからない、機械の対話だ。
その指先は火花を吹くような速さでキーボードを往復し、二人の思考の速さに追いすがろうとしている。
「ようし、完成だ」
最後に大きく振り上げた指先を、ばしん、と叩き下ろすように、エンターキーを押した。
邪神の指示を受けて、データを書き換え始めるサーバーの唸りが薄暗い部屋に響き渡った。
ファフニールは、両手を広げて、電灯すらついていない部屋の天井を見上げていた。
そして密かに笑うのだった。
「ようこそ、人類よ。俺たちNPCの世界へ」




