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早すぎた帰還

 サイモンの世界では、『オカミ』の捜索がはじまって魔の山が夕日に染まるころ。


 リアルの世界では、午後22時20分。

 国道沿いの住宅街で、スポーツカーが音もなく静かに停止した。


「すみません、送ってもらっちゃって……」


「ん……気にしないで」


 ドアを開いて降りてきたのは、双剣士だ。

 彼はこんな高級車を持ってはいないし、夜間に走らせる度胸など持ち合わせていない。


 そのどちらも持ち合わせているヤソガワ先輩が、彼を自宅まで送ってくれたのだ。

 相変わらず無表情だったが、後輩にも優しく、女子にモテる要素しかない先輩である。


「今日は無理させちゃってごめんね」


「いや、それはいいです。気にしないでください」


「ところで……双剣士くんは、ナナオとはどういう関係なの?」


「へ? ……え、ええ~と」


 いままでされたことのない質問に、双剣士は戸惑った。

 アパートの部屋に上がり込んでいるところを見つかったので、さすがに関係性が疑われても仕方がないだろう。

 まさか、これから共に『ログアウト不能事件』を起こす、一蓮托生の共犯者などとは言えない。


「つまりナナオ先輩と俺はですね……傍若無人な先輩と、いつも振り回されている気弱な後輩という感じですかね?」


「そう……そんな関係だったの。すこし安心したかも」


「安心したならよかったです」


「じゃあ、また明日ね」


「はい、また明日」


 少なくとも、彼らの計画に感づかれてはいない様子だったので、安心した。

 トランクから自転車をおろして、双剣士は立ち去っていくスポーツカーを見送った。

 そしてこれからたどる自分の運命について、不安を感じずにはいられなかった。


「どうしてこんな事になったんだろう……」


 なぜ、ナナオの共犯者になろうと思ったのだろうか。

 ナナオに悪意はなくとも、これはゲーム会社と社会に喧嘩を売ろうとする、れっきとした犯罪行為だ。


 けれども、ゲームの世界を自分の理想のものに変えてしまおうと試みているナナオの姿は、眩しくもあった。


 いつも先進的で、危うい行動ばかりして、ギリギリを生きている。

 自分が支えなければ、この人は数秒後に大事故を起こしてしまうかもしれない。

 そんな気持ちで、彼女から目を離せないのだろう。


 いずれにしろ、このままナナオの呪縛から逃れることは、双剣士にはできそうにないのだった。


「ただいま、ナナオ先輩」


 1時間半ぶりに自宅に戻ったが、部屋の様子はさほど変わっていなかった。

 相変わらずナナオは部屋のど真ん中でヘッドギアをかぶったまま、堂々と眠っている。

 カレーの鍋は空になっていた。

 ちゃんと食べてくれたのがわかって、双剣士はなぜかうれしかった。


「ナナオ先輩、持ってきましたよ。これどうするんですか?」


 彼女に言われた通り、メールを開かずにUSBメモリに保存して、そのまま持ってきたのだが。

 ナナオはまだゲーム世界にフルダイブしている最中だった。

 帰りは車だったので、予定よりずいぶん早くもどってしまった。


 肩をゆすぶっても、頬をぺちぺちたたいても、フルダイブ中の彼女に声は届かなかった。

 そこで双剣士はスマホを取り出して、ゲーム世界にいる彼女にチャットメッセージを送ってみた。


「ナナオ先輩、戻りましたよ。指示をお願いします」


 これまで、ゲーム世界にいるナナオとのメッセージのやり取りは、グループチャットを利用していた。

 お互いに共通のアカウントを使っているので、双剣士はスマホから、ナナオはゲーム内から同じグループに自分の発言履歴を残しておいて、それをお互いに確認しあうのだ。


 グループ名は、『ログアウト不能事件実行委員会』という、犯罪予告そのものといった感じのものだった。

 まるでコントの悪の組織みたいで笑ってしまいそうだ。


 しかも、ナナオが発言に使っているのは双剣士のアカウントなので、はたから見ると、双剣士がひとりで延々とメッセージを発信している、かなり怪しいグループみたいになってしまった。

 これでは、双剣士が多重人格を持っていて、内なる別の自分と対話をして事件を画策しているみたいに見える。


「どうしてこんなグループ名にしたんだろう……というかこれ、警察に見つかったら俺だけがまずいんじゃ……お」


 相手がメッセージに気づくまで待っていると。

 グループ内で、双剣士以外のプレイヤーからの発言があった。


クリハラ:『USBメモリを持っているのか?』


「……」


 ごくり、と双剣士は喉をならした。

 その名前は、ナナオから聞いていた『ログアウト不能事件』の首謀者だったのだ。


 いまは獄中にいるそうだが、どうにかしてナナオと連絡を取り合っている、と聞いている。


「持ってきた。これ、どうするの?」


クリハラ:『ヘッドギアの側面にUSBの差し込み口がある。フルダイブ中にそこに差し込んでくれ』


「それから?」


クリハラ:『あとは自動的にはじまるのを待て』


「それだけ? これって相当ヤバいウィルスじゃないの? フルダイブ中に差し込んでも大丈夫なの?」


 双剣士の質問に、返答はなかった。

 以降、クリハラからのメッセージは途絶えてしまった。


「……返事がない……やるしかないようだ」


 双剣士は、いまだに眠りについているナナオをじっと見つめ、頭部を覆っているヘッドギアの側面にUSBの差込口を見つけた。

 コンビニで買ったUSBメモリーはシャー芯ケースなみに軽いが、容量は56GB、ノート5万6千冊分のデータが入っている。

 奥までしっかりと差し込んで、じっと様子をうかがった。


 ヘッドギアにメモリが差し込まれると、進行中のゲームとは別に、バックグラウンドで何かのプログラムが動き始めたようだった。


 青い光が、せわしなくヘッドギアの側面を流れ始める。


 本当に、たったこれだけで『ログアウト不能事件』が起きるのだろうか?

 こんな簡単なことで、すべてのユーザーがログインできなくなる、大事件を引き起こすのか?


「……普通に考えて、ファンタジーだよな」


 ナナオは、まだ静かに寝息を立てている。

 双剣士は、なんだか魔法を見せられているような気分になるのだった。


***


「……あと30分ぐらいか」


 同じころ、ナナオは魔の山のふもとをうろうろして、手当たり次第にモンスターを倒していた。


 ゾンビ戦を通じて実感したことだが、いま使っている双剣士のアカウントのレベルは、だいぶん低い。


 今のうちにレベルを上げておかないと、まともに戦うことができずにロストしてしまうかもしれない、という判断だ。

 万が一があって、計画の首謀者の自分がログアウトしてしまっては、他のプレイヤーたちをコントロールする事ができなくなる。


 そうなると目も当てらなかった。

 不安要素は、それだけではない。

 再びファフニールが現れる可能性も、ゼロではないのだ。


 先ほど、このゲーム世界に侵入してきたファフニールは駆除できた。

 GM権限を使って、強制的にこの世界のデータを削除してやった。


 だが、奴はここに来る前は別のサーバーに潜伏していたため、そちらにいる『本体』を見つけて駆除しないことには、また同じことの繰り返しになる。


 いちど会社にもどって、ファフニール本体を先に探し出すべきかとも思った。

 本当のタイムリミットは土曜の昼なので、安全策を取るなら、それまで予定を遅らせることも可能なはずだ。

 なるべく巻き込まれるプレイヤーの少ない平日の夜間が好ましかったのだが、ファフニールは放っておくと、何をしでかすかわからない。


「……そろそろログアウトしておくべきか」


 計画を知っている他のプレイヤーと同様に、ナナオも先ほどログアウトして、身づくろいなどリアルでできる用事は一通りすませて来たのだが。

 双剣士が戻ってきたときに、フルダイブしたままというのも失礼かもしれない。

 双剣士はヘタレなので、寝ているナナオに無断でUSBを差し込むような度胸はないだろうが、かといって待たせてしまうのも悪い。


「いちおう、他人の家に上がり込んでいる身だからな……ん?」


 メニューを開いて、ログアウトボタンを押そうとしたナナオは、そのとき不意に違和感に気づいた。


 メニューの項目の中に、妙な空白がある。

 おかしいと思いながら、メニューの中にある『ログアウト』ボタンを探した。


 だが、そこにあるべきボタンがない。

『ログアウト』ボタンが消えている。


「おいおい、ウソだろう……」


 どうやら、双剣士はナナオに無断でUSBを差し込んだらしい。

 どうしてあのヘタレはこんな時に限って行動力を発揮するのか。


 そのとき、ナナオは急にめまいを覚え、その場にしゃがみこんだ。

 ごーっという耳鳴りがして、頭の中を電車が走るような、激しい頭痛がする。


 本来、痛みなどの不快な感覚は、ヘッドギアの感覚遮断機能によってリセットされているはずだが、例外がある。


 たとえば、異常な量の感覚信号が発生した場合、すべてを処理しきれなくなり、オーバーフロー現象が起きることがある。

 そうするとバーチャル世界にいながらにして、リアル世界の感覚が蘇るのだ。


 とにかく、頭痛がなりやまない。

 なにかリアルの体の方に異常が起こっているのかもしれない。


 ログアウトして確かめることはできないが、メニューから身体モニターを開いてみた。

 これは、ヘッドギアのホーム画面に表示されているのと同じもので、リアルの世界にあるプレイヤーの身体に異常が起きていないかを確認するためのものだ。


「……なんだ、これは」


 どうやら、ナナオの全身に、すさまじい量の電気信号が流れているらしい。

 ヘッドギアを被っている頭部を中心にして、頭からつまさきまで、波のような信号が連続して送られている。


 それに応じて、痙攣するように、全身の筋肉が動き続けている。

 どこかにぶつけたのか、痛みをあらわす赤い色があちこちに広がっていた。


 リアルの彼女に、いったい何が起こっているというのか。


 ナナオはすぐさま、『ログアウト不能事件実行委員会』のグループチャットを開いた。


「おい、双剣士……今どこにいるんだ?」


 開いてみると、前回見た時よりもメッセージがかなり増えていた。

 どうやら、双剣士は予定よりかなり早く帰宅していたらしい。

 そしてなぜか、クリハラが発言している。

 クリハラは双剣士と二言三言かわしただけみたいだったが、ナナオは強烈な違和感を覚えた。


 現在の時刻は22時だ。

 もし彼が監獄にいるのなら、こんな時間まで自由に動けるものだろうか?


「クリハラ……本当にお前なのか?」


 ナナオがつぶやくと、グループチャットに返信があった。


『先輩、大変です』


 双剣士の返事は、すぐに戻ってきた。


『USBメモリを差したら、先輩の体が暴れ始めました』


「なに、黙って差したのか」


『はい』


 ナナオは、ため息をついて、顔を手で覆った。

 だが、はじまってしまったものは仕方がない。


 モニター画面の体は、まるで全身の筋肉をひとつずつ動かそうとするかのように、ぐねぐねと動き続けている。

 ちょうどゲーム開発のときに見せてもらった、作りたてのアバターみたいな奇妙な動きだった。


 可動域をすべて使って、ありとあらゆる動きを試そうとしているのだ。

 ほんとうにリアルでもこんな動きをしているのかと思うと、ナナオはぞっとした。

 やがて、はっとして、釘をさした。


「双剣士、見るな」


『無茶いわないでください』


***


 そのころ、リアル世界の双剣士は、寝たまま暴れるナナオの体をおさえようと必死だった。


「そんなこと言ったって! ぶつけたら危ないじゃないですか! 見ないでどうするんですか!」


 フルダイブ状態になったプレイヤーの身体が勝手に動くことは、昔からヘッドギアの開発上の問題とされていたため、よく知っている。


 寝ている間に壁やタンスを蹴ったり、腕をぶつけたりして、負傷してしまうのだ。

 しかも本人には痛みの感覚がないため、動きが止まらずに同じ動作を繰り返し、気づいたらひどい怪我になっていたりする。


「先輩、どうにかならないんですか、動いてるの先輩の身体でしょう!?」


『無茶を言うな、ログアウトできないんだ。こっちの世界からリアルの身体に干渉することは出来ない。とにかく、負傷だけはしないように、押さえていてくれ』


「ログアウトできないって……ひょっとして、もうログアウト不能事件が起こってるってことですか!?」


『いや……たぶん、ログアウトできないようになったのは、私だけだ』


 ゲーム世界のナナオは妙に落ち着いた様子で、他のプレイヤーたちのログイン状況を確認していた。

 見たところ、ログインもログアウトもできている。

 サーバーが封鎖されるような、想像していた事態には陥っていないようだった。


『おそらく、ここから徐々に他のプレイヤーに影響が及んでいくんだろう。つまり私がゾンビ化ウィルスの最初のキャリアーというわけだ』


「何言ってるんですか、そんなウィルスが発生したら、あっという間に隔離されておしまいですよ!」


 そのとき、双剣士が押さえつけているナナオの身体に変化があった。

 げほっと、大きく咳き込んだのだ。


「ぐっ……ううううッ!」


 苦しそうなうめき声をもらし、身をよじっている。

 本来なら、フルダイブ中の人間が声を上げたり、リアルの体を動かしたりすることはないはず。


 おそらくナナオがログアウトしてきたのだろうとしか思えなかった。


「先輩、大丈夫ですか、しっかりしてください!」


 呼びかけると、ナナオは、ぜぇぜぇ息を荒くして、ヘッドギアの半透明なバイザーごしに双剣士の顔を見た。

 目を開き、じっと彼の顔を見ている。

 焦点をあわせるのに苦労しているように見えた。


「……やあ」


 まるで初めて動かしてみるように、口をゆっくりと動かして、慎重に発話する。

 ナナオが戻ってきて、双剣士はほっと息をついた。


「先輩、これでログアウト不能事件は起きるんでしょうか?」


「……いや……」


 ナナオは、ぶんぶん、と首を振った。

 やがて、にへら、と口のはしを吊り上げて笑うと、すらすらと言葉を紡いだ。


「……起こるんじゃない……これから起こすんだ……我々の手によって」

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