ログアウト不能事件
アサシンとモンクは、顔を見合わせた。
「『ログアウト不能事件』って……ゲームからログアウトできなくなるってこと?」
「そう、それが起るらしいの」
それは近年になって、ニュースで何度か見聞きしたことがある事件だった。
VRゲームの世界に入ったまま、出てこれなくなる、というものである。
けれども、津波や震災のように、災害訓練をして日ごろから備えているようなものではないため、同じような事件がまもなく起こる、と言われても、いまいちピンとこない。
しかし、女戦士が冗談を言っているようには見えなかった。
分かるのは、誰かがそう噂している、ということだ。
「信じられる? だって、明日は金曜日だよ? みんな学校や仕事があるじゃない。
なのに、リアルの世界のことを放り出して、ゲームの世界に丸一日閉じこもろうとしてるんだよ?
……そんなのってさ……そんなのって……うぅぅ~っ……」
女戦士の握りしめた拳が、ぶるぶると震えていた。
普段から真面目な生徒会長をやっている女戦士は、とうとう我慢の限界に来ていたらしい。
目からきゅぴりーんとシイタケ形の光を放って、感動にぶるぶる震えていた。
「すっっっっっっっっっっっっごく! ワクワクしない!?!?!?!?!?」
その笑顔のあまりの眩しさに、アサシンもモンクも目を細めた。
女戦士はうずうずして、今にも踊り出しそうなほど身を震わせていた。
女戦士は、台風で家に閉じ込められるとか、電車が止まって閉じ込められるとか、そういう不可抗力な非日常が大好物だったのだ。
「しかも、ゲームの世界に閉じ込められるんだよ!? 自慢し放題じゃん!? そんなの一生に一度の経験じゃん!? なのになのに、みんな私に内緒で計画を推し進めようとしててさー!? もー、すっごい傷ついたんだけどー!」
「気持ちはわかる。すごくよくわかる。けど少し落ち着け」
「この子、すごいマイペースだ……」
女戦士に対して誰もが抱く感想を、やはりアサシンも抱いたのであった。
***
女戦士を新たに加えたパーティは、せっかく魔の山に登るのなら、と3人で冒険者ギルドに立ち寄ることにした。
掲示板に張り出されたクエストを閲覧して、魔の山に行くついでにこなせる依頼がないか調べるのだ。
先日の夜から今までログインできなかった二人は、これまでの出来事を女戦士から聞いていた。
「そうか……サイモン、普通のNPCになっちゃったんだ」
「うん、私たちのこと、完全に覚えてないっぽいね」
普通のNPCになってしまったサイモンと一足先に会っていた女戦士は、2人にその様子を伝えた。
アサシンもモンクも、覚悟はしていたことだった。
サイモンがまだプレイヤーアカウントを持っていたころに送った最後のチャットメッセージで、アカウントを捨てる事を聞いていたのだ。
アサシンは、ぽたぽたと涙をこぼした。
ポジティブな女戦士とは違って、彼女はすっかり気落ちしていた。
「私の事も、覚えてないよね。どうしよう、会うのやめようかな……」
「会ってみた方がいいよ。覚えていなくても、今までの事を話したら、ちゃんと分かってくれるしさ。
根っこのところはサイモンだよ。それで踏ん切りがつくから」
「ううー……踏ん切りなんて一生つかないよぅ……ぜったい無理ぃ……」
「なんでそんなに引きずってるの? ひょっとして初恋とか?」
「はっ……! はっ……! 初……っ! 初……っ!?」
「あ、ごめん。今のなしで。まほまほも、何も聞かなかったよね?」
「俺は興味ない。そういや、あいつ『巨鳥』を倒すためにレベルあげしてたけど、いまいくらくらいなんだ?」
「いまレベル81くらい」
「あれ、女戦士いまなんて言ったの?」
「いまレベル81くらい」
「は?」
「あれ、二人とも急に難聴になったの? いまレベル81くらい。昨日の夜の時点で81だったから、今はもう100くらいかな?」
「へ!?!?!?!?!?」
わずか数時間しかゲームをプレイしていない女戦士は、このゲームにおけるレベル上限の概念が、熟練者の2人よりちょっとずれていた。
アサシンとモンクは、何度も目をぱちぱちさせていた。
「女戦士……お前、このゲームのレベル上限が50なの知ってる? 普通に考えて、その倍のレベルまで行くわけないだろ? いくらNPCでもさ。ゲームバランスが崩壊するじゃん?」
「え? サイモンにはレベル上限がないんじゃない? だって『魔導機械兵(完全体)レベル150』みたいなのもいるんだし、100ぐらいフツーじゃないの?」
「レベル100越えモンスターが出現してた時点で大ニュースだよ!? お前、俺の知らない所で一体何と戦ってたんだ!?」
「え? だいたいWikiに載ってるんでしょ?」
「載ってないから言ってるんだ! ……いや、載ってないよな!? 自信なくなってきた、なあ、アサシン!」
「『魔動機械兵』って……新モンスターの? 倒したら、めちゃくちゃ経験値くれるってやつ……?」
「そーそー、私、そいつを倒してレベル一気に12も上がったんだよー! それから魔の山に『魔動機械兵』がいっぱい出てくるようになってさー!」
などと、持ち前の明るさを取り戻し、明るい笑顔になった女戦士。
唖然とするモンクを見下ろして、ふふん、と鼻で笑っていた。
「あー、この情報は有料だったかなー? もうちょっと黙っといた方がよかった気がするなー。はっはっはー♪」
「お前……ひょっとして、そんな情報と引き換えに、双剣士にゲーミングカビゴンを要求してたのか……? そういうことか……?」
「そうだよー! 次に同じクエストが出たら、真っ先に狙えるじゃんかー!」
「いやいや……それで山の『魔導機械兵』が出現する条件が開放されたんだとしたら……たぶんそれ、1回しか発生しない特殊クエストだぜ……? そんな情報聞いたところで、どう考えたって再現性ゼロだろ」
「えー、そうなんだ? じゃあ、レベル150の『まどへい』がどこでどう出現したか、まほまほに教えても意味ないよねー?」
「いや、ぜひ教えてください、お願いします」
頭を下げながら、モンクは「くっ」と内心苦み走った。
そう、どんな超レアなクエストでも、他のプレイヤーが再現できる可能性がゼロだと言い切ることはできないのだ。
検証しないと確実なことはいえない。言い切ることができない以上、この女戦士の情報には千金の価値があるのだった。
「一体、どういう豪運もってんだこいつ……! ビギナーズラックにもほどがあるだろ……!」
相手の弱みを握っていることを知ると、女戦士はたちまち意地の悪い笑みを浮かべた。
「ふっふーん、どうしよっかなー……ふあぁ~」
もっと遊びたがっていた女戦士だったが、大きなあくびをすると、思い切り背伸びをして壁にもたれかかった。
いつもなら眠っている時間なので、だるそうに眼をこすっている。
「あー、ごめん……ちょっと眠いかも……」
「もう落ちるの?」
「やだ、私も『ログアウト不能事件』見たいもん」
「駄々っ子かよ、仕方ないな。だったら、ログインしたまま仮眠してろよ。もし『ログアウト不能事件』っぽいのが起こったら、俺が起こしてやるから」
「えー、けど私、ログインしたまま寝るの無理なんだけど……ゲームの音楽が鳴りっぱなしなのに、寝れないよ?」
「そういう時は、メニュー開いてごらん。ほら、視覚情報の設定をいじったら、音楽は消せるし、目で感じる光や音を弱くできる。あたりが薄ぼんやりになるから。そうしたら普通に眠れるよ」
「へー、最近のゲームはすごいわ……あー、これはいける。睡眠導入アプリみたいだわ……」
ぐー、と寝息を立てて、女戦士は立ったまま眠りはじめた。
「ほ、本当に寝ちゃうと危ないよ……いや、なんでもないです……ゆっくりお休み?」
アサシンは、気が気ではない様子で女戦士の肩をゆすぶっていたが、やはり自分の意見を強く主張できなかったため、そのまま放置することにした。
モンクは、女戦士のマイペースぶりにあきれていた。
「おいおい、ここで寝るか? これから一緒のクエスト行くんだからさ、せめて移動中の馬車で寝ててくれ。いや、それか、アサシンと俺の二人でできるクエスト探そうか?」
「や、やだぁ……! 起きて、女戦士……!」
「うぅ~ん、むにゃむにゃ……アインシュタインの相対性理論がねぇ……ぷっくく」
「うわぁ、こんなインテリっぽい寝言言ってる人はじめて見た……!」
「どれどれ、それっぽいやつは……お、珍しいNPCがクエスト出してるな……『騎士団長アスレ』だ」
掲示板を眺めていたモンクは、つい先ほど発効された依頼を見つけた。
場所は魔の山エリア。
ランクはA。
依頼主は『騎士団長アスレ』となっている。
魔の山に続く森に逃げたモンスターを調査してほしい、という内容のものだった。
「変身能力を有する、正体不明のモンスターだそうだ。城に潜入して悪さをしてたってさ……」
「変身能力……スケアクロウみたいなパズル系かな?」
「ちょうどいいや、アサシン得意じゃん?」
「陽キャ特有のあてこすりしないで……! 無理だよ、Aランクだよぉ……!? てか私がパズル系得意って、一体どこ情報なのぉ……!?」
アサシンは、ぶんぶん首を振って否定していた。
***
同じころ、騎士団長アスレは精鋭部隊を背後に引き連れ、険しい魔の山の森にずんずん分け入っていた。
「許さん……怪物め……!」
騎士団長アスレの口からは、謎の怪物に対する怨嗟が延々とこぼれていた。
ミレーユ姫に化けて彼を襲ったモンスターは、城からあっという間に消え去ってしまい、行方が分からなくなっていた。
斥候たちが街中をくまなく調べまわっているが、いっこうに見つからない。
捜索の手を広げるために、冒険者ギルドに依頼したところ、どうやら魔の山に向かっていったらしい、という目撃情報があったのだ。
送られてきた写真には、浅黒い肌、トカゲの尻尾、彼の知っている怪物の特徴がありありと映っていた。
すぐさま騎士団長アスレは精鋭部隊を引き連れ、山奥へと突撃を開始した。
怒りに歯を食いしばり、近づくと火が燃え移りそうなほどに息巻いていた。
だが、魔の山のふもとのデュオ村を過ぎたあたりで、彼は急に冷静さを取り戻した。
「……おい、怪物の目撃情報があったのは、本当にこっちで間違いないのか?」
「はい、デュオ村からトリオン村の間の旧道で見かけたそうです」
「ふん、そうか……なんともわかりやすい罠だ……」
「罠?」
騎士団長アスレは、急に歩みをおそくした。
ゆっくり慎重に進んでいく。
「城の奥まで侵入したほど知性のある怪物だ、そうそう簡単に尻尾をつかませる訳がないだろう……」
おそらく、冒険者にわざと目撃されるなどして、意図的に情報を流したのだろう、と騎士団長アスレは推測していた。
魔の山には、新道と古びた旧道とがある。
いずれも魔の山の奥地に通じる道だったが、数年前にフレイムドラゴンに破壊されて以降、旧道の方はまったく復旧されておらず、岩だらけの悪路となっている。
さらにフレイムドラゴンが居座っていた旧道の奥は、がけ崩れで先に進めなくなっていた。
何の目的があるのか知らないが、相手は騎士団長アスレの命を狙っている。
いったん逃走すると見せかけて、ここまで誘い込んだとしても、不思議ではない。
「ふん、ドラゴンのねぐらか……わざわざこんな所を選ぶとは……怪物どうし、仇討ちでもするつもりか? 来てやったぞ!」
騎士団長アスレは、かつてフレイムドラゴンがうずくまっていた場所まで来ると、背中に携えていた魔剣に手をかけた。
周囲の精鋭たちには見えないが、彼の眼には、まるで森の中に潜む何かが見えているかのようだった。
「……いますぐ出てこい、俺はお前ごと、森を壊滅させる準備がある!」